Book十三: 真の神様の祖国光復

Restoration of the True God’s Homeland



はじめに


 真の御父母様の八十歳の御聖誕日を中心として、統一問題が再び争点となっています。真の御父母様が主管された国際会議の全般の主題が「二十一世紀・韓国のビジョンと統一祖国」であったし、御聖誕日の行事以後、引き続き全国二十一箇所の市、道において、南北統一前進大会を開催して、統一に対する民族の熱望を確認したところです。


 それでは、民族の宿願である統一は、どのように現実化すべきでしょうか。韓国は人本主義と神本主義、共産と民主、唯心と唯物の世界、すべての宗教と思想の最後の終着地となっています。言い換えれば、南北分断は、単純な政治的、軍事的分界線ではなく、神様とサタンが対決する現場なので、韓国だけの問題ではなく、世界の問題となっており、それで韓国の統一問題は、世界統一のビジョンと一致しています。


 真の御父母様は、私たちの南北統一が、世界統一の典型であり、神様がこの上もなく願われる神様の国の創建だという次元の高い価値と目的をもっていると語られました。


 真の神様の祖国光復は、全人類的願いであるがゆえに、歴史の趨勢も統一祖国に向かっています。それでこの聖なる歴史の前に、召命された人類とすべての宗教は、真の神様の祖国光復に、超民族、超国家、超宗教的に、協力せざるを得ないのです。

 神様は、世界の最も重い荷物を背負っている韓国を通して、世界を救うことのできる真の御父母様を立てられ、そのお方を通して世界史の難しい問題、すなわち、共産主義の問題、人種差別、貧富の格差、倫理道徳の堕落、宗教問題などを解決することのできる統一思想を下さったのであり、真の御父母様は、このような神様のみ旨を深く理解され、平和と統一世界を成就するために、大変な計画と事業を先頭に立って、実践してこられました。


 真の御父母様は、四十年前からこのような統一の根本原則を見抜かれ、徹底して神主義を母体とした真の愛を中心に、共生・共栄・共義の心情文化を創建することに目的をおいて、調和と統一の新たなビジョンを提示されたのです。


 新千年の始まりである二十一世紀は、偉大な神様の世紀になることでしょう。神様の神性と人間の理性が調和する私たちの真の神様の祖国創建のために、高邁な役割を果たす指導者となられることをお祈りいたします。


  二〇〇〇年五月一日


日本語版発刊によせて


 真の御父母様は、傘寿祝賀の一連の行事が行われたころから再び韓半島の南北統一を強調され、そのための具体的な活動を強化されるようになりました。神の摂理という観点からみるとき、韓半島の南北分断は単なる一民族の政治的分断を意味するのではなく、人間の堕落以来カインとアベルの二つの型に分かれて争ってきた善悪闘争歴史が、最終的な結末をつけるべき摂理の終着点であるという極めて重大な意味をもっています。それは単なる政治的な統一ではなく、神様の祖国の回復として成し遂げられなければなりません。そのため、本書のタイトルである「真の神様の祖国光復」は、正に六千年の復帰摂理歴史と、真の御父母様の八十年の生涯を通じた悲願であると言っていいでしょう。


 しかしながら、復帰摂理の原則は、人間が一足飛びに国家レベルの勝利を手中に収めることを許しません。そのレベルに至るためには、個人、家庭、氏族、民族の各レベルにおける勝利基準を着実に積み上げていかなければならないのです。そのため、真の御父母様はこれまで「家庭教会」「統班撃破」「氏族メシヤ」などに代表されるように、各段階ごとに私たちが勝利しなければならない内容を実に事細かに語り、指導してくださいました。


 これらのみ言は、荒野時代を越えて定着時代を迎えるに際し、私たちが具体的に何をしなければならないかを教えてくださったものです。過去の復帰歴史においては、エジプトから出てきたイスラエル民族が荒野路程を終えてカナンに定着しようとする時、モーセを通じて神様から与えられた十戒のみ言と、荒野で訓練された信仰の伝統を守ることができずに、カナン七族の風習に染まって堕落してしまいました。


 今日、私たちはいよいよ本格的な定着時代を迎えようとしていますが、私たちは決して堕落世界の風習に染まって過去のイスラエル民族の失敗を繰り返してはなりません。今日の私たちは、成約のみ言の集大成とも言うべき『聖本』と、本書の中に収録されている「世界と南北統一教本」とされている五つのみ言を頂き、さらにそのための細かい活動指針までも示されるという、まことに恵まれた立場にあります。


 本書を通して多くの方々が、定着時代における信仰実践の具体的な方案を学んでくださるように願ってやみません。


 二〇〇〇年五月


第一章 真の神様の祖国光復

一 真の神様が願う祖国


 イエス様も真の神様の祖国を創建するために来られたし、先知先烈(注:先駆けて道を悟った先人、義のために命を捧げた烈士)たちも祖国建設の役軍(注:担い手)たちでした。天国を創建するために完成した男性が来なければなりません。天地が公認する男性が家庭を成して、子女を繁殖し、氏族、民族、国家を成さなければなりません。カインとアベルを基準として蕩減し、接ぎ木して、この世界を神様が主管する祖国として創建しなければなりません。先知先烈たちがこれを願ってきましたが、願う個人、家庭、氏族、民族、国家、世界へとつながる地上天国を建設できなかったので、私たちは歩んでいた道を捨てて、行かなければなりません。

 本来、人間始祖のアダム・エバが堕落していなかったならば、どうなっていたでしょうか。アダム家庭でのアダムは族長になるのです。族長になると同時に民族長になるのです。また国家の代表者になり、アダム王となるのです。ですからこの世界は、アダム主義一つに統一されるのです。くだらない主義はみな片づけなければなりません。くだらない主義がたくさん出てきて、世界を惑わしたので、私たちはこのような主義を根こそぎ引き抜いてしまわなければなりません。主義もアダム主義、言語もアダム言語、文化もアダム文化、伝統もアダム伝統、生活様式もアダムの生活様式、制度もアダム制度、すべてのものがアダム国家の理念制度にならなければならなかったのです。このような主義が神主義です。神様の心情によって神様と一体とならなければならないので、神主義なのです。

 私たちが住みたい所は天の国、天国で暮らしたいというのが正しいのです。天の国に境界線がありますか。ありません。天の国で使う言語は二つですか。違います。人種の違いがありますか。ありません。では天の国とは何ですか。人はみな神様の懐から生まれたので、人類はみな兄弟です。神様を中心として見れば、神様の息子、娘ですから、みな兄弟であり、地上天国を中心として見れば、国民です。地上天国の国民なのです。国民だというのです。

 私たちの目標は統一世界、神様を中心とした一つの国を築くところにあります。その国は、一つの主権、一つの国民、一つの国土、一つの文化です。真の父母を中心に一つの血統で連結されています。その国では、すべてが心情圏を成して、理想的な後継者になろうとするのです。聖書で「怨讐を愛せ」と言うすべてのものを成就することができます。

 神様が創造した世界は、国境があり得ません。白黒の人種問題は問題になりません。善悪の闘争もそこには必要ないはずです。このような観点から見るとき、私たちが住む世界には各国ごとに国境があります。白黒の人種問題だけでなく、家庭において夫と妻、父母と子女の間にみな分裂が起こっています。善なる人と悪なる人が闘っています。このような現情勢を見るとき、来られる主は国境のない国をつくり、人種問題を超越して、世界を一つにしなければなりません。分裂した家庭をみな統一しなければならず、善悪が闘うこの世界に、平和の王国をつくらなければなりません。

 それでは本郷の地と本郷の祖国はどこか、祖国は何を意味するのか。祖国はもちろんある特定の一つの国家的基準になるでしょうが、神様が求めて来られた人類の祖国はどこかと言えば、地球星です。この地球星です。この地球が人類が願う祖国だというのです。神様が願う人類の祖国なのです。過去に数多くの歴代の私たちの先祖たちが犠牲の道を歩みましたが、彼らが希望をもって天の前に訴えながら歩んだこととは何だったのか。「希望の祖国の一時が早く来るように」というものでした。天の一つの国家を立てることによって、今まで天の前に怨讐である大サタンを審判してしまい、悪を取り除き、善のみを中心とした平和の天国をこの地上に築かなければならないというものです。それが神様の願いであり、イエス様の願いであり、今まで摂理路程において、至大な貢献をした私たちの先祖たちの願いであったということを皆さんは、はっきりと知らなければなりません。

 祖国は、アメリカでも韓国でもありません。いかなる所であっても、家庭の編成、氏族の編成、民族の編成が成された祖国の地がなければなりません。神様は六千年の間、数多くの国家を経ながら、この地に築かれる天国を願いつつ、求めてこられたのです。天の忠臣、烈女がどこにいるかと求めてこられたので、今こそ私たちは天を中心とした国家と民族、家庭を再編成しなければなりません。祖国光復の解放の日のために、召されたということを忘れてはなりません。祖国創建が宗教人の使命であるのに、自分一人が救われようという間違った欲をもっています。

 統一教会のメンバーは、個人から民族、国家基準まで築いてきました。これからは全世界の人類とすべての国家を動員しなければなりません。私たちは祖国光復、自由、平等、幸福の日を求めて行かなければなりません。その道が難しくとも行かなければなりません。それは先生が見つめる観点であり、神様が御覧になる基準です。イエス様はこの基準を目指して歩み、亡くなられました。私たちは祖国光復の過程において、苦労し、前進しなければなりません。この地の人類は、統一教会のメンバーを前に立てて行かなければなりません。統一教会のメンバーでなければ駄目だという時が来ても、三年は苦労しなければなりません。彼らが私たちのものを相続する時まで、伝統を立てて、血と汗と涙を流さなければなりません。まだ私たちには蕩減条件が残っているということを知らなければなりません。

 神様は悲惨な神様、神様は孤独な神様、神様は言い表すことのできないほど悲しい神様ですが、この神様を解放するための旗手になり、第一線の将兵となり、「血を流しても正統に打たれ、血を流して倒れるとしても一度に倒れよう」と言うことのできる信念をもって、祖国光復のために、その世界を一つに収拾するために歩む勇士の隊列がだんだん大きくなれば、ここから神様の喜びが始まることでしょう。

 今は摂理の時が、どのような環境になったかということが、分かりますか。天の国の祖国光復がなされ、神様の地上天国が解放されること、それが第一の目標です。そのためには自分の家庭だとか自分の一族を犠牲にしてでも、やらなければならないのです。難民になったとしても、それをやらなければなりません。

 一つの神様の主権のもとに一つの国を建てなければなりません。皆さんがこれから神様を中心として、真の父母を代行する実権者であるだけに、地上に祖国光復、世界統一的な国家に税金を払う時が来ました。先生の財布から出たお金をもって、皆さん個人を助けてはなりません。天のみ意に従わなければなりません。ですから韓国は韓国なりに責任を果たさなければならないし、日本は日本なりに責任を果たさなければならないし、アメリカはアメリカなりに責任を果たさなければなりませんが、この三カ国が一つの国です。父母の国と兄の国です。

 今後、言語の統一をしなければなりません。父母様が成就したすべてのことに対する記録を読むのに、翻訳されたものを読むということは恥です。天上世界の前に恥となるでしょう。天上世界にに行けば、神様の命令によって千年、万年を蕩減しなければならないかもしれません。そのように大変な問題が起こるのです。その峠を越えられない人は、祖国光復をしたと言っても、故郷に帰る道がありません。祖国に住むことのできる居住証がありません。国民として入籍できていないというのです。深刻な問題です。


 二 我々の祖国を求めていかなければ


 私たちは、神様の国を仰ぎ慕います。そこは、愛があるところだからです。一時的な愛ではなく、時間を超越し、永遠な愛の存続するところです。また、自分自身が高められるところであり、自分の価値が一〇〇パーセント認められるところなのです。すなわち、永遠に幸福なところです。それゆえ、人は天国を慕い、憧憬するのです。

 もしも、地上で国家を復帰するということを自分の生涯で果たせない場合、皆さんは霊界に行っても天国に属する人としての価値をもつことはできません。地上で神様の主管圏内で統治されたという実績をもって、霊界に行かなければなりません。それが本来の創造基準なのです。

 私たちの信仰の目標は、神様の国の民になることです。その国の民にならなければ、その子女として万民あるいは万物世界に、自由自在に誇り愛される道は現れません。国のない者は、いつも攻撃を受けることになります。かわいそうな立場に立つことになります。物も言えず攻撃される場合がいくらでもあります。それゆえ、神様の願う国がどこにあり、神様が足場とする国がどこにありますか。それが問題です。

 私たちがこの国、この民族のために血の汗を流すのは、結局のところ永遠な天国をつくるため、千秋万代の子孫が永遠にたたえることのできる福地を築くためです。

 その国とは、神様を中心として直系の子女が天命を受け、神様を身代わりした命令をもってその王権によって治める、そのような国であることに違いありません。そこに民主主義や、共産主義はあり得ないのです。一度形成されれば、永遠な国家体制として残るのです。そのようなことを考えるとき、私自身がそのような国の民となれなかったという事実が恨めしいことではないかというのです。自分自身がそのような国で暮らせないということを嘆かなければなりません。そのような一つの国をもてなかったということを嘆かなければなりません。そのような一つの不変の主権をもてなかったということを、私たちは嘆かなければなりません。

 主権と国と国土を復帰するために、人類は主権国家を立ててきました。その中で多くの人が死に、多くの民が犠牲となり、多くの国が滅び、多くの主権が入れ替わってきたという事実を知らなければなりません。そのように犠牲になった多くの人、天側にいる人、あるいはそのようなみ旨のために犠牲になったすべての哀魂は、いつの日かそのような国、そのような世界を築いてくれることを願っているのではないでしょうか。

 神様は愛する息子、娘を地上に送り、絶対的な一つの国家を建てるためのみ旨を進行させてきましたが、現時点では一つの国家を復帰し得る土台は築かれていません。いつも失敗してきたので、この地上に天の人を遣わし、それを治めさせ、推進させ、成就させるために苦労してきたのが、今までの天の歴史なのです。

 主権のない国の国民はかわいそうなものです。ですからイエス様が心配して「何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」(マタイ六・三一~三三)とおっしゃいました。まず息子を求めなさいとおっしゃいましたか、国を求めなさいとおっしゃいましたか。神様の求めている国を求めよとおっしゃったのです。

 イエス様も楽園に行って待っているのです。天の宝座の前には行けなかったということを知らなければなりません。イエス様は神様の前に国の主権を立て、国を治めて、地上から天国まで直通することのできる権限のある国をつくることができなかったので、神様の前に立つことができないのです。ですから楽園は天国へ行くための待合室です。また、天国は一人では行くことができません。本来堕落しなかったならば、天国はアダムとエバ、家庭単位で行くべきなのです。息子、娘と一緒に行かなければならないのです。そうでなければ行けないのです。

 今まで宗教人たちは、なぜ生き残れないようなことをしてきたのでしょうか。宗教を協助することのできる家庭もなく、社会もなく、国もなかったからです。国のない民なのです。国があったならば、氏族が反対する立場に立ったとしても、その国の圏内に残る道があったはずなのに、今まで宗教を信じる人たちが、どこへ行っても迫害を受け、どこへ行っても血を流す祭物の道を歩んできたのはなぜでしょうか。国がなかったからです。主権者がいて、国さえあったならば、「おい、これは正しいのだ」と言えば、「ちぇっ」ということになったであろうに、国がなかったので……。国のない民なのです。

 国がなかったとすれば、いくら幸福で良い家庭だとしても黄馬賊団(注:馬に乗った盗賊)が出てきて首をはねられるかもしれないのです。それゆえ国を求めなければなりません。宗教人は、これが分からずにいます。宗教人は確実に知りません。善なる国を求めなければなりません。これが宗教の目的です。

 国がなければ国籍がないということになります。国がなければ入籍するための土台がないということです。私たちは民族を編成して、新しく入籍しなければなりません。この地上に天国を編成し、その国籍をもって、愛国、愛族の真実で善なる父母の血統を受け継いだ勝利的息子、娘として、自分の一族、あるいは家族を率いて生きたのちに、天上世界の天国に入ることができるのです。それが原理です。

 国があって初めて私たちの千秋万代の子孫の前に、大切に残してあげることのできる伝統も残るのです。私たちが血の汗を流したすべての努力も残るのです。天の労苦をたたえる記念塔がこの地上に生じるのであり、すべての栄光の形跡がこの地上に残るのであって、国がなければすべて無駄なものになるのです。今日、世界のキリスト教にとって残された十字架やすべての涙も、天の求める国がないとするならば、すべて川に流さなければならないのであり、燃やしてしまわなければなりません。サタンの籠絡に倒れていくということを知らなければなりません。それゆえ国が問題だということを皆さんは知らなければなりません。

 私たちが求めるべき祖国というのは、今日この地上にあるような歴史と伝統をもった国ではありません。そのような国とは本質的に次元が違うのです。私たちが次元の異なるその国を受け継ぐには、そのための思想的な主体性をもった国民にならなければなりません。しかしその主体的な思想は、絶対的な創造主の思想と一致する思想でなければならないのです。絶対者の願う国が存在するには、その国の主権を中心として、その国の国民が一致し得る国となることを願わなければならないのです。そのような国民性をもち、国家形態をもたなければならないのです。

 国が形成されるためには、国土がなければならないし、国民がいなければならないし、主権がなければなりません。主権とは何でしょうか。根源的な神様と因縁を結ぶことです。国を治める人は、国民が深い眠りについたあとで、神様と因縁を結んで政治をしなければなりません。そうして主権者は国民と一つにならなければなりません。国民と一つになって自分にあるすべてのものは自分のためのものではなく、天のためのものであると考えなければなりません。そうなれば、その国は繁栄するのです。

 一つの国が形成されるためには、主権がなければならないし、国民がいなければならないし、国土がなければなりません。天国もやはり同じです。主権に代わるものが父母であり、国民に代わるものが息子、娘であり、国土に代わるものが国なのです。この中の、どれ一つとして欠かすことはできないのです。これは鉄則です。

 一つの国を見ると、国が形成されるためには、その国の主権がなければならないのです。そのような観点から地上に天国を実現するという問題を考えてみると、天国の主人は誰でしょうか。主権者は誰でしょうか。間違いなく神様が主権者です。では国民は誰でしょうか。国民は万民です。それでは国土はどこでしょうか。地球星です。

 自分が行き来するのも、その国を求めるための、祖国光復のための建国の功臣になるために、そのような使命を負って、あるいは天の密使としての指令を受けて、今日の悪なる世に来てこのようなことをしているのだという事実を考えながら生きていくべきです。そうでなければ、皆さんは今後来たるべき国の国民として、その威信と体面を立てることができないということを知らなければなりません。

 さあ、六千年間神様に打撃を与え、苦しめてきたサタンが、そのままおとなしく「ああ、我は降りる」と言って目を伏せて引き下がるでしょうか。皆さんはぼろの雑巾でも、捨てようとすればもったいないと思いますね。ぼろでも裏返して臭いをかいでみてから捨てるでしょう。サタンがそのまま引き下がるわけがありません。それでしぶとく闘いを挑んでくるのです。ですから中心に合わせなければなりません。統一教会の文先生も、中心から外れれば折れて出ていくのです。方向が合わなければ発展しないのです。

 統一教会のメンバーは、はだしで立ち上がり、祖国を創建しなければなりません。食べて残ったものでこの国を生かすことができるでしょうか。食べて、着て、乗り歩くことに気を遣っている暇があるでしょうか。はだしで、素手で開拓していこう、このようにしていくのが統一教会です。


三 祖国光復の旗手


 皆さんが責任を遂行するために誓い、三千里半島で新たな旗手になろうと誓って立ち上がるとき、大韓民国は私たちの懐に帰ってくることでしょう。それゆえ、輝く瞳をもっているならば、その瞳は栄光の祖国を直視する瞳と化さなければなりません。才能と力があるならば、それを祖国光復のために用いることのできる勇士となって、皆さん自身が堂々とした姿で、祖国光復のための聖別された責任者に代わる者となろうという信念を感じながら前進することができなければなりません。

 祖国を立て、祖国を輝かせ、祖国と共に生き、祖国の中で死ぬことのできる自分とならなければなりません。今まで天の前に、誰も果たすことができなかった責任、この一時に一度しかできないこの厳粛な責任をおろそかにしてはなりません。一度聞けば十のことを考え、一度聞いたことを十以上のものと比較していかなければなりません。天の運勢をここに顕すためには、自分が千回恥辱を受けてもそれをものともせず、また、百の死の道があったとしてもそれをものともせずに行こうという信念をもって進むとき、神様は皆さんの行く道を守ってくださることでしょう。なぜならば先生が今まで歩んできた生活の中で、そのようなことがあるたびに神様はお捨てにならなかったことを体験したからです。皆さんも神様が保護してくださることは間違いないのです。

 祖国光復のための一つの主体的な使命者として、自分が任された一つの道ならば道、一つの部落ならば部落で、この責任を遂行する者は自分しかいないという信念をもって、絶対引き下がってはなりません。ここで背信者となってはなりません。天命に一致する責任を果たせなくてはなりません。責任の裏道(責任を避けるところ)にいたのでは、この道を越えることはできないのです。

 寝ることができなくてもやらなければならず、食べられなくてもやらなければならず、追われながらもやらなければならず、死ぬとしても決定を下してから死ななければなりません。決定的な使命を遂行しようと新たに決心して立ち上がるとき、皆さんの行く道は開かれるに違いありません。しかしそうできなければ、先生が皆さんを立てて信じ、願ってきた希望の世界、光明の世界は、逆に闇の世界となることでしょう。先生はこのような問題を心配しているのです。

 因縁を結んできた歴史とともに、因縁を結んできた事情とともに、感じ難い涙ににじんだ心情を感じるたびに、神様の心情をかき抱いて身もだえしなければなりません。そして祖国光復と世界解放の土台を私たちの手で、私たちの精誠によって築くために、闘いの場に向かって力強く闘っていかなければなりません。そのような皆さんになってほしいと思います。私たちが求めるべき希望の祖国を見いだす皆さんとならなければなりません。

 皆さんが死地に赴かなければ、自分が救われないのはもちろん、大韓民国が滅びることになるのです。大韓民国の国民がすべて滅びたとしたならどうしますか。そこに入ろうとしなければならないのです。もしそこで犠牲になったとすれば、民族を団結させ得る新たな世界史的な爆発的力の源泉がそこからわき出るのです。「行こう!」と決意することのできる男らしい足並みとならなければなりません。

そのような道でなければ成し遂げる方法がないとするならば、その道を通ってでもみ旨を成していこうと、そこに志操の碑を立てていこうという天の息子がいるとするならば、それは神様の胸と骨と肉を一度に溶かすことのできる息子ではないでしょうか。祖国光復の伝統的思想は、そこから芽生えるのではないかということです。

 そこへ共に行き、その涙の谷間を共に行き来するならば、皆さんは滅びることはないでしょう。神様はそのような人を捨てはしないでしょう。来たる希望の祖国は、そのような人を迎えるようになっているのです。皆さんが世界史上になかった祖国を迎える最初の旗手となり、祖国光復の建国の勇士として登場するときには、千年、万年たたえられる群れになるのではないでしょうか。これは深刻な問題です。

 今日、統一教会の群れは、金日成を中心とした北韓共産党の骨髄分子が一つとなったもの以上に、それを凌駕できなければ、神様のみ旨を成し遂げることはできないのです。そうでなければ神様の願う新しい祖国光復はあり得ないのです。

 女性が先頭に立たなければなりません。ですから今、韓国でも祝福を受けた家庭の女性をすべて一線に追い出しました。先に動員したのです。韓国が本部国家なので、祝福を受けた皆さんの先輩家庭はみな一線に出ました。それを知らなければなりません。ですから世界に散らばっているムーニーの女性すべては、それに従って一線に向かって出ていくのです。アーメン。


 四 私たちは祖国光復のための独立軍


 皆さんが決心すべきこととは何でしょうか。祖国光復の一日を迎えることです。今日、私たち韓国の民は、八月十五日を光復節として記念しています。解放の日として記念しているのです。第二次世界大戦以降、多くの弱小民族が、自分の一つの国を中心として光復と解放と独立を記念しています。ところで神様を中心として、天地の光復の日と独立をたたえることのできる日はいつ来るのでしょうか。考えたことはありますか。その日が来なければならないのです。

 日帝時代末期に祖国光復のために、祖国の独立のために地下運動をして日本と闘争しました。今もはっきりと覚えています。私が血を吐くような場で、息が詰まり倒れるその場で、「私は神様の名によって日本帝国を屈服させなければならない」といって闘争しました。そのような場において、神様は共にあるのです。北韓に行っても同じです。監獄に入れられ、追い込まれた場でも、神様の名によって監獄へ行けば、神様がついてくるのです。

 私たちの生きている現世を、どんなことがあっても否定しなければならない運命にあるのが、今日の人類であり、人類を導いている様々な国家だと結論づけることができます。それゆえ、この地上に生き、地上に存在する人類と国は、どの道一つの峠を越えなければならないのです。歴史的伝統をそのままもっていては、真なる理想の祖国、神様の描く祖国の光復はあり得ないということを知らなければなりません。

 神様の祖国光復が私たちの目前に来るという時点があるとすれば、そして、今日の韓国の地が神様の祖国光復の基地となるという驚くべき事実を知れば、韓国民族は寝ていられるでしょうか。食べて遊ぶでしょうか。勝手なことをするでしょうか。「するな」と言っても昼夜を問わず生命を投入することでしょう。

財産が問題ではありません。子と妻はもちろん、自分のすべてと南韓(韓国)全体を投入してでも、これを成就させなければならないという義務感をもった大韓民国になるに違いないのです。そうなれば南北が統一されるでしょうか、統一されないでしょうか。それを知らなければなりません。

 その基地はどこでしょうか。班です。その班が、個人の前で「お前は祖国光復をしたのか」というときに、「したとも。私は神様が愛した本然の祖国、私たちの先祖が愛した祖国の上に立ったのだ。歴代の先祖が愛し、見たいと思っていたその位置に立ったのだ。それゆえ、愛を中心とした神様の祖国のための復活体、祖国光復を願う父母と歴代の先祖の希望の復活体、祖国光復を願う世界万民を縮小した復活体として、私は立ったのだ」という自負心をもたなければなりません。

 今まで統一教会は、家一つ建てませんでした。私はビルを建てることができるのに、どうしてそれをしないのでしょうか。私たちの教会本部をヨイドに建てようとしたとき、政府が許可してくれませんでした。本堂を建てられない統一教会が、地方教会を建てるというのですか。祖国光復のため、万民復帰を主張するための一つの神様を迎える殿堂を立ててから出発しなければならないのに、私たち統一家がひとつところに落ち着いて良い暮らしをしてはならないのです。

 ですから「父母の日」から、祖国の光復を公布しなければならないし、万国天下の伝統的出発と一致しなければなりません。このような闘いをしなければなりません。これを失ったのです。ですからこれは、サタンの餌です。では、これを起こして成し遂げた人は誰でしょうか。サタンでも誰でもみな、「文総裁は最高だ」と言うのです。

 父の国、再臨主の国、愛の救世主の国、天国の生命を中心とした愛の中心存在、天国の生命をもった中心存在として、神様の血統を受け継いで、ここに真のオリーブとして登場し、ついにこの統一教会の群れを支えることのできる統一教会ができたので、これらを中心として、すべての既成教会思想を切ってしまって、接ぎ木をするということをなしてきたのです。接ぎ木されまいと騒ぎ、切るといっては大騒ぎしていますね。切ってしまわなければ、それは滅びるのです。

 日本人が復讐をするときは、自分の母一人、兄弟一人殺したといって、一生の間命懸けで復讐します。これを知れば、私たちの祖国光復のための復帰摂理路程において、このような惨事に遭ったことを知る王の悲痛、民の悲痛はどれほど大きかったであろうかということです。ところが、民であるこの人類がそれを知らずにいるのを見る神様は、なおのこと悲痛なのです。

 神様のものなのに、偽りの愛によってすべて奪われてしまったのです。ですから、神様に帰らなければなりません。帰るには、そのままでは帰ることができません。蕩減しなければなりません。ではそのようなことを誰がしなければならないのでしょうか。数千年間宗教を通してなしてきたのですが、アメリカのキリスト教が韓国をアダム国家として保護し、イギリスとフランスと日本とドイツ、イタリアまで合わせて、祖国を光復させなければなりません。父の国を創建しなければなりません。そのためには絶対服従して、すべて真のオリーブに接ぎ木されなければなりません。

 お母様の行く道は、先生の道のように困難であってはなりません。お父様の行く道は男性が反対しても困難はないのですが、お母様の行く道には反対する女性がいてはなりません。それを私が解怨成就するためにも、お母様の行く道は女性という従者がすべて後援し、「私を踏んで早く祖国光復と天地を解放して、神様を解放することのできる道を行ってください」と言うことのできる女性の橋が必要なのです。

 ここにいる食口たちはみな国を捨ててきました。自分の祖国を捨ててきました。なぜでしょうか。神様が願う本然の祖国の地のため、祖国の光復のためにです。いかにアメリカが素晴らしいとしても、私の言うことを聞かなければ滅びるようになっています。このような独断的な決断を下してそんなことを言う人は、通りがかりの客ではありません。それをすべて果たしたので言っているのです。ほら吹き者ではありません。すべて終わらせてきたのです。

 過去の人、現在の人、未来の人、霊界に行った人も、祖国光復のために協助することのできる時が来ました。ですから多くの人々の先祖が入ってきて、統一教会に行かなければ薬を与えて病気にするようなことが起こるのです。文総裁の力でそうなるのではありません。神様と先祖、天使世界と先祖が一つとなって、地上をすべてコーナーに追い込むのです。家庭問題を中心としてコーナーで手をつけることはできません。唯一文総裁だけが全権をもって行使することができるという驚くべき事実を、この民族が喜望峰として、その国の、祖国の基盤として歓迎するときには、天下無敵の国となるのです。


 五 祖国光復は真の愛によって


 天の国、天国を建設する祖国光復において独立軍として戦いに出た女性は、歴史上どれだけ立派なことでしょうか。歴史上どれだけたたえられることでしょうか。堕落したエバ一人によって、歴史的に女性がどれほど呪われてきたことでしょうか。しかし、今復帰時代において、女性が先頭に立って祖国光復のために勝利的基盤を築いたならば、それはどんなにたたえるべきことか、考えてみてください。

 では、どのようにして勝たなければならないのでしょうか。銃剣で勝ちますか、何によって勝ちますか。女性が現れれば、サタンの男性兵士が女性の真の愛を願うでしょうか。願いません。そのような者たちにどうやって勝つというのでしょうか。皆さんは自分が女王であるかのように考えなければなりません。

 金日成は悪なる王であり、皆さんは善なる女王なので、自国のあらゆる権限をすべて悪なる王に何も言わずに与えるのです。そうして整備しなければなりません。何によってでしょうか。真の愛によってです。

 神様が最も喜ばれるのは、愛の文化です。神様はお金や権力、知識などが必要でしょうか。良い家を設計して建てるためには、レンガも必要だし、ドアも必要だし、多くの材料が必要ですが、その中でも最も重要なものは、その家を完成させる総合的な完成美を備えることです。神様が人間に願われる最も大きな願いは、多くのお金をもっていること、学者になることではありません。

 聖書のみ言のとおり「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」(マタイ二二・三七)これが第一の戒めです。第二に「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(同二二・三九)とおっしゃいました。驚くべきみ言です。

 今後この世界の問題を解決し、人類の道徳問題をすべて解消するためには、堕落論がなければならないのです。堕落論なしには、人間の問題は是正されないのです。これはサタンが天に背反し、歴史を率いてきた最後の絶望的終末現象なのです。これは人類を破綻、滅亡させるためのサタンの戦略です。これを解消しなければ歴史が解かれることはありません。歴史が解かれなければ歴史を清算することはできないのです。

 それに対する代案を中心として、神様の創造理想の代案を中心として、私たちの神主義に帰ろう、真の愛主義に帰ろうというのです。それは自分自身のためではなく、利他的なものです。愛の相対を創造しなければならないのです。そのような内容でなければ、収拾する道はありません。

 アメリカの女性は、善なる女王のようです。現代のどんなアメリカの家庭においても、女性は女王のような状態にあります。それは事実です。いつも夫に「ああしろ、こうしろ」と命令するのです。神様がアメリカの女性を訓練しているのです。お金もたくさんもっているし、宝石もたくさんあるし、力も強いのです。お金をたくさんもっています。お金、すなわち「マニー」というのは、韓国語では「多い」という意味です。

 皆さんが宝石や家や、アメリカの土地の半分を金日成の肩にかけてやれば、投げ出してしまうことでしょう。アメリカの半分を載せさえすれば、あきらめてしまうのではないでしょうか。そうでしょう。今、彼らは飢えて死につつあります。悲惨です。経済的に後援すれば変わります。ですからアメリカの女性が一線に立って「闘うのはやめよう。おなかがすいているでしょう。食べ物を送ってあげる。車も送ってあげる。欲しいものはすべて送ってあげる」と送り続けてごらんなさい。自然に解放されるのです。

 アメリカの女性がもっているお金をすべて金日成にあげれば、金日成は闘おうとするでしょうか。その次には、中共を通して食べ物も送り、着る物も送ってごらんなさい。アメリカ人のように良い暮らしができるようにして、豊富に食べさせてあげれば、闘うことはしないはずです。ですから、ムーニーたちはどうすべきなのでしょうか。苦労して飢えながらも北韓の人に対して犠牲的に接したとしましょう。そうすれば、北側の人はそれが分かったときに、銃剣でムーニーを殺すでしょうか。

 人類はすべて家族です。私たちは家族だというのです。すべて真の愛によって関係した一つの家族なのです。きょうお話ししたことと同じです。人類は一つの木だということです。皆さんの家庭には何人もの家族が一緒に住むのです。そこには赤ん坊もいるし、少年もいるし、青年もいるし、壮年もいるし、老年もいるというように、みんないるのです。このような家庭の道場は、世界大宇宙の家庭を連結させるための師範教育の場なのです。

 自分の家庭を中心として関係をもっているおじいさんから母親、父親、自分の兄、自分、このような一つの家庭で訓練された四種類の人が散らばっているのです。ですから自分の家庭を中心として訓練することが、世界の家庭に接ぎ木するための道なのです。世界の家庭に連結させるためには、自分の家庭を投入しなければなりません。それが復帰原理なのです。より大きな目的を完成するためには、投入しなければならないのです。それが復帰原理です。再創造原理です。

 主体と対象が、より大きな対象を求めて対応的な相対関係を中心とした主体と対象となって、一つとならなければならないのです。このみ旨と同じです。人類大家族化時代なのです。これは家庭を中心として訓練されたのを、自分の家庭よりもより大きく愛するということです。投入して忘れるならば、より愛するならば、どこにおいても主人となるのです。家庭よりも氏族が大きいので、氏族を愛し、氏族よりも民族が大きいので氏族を愛していた以上に民族を愛し、民族よりも国家が大きいので、民族を愛する以上に国家を愛するということです。

このように段階的により投入し、忘れなさいということなのです。大きい分野に該当する道理に従って、より投入するという概念がなければなりません。この国からあの国に移るときも同じです。国をもって世界へと上がるときには、国に対して尽くしてきた精誠以上の精誠を尽くせばいいのです。投入するところには、より投入すべきなのです。

 韓国で暮らしてきた人が、ここウルグアイに来たということは、地の果てから地の果てまで来たことになるので、自分の国よりも愛さなければならないのです。そのように自分の家庭よりも、自分の国よりも愛そうという心をもっていれば、夢でも統一されます。国境がなくなります。国境がなくなるのです。今や地球星は真の愛を中心として、統一祖国化時代となったので、このような思想さえもっていれば、どこでも通じることができるのです。一番目は言語統一化時代であり、二番目は人類大家族化時代です。これらはすべて、真の愛を中心としてするのです。

 世界も祖国光復とともに自然についてくるので、一つの方向を中心として、民族が団結した世界と国家の形態をつくることができるのです。これがアダム文化ですね。それは何かというと、真の愛の文化です。

 生まれるのも愛ゆえに生まれたということです。男性が生まれたのは自分のために生まれたというのでは、真の愛をすべて全面的に抱くことはできません。向こうの果てまで完全に抱くためには、無限に与え、与えて忘れなければなりません。そうすれば、宇宙が飛びついてくるのです。

 今後、天国の世界では、給料をもらうという時代は過ぎていくのです。夫婦を中心として総蕩減をしなければならないのです。歴史時代においては、絶対信仰、絶対愛、絶対服従が宇宙創造の原則です。愛ゆえに信仰も必要なのであり、服従も必要なのです。愛ゆえです。無限なる愛には、宇宙的神様までも服従するのです。神様が投入してお忘れになるのですから、私も投入して忘れなければならないのです。服従するのです。

 愛を中心として絶対信仰です。愛を完成するためには絶対服従しなければならないのです。死んで、百回死んでも愛を必要とするがゆえに、その道をよく求めていかなければならないのです。それゆえ、霊界に行くということは死ぬことではなく、神様の愛を求めていく道だということです。神様が愛のために死ぬという道をつくったのです。それ以上の心をもっていなければ、愛を復帰することはできません。


 六 祖国光復のためにもつべき信念と姿勢


 これから新しい時代を迎えて、どんな姿勢をもつべきなのでしょうか。祖国光復のための信念が、何よりももっと高く胸の中で燃えていなければなりません。言い換えれば、六千年間神様が待ちわびてきた祖国を建設する旗手となり、先鋒に立った精鋭部隊の一員として開拓者になるという、このとてつもない使命に責任をもっているという自負心を感じなければなりません。来ては去っていった多くの人が手に入れたいと願ってはきたものの、手に入れようにも手に入れることのできなかった、たった一つしかない、この時にしかない特権的な使命を背負っているという厳粛な責任感をもつべきです。

 食べて寝て、行き来するという生活全体が、祖国創建のためのものでなければなりません。神様から特別に遣わされた密使として、凛々しくこの使命を遂行しようと勇み立つことを、神様はどれほど待ちわびてきたことでしょうか。今まではひどく追い込まれ、ひどく追われてきました。一度たりとも国家の足場を備え、全体の内容を提示して繰り広げることのできなかった天のそのみ旨、祖国を立てるための、そのみ旨を立てなければなりません。今まで一度もそのみ旨を立てることができなかったのです。

 これからは、そのような祖国を立てることができます。その祖国には主権があり、その祖国には国土があり、その祖国には国民がいます。またそこには、単一民族の血統がつながっており、他の民族にはもつことのできない歴史があります。このような祖国のために、私たちは密使の使命を遂行しなければなりません。

 そのような使命を自分自ら早い時期に完遂できれば、それだけ祖国光復の土台が自分によって徐々に近づくのです。今日苦労の代価を払うということが、祖国光復の一日を近くに迎える土台となるのです。

 このような事実を考えながら、皆さんは生きて密使の使命を完遂しようという決意をもって進まなければなりません。そうしなければ、この時代に神様が私たちにもたらしてくださる世界史的な祝福と天運を、私たちのものとして迎えることはできません。

 「神様は私たちの神様、私たちは神様の息子、娘、私たちは祖国光復のために生きてきた。世界の至る所で追われても滅びることなく、復権する日を見るまでは死ぬものか。たとえ私たちは果たせずに死んだとしても、お前たちはその日を見てから死になさい」と子孫に遺言を残すのです。この思想が、すなわちイスラエルの思想です。

 今後私たちは、大韓民国を神様のみ旨の前に立てなければならないのであり、神様の願う祖国光復をしなければなりません。このような意味から、私たちの責任遂行を前にして冷徹に批判してみるときに、今まで私たちがつづってきた生活態度が、どのような意味での生活だったかを反省せざるを得ません。

 神様はどのようなお方でしょうか。神様は密使の大王であられます。祖国光復のためにサタン世界に現れる密使の大王であり、総司令官であられます。では、そのような神様がこの地に向かって、「私が神様である。私が教えてやることのできる真理はこれだ」と六千年の間に主張したことが一度でもあったでしょうか。ありませんでした。

 しかしながら神様は、私たちの澄んだ良心を通して指示し、絆を結ぶために苦労してこられました。私たちの心の器を広げ、一致し得る自由な世界へと率いてきたのが六千年の復帰摂理歴史なのです。


第二章 家庭教会は摂理的な内的基盤

 一 家庭教会とは何か


 皆さんは「ホーム・チャーチ」という言葉を聞いたことがありますか。家庭教会というのでしょう。ところで家庭教会というのは、昔はいくら家庭教会という名詞を知っていたとしても、事実それを迎えることはできなかったのです。なぜでしょうか。時が来ていなかったからです。そのような蕩減条件が、歴史の前に神様とサタンと歴史を代表した責任者との決定がなされていなかったので、いくらホーム・チャーチに入って、「これを世界の祭壇に完結させて捧げます」と言っても受けることができないというのです。サタンも認定しないというのです。

 今、全世界の統一教会で、家庭教会活動が展開されています。堕落した人間たちは、個人復帰から世界復帰まで、先生のように一生を、犠牲の道を通じて天国に行かなければなりませんでした。

 しかし、今は先生が築いた道に従っていけばいいのです。もう先生は、皆さんが走ることのできる道をつくってあげました。皆さんは先生が築いておいた道を蕩減復帰する条件を立てて、出発することができます。それが三百六十軒を中心とした家庭教会活動です。

 皆さんが今年から家庭教会活動ができるという事実は、驚くべきことです。これは人間が堕落の運命を抜け出すための運命的な道であり、生きてできなければ、死んででも行くべき道です。もう個人から氏族、民族を天の国民として編成させる時になったので、統一教会はこの全歴史のすべての結実を総合して、一つの勝利的祭壇を築かなければなりません。そのようなことを担当するために出てきたのが、家庭教会活動なのです。

 自分の息子、娘よりも三百六十軒のカイン世界を愛さずしては、入り得る道はありません。神様は、数千年の間、言い表すことのできない難しいこの道を築いてきましたが、私たちは七年間、三百六十軒を中心として活動し、勝利の条件を経ることができるのです。このような家庭教会の基盤が、皆さんの目前にあるので、皆さんは行かざるを得ません。これは歴史的なすべてのことを網羅して、この世界を代表した神様の理想的完成であり、今日人類がやるべきこととして、登場し得る家庭教会となるとき、間違いなく地上天国が実現されるでしょう。

 家庭教会とは、三百六十軒を中心とした祭壇を設定して、その家庭教会の祭壇に属した家々を神様のみ旨の中に、立ててあげる活動です。このように三百六十軒を中心とした家庭教会を実践し、完成する人は、個人的には神様の真の子女になると同時に、宗族的メシヤになり、全体的には神様の創造理想を実現することになるのです。

 先生が百余国家のすべての蕩減条件をみな立てて、天地にふさがれた壁を心情的基準で連結させたので、皆さん自身もそのような世界を縮小した型を中心として蕩減条件を立てて、現時点において、天と地に壁がふさがらない、自分自ら動くことのできる基盤を築いておかなければなりません。それが何かといえば、ホーム・チャーチ(家庭教会)だというのです。

 先生は今まで父母の名前をもって全世界の人類の前に、万民が個人、家庭、氏族、国家、世界、神様にまで、行くことのできる蕩減条件を代表的に立てておいたのです。代表的に立てて、勝利したので、この勝利の名前でそれを一〇〇パーセント相続して、皆さんが七年路程を経て、行かなければならないのです。先生が一生の間、世界の舞台に成し遂げたことを皆さんはできますか。ですから世界舞台を縮小した足場、祭壇が必要だというのです。それがホーム・チャーチだということを知らなければなりません。家庭教会……。分かりましたか。

 統一教会が歴史上初めて、家庭教会という主題を立てることができたという事実は、神様の前にも人間全体の前にも、極めて重要なことだという事実を知らなければなりません。

 先生は、世界的に勝利しました。皆さんはわずか三百六十軒を中心とした家庭教会で勝利することができないのですか。

 皆さんが家庭教会活動をするのは、神様の代わりに、真理の教育と愛の教育をしに行くのです。家庭教会を通じて父なる神様の愛と真理を教えなければなりません。

 皆さんは神様にどこで出会えるのでしょうか。レバレンド・ムーンは、世界の蕩減基盤を中心として各国で、汗と涙を流す闘争の中で、勝利の土台を立てるところで神様に出会うことができましたが、皆さんは父母様の名を通じて勝利のそのすべてのものを相続し、皆さんが世界の舞台には行かなかったとしても、「世界に行った」と言うことのできる、そのような条件を成就したということが必要なのです。それが何ですか。家庭教会です。

 そこが、万国の解放された家庭の出発地点です。堕落していない本然的なアダム・エバの理想的な真の愛と真の生命の出発が宣布されたところだというのです。これを編成するために、先生が宗族的メシヤを宣布したのです。イエス様が家庭を求めてきたでしょう。ホーム・チャーチを知っているでしょう。カインの一族、アベルの一族が一つにならなければなりません。イエス様でいえば、ヨセフの支派と洗礼ヨハネの支派が一つになって、家庭を成さなければなりません。そのように家庭が策定されなければならないというのです。そうすればサタンが侵犯できません。そのようにして、宗族的メシヤの前に、イエス様の前に、すべての一族が抱かれることによって初めて、イスラエルの国で失敗した家庭本然の基準が、堕落していない基準へと復帰されるのです。

 家庭教会の完成とは何ですか。新たな文化創建を主導する、アダム文化を再編成することのできる主人になれということです。そうしてこそ、アダムの後孫になるでしょう。それでは何が中心なのでしょうか。心情的基準が中心です。それではその心情とはどんな心情なのでしょうか。神様が皆さんを見つめるとき、心の中に「お前は堕落した。復帰された息子ではない」という、そのような堕落したという観念を感じないで、「我が愛する息子よ」と言うことのできる立場に上がらなければなりません。「あの野郎、あの統一教会に入って、ろくでもなくあんな姿で歩き回り、あっちに行ったりこっちに行ったり、どじょうの子、うなぎの子のような姿で」などと言われてはなりません。

 世界がまだ私たちの教会化した天国基盤になっていないので、家庭教会の組織を通じて、先生が四十年の間、蕩減条件、神様の愛を中心とした所有決定的権限を完全に編成し、勝利したという印を押さなければならないのです。サタンが公に認めた立場で「勝利しました」と言い得る決定をしてこそ、愛する父母は、愛の勝利の所有決定権を皆さんの前にすべて相続してくれるのです。それは真の父母という名前をもったがゆえに、皆さんが相続することができるのであって、そうでなければ相続することができないのです。

 皆さんはホーム・チャーチをしながら、ありとあらゆる人にののしられなさいというのです。冷遇されなさいというのです。冷遇されるたびに、自分が冷遇されるときは、ただされるのではないのです。私が冷遇され、ののしられるのは、なぜかと言えば、妻を生かすために、息子、娘を生かすために、そうするのです。息子、娘を抱き締めて、妻子を抱き締めて、夜を明かしながら、止めどない涙を流さなければなりません。「これはどうしたことか。この道を行くのにこのように反対できるのか」と言って涙を流すのは、悲惨なことではありません。この世で涙を流すすべての悲痛な人々よりも、切なる天の価値のために涙を流す立場に立ってこそ、これが谷となり、この世から流れて入ってくるのです。そうしてこそ同情して、一つに絡み合って出てくるのです。

 私が統一教会をつくって、統一教会に残してあげた宝があるとすれば、これです。家庭教会は、私が一生の間、犠牲の道を歩んで残してあげた宝です。統一教会の教会員たちに残してあげられる宝とは何でしょうか。統一教会の権限を天と地から、あるいはサタンと神様から堂々と相続することができるという、これが宝です。それでは家庭教会が完成するときは、統一教会という名詞があるでしょうか、ないでしょうか。神様の摂理はあるでしょうか、ないでしょうか。私以外の家庭教会未完成圏では、あるかもしれませんが、私自体に成された家庭教会圏内では、神様の摂理も宗教もありません。そこは天国人が住むところです。

 皆さんは今、父母の代わりに働くことのできる時代に入ってきたということを知らなければなりません。皆さんが代わりにしなければならないこととは何かといえば、先生がやったことを繰り返すことです。ところで、先生が世界の舞台でしたことを、皆さんは全世界的に歩き回りながらはできないというのです。ですから、制限された一つの祭壇のようなところでしなければなりません。世界を歩き回りながら祭祀をして、連結させたすべてのことを縮小した一つの祭壇、世界全体の人類を代表して拡大されたそれを縮小した祭壇でしなければなりません。皆さんのそのような活動的蕩減内容が必要なので、そのような形につくっておいたのが家庭教会です。

 蕩減したすべてのことを皆さんが先生から受け継がなければならないのに、ただでは足場がないというのです。祭壇がありません。このような世界的祭壇をつくって、勝利したこのすべての祭壇から祭物を移すとすれば、自分なりに祭壇を築いてこそ、祭物を移すことができるのです。その祭物を移しておいたのが、何かと言えば、家庭教会だというのです。分かりましたか。

家庭教会は、皆さん自身が完成できていないことを完成させてあげるものなので、世界を越えて帰ってこなければなりません。世界に行って蕩減条件を経て、このことをするのですが、それを縮小したものです。これを縮小して先生の福を引き継ぐことのできる祭壇です。祭物は祭壇を築いて、大きな祭壇から小さな祭壇に移さなければならないのです。祭壇は血を流すのです。ホーム・チャーチとは何ですか。チャーチというのは、まだ祭壇を築いて血を流さなければならないのです。先生が築いた祭壇を受け継ぐための小さな祭壇として、世界史的な苦労をしたのです。

 神様はどれほど苦労したでしょうか。先生はどれほど苦労し、イエス様はどれほど苦労したでしょうか。このすべての苦労と労苦によって勝利の祭壇をもってきたものを皆さんが引き継ぐためには、皆さんも祭壇を築かなければならないのです。そうしてこそ引き継ぐことができるのです。それがホーム・チャーチです。

 家庭教会はどこからですか。ゲッセマネの十字架の絶頂からしなければならない、こう考えます。ゲッセマネ……。それは何のことか分かりますか。さらにはゴルゴタの山頂から始まるというのです。考えてみてください。イエス様がそのゴルゴタ、ゲッセマネの園で死ぬとき、同情した人は一人もいませんでしたが、私が死のうとするとき、数多くの人々が同情することのできる基盤、環境をもってから死ねるということが、どんなに幸せなことかというのです。皆さんが死ぬとき、逃げ出すペテロではなく、皆さんの代わりに「私が死にます」と言うことができる群れを地上でもつことができる自由な環境をもったという、このような事実を考えて、このような歴史的伝統を蕩減すると考えるのです。

 ここに来ては、みな先生にだけついていこうとするのです。「自分の言うことだけ聞け」と言って、自分は「何、ホーム・チャーチは嫌だ。先生の行くところにだけ行こう」と言うのです。それはいけません。

いくら父が大統領でも、父のそれをただそのまま自分が引き継ぐことができるでしょうか。大統領になるためには、大統領になる基盤を築かなければなりません。いくら皇太子として生まれたとしても、王になるためには、王になることのできるすべての法度と規範を習わなければなりません。備えなければなりません。それで皆さんは、口だけではなく、これから人類歴史最後の路程に父母様の言うことを一つ聞けば、神様が「お前は孝子だった」という印を押して、天の国の孝子として天国に送ろうというのです。これはどれほど驚くべき愛でしょうか。その基盤とは何ですか。家庭教会という基盤です。

 それでは皆さんは、天の国の孝子として行きたいですか。ならず者として行きたいですか。孝子、孝女として行きたいでしょう。ホーム・チャーチを通じずには、孝子、孝女の印をもらう道がありません。天国は、孝子が入るのです。

 息子は息子でも、ならず者は入ることができません。孝子の名前をもって行かなければならないので、孝子の名前の印を押してもらうためのもの、それが家庭教会です。

 統一教会の指導体制が、もう今は私が引っ張っていく時が過ぎたというのです。平面的拡大時代になったので、家庭理想をもった自体の氏族を中心として拡大すれば、世界は自然に復帰されるのです。その氏族拡大の方法とは何かというと、統一教会でいういわゆるホーム・チャーチだというのです。このような総決算的公判の場ができたというのです。


 二 家庭教会活動の始まり


 一九七八年十一月十二日を期して、皆さんすべてをメシヤの資格者として、ホーム・チャーチの区域に出ていけと命令したのです。どうしますか。出ていこうという人、手を挙げてください。それでは、これからそこに出ていくのです。家庭教会をつくるまでは、帰ってくることができないということを知らなければなりません。死ぬまで帰ってくることができません。霊的に帰ってくることができないのです。

 イエス様は死んで昇天するとき、ペテロに天国の鍵を与えましたが、レバレンド・ムーンは生きて、天国の鍵を与えるのです。個人のために与えるのではなく、氏族を救うための鍵を与えるのです。個人の救いをさせる人ではありません。皆さんはメシヤになるのです。家庭教会のメシヤ。これは空論ではありません。地でなされることはそっくりそのまま霊界でもなされるようになっているというのです。ですから、この宇宙のダイヤモンド鉱山のようなところで、誰がこの鉱山口でたくさん掘り起こすのかということが、皆さんの努力いかんにかかっています。この宇宙のダイヤモンド鉱を統一教会の教会員たちが探し当てるのです。ホーム・チャーチで探し当てるのです。誰がたくさん見つけるでしょうか。分かりましたか。大変なことです。

 これまで宗教は、自分一人が救われようとしたのです。私一人がどうやったら救われるかという個人の救いを標準にしてきたというのです。私たちは個人の救いではありません。氏族の救いを一度にやろうというのです。皆さんゆえに氏族が救われ、その三百六十軒が救われるのです。

 このようなことは、宗教の歴史上にもなかったし、人類歴史上にもありませんでした。このような一つの事件が始まったのです。宗教がいつ結婚しろと教え、宗教がいつ親と一緒に暮らせと教えましたか。そのように教える法がどこにありますか。初めて出てきたのです。初めて、皆さんが一緒に家庭教会を中心として……。家庭教会というものは、同じ運命にあるということです。共に栄えることのできる全体の救いの基盤を与えられ得る大変な、時代になったというのです。このように大きな世界的な三段階が、家庭教会によって短縮されます。短縮されるのです。

 皆さんの前に、先生が家庭教会の基盤である三百六十軒を分けてあげることができたというのは、歴史的な希望の日であり、宗教が希望してきた終着点であり、神様の摂理の終着点となるのです。サタン世界で今まで確保しておいたサタンの基地が完全に撃破され得る出発の日となるのです。もし先生が家庭教会を発表できなかったならば、歴史は悲惨な運命の歴史として終わっていたことでしょう。家庭教会というタイトルは、皆さんにとって無限の福です。歴史過程に数多くの王がいたし、数多くの大富豪がいたし、数多くの学者がいたし、有名な人がいましたが、それがすべて問題ではないというのです。皆さん自身が「たとえ私は卑しい身であっても、たとえ無価値な身であっても、私が生きているうちに先生からホーム・チャーチという名前を中心として、私に伝授してもらえる」という事実は、驚くべき事実であることを知らなければなりません。

 父母を探すと同時に、天使世界も探さなければならないし、サタン世界も探さなければならないというのです。神様も探さなければなりません。ここで、これがみな決まります。それで今度日本へ行ってもイギリスに行っても、みなこれから行くべき道はホーム・チャーチ、すなわち家庭教会です。それが何かと言えば、家庭天国だというのです。それで三百六十軒全部が皆さんをメシヤのように侍ることができ、皆さんを真の父母のように侍ることのできる基盤を備えて、一つにし、神様の前に奉献したという事実は、全世界を通じてサタンが基盤を築き、反対したすべてを勝利の立場で受け継いだということです。

 私たち統一教会は、家庭教会をしなければなりません。この家庭教会を通してカインの氏族を一つにしなければなりません。そのカインの氏族をみな一つにして、アベルの氏族圏をつくらずしては、その氏族の基盤の上に父母様を迎えることのできる基盤ができないのです。氏族的天国が現れないのです。その基盤ができたのちには、民族が連結されるのです。氏族圏を中心として民族ができれば、その次からは、民族を中心として国家は縦的に行くのです。相対的です。

 一族を収拾するためには、サタン世界に既に広がった五十億の人類を愛さなければなりません。それから救ってあげなければなりません。ですからホーム・チャーチ(家庭教会)の組織はなくなってはいけません。

 神様も宇宙的なアベルの立場に立っているので、サタン世界に対して神様に近いすべてのものを犠牲にして、カインを愛さなければなりません。したがって、このカインが神様の息子、娘を愛したのちに、アベルが長子の資格を備えて出てくるとき、神様が愛するようになるというのです。それで祝福して愛するようになるのです。この原理をはっきり知らなければなりません。これは公式です。家庭教会を完成させるには、これを知らずしてはできないというのです。

 「統一神霊協会」と言うとき、神霊的なものが何かといえば、堕落していない本郷の世界です。統一された本然の世界を成すことができる協会です。これからは、キリスト教がうまくいきません。これが今日から三十三年はいいですが、将来新しい世界へと越えていくときには、世界キリスト教ではなく、宗教もなくなります。何と言いますか。家庭教会。家庭教会だけが残ります。真の父母を中心とした家庭。この葉も葉同士が家庭でしょう。この葉と葉同士、三つの葉は三つの家族、五つの葉は五つの家族で、これも枝の一家族です。何を中心としてですか。根と芽を中心として。根を神様とすれば、人は芽です。芽と根を中心として、家庭調和の活動をすれば、この木は、無限に大きくなる木になるのです。

 これから統一教会に従っていく人々は、私のように悲惨であってはならないというのです。神様の願いがそれです。レバレンド・ムーンのように悲惨であってはいけないというのです。レバレンド・ムーンを苦労させて、苦労を短縮させて、このような悲惨な運命を一度に一箇所で世界を代表して越えることのできるところがあれば、どんなにいいでしょうか。これが神様の願いであり、先生の願いであり、皆さんも願うものです。そのような願いの基準を生涯の目標とし、摂理の目的地にしているのです。そうして現れたのが家庭教会です。ホーム・チャーチです。

 アダムの願い、イエス様の願い、先生の願いを解いてあげることのできる蕩減条件を必要とするのが、ホーム・チャーチ(家庭教会)です。

 生きている間はとても短いのです。一生がとても短いというのです。私が死ぬまでにこれをすべて突破できるかという問題を前にして、「私の生命をこれくらい延長してくれるなら、私のあらん限りの力を尽くして行こう」と、このように思って行くべき道であるにもかかわらず、皆さんは今、見物人のような姿で歩んでいるのです。ですからホーム・チャーチ(家庭教会)をしなさいというのです、ホーム・チャーチ、ホーム・チャーチという言葉は、一生涯のうちでも、いい言葉でしょう。

 世界を連結させる上での条件基盤とは何ですか。それがホーム・チャーチ(家庭教会)です。世界を代表して、三六〇度を中心として方位数全体を代表することのできる地で、三百六十家庭が東西南北どこでも門を開いておいて、私を歓迎できるようにしなければ、あの世に行って引っ掛かるというのです。

今後、ここに妨害となるすべての組織体は、解散させ、全部停止させるでしょう。家庭教会運動が第一です。その次に他のことをするのは、付帯的なことです。ですから、この伝統的思想を全世界の統一教会と、統一教会に従うすべての人の前に、伝授することを宣言するものです。


三 家庭教会の活動展開

  一) 宗族的メシヤの資格を賦与する条件


 今まで宗教というのは、個人の救いを目標にしてきましたが、統一教会の救いの目標は、氏族の救いだというのです。一度に氏族が救われようというのです。「私は死んで天国に行くのではなく、生きて氏族が天国に入ることのできる公義のチケットをもらおう!」この運動がホーム・チャーチ運動であることを知らなければなりません。

 宗族的メシヤというのは何かといえば、イエス様以上の人だというのです。イエス様は宗族的メシヤになれませんでした。そうならなければ、完成時代に父母様の子女になることのできる資格がないのです。そうすることによって父母が誤ったすべてのことを蕩減し、新・旧約の蘇生、長成のすべてのことを、歴史的な全体を総合して、一度に燃やして捧げるためのものが、家庭教会の祭壇だというのです。分かりますか。これを完成させて、勝利すれば、世界も天上世界もどこでも行ったり来たりすることのできるパスポートをもらうことができるのです。

 あなた方の家庭がアベル家庭としての役割を果たしましたか。アベルの責任について知っているでしょう。アベルはカインを救うべき責任があります。なぜでしょうか。カインを救わなければ父母様に会えません。それで、統一教会において家庭教会とは何ですか。カインの氏族復帰をしたのちに、自分の氏族復帰をする役事ではありませんか。あなた方は、カインの氏族復帰のために努力しましたか。カインの氏族とアベルの氏族が一つになれなければ、民族圏内に上がることができません。上がる道がないのです。これが原理ではありませんか。原理。

 今日、統一教会においては、世界的蕩減、すべての蕩減の版図を縮小して、現実化したのが、ホーム・チャーチです。分かりますか。ホーム・チャーチですから家庭教会でしょう。これを氏族教会に発展させなければなりません。氏族教会を発展させて……。韓国にはそれぞれ姓が多いでしょう。姓を連結すれば、民族教会になるのです。民族教会になり、国家教会時代を経て……。そうなれば、私たち統一教会を中心としてホーム・チャーチを始めたので、氏族圏チャーチが始まり、国家圏チャーチが展開されていくのです。

 皆さんの一家、親戚を中心として、皆さんが祝福家庭として立つには、カイン・アベル氏族圏を越えなければなりません。イエス様がザカリヤ家庭、ヨセフ家庭を中心に一つにできず、ユダヤの国とユダヤ教がカイン・アベル国家基準を越えられなかったのと同じように、これを蕩減復帰する運命が、キリスト教の歴史に残っているのです。これを蕩減する基準に立ってこそ、家庭が祝福を受けるようになっているのが、原理の基準なので、「家庭教会を中心としてこれを統合させよ」と言ったのですが、家庭教会を一生懸命にやりましたか。

 家庭教会とは何かといえば、氏族です。宗族的メシヤの基盤ですが、その宗族的メシヤの基盤とは何かといえば、イエス様を中心として見るとき、ヨセフ家庭とザカリヤ家庭の基盤です。イエス様が死んだのは、ザカリヤ家庭のゆえです。ヨセフ家庭を中心として、一つになれませんでしたが、ザカリヤ家庭を中心としても一つになれませんでした。ザカリヤ家庭を知っているでしょう。洗礼ヨハネの家庭のことです。洗礼ヨハネとは誰かといえば、イエス様と兄弟です。腹違いですが、兄弟なのです。

 絶望の呻吟も笑いによって消化することのできるものとは、何ですか。家庭教会だというのです。家庭をホームと言い、チャーチは教会でしょう。ですから皆さんが帰るときには、皆さんの故郷に帰らなければなりません。皆さんのお母さん、お父さんの前に帰らなければなりません。お母さん、お父さんの前に帰って、ホーム・チャーチ運動をしなければなりません。

 皆さんはもう二十年もかかりません。あっという間にできる時です。それで四十カ国の代わりに東西南北四カ国に通じなさいというのです。四カ国に行って、血と汗を流し、精誠を尽くさなければなりません。四カ国を通過せよというのです。そうしなければ、アメリカ人はアメリカ人の観念を離れることができません。ですから、東洋でもどこでも、遠いところ、できるだけ遠いところに、端から端へと、東西南北の端を経なさいというのです。何のことか分かりますか。白人の霊たちが今までどんなに地上に来ることを待ち焦がれたでしょうか。今まで来ては逝った善なる人生を送った良心的な霊たちが、地上に降りてくるのをどれほど待ち望んでいるかというのです。そうするには、自分の一族が縁を結ばなければなりません。それでホーム・チャーチ・システム(家庭教会組織)が展開されるのです。これによって世界のいかなる霊も自分と関係のあること、専門分野、経済なら経済分野の学者を中心に世界の各国、百二十カ国以上の霊たちが自由に活動できる基地になるというのです。それでホーム・チャーチが絶対に必要だというのです。さらにアメリカのような所では、三百六十軒の中で百二十カ国以上の種族がいるかもしれません。また各国の中にあるすべてのホーム・チャーチを中心として見るとき、人によってみな違います。黒人のような人、イギリス人のように傲慢な人、ドイツ人のようにこだわりの激しい人、みないるというのです。そのように考えなさい。アメリカ人のように個人主義的な人もいるのです。

 統一教会が一九七八年から主張してきたこととは、伝統を受け継がなければならないということです。伝統とは何の伝統ですか。神様の復帰摂理の心情の伝統を受け継がなければなりません。その次には先生がこの伝統を立てるために歩んできた、六十年の生涯のすべての心情を、皆さんが受け継がなければなりません。これを受け継ぐことのできる一つの足場(土台)がホーム・チャーチであり、その運動が家庭教会運動だというのです。

 家庭教会をもたなければ、将来天の国に行くとき、先生についていくことができません。将来、家庭教会が全世界的に二十四万くらいになれば、全世界の人類に対して配置するのです。完全に教会はなくなるのです。韓国人は将来、家庭教会に配置される恵沢圏内にいるのです。まだ世界の至る所に家庭教会の配置がされていないので、大移動、民族大移動をしなければなりません。家庭教会に配置されるために、ここからアフリカに行かなければならないし、これから全世界へ大移動する時代に入るのです。

 原理を見れば、同時性時代に関することが出てくるでしょう。そこを見れば四十数に関することがみな分かるでしょう。四千年の代わりの四百年、四百年の代わりの四十年、四十年の代わりの四十日、そこで一週間という七数は復帰摂理の中心数です。このような問題をかけて、私たちが自分の生命の道を開拓するには、蕩減条件が絶対的に問題です。

 四十日ずつ三年やれば、百二十日になります。三年やれば三・四、十二(三×四=十二)、百二十日ではありませんか。百二十日を埋めていくのです。日本は、明治維新以後百二十年です。サウルとダビデとソロモン王で百二十年です。これは重要な一つの峠を越える過程です。

 ですから三年を中心として特別にこのことをしなければなりません。断食しながら四十日間の活動を展開しなければなりません。昔は出ていって活動しましたが、今は自分の故郷に帰って、このことをしなければなりません。ホーム・チャーチ内でしなさいというのです。

 私が今回指示したこととは何ですか。「二世をもって故郷復帰しなさい」と言いました。まとめて故郷に帰るのです。これが統一教会でいう家庭教会の理念を代表することのできる二世を連れて、皆さんの故郷に帰るのです。一人が十名、二十名の若者を連れていって、「死ね」と言えば死に、「生きろ」と言えば生き、二十四時間その部落を掌握してどんなことをやっても、その町(村)の人々は反対できないでしょう。

 お母さん、お父さんもそうです。これからは文総裁に反対できない環境へと、世界がだんだん押されていくのです。「いい」と言うようになっています。あっという間に回っていくのです。


) 訪問、奉仕、教育など多様な活動を展開


 今まで長年の間活動してきたホーム・チャーチ(家庭教会)がなくなったのではありません。ホーム・チャーチ基盤はカインの基盤であり、自分の一族はアベルの基盤です。ホーム・チャーチの基盤で涙と血と汗を流した功績をもてば、自分の一族は自動的に回っていきます。ホーム・チャーチを通して百名さえ伝道して自分の一族のところに行けば、「英雄の息子が帰ってきた」と言って、その村が一朝一夕にして一度に復帰されるのです。闘った経歴を報告するのです。他のことをするなというのです。三百六十軒をみな配当しなければなりません。

 「党の責任者だ」と言いながら勝手にやっていた人が、今まで冷遇した人に、反対にあいさつをしなければならないというのです。そのようになったとき、その親戚たちがいいでしょうか、悪いでしょうか。同じです。家庭教会三百六十軒、妻の側まで七百二十名を率いて自分の村を訪ねていくのです。その町で住んでいた七百二十名の中には、ちょっとした者がいないでしょうか。一族を率いて宴会を開き、トラックにプレゼントを積んでいって分けてあげれば、一朝一夕にしてすべてきれいに整理できるのです。この話をどうして話すのですか。皆さん一人を中心として百人をつくりますか、千人をつくりますか、一万人をつくりますか。みんな「一万人をつくる」と言えば、人が足りないのです。それも事故です。雰囲気を見ながら他の人が食べるのも(やるのも)ちょっと残しておいてやらないと……。早くしないで、みな平均的にしなさいというのです。一つ一つしっかり食べなさい(やりなさい)というのです。分かりましたか。

 七月三日から九日までに先生は七万三千の里、統の支部長たちにみな先生の写真を与え、統一教会の旗を与えたでしょう。それがみな生きていますか。死んでいますか。考えてみなさい。先生が家庭教会を発表して十四年になります。天の三百六十軒を探せ! 探せというのです。家庭教会を成すことができなかったら、自分の故郷を訪ねていかなければなりません。三百六十軒ならそこに大統領もあり得るし、内務長官もあり得るし、外務長官もあり得るし、外交官もあり得るし、学者もあり得るし、先生もあり得るし、僕の子供もいるでしょう。

 その町を訪ねていけば、その町以上のものが、すべてそこにあるというのです。その人々が訪ねてきて、「あなたの家のなにがしという方が、私たちを救ってくれた救世主です」と言うとき、お母さん、お父さんや町内の人々が目をぱちくりさせながら、見物するでしょう。そして頭を下げるでしょう。

 統一教会の食口全体が原理の本三十冊を買って、毎日一日に一冊貸してあげなさいというのです。それを一週間ずつ貸してあげれば、三・四、十二(三×四=十二)、百二十軒に分けてあげることができるのです。この百二十軒を中心としてその本を読むと考えてみなさい。切なる紹介内容をつけて分けてあげるのです。それを読ませ、その次にビデオ・テープを貸してあげるのです。自分が住んでいるところで、これから統班撃破運動をそのようにしなさいというのです。ホーム・チャーチ運動を続けながらです。

 そうなれば創造原理を講義するときは、誰でも本をもってきて創造原理を聞くのです。本を中心として簡単に序論式にその内容を講義するのです。そうなれば、本を中心として自分たちが講義する内容に合わせながら、全部やっていけるのです。

 皆さん、最近ホーム・チャーチをやりながら反対されませんか。「私にはあなたは要らない。要らない」と言っても、また行くのです。「来るな」と言ってもほうきを持っていって、庭でも掃いて、雪が降れば雪を片づけたり、いろいろやるのです。溝に水があれば、溝も片づけるのです。それなのにその主人が「あの、私が嫌だというのにどうしてこうするんですか」と言ってけんかする日には、町内の人々が「こいつ、何だって言うんだ」と言って代わりに闘ってくれるのです。このようなことがいくらでも起こるというのです。それがどれほど素晴らしい闘い方でしょうか。そんなことが起こるのです。どうしてそうなのでしょう。

 もう一つ話すことは、これから会社に戻っても五時になりさえすれば、みな工場から出てくるのです。ですから工場を中心としてホーム・チャーチ組織、家庭教会組織をすべてもたなければなりません。それで個別的な活動基盤を中心として、霊の息子、娘から氏族編成をしなければなりません。それが発展する原則です。人を育ててこそ自分が成長するのです。人を育ててみなければなりません。

 では、これから皆さんが三百六十軒のホーム・チャーチをつくるのに、誰が歴史時代に初めてやって、先生、お母さん、お父さんを迎えることができるでしょうか。そのようなホーム・チャーチが韓国の地から出てくるか、アメリカの地から出てくるか、日本の地から出てくるか、イギリスの地から出てくるか。「家庭教会ナンバーワンはコリア!」、こうならなければならないというのです。考えてみなさい。皆さんは足が長くてこうやって歩きますが、韓国人たちはダダダダ……。歩くのに背が高くてこのように、目が丸くて四方を見て「ウー」と言いますが、韓国人たちは背も低く、目も小さくて、一箇所だけに集中して行くのです。それなのに、彼らに勝てると思いますか。自信がありますか。

 これから皆さんは、家庭的に愛をもってサタン世界を攻撃するのです。家庭をもって腐敗したサタン世界の人々を攻撃するのです。それでこの自由世界の腐敗した動物的な家庭をみなけ飛ばしてしまうのです。みな壊してしまわなければなりません。全部そうだと彼らが滅びながら、「ああ、私は滅びる」と言うのではなく、滅びながらも泣くのではなく、喜ぶというのです。「わあうれしい。わあうれしい」と言うのです。何のことか分かりますか。そのような時が来たのです。

 それで皆さんが一度に家庭を動かすことができ、氏族を動かすことができ、民族を動かすことのできるホーム・チャーチ運動をせよということを私が言ったのです。ホーム・チャーチ、分かりますか。これさえ終えれば、これさえ築かれれば、世界が引っ張られていくことができる、これさえ成せば、「天国を私が成すことができる」と言うことのできる時が来たというのです。

 父母様と心情一体にならなければなりません。世界を救うためのその痛烈な心をもって、一生を経て克服したこのすべてのことを皆さんは、七年間でできるのです。七年もかからないでしょう。これからはむごく反対されるとしても七年もあれば終わるのです。先生がやってきたように精誠を尽くせば、七年以内に皆さんは家庭教会をきれいに終えるというのです。それは何を意味するのでしょうか。世界問題が七年後にみな終わるということです。全世界に統一教会のメンバーたちが、これから広がって三百六十軒さえやれば、簡単だというのです。ですから精誠を尽くして、これを築くのです。

 韓国全域を四千万と見て、家庭教会を組織すれば、家がいくつですか。約六百万ですか。五・七、三十五(五×七=三十五)……。八百万! 八百万ですから、一人が三百六十軒ずつすれば、二万二千、そうでしょう。食口が二万二千ならば、このホーム・チャーチ(家庭教会)組織はすべて終わるのです。難しいことではありません。それでホーム・チャーチの責任者から一代、二代、三代と続けて伝道していけば、千名、二千名、数千名がホーム・チャーチ運動をやるようなことが起こるのです。

 勝共連合の全国組織がさっとできて、自分の家庭に入って教育するようになるのです。文総裁が家庭に入って教育していますか。割り当ててあげて、やるのです。ホーム・チャーチ(家庭教会)組織に連結させるための作戦です。ホーム・チャーチ基盤さえきちんとできれば、班に十軒、二十軒ありますが、三百六十軒ですから、一人が十五軒ずつ責任をもって活動するのです。二重三重にやるのです。

 私たち統一教会の目的とは何かといえば、家庭教会を成すことです。それが目的なので、その家庭教会三百六十数に該当する班を昼も夜もみな……。原理の本があり、勝共理論があり、統一思想があります。私たちの教会のすべての材料がみな待っているので、早く訪ねていってホーム・チャーチ、家庭教会活動と共に勝共連合の統、班編成を中心としたこのような、何の教育ですか。それを何と言いますか。班常会(注:班で毎月もたれる例会)教育、それで家庭家庭を中心として父母様の家庭の四位基台、自分の家庭の四位基台が完全に一つになって、天下が反対し、世の中が反対するとしても、分かれることができないという愛によって結ばれるようになるときには、そこから超国家的な天国が出発するということを知ったので、このことをしなければならないのです。

 先生が今まで四十年間闘ってきたすべてを総合して、決算することのできる決算場がホーム・チャーチです。ですから皆さんがホーム・チャーチを一生懸命にするために、教会長がいれば教会長に、「きょうは、私はホーム・チャーチのために教会に行けません」と言うときは、「教会に来なかった」と言えないというのです。ホーム・チャーチ第一主義時代です。

 ですからホーム・チャーチがこれからどんなチャーチになるべきかといえば、皆さん自身のホーム・チャーチが氏族チャーチにならなければなりません。家庭教会ではなく、これから氏族教会に発展していくのです。皆さんが氏族教会さえ連合すれば、金氏、朴氏という民族は自然に生じるのです。そうじゃありませんか。金氏、朴氏、文氏、おびただしく氏族復帰の基盤さえできれば、国家は自然にできるのではありませんか。そのようになるのです。氏族教会、民族教会、国家教会、世界教会、天宙教会、そのように連結されるのです。

 宗族的メシヤは、カイン、アベル二つの族属を抱かなければなりません。イエス様を中心として見るとき、ヨセフ家庭とザカリヤ家庭と同じです。これらの家庭が一つになれなかったことによって、イエス様が死んだのと同じように、今は家庭教会と氏族教会が必要だというのです。いつも同じです。ヨセフ家庭とザカリヤ家庭が一つとなったその上に、イエス様が立つのです。その宗族的メシヤを迎え、国家的メシヤを迎えれば、復帰です。ですからホーム・チャーチ(家庭教会)はカイン的教会として、宗族的メシヤの基盤であり、アベル的教会は自分の一族です。この二つを合わせなければなりません。そうしてこそ宗族的メシヤの使命が終わるというのです。これから氏族と完全に一つになるのは問題ありません。そして外部的にも問題がない時が来たというのです。

 今は世界的な時です。その時は国家的な時でしたが、今は世界的な時です。イエス様を中心とした国家的な時を蕩減復帰して、解放されたので、迫害のないところにおいて、世界的な基準を中心として宗族的メシヤになるのです。宗族的メシヤとは何ですか。家庭教会ではありませんか。家庭教会をつくって、全部やったなら、宗族的メシヤがどんなにいいでしょうか!

 これからは自分の霊の息子、娘たちをみな連れて、教育しなければなりません。親族です。霊的な信仰の息子、娘たちを中心として一つになって、宗族的メシヤ圏を復帰することによって、霊界の他の族属たちも後援するのです。そうなれば、連合的前線が展開されるのです。


 四 三百六十軒家庭教会完成

  一) 三百六十軒の数理的な意味


 ホーム・チャーチとは何ですか。家庭教会とは何ですか。すべての歴史時代の摂理を中心として国境とか社会制度をすべて捨てて、家庭教会の中で一つになれば、すべてのことを復帰するのです。

 三百六十家庭は三百六十族属です。それをなぜやるのでしょうか。三十六とは、十二数の三倍です。そうでしょう。十二数というのは、天理の度数です。これは霊界の十二真珠門をいうのです。三十六家庭数と同じだというのです。旧約時代、新約時代、成約時代の三段階の運勢を連結させることができるのです。それは天道を解くためにすべて出てきたのです。

 家庭教会の祭壇は三百六十軒です。この三百六十軒の数理的意味は、すべての数理的価値を象徴した内容です。三百六十軒は原理的な数として、ここに数理的意味がみな入っているのです。三百六十数は、三十六数の拡大数として、三十六と同一の意味です。三十六数は十二数が三つ合わさった数であり、十二数は三数と四数を掛け合わせた数です。

 ですから三数、四数、十二数、三十六数、百二十数、三百六十数を含めた数理的意味があるのです。旧約時代十二数、新約時代十二数、成約時代十二数を代表するので、三十六数は全歴史を意味します。そして三百六十数は立体的な内容を含んでいます。ですから東西南北の四方を意味し、三六〇度を中心とした立体的な内容も備えていて、そこには春夏秋冬の四季があり、十二カ月を含んだ数であり、百二十カ国まですべて入っています。

 ですから三百六十数の復帰は、世界復帰だけでなく、歴史的な蕩減路程の完成を意味するものであり、神様が失った全被造世界と全歴史、全人類を探し立てる重要な意味がすべて含まれているのです。

 家庭教会三百六十軒は、まず区域が選定されなければなりません。三百六十軒家庭教会の祭壇が確定されなければ、原理的な意味がなくなり、霊界が地上再臨できる条件的な祭壇になることができません。ですからまず三百六十軒の祭壇を確定することが重要です。三百六十軒の祭壇が優先的に確定されなければ、家庭教会の意味が立てられません。

 三百六十軒家庭教会の祭壇で勝利するには、血と汗と涙を流さなければなりません。三百六十軒を完全に復帰し、勝利すれば、先生の勝利の栄光を伝承してもらえるのです。言い換えれば、神様の復帰の心情を蕩減復帰する立場に立たれた先生の立場に立ててくださる条件なのです。

 私たちがやるべき三百六十軒家庭教会は、カイン型天使世界に該当します。このカイン型天使世界である三百六十軒家庭教会を成功させれば、アベル型天使世界である自分の氏族は自動的に復帰されます。

三百六十軒家庭教会を伝道すれば、カイン型天使世界の宗族的メシヤになり、その次に自分の氏族から歓迎され、アベル的宗族的メシヤになるのです。

 私たちの地球星を中心としてどこに行ってもホーム・チャーチが成されなければなりません。

どこでも三百六十軒のホーム・チャーチ運動をしなければなりません。それは氏族です。特定氏族です。氏族を解放しなければ、特定氏族が生じ得ません。これは元来、三次七年路程が終わってやることです。そのことを三次七年内にやっているということを知らなければなりません。皆さんには夢のような話ですが、事実なのです。


  二) 家庭教会は摂理の終着地


 このようなことを宣布することができるということは、摂理史において、偉大な飛躍だというのです。では、家庭教会で勝利すれば、皆さんは何になるのでしょうか。その時にはメシヤになるのです。メシヤ。宗族的メシヤになって、民族に対してもその民族を救うことのできる責任者になるのです。

 皆さんがどのように完成するのでしょうか。皆さんには父母がいて、息子がいて、万物がありますが、家庭教会はこのようなものを拡大したものです。アダムが堕落することによって、この三つを失ってしまいました。ですから、この三つを一度に取り戻して、神様の前に捧げなければなりません。失ったものを取り戻して真の父母を通じて神様の前に捧げようというのです。

 それで神様を経てこなければならないのです。失ったものを取り戻して、神様のものになってから父母から再び相続しなければなりません。そうしてこそ皆さんの家が生じ、皆さんの世界が生じるということを知らなければなりません。その土台がホーム・チャーチです。これは何かといえば、祭物です。これは一つの祭壇です。ここで三大祭物を捧げるのです。

 家庭教会は私たちの定着地である! いったい家庭教会とは何でしょうか。ホーム・チャーチは統一教会が迫害の歴史においてレバレンド・ムーンを中心として、すべての歴史的蕩減基準、すなわち個人蕩減世界的基準、家庭、民族蕩減世界的基準、国家蕩減世界的基準、天宙蕩減世界的基準の蕩減路程において、チャンピオンの継承権をなして、全体勝利した承認を受け、決定してきたものです。ホーム・チャーチにおいてのみ初めて、すべての蕩減条件を脱いで定着することができるのです。

 アメリカを失い、地球星を失ったとしても、真の愛をつかんでいれば、神様が私のものになるので、天の国が私のものになり、自動的に地球星も私のものになっても余りあるというのです。その結論が間違っていますか。合っていますか。それでは、皆さんに何の心配がありますか。「ああ、私は家庭教会が嫌だ」と言って大変なのです。真の愛は、難しいほどその価値がもっと大きいというのです。

 地上で生きている間に、家庭教会運動を一生懸命にやるのが、福を受ける道です。人生は短いのです。

 統一教会で絶対に必要なものがありますが、それは何かと言えば、ホーム・チャーチです。ホーム・チャーチが出てくるまでは、先生でしたが、父母様でしたが、ホーム・チャーチが出てきたあとは、ホーム・チャーチ完成が絶対的だというのです。これを成してこそ父母様も私の父母様になるのであり、父母様の世界になるのです。父母様の天国が私の天国になるのです。父母様の愛が私の愛として伝授されるのです。

 ホーム・チャーチがなければ、天国が成されません。ホーム・チャーチがなければ、すべてのことができないのです。ホーム・チャーチは天国の基地です。天国はどんなところですか。天国というところは安息するところであり、幸福が宿るところであり、愛が宿るところであり、平和なところです。

 キリスト教が、救いがあって何がどうですって。統一教会を離れては、生命的救い、永遠の愛を中心とした因縁的救いはありません。それで先生が還故郷の道を築いて、自分たちをみな立てて還故郷をして宗族的メシヤ宣布をさせたのです。それを私がいつから教えてあげましたか。そのためにはカイン・アベルの関係を収拾しなければなりません。

 ホーム・チャーチ、家庭教会をいつ話しましたか。七年の歳月です。やりましたか、やりませんでしたか。「やる」と言ったのが成功しましたか。台風が吹いてきて、自分の足が切られ、首が落ちたとしても、やらなければならないのです。

 家庭教会の任務を任された人は、歴史的な最終の、マラソン大会で言えば最後のマラソン選手と同じなのに、「国家代表のマラソン選手として立って、ただ汗をかくから汗を拭き、汗を流さずに走り、汗をかけばうちわであおぎ、コーラも飲んで、適当に楽に行けばいい」と言うのと、走るのに、ひたすら汗を流し、死んで倒れたとしても最後まで行くのと、どう違うでしょうか。

 神様はチャンピオンの後ろにいて見えませんが、サタン世界では「この野郎! 倒れろ! あの野郎、倒れろ! こいつめ、飯食って行け! こいつめ、休め!」と言って、すべて反対するのです。

霊界が見えますか。神様が見えますか。世界が行ったり来たりする中で、天と地が応援し、「もっと走れ」と言っても、それを聞くことができないのです。その反面、サタン世界でそれに反対して、「ああ、神様がなんだ。こいつめ! お前、飯食って走れ! 休んで行け! 車に乗って行け。歩いてどうするのか。ああ、あれは何だ」と言うのです。決勝点に行って、勝つまではサタンも関与できないのです。

 私が帰ってくれば、国家が歓迎しなければならないのです。今は歓迎することができる時なのです。けれどもそれができないので、私が男たちに責任を追及するのです。私が十四年前から「家庭教会をしなさい」と言ったでしょう。けれども誰か一人でもそのようにした人がいましたか。

 それをやるのに十四年かかりました。一九七八年から家庭教会を語ってきたし、統班撃破を始めてもう七年がたったのに全部失敗しました。教会が存在するのは、国と世界のためです。それなのに皆さんは、自分の家庭と自分だけにしがみついて、教会はみな後回しにしてしまったでしょう。

 頂上クラブをつくって、世界最高の頂上たちに会うのです。アメリカのブッシュ、ソ連のゴルバチョフ、中国の江沢民を教えた小平等々……。みな今まで隣の家の暮らしでもするかのように乞食のようにやってきたというのです。何ですか、これは。てっぺんに火をつけて飛び出して来れるようにしてこなければなりませんでした。そうすれば私がこのことをしなくてもいいのです。

 ホーム・チャーチ、家庭教会をすべてやっていたら、このことをやらなくてもいいのです。個人が行ってでもみな教育しなさい。分かりましたか。荒野路程のその受難生活はもういけません。そこで勝たなければなりません。このような輩たちを屈服させなければなりません。


第三章 統班撃破運動をなぜしなければならないのか

 一 統班撃破運動を再び行う理由


 統班撃破運動をなぜしていないのですか。あなた方が生きる道がそれです。その運動の基盤のもとで、今回故郷に帰って、今まで活動したことのある自分の郡、面、自分の町内、すべてに自分が責任をもって、統、班を動かしていかなければなりません。数がないので、故郷に入って、それをしなければならないというのです。昔のように食べて寝て、そのようにする時ではありません。

 これから地方の郡民、農民たちを動員してデモしていくのです。今工場で「デモをする」と言って大変ですが、工場のデモは会社で勝手に首を切れば、ばらばらに自分の田舎に帰るので、なくなるのです。しかし農民たちが結合してデモすれば、永遠に停止です。何のことか分かりますか。

 どんなことをしてでも、私たちの氏族を中心として統班撃破運動を実現するための中間的な集合、訓練をするための復興会をしなければなりません。今回は急がなければなりません。それを近いうちにやって、実績を出さなければなりません。

 そのように一つの面で、三つの部落になりさえすれば面全体を消化することができると同時に、郡全体、面一つを消化すれば郡全体まで影響を与えることができるのです。一つの郡全体になりさえすれば、このケースで道まで連結させることのできる道が開かれるのではないかと見るのです。このようにやらずしては、この全体の統班撃破組織編成が不可能だというのです。これが急がれているのです。

 皆さん、先生が統班撃破を命令してから四年の歳月が流れました。この者たち! 先生がお金を出してあげなければなりませんか。愛国するのに先生がお金を出してあげなければなりませんか。血を売って、土地を売って、家を売ってやってきました。妻子とすべての兄弟と私の一族を犠牲にしながら愛国してきました。伝統を踏んで行くべき統一の群れたちが自分の姿勢と立場を忘れて、行く道を知らなければ、亡国の種になるのです。亡国の種。私の目の前に倒れる者が現れると見るのです。

 ここの政党の党首をやってみようという人たち、自分の党だと思っているでしょう。大韓民国が自分のものだと思っているでしょう。先生が韓国統一に協助しなかったらと考えてください。ガラガラとなります。

 それで統班撃破です。分かりましたか。皆さん、統班撃破です。この郷里のためにやれば、すべて氏族の名前で統班撃破ができるでしょうか、できないでしょうか。きれいにできるでしょう。このサタン世界など問題ありません。統班撃破という言葉が、これがそのことです。

 先生の一代に解放をもたらし、自由天地を見つめ、この三年路程において、将来の南北統一の運勢を駆り立てて、鉄槌を打ち込まなければなりません。そうするには四千万民族をすべて抱かなければならないので、私たちはあの頂上の政党の責任者になろうとはしません。彼らの母になり、父になって、兄になり、姉となり、弟になろうという戦略戦術法が今日の統班撃破運動であることを知るべきです。そのために神様のような心をもたなければなりません。

 この三年の間に天は捨て、地だけを見つめなさいというのです。地獄の底まで行こうとし、先生がしなさいと言うとおりに統班撃破をやって、各家庭を神様の愛に感動させなければなりません。各家庭にふさがっているのは何ですか。責任分担でふさがっています。この壁を崩さなければなりません。蕩減復帰の壁でふさがっているので、これを崩さなければなりません。血統転換をしなければなりません。すべてこれを切って、接ぎ木しなければなりません。このように挙国的に動かなければなりません。

 私の手にかかっているのです。できない者たちはみな首を切ってしまおうと思います。ですから統班撃破が必要です。それが主人になる道です。そうでなければ僕にもなれません。金日成をつかまえることがそれで、国を生かすことがそれです。最近、共産党の輩たちがみな地方で活動していますが、地方は私の手で主管しなければなりません。大学教授が有名でも大学教授をもってしてはできません。

 ですから、あなた方がしっかりしなければなりません。大韓民国のどの愛国者よりも先頭に立たなければならないし、北韓のどの愛国者よりも先頭に立たなければなりません。これから統班撃破の組織をやるようになれば、金日成は行ってしまうのです。そうじゃありませんか。労働者と農民の組織が統、班ではありませんか。貧しい人々です。それで今まで先生が、「中央にお金を使うな! 統、班に使え!」と言ったのです。このようにやれば、大統領をやったとしても反対されません。分かりましたか。

 復帰とは何ですか。どこに帰らなければならないのでしょうか。文総裁が天下にいくら高い地位に上がったとしても、循環する一番下は家庭です。統班撃破です。統班撃破とは何でしょうか。サタン世界のすべての家庭に対して根源的に、血統的に、文化的に、生活的に浸透する、これをみなひっくり返さなければなりません。それで撃破という言葉が出てきたのです。

 統班撃破とともに復興会をしなければなりません。そうすれば縦的基盤がつくられるのです。これは横的です。それでこれが家庭において、ちょうど九〇度になり、「私の母と父は、真の母、真の父であり、私の息子、娘は真の息子、娘だ」と言うことのできる家庭の喚声が、この地上にわき上がるとき、地上世界のサタン圏は終わりを迎えるのです。家庭で出発したので、家庭でひっくり返さなければなりません。統班撃破はサタン世界の家庭を転覆するためのものです。サタン世界の血統を転覆させて、意識的なすべての内容をみな消化させるためのものです。これが最後です。

 私たちがやろうと言うのが、統班撃破です。家庭で堕落して、世界的に繁殖したのを文総裁が逆に上がってきて、家庭を取り戻すことのできる基盤をみな築いたので、韓国のすべての家庭を訪問して今まで根を下ろしているサタン側的すべての愛の因縁をひっくり返そうというのです。「撃破」です。ここには闘争の概念があります。「撃破」という言葉は何かと言えば、悪魔を跡形もなく焼き尽くしてしまおうというのです。これをひっくり返さなければなりません。そうして新しい家庭として神様を迎えるようになるとき、ここから統一は自動的に始まるのです。

 今日、ソウルを中心として、文総裁が提示する統班撃破は、家庭基準において真の父母の息子、娘をつくるためのものです。家庭で真の父母の愛に代わることのできる夫婦をつくり、神様が見たかった、神様の愛の中で成されるべきおじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、妻と夫、子女の基準を中心として一族、一国、一世界を失ったのを再現させなければなりません。そうして世界万民を私の息子、娘として抱き、愛することのできる世界になったと宣布してこそ、地上に解放圏が始まるのです。そうすることによって悪なる世界、暗黒の世界は退き、新しい光明の世界が来るのです。この門を開けようとするので、天は文総裁に世界の迫害の過程、国家の迫害の過程を通過させたのです。ここの大統領たちがみな私の世話になりませんでしたか。反対していた彼らが自然屈服するのです。

 私たちは統班撃破をしなければなりません。神様の歴史的願いを成就しなければなりません。家庭で誤ったことを家庭からひっくり返さなければなりません。天の国は国を通して出てきます。出てくるのは真の男性と真の女性を通して出てきます。サタン世界の反対の家庭から出てくるのです。ですから、統一教会はすべて世の中と反対です。真の父母という言葉も反対です。

 それでは今までの父母は何ですか。真の父母と反対ではありませんか。自分を生んだ父母は偽りの父母だということではありませんか。その言葉が神様の側では合っています。またサタンの側でも合っているのです。ですから真の父母を強調すれば、サタンは退くのです。なぜですか。神様が重要視するので、サタンは退いていくというのです。ひっくり返すのです。

 生命の種を蒔けというのです。精誠の限り、精誠を込めて、掘りならして、精誠を尽くして蒔けというのです。十年、二十年たてば、必ずそれが私の枝となり、知らないうちに大きい巣を作って大きくなったもの自体が、天の国に行くことができるように実を結んで、あの世の高い、神様と近いところに行くことができるでしょう! アーメン。ですから統班撃破をしなければなりません。

 なぜ統班撃破をしなければならないのでしょうか。復帰歴史は今まで堕落した世界からどこへ帰るのかといえば、真の父母の門を通して帰るのです。堕落の門へ出てきて繁殖したのが、すべて真の父母の門を通して、エデンから出発したのを中心として再び回って上がっていかなければなりません。回って上がっていくその主流とは誰かといえば、統一教会のメンバーです。回って上がる時には、ぼろのふろしき包みのようなものはいりません。サタンが汚したすべてのものをきれいに清算して水晶のように澄んでいなければなりません。蒸留水のようにきれいな真の愛の心と体をもって、この地上に顕現した天の国の王子、王女となる真の愛の後継者であると自信をもつことのできる人にならなければなりません。

 「統班撃破」と言うとき、「撃破」という言葉は、戦闘で使う言葉です。それが何かと言えば、サタン世界のこのすべての習慣を抜いてしまおうというものです。取ってしまって、皆さんに従い、天の側的習慣をここで確立することによって、天上天国が愛を中心として完成するでしょう! アーメン。そのような精兵として、長男、長女として歴史時代に新しい黎明期を迎え、宣布するのに、出戦した精兵たちが統班撃破の勇士たちです。


 二 勝敗の最後の砦は統、班


 これから統班撃破をなぜしなければなりませんか。堕落は家庭でしました。班ではありません。分かりますか。統、班です。班の中で家庭です。家庭撃破。お母さん、お父さんが神様を絶対に信じなければならないし、神様がお母さん、お父さんを愛するように、息子、娘を愛さなければなりません。息子、娘、お母さん、お父さん、妻と夫が愛し、神様を愛する三大愛を中心として、連結された場に町内の親戚と国を愛さなければならないのです。ここから統一圏の方向が設定されるのです。分かりましたか。

 今、標準は統班撃破です。これはイエス様を中心として見れば、一家、氏族的版図を中心として成就できなかったことを今日、私たち統一教会の教会員の家庭を中心として氏族的版図を完成することによって、世界的氏族圏の解放が四方から起こるのです。それが万国に統班解放圏を起こさせることのできる条件になると見るので、先生が今回、ここで命令し、誓いを受けたことを知らなければなりません。

 一番重要なことは、私たちがどこで根を下ろさなければならないかということです。この根が下りるところは、道の組織体ではありません。道の下に郡があり、郡の下に面と里がありますが、それらはみなポンと浮いているので、ここはサタンが入ってきて、寓居することのできる土台が築かれているというのです。ですから統、班で根を下ろさなければなりません。これを原理的に知らなければなりません。これが統一教会が統、班を撃破する目標を単一目標にしなければならない原因となるのです。復帰の目標はただ一つなのです。人間が過去の時代や現在の時代や未来の時代を問わず、完成を目指す目標も一つです。個人完成から始まるのです。それと同じように、統一のために、統、班を中心として鉄壁のような基盤を築かなければなりません。

 今、大韓民国が失敗する理由がどこにあるかと言えば、統、班組織を中心として国民教育をできないところにあります。すべて操縦して郡まで行けなかったのです。道で行ったり来たりして、行政部で組織をつくって、国庫だけ消耗して、すべて飛んでいってしまったというのです。それではいけません。統、班長を中心としてすべてのものを投入して、ここで成功しなければなりません。それで家庭を保護しなければなりません。家庭を保護しなければなりません。国を救うためには、細胞を保護し、細胞繁殖をしなければなりません。細胞自体が思想武装をして、私たちが大きくなって、隣近所に「一つにならなければならない」と言って、互いに一つになろうとする、これが大きいのです。そうして結束しなければなりません。

 私たちが統班撃破運動を展開しているのは、政治的目的ではなく、南北統一時代を迎え、思想と組織を強固にしようというのです。共産党は組織で動く集団なので、それに匹敵する私たちの立場を準備しようというのです。

 今が重要な最後の峠です。先生が一生の間祈祷してきたのは、面、洞を中心として統、班を占領することです。そうしてこそサタン世界を完全に占領するというのです。いかなる大きい機関でもなく、中央庁でもなく、いかなる都市でもなく、占領するのは、洞を中心として統と班、面を中心として、統、班を占領しようというのです。そうすればそこには、みな入るのです。どんな素晴らしい人も出来の悪い人も、その国の最高の人物たちから最低の人、階級を超越してみな入っているというのです。ですから教区長とか支部長たちも、これからの活動基準がどこにあるかといえば、道ではありません。統、班長にあります。洞を中心として、統、班長が活動舞台だというのです。

 大韓民国は、今まで各政権が、統、班長を中心とした自分たちの政治的方向だとか、ある教育をすることができなかったというのです。民族的教育ができなかったのです。思想教育ができなかったのです。各道知事を集めたり、郡守たちを集めたり、班で一人ずつ集めたりはしたでしょう。しかし、思想教育の主人が統、班長にならなかったのです。ですから根がありません。根を下ろすことができなかったのです。根を張ることができなかったのです。浮き草と同じです。

 初めは統・班長撃破問題、その次は面撃破問題、里まで、そうしておけば、完全に組織化できるでしょう。

 統を中心として班の消化にどのように火をつけるかと言えば、問題はもう生死を決定することなのです。すべて家が問題です。選挙の時に動かすのは何ですか。どこかの都市、市長を中心としては駄目なのです。郡守を中心としては動かないのです。問題は何かと言えば、統、班長を中心として班を動かす組織です。

 統・班長を中心として消化するのが難しいですか、易しいですか。この組織編成をすれば易しいでしょうか、難しいでしょうか。ですから自信をもってください。それは誰でも幼子でも問題ないと考えるのです。事実、問題ではないでしょう。統・班長さえさっと配置しておけば、それは長くかからないのです。

 皆さんが一線で闘う先生のような立場には及ばないとしても、統、班を中心として涙の峠を越えて定着しなければなりません。

 堕落した運命、ゆがんだこの悲哀の運命を打開しなければなりません。そうしなければ天が協助しません。天がここに働きません。天が離れます。天が離れるのです。

 皆さんがこの運動をするのに、靴が何足すり切れてもやりなさいというのです。統・班長を訪ねるには自動車ではいけないのです。歩いて行かなければなりません。靴を何足も捨ててでも歩いて回りなさいというのです。汗を流しながら一日に三回、四回ノックしてみなさい。皆さんのほとんどが一度しかノックできなかったのではありませんか。一日にも統、班に講義をしに何回か行けば、汗に濡れますが、そうすればお風呂に入らなければならないでしょう。そうやってみなさいというのです。天が役事してくださるか、役事してくださらないか。火がついて出ていくか、消えて出ていくかやってみろというのです。先生の言葉がうそか本当がやってみなさい。

 先生を中心として、皆さんは出ていって統、班を撃破する砦となって、同じ輝きを発しなければなりません。大きくはできなくとも、同じ光を発しなさいというのです。青い光を発しなければならないところで、赤い光を発してもいいでしょうか。そこで黄色い光を発してもいけません。同じ光を発しなければなりません。

 先生が提示したすべての焦点は確実です。統・班長、南韓にいる統・班長を撃破するのです。

皆さん、統一教会の教会員たちは、みな班長になるか統長になる立場に立ってこそ天の前に記憶される群れとなるでしょう。

 私たちの目標は簡単でしょう。私たちは、どんなことがあっても、泣いたりわめいたりしてでも、統・班長を一つにしなければなりません。統、班にみな配置されるのです。それは大学の学生もするのです。

 私たちが家庭をしっかりつかんでおけばいいのです。すべてが家庭の中にしばられた人たちではありませんか。家庭さえつかめば、国会議員も捕まえられ、長、次官もみな捕まえられ、青瓦台の大統領も捕まえられるというのです。みんな統・班長をやれというのです。そうではないですか。国会議員と国家の重要な為政者たち、閣僚たちと軍隊の幕僚たちまでも完全に統・班長運動に動くようになれば、すべて終わるのです。闘いなく私たちはつくることができます。何のことか分かりますか。

 私たちは政治が問題ではありません。私たちがやろうというのは、国を取り戻そうというのです。統、班をつかもうというのです。統、班をつかめば、国は自動的に解決されるのです。

 これから私たちがやるべきことは何ですか。北韓の組織というのは、統班撃破ができません。北韓がいくら地下工作しても統、班まで追い出して、撃破運動を消化できません。点の組織、線の組織は行政によって組織しますが、統班撃破はできません。統班撃破さえやればみな掛かってきます。すべて倒れます。点の組織も引っ掛かり、線の組織も引っ掛かり、体制がみな引っ掛かります。

 この北韓でできないことを私たちがやるのです。共産党が下りてきたときは、これをさっとやって、頭を下げればいいのです。南韓の四千万がふろしきを持ってみな入り、ヤコブがエサウを屈服させたのと同じです。二十一年の間蓄えたすべての財産をもっていって、「これはお兄さんのものです」と言って、まるごとあげてしまえば、北韓は完全に屈服するのです。

 これから国民連合を中心としてやるべきこととは何でしょうか。統班撃破運動だけが残っています。この統班撃破のために体制をつくるのです。中央の体制、道の体制、郡の体制、面の体制を定立させるのです。面を中心としてすべて動かすのです。統、班を中心として見れば、国の体制は大きい枠です。道の体制はその次の枠で、郡の体制はその間の枠で、面の体制はその次の枠です。班を中心として見れば、統はその次の枠なのです。復帰は個人復帰から家庭復帰、氏族復帰、民族復帰、国家復帰、世界復帰、このように進みます。そのように私たちが、体制的に見るときに、国家も国民連合のようにすべて国家組織があります。道の組織があり、その次には郡の組織があり、面、里(統)班の組織があるのです。これが現在の韓国の国家組織体制です。それでは班は何を代表しますか。もちろん統を代表しますが、二重目的があります。直接の目的は班のためのもので、全体目的は国のためのものです。統と班がみな一つになるのは、国を一つにすることです。私たち人体の構造と同じ組織体制をもっています。

 初めに組織、二番目に団結、三番目に行動が必要です。これが私たちの韓国を中心に世界を動かすための三大要素です。徹底した組織圏内に立つことによって、四方八方への連絡を一〇〇パーセントしなさい。そして中心使命を果たすために、先頭に立って、このような基準をつくらなければなりません。自分の位置、組織圏内の自分の位置を決定しなければなりません。位置がなければ、座るところがありません。位置を決定してこそ仕事ができるのです。努力次第で、その位置がどのように大きくなるのかということが分かります。位置決定は組織力を強化していく上で、重要なものです。


 三 南北統一方案も統班撃破運動


 韓国において何をしなければならないのかと言えば、長子権を復帰しなければなりません。大韓民国の人々は、「文総裁を中心として南北統一へと前進しなければならない」とこのようなイメージができあがっているのです。大統領も南北統一をするのには協助するようになっているのであって、反対するようにはなっていません。そのような意味でカインとアベルを中心として見るとき、これからは私の言うことを聞かなければなりません。さらに三派閥が生じるので、私たちが統班撃破をして、操縦さえきっちりやる日には、昼寝ばかりしていても、かかとをつかんで「おお、主よ! 助け給え」と言うようになるのです。先生は知恵の王ではありませんか。どうすればこのようにぴったり合うようにして、悪口を言われても滅びないで、素晴らしく生き残るのかというのです。

 統班撃破をやるのです。地下に隠れていたスパイを私の手でみな探し出して、爆破してしまうのです。赤を追放するのです。毎日のように夜、北韓と連絡するのを探し出すのです。これからだんだん深く入るでしょう。金日成のいかなる特攻隊よりも熱烈な忠臣の精気を込めて統班撃破の組織を完成するのです。そのようになれば、金日成が死ぬとか問題が起こるのです。統一教会の組織編成完了のときまで、金日成が死んではいけません。何のことか分かりますか。

 南北統一のためにお昼を一食抜いてみたことがありますか。きょう、ここに何をしに来ましたか。統班撃破です。「南北総選挙をしよう」と言うとき、我が国は何もできないままやられてしまいます。どういう時が来るか分かりますか。それを知らなければなりません。

 では、そのように歩む先生が韓国に来て、「遊んで食べろ」と言わなければなりませんか。どのようにしなければなりませんか。韓国人が仕事ができなければ、追い出さなければなりません。今度の七月には、統一教会のメンバーはみな四十日間伝道しなければなりません。一九五六年から伝統的に、永遠に開拓精神を受け継ぐための修練期間として、設定しておいた期間です。最近、毎年これをやっていますか。今回は三十八度線の国境地帯にみな配置して、毎日のように聖歌のラッパを吹かせて、スピーカーを通して北韓の平壌まで聞こえるようにしなければなりません。こうして共産主義は滅びたということをすべて訴えなければなりません。そのような材料がたくさんあるではないですか。みな根こそぎにやらなければなりません。統班撃破の責任者になっていないので、これを鑑定するその鑑定部隊に派遣するでしょう! 「アーメン」と、大きい声で言わなければいけません。派遣するでしょう! 「アーメン!」。

 統一教会は統班撃破をするでしょう。復帰歴史を出発して、サタンが先に浸透してきた個人基盤、家庭基盤、氏族、民族、国家、世界まで行って、アメリカを越え、共産党を越えて、回って帰ってくるのです。韓国に回って帰ってくるのです。韓国に回って帰ってくるのに、韓国という国が私に反対したでしょう。今、国はお粥を炊いているのです。みな互いに自分が大統領になろうとしているのです。

 そうやって争っていなさいというのです。私は天理の道を、天運を受けて一周回ってきて、抱いていこうというのです。こうして回って帰ってくるのです。そうして国民を失いつつあるので、統一教会の文先生が国民をみな収拾するのです。

 イスラエル民族が、カナン福地に復帰するために、エジプトを出ていくとき、自分の一族に何度も行って、「私たちが行くべき道を行かなければならない」と言いました。「サタン世界を解放しなければならない」と言いました。今は、その時代に入ったので、人を解放しなければなりません。私たちがその伝統を立てなければなりません。

 一軒でも逃してはなりません。今はそのような時です。先生が「統班撃破」という言葉を、それで言ったのです。疲れを知らず、その日が満ちるまで、昼も夜も一軒でも自分の歩みが通過しなければなりません。東西に行き、南北を経て、円形に通過しなければなりません。ですから三回は、行かなければならないというのです。みな三回以上訪ねて行きなさいというのです。今、帰って何をしなければならないですか。統班撃破を北韓よりももっと熱心にやらなければなりません。そうしてこそ根を引き抜くのです。

 全大協キリスト教農民会、カトリック農民会が、デモをしようとどれほど一生懸命ですか。皆さんは統班撃破をそれ以上にやりますか。それ以上やらなければなりません。

 この大韓民国の一番悲惨な家庭の底を通してふろしきに包んで、これを引き上げて南北統一をしなければならないというのです。統一はどこからですか。頂上会談、大統領と金日成が頂上会談をやってできるのではありません。それで統班撃破です。統班撃破という言葉は、統、班を破壊せよという言葉です。その統、班というのは、自分たちのための統、班です。お母さんもお父さんも自分のために生き、夫も子供もみな自分のために生きる世界です。サタンが身を潜めているので、それを撃破しなければなりません。

 私の国を統一しなければならないのではありませんか。それで私たちは今、南北統一のための選挙の準備をしているのです。それで統班撃破をしなければなりません。国を取り戻して世界を復帰しなければなりません。どこからしなければならないかと言えば、韓国を中心としてしなければなりません。先生が一番初めに、昔は景武台(青瓦台の旧称)を通して、梨花女子大学、延世大学のような頂上から始めました。ところが頂上でできなかったので、下りてくるのです。頂上をつかめなければ、一番下をつかまなければなりません。サタンはそれを知っています。一番上で定着できなかったので、着地のために一番下に下りてくるということを知っているので、サタンが下りてこれないように打つのです。それで党の話が出てきたのです。

 統班撃破を中心として着地時代が回ってきたので、これからは私が故郷を訪ねていくのです。私の兄は八・一五に解放されることをみな知っていました。その兄が私の言うことに絶対に従うのです。その兄と母と父に原理のみ言を一言も伝えることができませんでした。皆さんを私の母と父よりも愛しました。何のことか分かりますか。一生をすべて統一教会のために尽くし、血と涙の事情を経て、埋めていくのです。個人を埋め、家庭を埋め、氏族を埋め、民族を埋め、国家を埋め、世界を埋めていくのです。埋めなければサタンが離れないのです。それで私がアメリカへ行って、千辛万苦の受難の道を歩んだのです。そしてソ連を救うために準備しているのです。今はすべて成したので、故郷に帰ってきて統班撃破をするのです。

 統班撃破をするのに、これから皆さんが十二族を吸収せよというのです。洞に行って十二の統を消化し、統に行っては十二の班を収拾せよというのです。十二段階です。今はもう、市、郡、区、ほとんどが私たちと和していませんか。機関長でも誰でも、文総裁を尊敬しない人がいないでしょう。皆さんもみな尊敬されているでしょう。有志になったでしょう。有志ですが、びりの有志ですか、中心の有志ですか。共産党に対して闘える人々が私たちしかいないではありませんか。中心有志になっています。

 統班撃破をすることによって、南韓に浸透したスパイは自動的に摘発されるのです。そうでしょう。一周転がせば、スカートの下に隠れていたのが、みな現れるのです。

 反対され、疲れ切ったこの乞食の群れのような統一教会のメンバーたちを集めて、挙国的な面で共産党に対峙することのできる価値観をもって、理論的設定の基盤に立って、共産党が攻撃するのを方々から防ぐことのできる準備を私一人でやってきたのです。それで統班撃破を五年の間主張してきました。しかし皆さんの中に実際にその価値を知り、その時を知り、それを実際に責任化して、私の体と心で盾となって防ごうと努力した人が誰がいますか。文総裁一人しかいません。

 これから統一教会がアベルの立場で南北統一に備えることのできる準備をしなければなりませんが、今までは統一教会が自体整備の着地ができませんでした。統班撃破とは何でしょうか。南韓の地の家庭を中心としてひっくり返さなければならないのです。なぜですか。出発が家庭なので、家庭的基準で思想を転換しておかなければならないのです。ところが、そのような環境的与件を訪ねていこうとする神様の前にサタン側の外的世界は躍起になって反対したのです。今までの政治風土は自由党の時から共和党、民政党と、ずっと統一教会が組織して地方へ下りていくのを反対しました。定着するのを反対したのです。

 今まで五年の間、統班撃破を何のためにしようとしましたか。一つの時を迎えるためにです。時は今しかありません。金日成がこれから行くところがどこにありますか。ですから米軍を撤収しなくても選挙しようと出てきます。そうすればすべて終わります。南韓のどこに代案がありますか。それを防御するための基盤を築いていますか。二者が争ってばかりで、大便をしてまごつき、下痢をし、はらわたに穴があいているのに、薬がないではありませんか。こんなものは雪かきのようなもので押して片づけなければなりません。そのようにできるように教育しなければなりません。そうでなければ、私たちについてきますか。それしか道がありません。これからカインとアベルが一つにならずしては行く道がありません。今、はっきり分かったでしょう。

 文総裁はいろいろ悪口を言われてきましたが、滅びないで希望的立場で統班撃破、家庭をつかまえて、世界のすべての家庭をこのようなモデルにつくろうとしています。その場に行くときは、悪魔は接近もできず、跡形もありません。金日成がどこにいますか。地下運動をする共産主義者がどこにいますか。きれいになります。

 これから十年の間は統班撃破をしなければなりません。統班撃破とは何かと言えば、南北を中心として、家庭を占領することです。神様が今まで歴史を通じて天の下に恩賜を施しておいたのです。そうしては、実が実ることを願っていたのですが、そのようにできませんでした。もちろん宗教圏を中心としてこれを撒くことによって、その恵沢を全世界に広げておきましたが、今はこれらを刈り入れる時が来ました。

 私たちがやる統班撃破とは何でしょうか。南北を統一して、神様の名前で、真の父母の名前で万国の勝利の版図を中心として大韓民国を全人類の祖国光復として神様の前に捧げなければならないのです。ここには民族と共産が一つになっています。真の父母と偽りの父母を中心として見るとき、神様の前に互いに怨讐ではありません。金日成が死んではいけません。今、金日成と私たちの側が会っています。安企部でもそれを知りません。反共法に私が抵触するでしょうが。私がそのようなことをたくさんやってきました。日本にもそうだし、アメリカにもそうだし、ソ連にもそうだし、すべて投入してきたのです。

 南韓においての共産党の基地をすべて……。統班撃破、分かりますか。潮水は初めにどこへ行かなければなりませんか。洞役場に行ってはいけません。家庭に入らなければなりません。家庭を埋め、その次に統を埋め、次に洞を埋め、郡を埋め、ソウルがいっぱいになり、大韓民国がいっぱいになってこそ青瓦台を埋めるのです。そして最後に、死ぬとしても大統領があとで死ななければなりません。大統領が先に死んで、自分は生きようという輩は乞食たちです。半分泥棒です。大統領になったら、尊敬し、仕えなければなりません。

 北韓一千万の五道民を収拾して、教会と連結し、南韓四千万を中心として先生の言うことを聞けば、南北間のキリスト教統一と国民統一が可能です。

 ですから統班撃破を急ぐ意味は、南北のための統一のために進む近道の方案であることを知らなければなりません。この道でなければできないのです。

 さあ、統班撃破さえきっちりやっておけば、金日成が何かできるでしょうか。先生が神様の前に「共産党は私の手で処理します!」と言ったのですが、すべて処理しました。最後に残ったのは金日成ですが、もう南侵戦争を通じてもできないようになっています。金日成が生きることのできる道は、選挙することしかないのです。選挙して、落選したからといってみんなを捕まえて殺すでしょうか。生き残るにはその道しかないというのです。そのようなことを積極的に推進しなければなりません。

 もう最後です。一九九二年まで一度期待してみるのです。これから統班撃破をやりなさいというのです。先生を中心としてみな三位基台を結んだでしょう。洞、統、面を中心として配置した人が三位基台です。先生を中心としては四位基台です。長がいないのです。統、班です。洞、面基準が私たちの活動舞台なのです。国がどこにありますか。国を中心として考えていたら、国が滅びます。何のことか分かりますか。道が滅びれば滅びます。郡が滅びれば滅びます。一番安全地帯に出ていけるのが、洞、面です。もし北韓が占領するとしたら、どこを占領するでしょうか。面を占領しますか、洞を占領しますか。洞を占領してどうするか、統、班を占領してどうしますか。中央庁を占領しなければ、道を占領して郡を占領するのであって、面は行きもしません。そうじゃありませんか。昔、金日成の輩が面に来て闘いましたか。面は経もせずにみな占領しませんでしたか。安全地帯です。


 四 統班撃破は家庭を中心にしなければ


 協会長を通じて十二の地区にビデオ・テープを作って、真の父母宣布大会をみな部落までしなければなりません。なぜそうかと言えば、蕩減復帰は家庭が基盤です。洞ではありません。洞が家庭ではありません。家庭で出発して氏族、民族、このようになっているので、氏族的復帰の土台というのは、家庭を連合したものです。ですから統班撃破というのが、世界的すべての運勢を国家の運勢に、国家の運勢を氏族の運勢に、氏族の運勢を家庭の運勢に、家庭の運勢を個人の運勢につないでいくのです。

 統班撃破というのがどこですか。家庭基盤です。それをやらなければいけません。家庭基盤が大韓民国で一番貴い新芽が出てくるところではありませんか。息子、娘。そうではありませんか。国の芽がそこから出てくるのです。天の国の芽が芽生えなければならないというのです。そこから息子、娘が出てくるでしょう。息子、娘は天の国の民ではありませんか。天国の国民の出生地、生産地は、地球星しかありません。ほかの星の国に人がいるのではありません。

 この間、選挙のとき、私たち統一教会の人の中にも「選挙に出馬したら」と言うのを、「この者たち、何だ!」と怒鳴りました。選挙に出馬していたらどうなるところでしたか。共和党でも数名推薦してほしいと通報が来ました。政治をもって収拾するのではありません。家の中からするのです。救いの摂理は上から出発するのではありません。家庭から出発しなければなりません。三千万の精誠と熱意がすべての家庭に着陸しなければなりません。それで統班撃破をしなければならないというのです。洞、面が統、里へと下りていかなければならないし、統、里が班へと下りていかなければなりません。ですから、私たち統一教会のすべての活動基地は、それぞれの家なのです。そこに種を植えて、お母さんとお父さんの愛以上の愛を芽生えさせ、そこで未来の自分以上の父母たちの心情をもった後孫たちを中心として新芽を芽生えさせ、神様の心情とともに家庭圏の上に植えなければなりません。

 これから私たちがやるべきことが統班撃破であるだけに、家に帰らなければなりません。アダム、エバが男、女から出発して、息子、娘から汚したのでそれを収拾するためには家庭に帰らなければなりません。自分の一族と親戚の家を訪ねて血と汗と涙で掃除しなければなりません。水で掃除するのではありません。血と汗と涙をもって洗わなければならないようになっているので、その家庭に入って血と汗と涙を流さずしては復帰ができないのです。その道を先生が行かなければならないのです。

 統班撃破です。統班とは何ですか。神様が会いたかった父に出会うところです。家庭に帰ろうというのです。神様が会いたかったお母さん、お父さんをつくろうというのです。神様が会いたかった息子、娘をつくろうというのです。神様が会いたかったおじさん、おばさんをつくろうというのです。これが文総裁の願いであり、神様の願いです。誰の願いですか。天地を創造した大主宰の願いです。誰が本当にその方の願いの成就の、このことを引き受けて手をつけるでしょうか。皆さんの家の中において、皆さんは神様が会いたがる父母になっていますか。これが問題です。統班撃破というのは過ぎ去る言葉ではありません。アダム、エバが家庭で神様が会いたがる真の母、真の父になれなかったのが神様の恨です。真の息子、娘になれなかったのが恨であり、真の夫婦になれなかったのが恨であり、真の孫になれなかったのが恨です。どこでですか。家庭で。ですから私の家庭でこの恨を解いてあげなければなりません。その恨を解いてあげてこそ天地に解放が始まるのです。

 今、何をすべきかといえば、統班撃破です。統班撃破。神様が家庭を失ってしまったので、この天地間にすべての本郷的天の国の基地になることができるところが韓国だと言うとき、文総裁が生まれた本郷の国が韓国だと言うとき、韓国の故郷に帰って、家庭において神様が訪ねたいおじいさん、おばあさん、お母さん、お父さん、夫婦、子女を抱いて天地の大脈を開けることのできる一つの起源地となる、一つの葉となり、枝になることのできる家庭を成すことが、全天地の願いであり、創造主の願いであることを知ったので、家庭で失ってしまったものを家庭で取り戻し、新たに植えてあげなければならないので、統班撃破ということを五年前から主唱してきたのです。これがすべて終われば、将来誰が大統領をやっても心配ありません。私たちが思いどおりにできる時が来るのです。

 南北韓を解放する近道が統班撃破です。北韓に自分のお母さん、お父さん、自分のいとこ、あるいは親戚がいれば、その人に会うとき、抱き締めて泣くように、これから各家庭を訪ねていって、心情的に涙を流すことができなければなりません。このような心情的因縁が神様と共に同伴することのできる環境が成されるときは、私によってその家庭が、神様の訪ねたい愛らしい家庭として誕生するのです。そのような喜びの歓声とともに解放のその日が私の目前にやって来ることを知っているので、このようなことをやっているということを知り、今日ここに集まった皆さんは真の兄弟の因縁を経て、神様が探している愛の家庭形成を願う使者となって、神様の心情的通告者としての使命をしなければなりません。

 そうすることのできる兄になり、姉になって、あるいはおじさん、おばさんとなって、お母さん、お父さん、おばあさん、おじいさんの代身者となって、その家庭を収拾し、神様をお迎えできる家庭の基盤をソウルから始めようというのが、今日、洞、統、班に責任をもって全力を尽くすことのできる、神様の代身者となる皆さんに下さったみ言です。万歳しましょう!

 家庭とはどんなに貴いものでしょうか。家庭は国を代表したものであり、家庭は世界を代表したものです。

ですから三千里半島の多くのおじいさん、おばあさんたちを自分の家庭のおじいさん、おばあさんのように、神様が愛したいおばあさん、おじいさんのように愛し、私のお母さん、お父さんのような多くの人々を神様が愛したがるお母さん、お父さんのように愛し、私の妻のような多くの女性たちを神様が夫婦のように愛したがるように、神様の愛の代身者として愛し、私の息子、娘、私の兄弟のような多くの人々を神様が愛したがるように、愛さなければなりません。このような愛の理想を中心として、神様が訪ねたかったその心の基準をもって世界のために投入し、投入しなければなりません。

 そのようにするとき、神様を代行することのできる息子の継承者となり、娘の継承者となり、その国と世界を建国する独立軍になるというのです。今、このような事実をはっきり知ったので、これから皆さんの家庭に帰り、家庭を覆さなければなりません。それが統班撃破です。家庭を取り戻さなければなりません。これが私たちの義務です。

 統班撃破とは何でしょうか。家を訪ねていくものです。文総裁がいくら世界的勝利圏をみな備えたとしてもその贈り物をどこにもっていきますか。国ではありません。国にあげる前に、家庭から失ったので、家庭にもっていって植えてあげなければなりません。家庭に種を蒔かなければなりません。民族に蒔いてはいけません。ですから文総裁は統班撃破、家庭着地! 共産党の搾取という言葉ではありません(注:韓国語の着地と搾取の発音が似ている)。そのようにすることによって、そこから今まで亡国の種に行きつつあった、地獄に行こうとしていたのが、天上に帰ることのできる時代が来るのです。ここからサタン世界は文総裁によってみな遮断されてしまいました。そこで後ろを振り向く日には、自動的に南北統一ができるのです。完全にプラスの前に一つになるのです。霊界が動員され、掃いてしまうのです。

 私が南韓にいてから北韓に入り、三年後に帰ってきたとき、以北で感じた習慣性を解消するために五年以上かかったことを覚えています。これを考えるとき、私たちがサタンの伝統的な歴史を通じて受け継いだ習慣性を解消するためには、どれほど痛烈に悔い改め、身もだえしなければならないかを知らなければなりません。その身もだえすることを自分自らするのではなく、公的な命令の戦争の場に入って、統班撃破路程でやれば、このことがどんなに短縮されるかということを知り、その道を自任して取っていく賢い息子、娘たちにならなければなりません。

 統班撃破が問題です。ですから家庭から勝利しなければなりません。経済問題、政治問題、文化問題、宗教問題、思想問題、全体が家庭で解決されなければなりません。

 先生が話した幸福の心という意味の会社をつくりました。七年間ずっと開発投資してつくったのですが、それが何かといえば、ホーム・チャーチ組織です。これは今に、統班撃破運動と連結して家庭を占領するでしょう。これを占領してしまえば、何でも可能なのです。大衆動員には、これ以上の基盤がないのです。

 統一教会では今、一大激戦が起こっているのです。統班撃破! アダム・エバが家庭から失ったものを取り戻そうとするので、家庭に帰らなければなりません。家庭に帰って、一八〇度ひっくり返さなければなりません。一八〇度何ですか。覆すのです。

 アダム・エバが家庭に根をおいたのが、悪なる家庭が生じることによって、悪なる氏族、悪なる民族、悪なる国家、悪なる世界まで広がったのです。それで根を再び植えなければならないのです。今日、この韓国においての統班撃破の論理がそれです。

 今、何かといえば、統班撃破家庭着地です。それは先生が指示したことです。この者たち……。隣近所の選挙運動をしてどうしますか。この者たち。生死の境がかかった重要なことであり、天下を得るか失うかという闘いなのです。

 国から、道から、郡から、面を経て、統班撃破をしていくのです。アダム・エバが偽ったので、偽ったのを元に戻さなければなりません。

 皆さんに統班撃破を指示し、十四年前から家庭教会を指示したのです。五年前から統班撃破を話したのです。これは何かといえば、今日皆さんがする統班撃破を叫んだのです。根がどこまで下りなければなりませんか。家庭まで下ろさなければなりません。今日、この世の国は家庭まで行けませんでした。行ってみても、面までも行けませんでした。しかし私たち統一教会はどこまで行かなければなりませんか。班まで行かなければなりません。班まで。

 これからは家庭を寄着地(注:経由地)として救国、国を救わなければなりません。その運動が統班撃破です。それで統、班に入れというのです。班常会をリードせよというのです。班常会を通じて家庭、家庭に私たちの根を下ろさなければなりません。

 家庭の平和の基地をつくるための運動を私が強調しました。これらもそのように教育しなければなりません。統班撃破の班常会を通して、おじいさん、おばあさんを神様のごとく侍るように教育し、お母さん、お父さんを王のごとく侍るように教育し、若い人たちは王子、王女の立場だと教育しなければなりません。そのような思想さえ入れれば、サタン世界のどこに行くところがあるでしょうか。そうすれば天国と直通するのです。

 復帰摂理は家庭に帰らなければなりません。家庭まで帰らなければなりません。氏族をもってしても駄目です。家庭まで帰らなければなりません。アダム・エバが家庭で堕落しました。

 アダム・エバを中心として息子、娘が出てくるところが家庭なので、家庭に下りていかなければいけないのです。そうでなければ、帰ってくることができないのです。


五 統班撃破活動の組織拡大

  一) 社会の人物を中心に組織拡大


 私たちは今度完全に統班撃破をするのです。反対する人たちを訪ねていって、どうしても悔い改めさせ、私たちの側に引いて来なければなりません。これを選挙運動をする以上の運動だと知ってやりなさい。分かりましたか。決戦時代に入るのです。

 今度アメリカ研修に行って来た人たちの知り合いとか、ここに同意する人、あるいは団体の誰々がいれば、大会に参席させて、私たちが面に三人ずつ派遣するのに、私たち食口以外にそこで推薦してくれる人二人を配置してもかまいません。このように三人ずつ配置しても人が余れば、四人ずつ配置するのです。そのときは、私たち食口一人に推薦された人三人がそこに加担するのです。

 それは三人だけの単位ではありません。多ければ多いほどその基準を中心としてもっと早く統班撃破が可能だし、面洞撃破が可能だというのです。それで早く組織が編成されれば、そこで他の統を協助してあげるのです。そうすれば面だとか洞を中心として自分の基盤を完成して、周辺の洞、面を協助することのできる責任者になるのです。そのような責任に実績をもった人は、いくつかの面、いくつかの洞の中で、中心人物になるのです。

 大韓民国で今まで出したものが何かありますか。政治家たちが、文総裁を家庭の基盤まで下りていけないようにしたのです。それがもう何年ですか。統班撃破を始めてから五年になるではありませんか。六年目です。家庭をひっくり返さなければなりません。そうしてこそ国が蘇生するのです。面ではなく、郡でもありません。皆さんのように実力のある人たちが、みな家庭に組み込まれていなければなりません。

 将来、能力がなくなれば、教会もやめて、支局長でもやるとか、メッコール販売でもしなさいというのです。これからは私がそのように手をつけようと思います。一九九二年さえ過ぎれば、さっと整理するでしょう。分かりましたか。そのときは、教会の責任者たちが一年に約八百名ぐらい出るでしょう。成和大学を卒業する人たちが、五百名以上は出るのです。その人たちをどうしますか。皆さんの郡の東西南北に配置するのです。これをサタンたちができないように妨害したので、できなかったのであって、そうしなかったなら既にできていたはずです。十八年の歳月が流れてしまいました。統班撃破を完了しても余りあったでしょう。そのようになっていたなら、大韓民国は心配しなくてもいいのです。このだらしのない者たち、みな首を切ってしまったことでしょう。

 私たちが活用しなければならない人たちは、アメリカやソ連に行って来た人たちです。その人たちが多いのです。この人たちをどうやって核心的な要所要所に配置するかということが問題です。この人たちをみな糾合して、統班撃破のための統長をやらせ、班長をやらせなければなりません。家はみなあるじゃないですか。みんな統長、里長、班長をやらせなければなりません。

 次に選挙するときには、私の手を経なければならないでしょう。これからどうなりますか。私は党はつくりません。党にいるがらくたは私が首を切ってしまわなければならないというのです。統班撃破をして、国を蝕み、不信の風潮を起こす、このような邪悪な群れは、私の手で南北統一を中心として切ってしまうでしょう。

 それと同じように「国が求める人はこのような人だ」と言うとき、そこにふさわしい私が後援するでしょうし、ここについて争い、頭で口先だけのことをいう人たちは、きれいさっぱり掃いてしまわなければなりません。しなければなりませんか、してはなりませんか。国らしい国を見て、生きなければならず、国を守ることのできる国会議員らしい国会議員を見て、死ななければなりません。

 ですから金日成が自分勝手にできません。それで近いうちに統班撃破着地運動を中心としてつないでいかなければなりません。さっき、何人ずつやろうと言いましたか。帰ったらすぐに、十二人をつかめというのです。つかんだその十二人がまた十二人をつかんで、これさえやれば、七千三万の里がみな私たちの懐に敷かれるのです。

 団体を大きくつくれば、被害が大きいです。「統一教会は何でもない」と言うので、無事でした。何のことか分かりますか。アメリカに連れていって教育した人たちは上中下が連結されていないので、これを今回の大会を中心としてつなごうとするのです。そうなれば、統班撃破は問題ではありません。それを知らなければなりません。

 皆さんが父母として侍るならば、愛の起源が同じだし、生命の起源が同じだし、血統の起源が同じだということです。父母に似たという話でしょう。そう、北韓を思えば、歯ぎしりするほどいまいましく、みぞれが降る日が嫌なように、とても嫌でしょう。そのようなことを一緒に感じなければなりません。そのようなことを知って、統班撃破に総力を傾けなければなりません。今年の夏に私が帰ってきて、郡守(郡の長)でも何でも私が会おうと思います。将来、地方自治になれば、私の手を経ずしては、郡の議員、道の議員になれないというのです。

 さあ、統班撃破運動をやりますか、やりませんか。何のためにですか。文総裁ではありません。皆さんが愛する息子、娘とお母さん、お父さんのために、南北が統一されるのが、皆さん自身の願いだけではありません。私の息子、娘の願いであり、私の妻の願いであり、私のお母さん、お父さんの願いです。このように共通の願いとなり、責任を各自がもっているので、この各自の責任を果たさないという人は、民族の反逆者になるのです。

 そう、統班撃破をやるときには、文総裁が出してくれることを願いますか。皆さんがお金を出してやることを願いますか。お金をもらって、給料をもらってそのことをやるのが愛国者ですか。食事を抜き、寒くて、誰も分かってくれない道を歩みながら、愛そうとする人が愛国者ですか。答えてください。二番目でしょう。今はこれくらい分かったので、統班撃破を一生懸命やりなさいというのです。

 私は日本の国会議員たちともたくさんかかわりをもっています。ここでもそうです。私と関係のある人がおよそ百八十人はいます。私がもし悪党だったら、既にみな焼いて食い、煮て食っていたことでしょう。私はそのすきにつけ込むのは嫌いです。

 ある人は、「文総裁が統班撃破まで論じるのを見ると、座ったまま大韓民国を網でしっかり囲み、投網さえ引っ張れば、その中にいる魚を一度に丸ごと捕まえるのと同じように、取って食べようとしている。それで大統領でもなろうとしている」と言うのです。そうですか。(笑い)

 毎日のように何ですか。路傍伝道! その次は何ですか。統班撃破運動! 近いうちに、六月までに終えなければなりません。みな洞、統、班に長たちを配置して、三泊四日の教育を早いうちに終えて、その次は第二次へと急がなければなりません。よくできる人たちは、将来いいでしょう。よくできない人たち、実績のない人たちは落ちるし、協会長、それを知らなければなりません。目標は百二十人です。氏族復帰、ですから近いうちに洞を中心として教会をつくるのです。三千六百個を早くつくらなければなりません。

 統班撃破のための組織の体系化が急がれる問題です。

 これからまず初めにしなければならないことは、教学統連を中心として大学基地撃破運動です。大学がどうやって国民連合を中心として一体となり、方向を保っていくのかということが問題です。そのように大学を中心として連結することを通して、その次には、対社会運動です。社会の有志たち、その地方なら地方の行政機関、あるいは政党の官吏たちを集めなければなりません。それで教授たちが地方の有志たちをつないで、その次に、学生たちは地方の青年たちをつないで、大会をするのです。主要都市で大会をしていきながら、統、班を撃破するのです。統班撃破だというのです。私たちの最後の闘いの激戦地は統、班です。統・班長強化完成、これが目標です。

 統班撃破という言葉は、政党にしっかりしろと、国の政治をする人々にしっかりしろという言葉です。

 言うことを聞かなければ、けんかもやったりしてみなさいというのです。「国を生かそうというのに、どうしてやりませんか」と言ってです。こうして将来、ここに逸する人は、首を切ってしまわなければなりません。何をもってですか。統班撃破の基盤をもって、これからはみな選挙運動です。何のことか分かりますか。

 先生が多年間、統班撃破をしなければならないと言ってきたのは、この一時に使うためでした。そんな時が来ると見ていたのです。先生でもこのような準備をしていなかったらどうなっていたことでしょうか。どうなると思いますか。大変なことになると思うでしょう。大変なことになるところでした。そこに皆さんが選抜されて準備された代表だという意識をもって、「台風が吹いても、地震が起こっても火山が爆発しても、私は抜くことができない。鉄壁のような鉄槌だ」と言いながら出ていかなければなりません。そうすれば、霊界も協助し、国民の心も自然にそこに収拾されるだろうというのです。



  二) 地域奉仕活動で組織拡大


 まだ残りの闘いが残っています。今回先生が指示したことを知っていますか。統班撃破というものを知っていますか。一九八四年から始めて、満六年になります。統班撃破、これが最後のキーポイントです。これさえすべて果たす日には、政治をする人たちもお尻についてくるようになります。

 これからは、私がやろうというとおりにやらなければなりません。民主主義はみな滅びました。民主主義をもってしては、世界を指導できません。今、私が新しい主義を主張するのです。天宙主義方式! 私が国家指導者の選出方法を提示しなければならない時が来るのです。

 目的が何ですって。統班撃破です。完全に主導できるようにしなければなりません。

ですから、洞の責任者は洞長と肩を並べなければならないし、統長、班長と肩を並べることができるようにしなければなりません。これから以北の人を中心として、みなこのような組織もつくろうと思います。ソウルは特別にそうです。

 ホーム・チャーチ組織をつくることによって、統班撃破が可能だし、将来消費者組合が可能だというのです。経済圏がここから……。私たち統一教会のメンバーは絶対に御飯に飢えることがありません。座って立ち上がったと思ったら、新聞も約二百部は一時間以内に配達でしょう……。

 明け方寝ていたらもどかしく、空気も濁るし、これをやればどんなにいいでしょうか。お前たちはみな寝ていろ。こう言いながら夜の王者になって、さっさっと、密命を受けた勅使となって、視察に回ると思えば、どんなに気分がいいですか。

 大韓民国は、今から選挙の準備のために統班撃破を推進していかなければなりません。統班撃破。復帰歴史は、家庭を通じて失ってしまったので、文総裁は、三千里半島に広がっている家庭を通じて上がっていくのです。国を通じて上がっていくのではありません。ある人々は「文総裁が大統領になろうとしてああしている」と言いますが、違います。

 一つ私たちが約束しましょう。これは南北統一のための指導者会議でしょう。統一教会の文先生が今まで何をしたかといえば、縦的にだけ育ててきました。なぜですか。迫害がとても激しいので、今まで何と何があるのか分かりませんでした。今はみなそれは過ぎ去りました。これからは横的につないで、統班撃破、面と洞を中心として結束運動をしなければなりません。

 先生が五年前から何を強調してきましたか。統班撃破とは何ですか。私もみな忘れてしまいました。統班、分かるでしょう。洞の場まで今回の古稀を通じて完全に全国三千六百の洞で大会をしました。

これからやるべきことは、ここに十倍、十五倍、三万六千ないし五万の統、三万五千から五万の統をすべて教育しなければなりません。統を教育するのです。その次は三十一万です。三十一万の班を教育しなければなりません。


  三) 教育強化で組織拡大


 統班撃破をしなければなりません。家庭から始めます。初めはただ歯をむき出して大声でほえていた犬たちが、しっぽを振りながらうれしく迎えることができるように、出入りしなければなりません。故郷で閉まった門を開けるためには、犬が案内役をしなければなりません。夜に行っても昼に行っても、私が行くべき道を行かなければなりません。千の道、万の道、足に豆ができるほど走れ、走れと言って、統班撃破をしなさいというのです。

 大都市の復興会と具体的組織拡充、組織をつくらなければなりません。統班撃破をやって組織をつくらなければなりません。

 統班撃破、分かりましたか。自分の村に、一つの宗氏が一班と見れば、百軒なら何班になりますか。班まで下りていってこそ、李氏なら李氏、朴氏なら朴氏、といってその村全体を動かすではありませんか。家庭で蒔き間違えて、すべて滅んだので、家庭で刈り入れ、栄えることのできる天の国の家庭をつくっておかなければなりません。そのためには、運命をかけて、最後の是非の決定をつけなければなりません。

 教育は長くする必要はありません。一週間ずつ教育すれば、みな終わるのです。統、班を中心として一週間ずつ教育しさえすれば、すべて終わるのです。それが可能になるためには、どうするのでしょうか。洞、統、班の要員さえ四十日修練を受けさせればいいのです。そうしたのち、その人たちを通じて、住民たちを客間に集めておいて、一週間ずつ続けて講義する時間をもつのです。夕食を食べて集まり、昼夜集まるのです。集まって、時間計画表を組んで、集まる数を中心として、教育し、修練を受けたという条件を立てるのです。こうしてそれがみな終われば、統班撃破を完了するのです。そのように標準を決めるのです。

 統班撃破というのは、一つの洞に、平均二十五の統があり、その二十五の統には、二百五十の班があるので、大体三百人と見て、三百名を今まで七日修練したその時間の比重を中心として、二十日ずつ二回、四十日、原理の本を見ながら教えてあげ、勉強させ、七日修練に該当することをすべて教育しておいて、試験をして、五十点以上取った家を統班撃破の班長にするというのです。こういうことは初めて聞くでしょう。私がこれをみな話しました。そのようにやっておけば、終わるのです。南韓でそれをみなやっておけばです。今まで浸透していたスパイたちが摘発され、みな追い出されるのです。そうなれば、金日成は南韓に降伏するしかありません。

 韓国にも今回、統班撃破を中心とした組織をつくっています。ですから安企部から「昔は、何かの大会をするとき、一日に二千四百、二千七百箇所でやった記録がありますが、今はどうしてこんなに静かですか」と言ってきて大変なのです。今は、自分の息子、娘を育てなければならない時です。壁を越えて声が出たらいけないのです。布団の中でささやきながら、教育するときに入ってきたのです。これが統班撃破です。班常会以上の班常会をしなければなりません。それでここで三十人ずつ、五箇所に百五十人集まれば、「あなたたち百五十人が感動を受けたなら、南北統一を願うなら、お父さん、お母さん、親戚の中で誰か一人を立てよう」と言うのです。それで三百人を越えなければなりません。その三百人を中心として洞大会、面大会を指示しました。

 行政機関を中心として、その婦人たちを通して統班撃破のための体制を洞会長から統長、班長まで、二重に配置するのです。教育して配置するのです。このようにして、横的に政府を中心として班長同士一つになり、統長同士一つになれば、四千万がみな私たちの側になって入ってくるのです。一度に入ってくるのです。

政府がこれを知ってから、「これは文総裁に取られた」と言って、じたばたしても駄目なのです。彼らには思想がないのです。ですから私たちを信じざるを得ないということを知らなければなりません。ここで国が完全に私たちに引っ張られていくのです。ですから確実な自信をもとうというのです。

 統班撃破は主にどこからやるべきかと言えば、協会がしなければなりません。きょう話した内容とは何ですか。長子権、父母権、王権復帰は、家庭基盤を中心として祝福家庭たちがしなければならないのです。それをするには、原理講義もしなければならないし、勝共講義もしなければなりません。そしてこれから洞の責任を任された祝福家庭がいれば、勝共連合を活用しなければなりません。もともとは組織において、勝共連合の人々をどうやって信仰化するかということが、一番重要な問題です。この組織が大きいのです。そこに関係した人々を食口化すれば、現在私たち統一教会の教区長の数が問題ではありません。教会の教会員の数が問題ではないというのです。

 急がなければ南北総選挙に備えることができません。それで今から六カ月の間、南北総選挙の準備の全国大会をするのです。これから火をつけるのです。全部火をつけて講義するのです。統班撃破です。これから本当に統、班を掌握して、講義するのです。本当にこれをやらなければなりません。これをやってこそ生きるのです。

 統班撃破というのは、家庭基盤を中心として、しなければなりません。そこにみ言を中心として、真の父母の宣布内容のみ言を中心として、感興を受けさせ、これを連結させていかなければなりません。今回、隊員たちを配置して、テープをみなコピーして、それを上映するようにするのです。それを全部見ていった人に、中間中間に見た内容を記録させるのです。一度だけやってみたらいいです。みな感銘を受けた話をしてあげて、これから南北統一に……。南北が分かれていますが、南韓が内的であり、北韓が外的です。南韓は精神的基準において、心的立場であり、北韓は体と同じです。体が反対してきたのです。体が、サタン圏なので。ちょうどそのようになったのです。

 私の命令のとおりに統班撃破を一度やってみなさい。長くはありません。七カ月さえ死ぬつもりで足の裏に豆ができるほど一度走ってみろというのです。お金もかかりません。これからは私が、「ここまで来い」と言わないでしょう。私があなた方の故郷に行くでしょう。みな行けばいいでしょうが、今ソウルの洞だけでも三千三百あり、統だけでも一万二千あり、班だけでも十二万もありますから、みな行くことができますか。みんな行けないので、推薦してもらって、行って、会うでしょう。

 皆さんがみんな素晴らしい統班撃破をして、神様が誇ることのできる家門を代表した家庭が成されれば、自動的に福を受けるでしょう。そこで幸福の礎が形成され、自由の旗がなびくことでしょう。

 ソウルは、最近みなびりだというのです。もともとはみな故郷に行くのです。故郷に行くのに、これから六カ月の間、期限を決めて、みな統班撃破することのできる組織をつくり、そこに有力な人、既成教会に通っていた将軍たち、長老級たちがいれば、将来、そこにみな配置しようと思います。ソウルはそのように全部配置しようと思います。四十日さえ修練を受ければ、いくらでも導くことができるのです。長クラスは、連隊長やいろいろなことをやったので、組織とか大衆を指導する上では、皆さんはかないません。

 愛の世界には、神様を私の相対にすることのできる特権があるというのです。大きいか小さいかを問わず、そうだというのです。

自分が統班撃破の分野で血と汗を流して、基盤を築いて、一から百までいっぱいに愛があふれ出ることができるように、るつぼをつくっておいて、主人の立場で「神様、一度いらっしゃいますか」と言うとき、神様が来て、「どけ」と言うでしょうか。「私が案内する」と言うのです。「どこに座るか」と聞くようになっているのであって、自分が勝手に座ることができますか。この世の道理がそうです。

 秩序を立てた神様は、被造世界の段階を知っているので、自分が座り、立つ位置を知っているのです。物心のつかない人に対して、「あいつは座る位置、立つ位置をわきまえて生活することを知っているか」というようなことを言うでしょう。同じです。


  四) 教学統連と二世中心の摂理


 道別に全名門校出身の全国大会をして、道を中心として地方組織の責任者たちを選定するのです。

道の責任者、郡の責任者、面の責任者、統の責任者、班の責任者まで選定すれば、これが統班撃破の活用基盤になるのです。このようにしておけば、その名門中学、高校の出身者たちが大体、ソウル大、高麗大のような名門大学出身に連結されるので、名門大学出身全国連合会が自動的に編成されるのです。

 本来、私がアメリカへ行って話すとき、統班撃破時代に教授たちを中心として、中学、高校の先生、小学校の先生まで、いちいち対談して、させたのも、みな父兄たちと連結するための作戦なのです。それで勝共連合の組織をつくって、国民連合の組織をつくり、みなつくったのに……。これをしていなければなりませんでした。これがよくできなかったので、共産党は共産党のままのさばって、みな死の地にしてしまったのです。これに一人で闘ってきたのではありませんか。

 統班撃破運動を教授たち、中学、高校の先生、小学校の先生たちを中心として連結させるのです。彼らを連結させれば、すべて終わるのです。既成教会が歴史の何がああだこうだと言って、反対しますが、みなきれいに越えていくのです。共産党までみな座って、消化できるのです。

 こうしてそこに関係のあるすべての教授たちの前に……。ある教授は故郷がどこでというようなことが、すぐに出てくるではありませんか。百個すべて郷土学校の基盤を中心として、さっとつくり、「ホーム・チャーチの責任者、来い」と言って、夕食は教授たちがごちそうしてもいいです。そうして組織して、共産党を防ぐための地方においての統班撃破、里洞撃破をしなければ、共産党の前に、食べられるのは、実際的問題です。

 統班撃破、それはカープ(CARP)が主導の役割をしなければなりません! 中学、高校の学生たちは、将来、大学生になって、二世たちを包摂しなければなりません!

 今の時は、学舎(注:韓国の原理研究会の寮)を動かすことを重要視しなければなりません。あなた方はみな統班撃破に責任をもち、今教育をしているのではありませんか。二重作戦です。行動部隊として今学舎が立ち上がったので、全面的に後援しなければなりません。無法な振る舞いが起こるこのような風土で、学生たちを中心として、全大協、西大協の者たちが、いろいろなことをやるのを首をきつく締めて、決死的に反対することによって、市民がみなここに……。それで新聞社を早くつくらなければなりません。新聞社、早く急がなければなりません。

 今回、どんなことがあったのかといえば、南北統一運動国民連合をつくって、全国的に統班撃破運動をしてきました。そこに面長の半端者たち、支署長の半端者たち、警察署長の半端者たち、郡守の半端者たち、「どこどこの大学を出た」と言って、腹を突き出してかき回して歩く者たちが加担しました。またそこの面の委員長が誰かといえば、大学教授たちです。みな大学教授たちが配置されて、国を生かそうとするのに、ここの新聞記者の先生たち、自分の故郷を生かすのに加担しますか、加担しませんか。答えてください。やりますか。国を生かすためにもっとやらないと。世界を生かすのにはどうですか。国を売ってでも世界を生かそうとするならば、その民族は世界の祖先の民族になるのです。

 国が必要だし、世界が必要です。これを探していく道がありません。このように見るとき、皆さん教授自身も垂直的愛に九〇角度平衡線愛圏を中心とした愛の球形の理想を成すべき宇宙史的本然の追求を抜け出す道がありません。それは何のことかと言えば、文総裁の言うことを聞けということです。そうでなければ、これに合わせることができません。これをやっておけば、さっと合わせれば、どこに行きますか。家庭に行きます。それで統班撃破とは何かと言えば、家庭に帰って、これに合わせるのです。

 皆さんは文総裁の息子、娘なので、私が世界的に築いたすべての心情圏、同参、同位の相続権とその価値まで、無条件に丸ごとあげたので、故郷に帰って家に行き、根を下ろせというのです。皆さんが根さえ下ろして、しっかり立てば、文総裁によって、世界的情的版図をそのまま相続して、同参することのできる勝利的栄光の立場に上がるというのです。理論的です。真の父母は絶対的です。ですから、宗教でメシヤが絶対に来なければならないという結論がここから出てくるのです。

 「国民連合でも勝共連合でも統一教会でも、あなた方が働くべき場所は、現在の事務室ではありません。統班撃破、これをやっておいて、闘うにしても闘え」と言うのです。誰が班に行って、多くの影響を与えるのか、誰が洞に行って、北韓解放の勇士になろうという人を多く加入させるか、地区長、あるいは議長団のもとに自分に属した族属たちをたくさんつくるのかということを競争しなさい。それを発表しなかったら、みな崩壊していました。教授たちは考えもしなかったでしょう。責任をもった文総裁はどんなに頭を使ったか分かりますか。それで結論が何かと言えば、中央までもすべての郡でも面までも、教授たちが統・班長をしろというのです。

教授たちはみなふろしきを包んで、家庭に行けというのです。愛国の根は家庭に植えなければなりません。面の事務所、郡の事務所、ではありません。家庭に根を……。親孝行、下へ、子供へ……。さあ、文総裁が統班撃破しろという宣言をよくやったと思いますか、間違ったと思いますか。教授たち、よくやりましたか、間違いましたか。それでは統班撃破をしようと夜を明かしてどれほど歩き回りましたか。それが問題です。

 自分のお父さんが亡くなった時の悲しい心情以上の心情をもたなければ、国を生かすことができません。自分のお母さん、自分の一族が死んだ以上の悲しみを感じなければ、南北統一はできません。私はそのように見る人です。教授たちが家に入って手を取り、涙ながらに「南北統一しよう」というむせぶような一言には、通り行くいかなる先生の千の言葉もかなわないと見るのです。

 それで教学統連をつくっておいて、班町内を生かそうというそのような教授がいるとすれば、学生たちと連結させて、その息子、娘たちをみな糾合せよと指示しました。


  ) 宗族的メシヤ活動と統班撃破


 本然の故郷の地に帰らなければなりません! これが原理観です。これをどうやって否定しますか。理論的な結論です。そうじゃないと言う人、手を挙げてください。否定できますか。服従する道以外にありません。それで今、韓国でそのようにしているのです。還故郷しろと言って、自分の村の統班撃破を完遂した基盤の上に国家基盤完遂……。各家庭の出発点を立てて、蘇生、長成、完成を通るのです。家庭は蘇生で、統、班は氏族長成で、国家が完成になるのです。家庭にこの三つが連結されなければなりません。そうでなければ、氏族を連結できないし、国家を連結できないし、世界を連結できません。

 統班撃破をなぜするのですか。今まで政府が私に反対してきたのは、文総裁が家庭まで入れば大変だと思ったからです。文総裁が定着すべきところは、政府ではありません。政府には平和の基地がありません。大韓民国ではありません。それではどこでしょうか。家庭です。アダム・エバの家庭です。家庭を中心として堕落したので、家庭を正さなければなりません。偽りの父母によって、家庭が破綻したので、真の父母が出てきて、家庭を正さなければなりません。

 これからは統班撃破のために、全国の三千六百個の面と統を中心として、組織を編成し、完全に配置するでしょう。ここ本部にいる人もよく知っておいてください。これからはここが自分の故郷ではない人がここに参席したならば、みなぶんなぐるでしょう。なぜでしょうか。宗教世界において、還故郷というプレゼントをくれたのに、なぜ行かないのかというのです。

 今、宗族的メシヤの使命を果たせば、自動的に大韓民国は解放されるのです。これが何かと言えば、統班撃破に連結されるのです。一族を中心として、統班撃破、これが決定される時には、共産党は存在できません。ですから韓国で個人的にサタンの讒訴圏を抜け出ました。

 先生が国家基準まで、実体を中心としてアメリカを中心として築いてきて、アメリカを中心とした国家の勝利的基盤をもたらしたので、ここで大韓民国が国家を経て、世界に行くことができる道を先生が、ここに接ぎ木して、宗族的メシヤ圏を中心として、四千万民族をさっと連結させることによって、これが一つになったというときには、皆さんの家庭には、サタンが讒訴するところがありません。個人で讒訴できる基盤を越えたし、家庭で、氏族で……。三つの宗族を連結させれば、民族が編成されるのです。

 氏族的基盤さえ解決すれば、民族は自動的に編成されるのです。そしてこれからのこれが何かと言えば、統班撃破問題です。統班撃破は氏族圏から始まるのです。部落と言えば部落、統、班はみな氏族圏内にあります。それで先生が今まで、統班撃破という言葉を使ってきたということを知らなければなりません。これから宗族的メシヤになれば、統班撃破が完了できますか、できませんか。完了できるのです。

 それでは、皆さんは、どのように動かなければならないのでしょうか。先生が一生をかけて、苦労したすべての受難の道を推し量りながら、涙とともに自分の故郷、父母兄弟が自分の親族のために、泣かなければならない時が来たというのです。涙でもってエデンの園で別れざるを得なかった親族が、みな四方八方に散らばって、数多くの怨讐国家と闘って、滅び得るサタンの地域になっていたのが、これから再び帰って、涙をもって一つになり、万国を収拾するのです。一つの愛を中心として、万国を代表した家庭を通して、涙で出会うことによって、そこに解放の旗が立てられるとき、万国はそれを中心として、永遠に戻ってくることができるというのです。

 統班撃破という言葉は「破壊させよ」というのではありません。その言葉をもって問い詰める人は「統班撃破が何だ。統班消化と言うとか、解放とか言ったらいいのに」と言うでしょうが、ひっくり返さなければなりません。なぜですか。そこには偽りの愛が残っているし、偽りの血筋が残っているし、自分のために生きよという偽りの生命があるからです。これをひっくり返さなければなりません。

 それで「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きん」、と言いました。あなたの家の中の食口が怨讐だというのです。必ずそうです。その道を行こうとすれば、お母さん、お父さんが、狂った子だと言います。

 統班撃破の意義を知らなければなりません。家庭基準を中心として、思想的な面で一八〇度真の父母の心情圏に帰らなければならないというのです。

 私が語る言葉は私のものではありません。万民のものです。天地のものです。愛で私に伝授された父の伝統を引き継いで、私も真の父母の因縁をもって、無条件で皆さんに与えるのです。私が与えるには、血と肉と精誠を付け加えて与えようというのです。そのような誠意ある気立てを見習って、皆さんの奥さんの心、息子、娘の心、隣人である皆さんの村、さらには、統、班に与えれば、統班撃破がみな終わるのです。

 アダムとエバは家庭から出発できなかったがゆえに、結局のところ宗族的メシヤが家庭定着の問題を解決しなければなりません。それゆえ韓国で統班撃破運動を展開するのです。家庭が定着できるようにするために、今、韓国にいる家庭に先生の写真を掲げる運動、旗を掲げる運動をさせているのです。それは何かというと、完全にサタン世界と天側の世界を分けることです。初めて家庭に真の御父母様のお写真を迎えることになるのです。

 今、統班撃破において、里、統の組織を先生がすべてつくりました。八万世帯に該当するすべての家庭に、御父母様のお写真と旗を分けてやり、七月三日から九日まで、真の父母宣布、救世主宣布、メシヤ宣布、再臨主宣布まですべてしたのです。再臨主宣布とは何でしょうか。真の父母です。メシヤとは何でしょうか。再臨主のことです。

 本然の心情が爆発する一つの起源とならなければ山頂を越えていくことはできません。ヒマラヤのような山頂を越えることはできないのです。何をもってでしょうか。愛の力をもって、死ぬ、生きるということが問題ではないのです。その反面、外部の世界は国が合わさり一つとなって反対するのです。その反対する渦中に責任をもち、行って撃破しなければならないのです。先生一人で闘うのです。私はアメリカに行っても闘ったのです。個人的に撃破! 統班撃破ですね。

 南北統一時代になすべき第一のことは、統班撃破です。今叫んでいるのが統班撃破ですね。統班撃破を通して先生のお写真を掲げ、それから先生の思想を教えてあげるのです。真の御父母様とは誰であるかということを教えてあげるのです。

 還故郷しなさいと言いましたね。私も大韓民国へやって来て頂上をすべて吸収しました。文総裁と言えば「ああ、あの方は愛国者だ!」というようになっているのです。優れた人物だと言われる人々にも「こういうわけで南北統一総選挙に備える全国大会をするのだが、反対しますか、支持しますか」と言えば、「どうして反対などしましょうか。支持します」という通牒を受けてするのです。今まではそのような通牒をすることもありませんでした。もしも反対するならば、私が力比べをしてさっさと押し出してしまいます。私が手を出したら凄まじいのです。いくら大きなことを言ってもしおれてしまうのです。そういうことを知った上で統班撃破をしなければなりません。

 統班撃破というのは、行って銃剣で脅迫し、恐喝せよというものではありません。愛のみ言と、愛の実践を通して夜も昼も活動するならば、おじいさん、おばあさんがタバコを吸い、酒を飲みながらも、あるいは悪いことをしながらも「うちの息子、娘たちも、あの人たちを見習うようにしなければ」と統一教会を褒めるのです。すると酒好きの悪魔もそこから逃げていくのです。けんかしていた者たちも、統一教会に入教してからはけんかをしないのを見て、「うちの息子、娘たちも統一教会の信徒のようになったらいいのに!」と思うならば、サタンはみな逃げていくのです。何のことか分かりますか。

 家庭に基盤を築けば、一八〇度変わるのです。それゆえきのうもお話ししましたが、御父母様の写真を掲げなさいというのです。そうすれば、御父母様の命令と一致し得る立場となるので、あたかもモーセが竿に蛇を掲げたのを見た人は生き残ったように、生きるのです。全くそのとおりです。

 私たち統一教会の旗を見て呪うようなことがあれば、今後目がおかしくなったり、様々なことが起こったりするのです。皆さんが精誠を尽くして掲げないからそのようなことが起こらないのです。写真を掲げるのも、精誠を尽くして掲げれば、指を指して悪口でも言おうものならば、指が曲がるなど、いろいろなことが起こるのです。精誠を尽くしていないから駄目なのです。

 統班撃破のために家庭を訪ねていくのです。アダムとエバの家庭からすべて失い、それが国と世界を失う起源となったので、これからは先生が世界から蕩減して、大韓民国の家庭をすべて包み込んで方向転換するということをしているのです。そうするためには主体思想がなければならないので、真の父母と、真の師と、真の主人の思想を宣布したのです。これを宣布なさった真の父母はどんなお方でしょうか。神様のような立場です。神様は真の父母なので、この地上の真の父母の立場で、真の師の位置、真の主人となるための世界的版図圏を相続してあげるために、今大会をするように教えてあげるのです。これが最後です。分かりましたか。

 統班撃破の組織さえ完了したならば、どの家にも旗を掲げた竿を立て、統一教会の人が、一日に三人も出入りしても喜ぶことのできる、そんな家庭にさえなれば、みな救われるのです。ですからお世話をするのです。反対するなといってお世話するのです。皆さんは私の世話になりましたね。アメリカに連れていって教育して……。明らかに世話になっているのに、真の父母だと言ったからといって、反対することができるでしょうか。先生を中心としてなされたすべての事実、先生のみ言によって精神的分野と物質的分野でみな恵沢を受けたのです。重鎮(注:その社会で不動の位置を占めている人)の誰が反対するでしょうか。ラッパを吹いて太鼓をたたけと言えば、みなラッパを吹いて太鼓をたたくようになっています。そのような段階まで来ているということです。

ですから御父母様を宣布し、歓迎することによって世界の頂上を越えるのです。サタンが今まで舞台としてきたこの地球星の上に立ち、韓国に帰って天国と連結させて、王権、何と言いますか。定着宣布式をすることのできる時となったのです。分かりましたか。ですから押さえつけるのです。精神を統一させてしまえば何も言えないのです。こぶしでなぐるのではありません。考えだけで制圧することのできる時が来るのです。

 今は韓国に帰ってきて統班撃破をするのですが、これは家庭に帰る運動です。すべてのことを、国家を中心に、統から、班から、すべて帰り始めれば、組織として統と班さえ統一すればそれで終わるのです。それは蘇生、長成、完成の三段階を意味しています。自分自身を中心として垂直には家庭と統、班、横的には自分と父、そしておじいさん、このように自分を中心として蘇生、長成、完成の三段階基準をもって家庭転換期に入っていくのです。そのときに何を中心としてそのようになるのでしょうか。真の父母の愛とともに、頭翼思想、神主義が中心となっていくことによって、サタンは歴史を通して何の讒訴条件も押し出すことができないのです。


 六 統一運動と女性の役割


 先生は実に巧みでしょう。良い暮らしをしている女性に統班撃破とか何とかやらせて……。それが皆さんとどんな関係があるのでしょうか。それをしたからといって誰かが認めてくれるでしょうか。しかし、これによって女性解放の伝統的歴史を、韓国の女性が築き上げることになるのです。それが教材となるのです。

先生の教えたみ言のすべてと、皆さんが行動してきたその内容は、今後世界の女性を動かす伝統的教材となるということが分かるのです! アーメン。

 誰がその教材となることができるのでしょうか。楽な立場で八時間寝て、三度の食事をして、暑ければ涼しい所へ行って日陰で休む、そうではありません。日の照りつける中で血の汗を流し、脂汗を流しながら行動することが歴史に残るのです。悲惨であるほどに歴史時代の材料となるのです。皆さんも先生が獄中生活をした話を聞けば、骨の髄まで泣くのです。ですから先生はそのような話ができないのです。獄中生活をした話、それを包み隠さずに話せば、痛哭が巻き起こるのです。そこにはどれほど多くの事情があることでしょう。話さないのです。

 私は一銭のお金も出してあげませんでした。お金を出してあげたのではいけません。お金を出してあげれば、今後国の行く道は遮られてしまいます。国が民にお金を出してあげなければならないという論理が成り立つのです。そのような国はないのです。それゆえ大変でも、統一教会の信徒が血の汗を売って、血の汗を流し、骨身を削って売ってでも、この国のなすべきことをしなければなりません。お金を出さずにこれまでやってきて、今や統班撃破が終わる段階に来ています。うまくできましたか。できませんでしたか。あのように生活が困難な統一教会の信徒がいかにしてやったか、この間全体の報告を聞いて、整理するために私はソウルへ来ました。全国は行くことができず、ソウルが中心ですから代表として来たのです。お母様にそのような話をしたところ、お母様が考えて、今巡回しているのです。

 きょう、よく話を聞いて清算し、新しい皆さんとならなければなりません。先生の願うことは何かというと、男性を通して失敗した統班撃破体制を再び築くために、今現在、里、統基準を中心としてすべての人事をしました。統班撃破が目の前にあるのですから、統一教会の女性たちは寝ず、食べず、遊ばずに、これをなすべき天的な義務があるということを知っているのです! アーメン。そうしようという人、手を挙げてください。

 今まで先生が夜寝ずに一生の間犠牲になってきました。皆さんも同じなのです。統班撃破は自分の一族を中心として百二十家庭をしなければなりません。昔、イエス様の時は百二十門徒がいましたね。それと同じく百二十家庭を自分の指揮下に立てたならば、お金などが問題ではありません。食べて生きるのが心配でしょうか。問題ありません。男性たち、分かりましたか。男性たちは天使長です。天使長は使い物にはなりません。母親を通して生んだという条件を立てなければなりません。ですから再び祝福を受けてこそ天国に入るというのです。

 韓国は女性を立てて救わなければなりません。このような意味から、不可避的に世界平和女性連合の指導者を、地方の女性指導者として立てたのです。世界平和女性連合の指導者たちが地方における郡支部長となり、面支部長となり、洞支部長となり、統支部長となるのです。それは容易なことでしょうか。文総裁はこれを十四年前から準備してきました。ホーム・チャーチという言葉を中心として「地方へ行って一族を収拾せよ」と、これを十四年前から準備してきたのです。それゆえ、七年前から統班撃破を主張してきました。

 来たる四月に、十五万人の女性を中心として、オリンピック・スタジアムを完全に埋めるための計画を立てています。ですから全国の夫人は統班撃破をしなければなりません。男性ができなかったので、女性がしなければなりません。今まで七年の間、統班撃破運動をしてきたのですが、まだできていません。私は三度も、多くのお金を使って完遂せよと言ったのにできなかったのですから、今後は男性を信じることはできません。男性を除いて女性を動員して解決しなければならないのです。男性が統班撃破をするとしても、妻の署名、息子、娘の署名をもらわなければ勝手にはできません。しかし女性は一軒一軒入っていって、夫を追い出して集まることができるのです。分かりますか。なんと便利なことでしょう。女性たちは、群れをなして裏門、正門、門の垣を乗り越えてその家の夫を追い出して、思いのままに会議をすることができるのです。分かりますか。

 皆さんは神様を中心として、平和の世界が早く訪れるように国民を結束して、平和の門を開くために南北統一平和の基準を促進化しなければなりません。これを促進化するための運動が統班撃破運動だということです。分かりましたか。これによって……。南侵したスパイが隠れているところは、女性の懐です。女性のチマの中に抱かれているのです。チマの下に隠れているということです。スパイは南へ下りてきて南韓で嫁をもらって金を稼ぎ、婚家の又従兄弟のところまで入っていって、後援をしたり、町内や一族の者に気前よく施したりするのです。これが南韓スパイの工作費で宴会を開いてもてなすような、名のある立て札を得た人だということを知らなければなりません。これを撃破しなければなりません。

 今までは仕方なく男性にさせてきましたが、これからは違います。家庭教会は、主に男性がしてきましたし、今も男性が主にやっていますね。男性を中心に統班撃破をするのにどれだけお金を投入したことでしょうか。これからは血肉を売ってでも、きちんとした基盤をつくらなければなりません。土地を売るなり、一族の畑を売るなり、一族のお金を集めてでもこれを成就しなければなりません。分かりましたか。今後指令が下されます。七十家庭をして、一家庭で一億ずつ準備しなさいと言えば、七十億ができます。南北統一時代なのですから、それができる準備をしなければなりません。涙と血の汗を流してまとまったお金を作って、夫に知られないように通帳を作らなければなりません。先生は今何と言いましたか。夫に知られないように何を作れと言ったでしょうか。通帳、銀行通帳を作るのです。

 一九七八年より始めたので、すでに十四年目です。十四年前からこのことを始めたのです。皆さんが決死の覚悟でしていたら、どれほど良かったでしょうか! そのようにしていれば、ホーム・チャーチを中心として、統班撃破に連結されるのです。ホーム・チャーチの基盤を中心として統班撃破をするために、男性たちを中心に里まですべて組織したのです。それで洞大会、統大会、班大会まですべてしたのです。

 十二万人いるすべての班長たちに、私の名前で『世界の希望』という本と原理の本を配布してあげたのです。ここにももらった人がいるはずです。そうしたにもかかわらず、男性たちがみな責任を果たすことができませんでした。このことを、この世の遊び事でもするかのように、気楽に考えたのです。ですから、男性たちが責任を果たせなかったので、女性がしなければならないのです。何があろうとやらなければなりません。

 女性たちは、自分の家の家事だけをしていてはいけないようになっています。女性連合を中心として動員したのを見てください。これが動員されたのは人の力によってですか。一番最初、私がアジア平和女性連合発起大会をやると言った時、みな目がこんなふうになって、「女性がいったい何をするのですか。アジア平和女性連合がいったい何をするのですか」と反対したのが、私たち統一教会の教会員たちでした。お母様が前面に立ったので、仕方なかったのでしょう。雰囲気を見れば、反対できないのです。そのようにしながら、女性時代の到来を宣布したのです。それができる時になったので、宣布したのです。これから女性時代が到来するかどうか見ていなさい。

 統班撃破を一九七八年から始めたので、もう十四年になります。十四年間統班撃破をしてきたのは、この時を目標にしてのものです。家庭教会の理念が統班撃破の理念です。それが薄れてきたので、色彩を異にして統班撃破を中心として引っ張ってきたのです。それが七年、七年の十四年かかりました。それ以前から準備して行うのが先生の計画だったのですが、韓国の責任者たちが、それが分からずに責任を果たせなかったのです。男性が二度できなかったので、これからは女性がしなければなりません。

 南北総選挙を実施するようになれば、この南韓はどうなるでしょうか。このような様々な問題……。文総裁は愚か者ではありません。今やすべての準備を整えて統班撃破をするのです。それを何度も訓練しておきました。ですから女性が必要なのです。

 北韓の軍人を女性たちが担当しなければなりません。女性が地上のサタンを担当しなければならないのです。そうして初めて男性が天上世界のサタンを打つのです。両面作戦をしなければなりません。北韓のスパイが住んでいるのですが、それは女性が保護しているのです。女性の懐で……。男性はみな願っていないのに、女性が隠しているのです。これを撃破するために統班撃破運動が現れたのです。今やあれこれすべて分かりました。先生は、いつ皆さんを呼んで命令を下し、使命を果たせと言うか分かりません。できないと言うならば牢獄に閉じ込めておくのです。遊び事ではありません。生死の決断をして勇み立つ道なのです。給料をもらって楽な暮らしをするための場ではありません。野良犬を連れてきて食べさせてやる所ではありません。それを知らなければなりません。天国の精兵をつくるところです。

 統班撃破というのを知っていますか。十四年前からホーム・チャーチのことを語ってきました。多くのお金を使って教育してきました。五年前から「統班撃破」と言ってきました。男性を立てて失敗したので、仕方なく最後に女性を立てるのです。




第四章 宗族的メシヤ活動をせよ

 一 今は東西南北統一の時代


 先生は、南北統一運動をすることのできる基盤をつくるために、一生の間苦労してきました。

これから皆さんは、既に造成された雰囲気の中でその運動ができるので、ずっと容易なのですから、勇気をもって一生懸命活動してほしいと思います。もし南北統一運動に反対する人がいるとすれば、その前に行ってデモをしてでも反対しないようにしなければなりません。

 皆さんが韓国で楽に暮らしながら南北統一の目標が達成できるでしょうか。ここは一線です。世界の一線なのです。ここは世界の焦点だということです。ですから、決意した分、私たちのみ旨を中心として様々な役事が起こると考えられるのです。完全に団結して南韓さえ動かすことができれば、霊界で役事するのではないでしょうか。何が起こるか分からないのです。

 お金がなくてもしなければなりません。自分の家も売るのです。そうすればこそ、天が行く道を守り、責任をもってくれるのです。問題はそこにあるのです。お金に従ってはならないし、体制に従ってはなりません。天の喜ばないお金は毒薬です。滅びるのです。精誠が必要です。これからは教会で泣いた以上に、泣きながら歩くべきです。それは簡単なことです。教会で精誠を尽くした以上に、南北統一運動のために泣きながら歩きなさいということです。

 いかにして統一された体制をつくるかという問題を考えるときに、思想的な面において、民主体制と共産体制を越え、それらを消化することのできるもう一つの統一的な思想がなければならないのです。そのような理論的基盤の上で、統一体制を形成しなければならないという結論が出てくるのです。統一体制を形成するには、この韓国が一つのモデルとなります。韓国を中心とした国民連合の形態をもっているのが、世界の東西南北統一連合です。すなわち韓国が世界のモデルだということです。世界がそれに従ってくるならば、すべてが統一的世界体制になっていくのです。

 今後の問題は世界を動かすことです。そのためにはまず、理念の徹底化、二つ目は組織の強化、三つ目は協同活動によって一致すること。それゆえ私たちは共産主義に対して、共産主義以上に強い組織力と活動力をもって対決しなければなりません。少し発展すれば組織化しなければなりません。

 南北統一運動国民連合は、南北統一運動のための、統一のための運動機関です。そこでは国民が連合して南北統一運動をするのです。そこでは六千万を動員しなければなりません。六千万民族が一つにならなければなりません。六十万を代表として団結させ、新しいエデンに向かって六百万、六千万の団結した旗手が生じるならば、世界は完全に地上天国の基地へと直行することでしょう。

 統一教会には教会もあり、勝共連合もあり、教学統連(注:全国大学教授学生南北統一運動連合)もあるし、南北統一運動国民連合もあります。これらは何をしようというものでしょうか。南北統一だけではありません。南北解放だけではありません。人類解放と共に、神様を解放しようというものです。何を中心としてするのでしょうか。真の愛を中心としてするのです。それを知らなければなりません。

南北統一運動は神様の伝統的思想を中心として南北を統一しようというものです。そうしてすべての国民が新しい建国思想をもって、天国を建設しようというものなのです。

 問題はこれです。歴史の勝敗圏を分ける最後の激戦場の勇士として闘うにあたって、今後迫ってくる激戦、戦争の前に、どれだけ強く雄々しくあるか、どれだけ克服していくか、生死の交差路においても、第二の決意をすることのできる希望ある勇士となれるかということが問題なのです。死の道においても、再び生きて闘うことのできる希望があり、それがかなわなければ再び生きかえって闘おうという思想があるならば、共産主義を吸収することができるのです。

 いまだに統一教会を知らない人がいますね。それは責任を果たせなかったということです。楽に休み、遊んでいる人はいても、この民族に責任をもつ責任者がいなかったのです。骨が砕けても、この山河、あの町の谷間、すべてが私の血の汗のにじんだ精誠の手を待っているのですから、行かなければなりません。自分にそれができないならば、鐘に綱を結びつけて引っ張り、四方にガランガランと鐘の音を鳴らしてでも、ひとつところに動いていくことのできる統一戦線をつくらなければなりません。そうしなければ、いくら南北韓が会談したとしても、統一法案を模索する道はありません。私たちが主体的な立場でそのような道を切り開かなければなりません。

 今はどんな時でしょうか。イスラエル民族がエジプトからカナンの福地に向かって出発する時です。そのような時なので、夜を明かしてでも、ありったけの力を出して、エジプトの地に住んでいるイスラエル民族に、何日、何時にその家を出なければならないと通報をしてあげなければなりません。知っていながらも知らせてあげない人は、永遠の罰を受けることになります。そのようにカナンの福地に向かって出発する時代になったので、私たちは三千万民族全体の前に、彼らが行くにしても、行かないにしても、知らせてあげる責任があるのです。ですから今まで全国的な活動を展開してきたのですが、いまだに統一教会を知らない人がいるというのではいけないのです。

 呻吟の声の高まる、息の詰まるような世界的最後の交差点に向かっていく混乱した渦中で、自分の主体性をいかにしてもっていくかという問題が、今後の韓国において宗教人が解決すべき問題であり、多くの僑胞が解決すべき問題であり、大韓民国全体が解決すべき問題ではないでしょうか。これもいいし、あれもいい、というのではなりません。主体と対象を確実に分けて、天を主体とし、人間を対象として完全に分けて、立つべき位置に立ち、いるべき所にいなければならないということです。それゆえ、息の詰まるような時代の交差点に向かって私たちは今前進しているのであり、今がその瞬間なのです。

 南北が一つとなるためには、北韓を自分の兄弟以上に愛するという愛をもって、養ってあげることのできる南韓の政権にならなければなりません。

 今、全羅道と慶尚道が互いに「自分がやってやろう」と闘っているのですが、そんなことで南北統一をしようというのでしょうか。とんでもありません。そういうことではすべてが滅びます。滅びるのです。このような話は耳に痛いかもしれません。耳に痛い話だとしても、私は正しいことを言っているのです。

 天運に従っていかなければなりません。個人的運勢、国家的運勢も、アジアの運勢を捨てたならば、大韓民国はここで失脚するのです。天運に従って、アジアの運勢に足並みをそろえることのできる大韓民国にならなければなりません。

 大韓民国は、天運に従ってこそ天運の保護を受けるのであって、そうでなければ滅びるのです。その道をいくら知っているといっても、文先生に学ばなければならないという結論まで出したのです。今日も同じです。

 南北が統一されれば、統一された大韓民国は、堂々と世界の前で先頭に立って、世界のために犠牲になることのできる、伝統的思想を残す国家とならなければなりません。そうなれば、この大韓民国がなくなり、主権がなくなったとしても、この民族の思想は今後二十世紀を越えて、三十世紀以降いつまでも残り、必ずや世界を指導することのできる民族として残ることでしょう。皆さんはそれを知らなければなりません。

 貿易することによって南北統一がなされると思いますか。とんでもありません。共産主義思想とはいっても、神様の愛の中では力なく吸収され、消滅してしまいます。私たちが今までそれが分からなかったからであって、愛する心をもつならば、南北統一は絶対に問題ではありません。のみならず東西問題や南北問題も、この神様の愛で完全に解決することができます。このような神様の理想を中心として、世界の理想を消化し、そこで国家の理想を消化し、国家理想から民族、家庭、個人まで連結し得る理想世界の平和的無限景(この上もなく素晴らしい景色)ができることによって、この地上にはユートピアが建設されるに違いありません。

 この時代においての願いは南北統一です。北韓と南韓を統一して、神様が安息することのできる基台を、皆さんの家庭と、私たち民族と世界に築くことを天は願っているということです。それでは何をもって神様にお仕えするのでしょうか。他の何でもありません。自分の母親、父親を愛する以上の、夫、妻を愛する以上の、子を愛する以上の愛を中心として、祭物的な祭壇を築こうというところから、初めて理想的南北統一というものが出てくるのです。理想的東西文化の統合がなされるのです。地獄と天国の解放圏ができるのです。愛をもってしなければ解くことはできません。愛のキーが必要なのです。

 韓国で南北統一がなされれば、世界の統一は自動的になされるようになっています。軍事力、武力を使って統一できるでしょうか。とんでもない話です。軍事力だけならば、私は何でもつくることのできる力のある人物です。しかし軍事力だけでは絶対にできないので、このようにみ言を伝播しているのです。

 我が国の政治を執り行う指導者たちは、国を愛しているでしょうか。国がどうなっていっているのかも知らずに、このごろも民政党やら、新民党は自分が大統領になるといって闘っていますが、やってみなさいというのです。本当に国民と共に生きようという心が彼らにないならば、すべては流れていくのです。いくら立派だといっても、水の泡のように流れていってしまうのです。国民を愛することのできない指導者ならば、国民から、そしてのちには歴史からの審判を免れることはできないはずです。

 分かれた南と北は、そのままでは一つとなることはできません。愛国の同志たちが闘争するその過程では、夜寝ずに、時間を超越し、困難な環境を屈服することのできる心の決意と実践が必要なのです。真に共に生きたい。死ぬにも共に死に、生きるにも共に生きたい。私たちの先祖、霊界の霊人たちとも共に生きたい。そのような皆さんとなることによって、今後南北統一をここから始めるのです。

 北韓があのように困難に処しているのは、北韓が閉鎖社会となっているからなのですが、その事情を知れば知るほど、その治下にある人々がどれほど悲惨か知れません。共産主義が怨讐なのであって、人々が怨讐なのではありません。北韓を眺めながら、かわいそうな暮らしをしている同胞のために、喉を詰まらせて涙を流し、「あなた方の困難と共に私は生きている。解放の一日を準備して皆さんの前に現れよう」と誓い、統一のための実践運動がここから繰り広げられたならば、北韓に行く日は遠くないのです。

 統一をどこからするかが問題です。南北統一は、どこから、何をすべきなのでしょうか。こぶしや力によってでしょうか。力によって屈服させたとすれば、のちに向こうの力のほうが大きくなったときに、再び闘いが起こります。そのような方式では統一することはできません。たとえ以南(南韓)の地で生きているとしても、以北(北韓)に住む人々と本当に共に生きたいという心、一つとならなければという心があってこそ、統一の道が開かれるのです。

 「共に生きたい」というその内幕の共通分母は何でしょうか。それは権力ではありません。権力は歴史を超越することができません。それは一時のものです。知識でしょうか。知識の世界は発展するものです。皆さん、知識の世界で学問とともに、永遠に共に生きたいという気持ちはありますか。私たちが共に生きることのできるものは、知識でもなく、金銭でもないということは確かです。このように考えるならば、上や下や前後左右を問わず、過去、現在、未来の時間性を超越した場で、共通的に認め得る一つの分母とは何でしょうか。それはすなわち愛なのです。

 人間がいかに生きるか、あるいは、私たちの人生航路をいかに行くべきかを念頭において考えるとき、その骨子を要約すれば、孝子の行く道、忠臣の行く道、聖人の行く道、聖者の行く道の根本があるのです。すなわち、永遠に共にいたいと思い、共に生きたいと思う心です。上下を問わず、共にいたいと思い、前後左右、昼夜を超越して、生涯を越えて共に生きたいという切なる思いをもった生涯ではないか、という結論が出てくるのです。

 三十八線を中心として南北に分かれているこの国において、私たちはどうしたらよいのでしょうか。問題の解決をいかにすべきかということが問題です。それは北韓の人々よりも苦労し、南韓の人々よりも苦労することです。苦労の中で立てられた超民族的な愛国心をいかにしてもっていくか、それが韓国を生かす近道であり、解決方案です。悪なる世界と善なる世界を統一するのもやはり同じです。悪なる世界の忠臣以上の忠臣が現れなければなりません。今まで善を志向してきながらも、私たちの先祖が立てた忠臣の道理以上の忠節を主張し得る人が現れてこそ、決裂した歴史を収拾することができるのではないでしょうか。そのように考えるのです。

 今、南北の間で行き違いがあります。方向を異にする立場で、一方は南に、一方は北に行こうとするという二つの別れ道があるので、その目的は異なるのです。いかにすれば統一されるかという問題を考えると、深刻なのです。その主体的な使命を誰が果たすべきなのでしょうか。南韓がすると言えば、北韓が反対するでしょうし、北韓がすると言えば、南韓が反対することでしょう。自分自体にこだわる立場では、再び決裂することでしょう。これをいかにするかが問題です。問題は、南韓の誰よりも北韓をより愛する韓国人が現れなければならないということです。北韓の人が北韓を愛する以上に、北韓を愛する韓国人が現れればよいのです。それ以外には模索方案、解決方案はありません。南韓の誰よりも国を愛する人、北韓の誰よりも国を愛する人、そのようにして一つの道を行く人がいるとするならば、そこから統一方案が出てき得るのです。そのほかに道はあるでしょうか。それ以外に道はないのではないでしょうか。

 今、南北統一を願っているのですが、南北統一するための方案は何でしょうか。次元の高い統一の内容を提示せずしては、統一されることはありません。以北(北韓)から以南(南韓)に来て、また、以南から以北に行って互いに「私の言うようにしよう」というのではなりません。互いに損害を受ける立場では統一はされないのです。互いにプラスとなるところにおいて可能なのです。そうではないでしょうか。男女が結婚して互いにマイナスとなる立場では、一つとなる法はありません。それゆえ互いに利益となることを求めなければならないのです。

 南韓が北韓を武力で打って屈服させるのではありません。私たちは彼らよりも強い思想の基盤をもたなければなりません。彼らが国を愛する以上に、私たちも我が国を愛さなければならないのであり、彼らが共産主義を愛する以上に、私たちも天を愛することのできる思想的な強い力をもち、人格的な面において彼らを自然屈服させることのできる実力者とならなければなりません。そうでなければ北韓を吸収することはできないのです。生活的に潜伏させて、人生観や生涯を通して感服させることのできる、人格的な基準を中心に現れた人格の価値を中心として考えるときに、共産主義の思想で武装した彼らを凌駕する私たちとならなければなりません。私たちが彼らに影響を与え得る環境をもたなければ、カイン国家を復帰することはできません。カイン国家を復帰できなければ、天国を中心とした世界的な国となり得る復帰の国家は、成立しないのです。

 神様が、サタンを敵であり怨讐だと考えて、復讐しようという思想をもっているとするならば、絶対に勝利の頂上を占めることはできません。そのような観点から、神様は「怨讐を愛せよ、怨讐を愛せよ」と、愛の作戦をとってこられました。イエス様のみ言の結論も「怨讐を愛せよ」というものです。

 世界的に迫害を受けたとしても、世界的な怨讐圏に立ったとしても、彼らを愛したという条件を立てなければなりません。この一筋に神様もかかっており、神様の子女になろうというあらゆる宗教界のすべての人がかかっているのです。「怨讐を愛せよ」というみ言は偉大な真理です。内容は簡単ですが、これが神様とサタンの闘いの勝敗を分かつ境界線となってきたということを誰も知りませんでした。

 私たちの願い、私たちの願いは何でしょうか。統一です。統一教会を中心とした統一ではありません。統一教会が祭物となって南北韓を統一する、その統一のことを言っているのです。

 統一教会の行く道は、何をしようというものなのでしょうか。統一です。統一が核心です。


 二 宗族的メシヤ宣布の意義


 先生が宗族的メシヤの宣布をしました。宗族的メシヤ。なぜそれをしなければならないか分かりますか。韓国が先生に反対したからです。それを蕩減復帰しなければならないでしょう。アメリカもみな反対したのを私が蕩減復帰してあげましたから、私が蕩減復帰してあげるのです。そうしなければならないではありませんか。

 どうして宗族的メシヤを韓国と共に世界に宣布したのか分かりますか。これを韓国でさえやれば、世界の国家すべてが真の父母を中心として一つになるのです。霊界でどれほど総動員されたか考えてみなさい。この時だと、みな目に火をつけて解怨成就することのできる、数千、数万年の歴史を蕩減することのできる良い時が来たと、すべてが下りていくことを願っているのに、みな橋を切ってしまったらどうしますか。今はもう国家的次元、世界的次元です。ですからこれがすべて崩れたので、自分が立つ場がありません。立つ位置をつくるには、宗族的メシヤとして祝福家庭を配置して、イエス様の完成、自分の完成、アダムの完成、三大先祖の基準を立てることによって、この地上にいるすべての人間たちを抱くことのできる自由な環境に入るのです。ですから宗族的メシヤの宣布をするようになったのです。南北統一がいい加減にできるのではありません。これをつないでいってこそ可能です。それが家庭的基準と氏族的基準に連結されたので、国家的基準に連結されるでしょう。ですから統一教会と政府が内的に一つにならなければならないのです。

 イエス様が失敗したのち、皆さんに宗族的メシヤを委任して、堕落したアダムと同じように、自分勝手に結婚した自分の親を今になって、「祝福」という神様の天恵によって、堕落していない親の立場に立てるという、それはとてつもないことです。夢のような話です。そのようなことを完成するために、宗族的メシヤを宣布したのです。イエス様は一人で宗族的メシヤを宣布したのです。イエス様は一人で宗族的メシヤ、国家的メシヤになるために送られたのですが、先生は全世界的に祝福を受けた二万五千名以上の祝福家庭たちを宗族的メシヤとして発表しました。この威力というものがどんなものか考えてみてください。

 韓国の統一教会と日本の統一教会は、カイン・アベルとして一つになりましたが、一つになった統一教会の女性たちがプラスとなって、統一教会の団体である国際勝共連合、南北統一運動国民連合など、すべての団体をはじめとして、統一教会に連結された団体のすべての女性たちをこれから捧げなければなりません。どこにもっていって捧げなければならないかと言うと、家庭に訪ねていくのです。どこからしなければなりませんか。家庭です。これを促進化するために、氏族メシヤを宣布したのです。先生の代わりに男たちが行ったので、女性たちがみな収拾して、女性を四人しっかり収拾しておけば、男たちはその国の氏族的王になるのです。そうすれば女性のお出ましを中心として、すべての男性までも収拾することができるのです。教育さえすればすべて終わるのです。

 地で成されることが天でも成され、地における成就が天の勝利として刈り取ることのできる時が来たし、真の父母のみ名と共に今日挙行したすべての式典が、霊界のイエス様を中心として、統一的な霊界と地上の真の父母を中心として、統一的な一つの世界になりました。二つの世界が一つの真の愛を中心とした家庭的な血縁関係を通して、つないでいくことのできる新たな世界拡張時代として、宗族的メシヤを宣布しました。これを受け入れることのできる新婦と家庭、エバとカイン・アベル圏を中心とする真の家庭の基盤において、新郎の心情を接ぎ木することのできる世界的なすべての終末的な清算期間をもたせてくださったのです。

 宗族的メシヤが家庭的メシヤの橋を見失えば、重生することのできる道がふさがってしまうのです。先生がこのようなことを知ったので、人類を解放するために、宗族的メシヤを宣布したのです。これは世界的な革命的事件です。特権的事件、特赦的な事件です。


 三 宗族的メシヤの責任を与えた理由


 宗族的メシヤとは何でしょうか。真の愛の主人です。真の愛の主人、これはイエス様が願い、アダムとエバが願い、神様も願った所願でした。ですから、すべて真の愛の主人になって前進しなければなりません。そうすればすべてが終わるのです。宗族的メシヤになりなさいというのは、氏族的先祖になりなさいということです。

 宗族的メシヤとは何でしょうか。一言でいえば、父親、母親を王権の位置に上げて立てるための役事をすることであり、その次には、今まで愛を中心として父母が始めて、私の生まれた本来の故郷である天国の故郷に行くことができるのです。

 そうでなければ故郷はありません。これをしてあげなければ生まれた故郷がないのです。故郷のないところには父母がいるわけにはいかないのです。故郷が定められることによって、韓国で暮らしていたすべての人の故郷は、今後天国の故郷の地に入り収められるのです。それによって、地も、人間の生まれたあらゆる所が天国に属し、堕落していない立場で生まれた父母の位置を代わりに受け継ぐようになるのです。

 宗族的なメシヤは、一代において氏族を中心として、故郷を案内する先鋒者であるということを知らなければならないのです。モーセのように出エジプトの先鋒者であることを知らなければなりません。盲目的であってはなりません。モーセは何も分かっていませんでしたが、私たちは具体的にすべて知っています。理論的にすべて知っているのです。故郷を訪ねていかなければなりません。

 しかし、カインを探し出さなければ故郷に入ることができないということは原理的な事実です。サタン世界に兄の氏族が残っているので、彼らが自分の氏族に来るように、兄を救ってあげなければなりません。そうしなければサタンになるので、仕方がないのです。兄を救ってあげて行ってこそ、兄が囲いとなり、自分の故郷に帰って、自分の一族を救うことができるのです。そうしなければ、皆さんの母親、父親を伝道しておいても、サタンが再び連れていくのです。引いていかれるのです。そのようになる危険性があるので神様はこのような摂理をせざるを得ないのです。自分の父親、母親、自分の一族、故郷をすべて伝道しても、再び引っ張っていくのです。

 氏族的なメシヤは、まず父親、母親を、堕落していないアダム・エバにします。その次に故郷、故郷を探し出すことによって、どんなことが起こるかというと、王権回復がなされるのです。そうなれば、すべて終わるのではないでしょうか。それをさっと入れるのです。まずは、父母同位圏に立つのであり、次に故郷復帰をするのです。王圏復帰するのです。それゆえ生まれたすべての人々、ソ連でもアメリカでも、生まれた人々が天の国の故郷をもつようになるということです。天国の故郷をもつには、天国の父母をもたなければなりません。天国の父母をつくるのが、宗族的メシヤの使命なのです。

 神様の息子になるためには、垂直の位置に行かなければなりません。東西南北の感覚と前後、左右、上下の感覚すべてを体得することによって、神様が見るときに、見るまでもなく経験したと言うことのできる位置に入ったとき、息子の位置に入るのです。本然の位置に行かせまいと、サタンが百方をふさいでいるのです。サタンが最も恐れることは、神様の愛に接することです。お金も恐れはしませんし、権力も恐れません。神様の前では権力は必要ありません。神様は全知全能なお方なので、知識は必要ありません。全知なるお方に、何の知識が必要でしょうか。知識の王様なのですから。

 垂直の位置で、天にいる神様に代わって地上に降りて、地上から横的な面で宗族的メシヤを送るというのが、今回することなのです。宗族的メシヤは、自分は死んだとしても、必ず世界的に築かれた版図、この鉄柱、垂直的世界に接ぎ木されるようになるのです。それゆえ、今先生は宗族的メシヤを送って、アベル的門中の先祖となるようにしているのです。その先祖は生命の種をもっているということです。メシヤは父母なので、種をもって現れるのです。皆さんの一族と、両親は、サタン世界の種を受けたのです。皆さんが生命の種をもってぶつかれば、どこへ行っても通じます。

 宗族的メシヤは、ユダヤ教、キリスト教、統一教会を中心として、伝統的すべての失敗を圧縮し、勝利的権限をもって仏教、儒教などのすべての宗教が受けることを望むすべての恵みを総合した位置で、決定的核として伝授したものです。それが宗族的メシヤです。皆さんが国家のことを心配する必要はありません。皆さんが世界のことを心配する必要はありません。皆さんの一家のことを心配すればいいのです。

 自らの氏族を復帰するためには、宗族的メシヤの責任を果たさなければならないのです。このような命令は、歴史上なかったものです。宗族的メシヤの立場は、第二の真の父母の立場であり、イエス様の立場よりも上なのです。そのような立場を与えられたという、とてつもない価値があるのです。これは何ものとも換えることはできません。

 なぜ宗族的メシヤとして責任分担を果たさなければならないのでしょうか。最初の理由は、皆さんの父母を救わなければならないからです。父母というのは第一のアダムの立場です。皆さんは第二のアダムの立場にいます。父母を復帰し、再創造してアダムの使命を完遂しなければなりません。

二番目の理由は、皆さんには故郷が必要だからです。宗族的メシヤの使命を果たすことによって、自分の故郷をもつことができるようになるのです。結局のところ、宗族的メシヤの責任分担を果たす理由は、アダム家庭の完成のためなのです。具体的には、氏族を教育しなければならないということです。

 これからは皆さんの根を整備しなければなりません。根はどのようになったのでしょうか。堕落することによって父母が駄目になりました。長子が駄目になりました。それゆえ、真の父母を中心とし、真の息子、娘を中心とした本然の父母圏と長子圏を中心として逆に回して越えなければなりません。そのままでは接線をもつことができないのです。一八〇度反対にしてつけなければ、出発できないのです。ですから皆さんは故郷に帰って先祖を変えるべき運命が残っているということを知らなければなりません。

 皆さんを宗族的メシヤとして送ったのはどういうことでしょうか。昔はイエス様が、霊界からこの地上に縦的な過程を通して送りましたが、今日文総裁は、天を代表した神様の立場で、氏族を代表するメシヤ型の数万家庭を世界に送ったのです。これからは滅ぶことはありません。一九八九年二月三日、午後二時三十分に宗族的メシヤを宣布したのです。

 統一教会教団は、宗族です。宗族なのです。私の血が共に動くのです。私が涙すれば、涙しなければならないし、私が喜べば、喜ばなければならないのです。血族なのです。五色人種を越えて、文化背景の異なるすべての国家基準を越えて、壁を取り払って一つとなった、新たな天国創建のための民族です。この民族が聖なるものとなるとき、天国の創国が顕現するのであり、そのような聖なる創国の民族として生きていくとき、創世界がなされるのであり、その世界の上に、天宙的な地上の天国と、天上天国が連結するのです。

 私が皆さんを祝福してあげました。祝福というのは、イエス様に優る立場を意味します。祝福を受けた皆さんを、サタンが讒訴することはできません。男性も女性も、みな讒訴することはできません。なぜでしょうか。真の父母を中心として血統がつながっているからです。それを見ればサタンも、個人、家庭、民族、国家、世界のいかなる次元においても讒訴できません。それが神様の最終的な観点です。絶対に讒訴することができないのです。それが解放の境地です。ですから今回宗族的メシヤを宣布したのです。

 今、宗族的メシヤになれと宣布したのは、どういうことでしょうか。皆さんが私の代わりに責任を負ってするならば、天が後援するということです。私が過去に、統一教会が困難の中にあったときに開拓したその時代、後援して開拓したその役事を、霊界では今でも間違いなくしているということです。そのとき反対される中においても、統一教会を氏族的復帰時代に発展させた天なのです。今は反対されないのですから、どれほど発展することでしょうか。

 堕落したアダムとエバが失敗したものを、皆さんが再び復活させて、復帰された家庭の資格を天国の天権をもって是認、公布するのです。それが宗族的メシヤ宣布の目的です。

故郷、私も今、故郷に帰りたい思いです。ここソウルにいたくはありません。このように従う外国の統一教会員が故郷へ行ってすべて還故郷活動するようになり、その余波が北韓を凌駕するようになれば、先生の故郷は自然と浮上してくるのです。闘うことなくそのまま通じるのです。水が、潮が先生の故郷に満ちるかもしれないし、通じるのです。それゆえ、金日成の徒党以上の精誠を尽くして、心情的な故郷、カナンの地を編成するのが統一家の使命だということです。ですから今日、氏族的なメシヤになりなさいというのです。

 今先生が皆さんにメシヤという名をあげました。宗族的メシヤ! では皆さんはどうしなければならないでしょうか。メシヤとして何をすべきでしょうか。国家的メシヤ、世界的メシヤ、天宙的メシヤとなるための、すべてのことを準備しておきました。山のような大きな宝物を、皆さんのために準備しました。皆さんがメシヤになりさえすれば、宝石の山のようなこれらすべての相続を受けるのです。水道管のようなものがつながっていて水が流れていくように、皆さんに相続されるのです。

 宗族的メシヤが安物だとでも思いますか。賢明な先生が、メシヤの使命を果たすために一生をかけても至らずに恥ずかしく思うのです。皆さんの前に宗族的メシヤという言葉は、驚くべきことです。イエス様よりも貴い価値ある位置に立つことができるのです。それだけでなく、統一教会に反対して、ありとあらゆる悪態をついていた人までをも、堕落していないアダムの位置に引き上げてあげるのです。そんな話がいったいどこにあるでしょうか。話をしている文という人は、真の父母の位置にいるので、今まで話したことはすべて成し遂げてきました。成されなかったことはありません。

 皆さんは宗族的メシヤ、氏族の救世主という名前をもったのです。ヤコブ家庭においてメシヤが来ることをどんなに待ったでしょうか。何千年も待ちました。何千年も待って迎えなければならないものを、皆さんの氏族の前にメシヤとして任命して送ったのですから、そのメシヤの種子としてどんなに貴いものでしょうか。

 ここに来た皆さんは、金氏ならば金氏家門のメシヤの使命を果たさなければなりません。金氏家門であれば金氏家門、朴氏家門であれば朴氏家門において、天国を創建するにあたって、その氏族を代表して「私がメシヤだ」と考えなさいというのです。救い主だと考えるべきです。金氏家門を救ってやる救世主だと考えなければなりません。そのためには金氏家門の全体を代表して祭司長的な責任を果たさなければなりません。

 今後、最後に残った終着地は何でしょうか。解決方法は何かということです。すべての壁を取り除き、処方するのですが、そのような恵沢を受けるにはどうすべきなのでしょうか。宗族的メシヤにならなければなりません。宗族的メシヤ。これさえ終われば、個人的讒訴条件、家庭的讒訴条件、氏族的讒訴条件、民族的讒訴条件、国家的、世界的讒訴条件を提示するその何ものもなくなるということです。

 皆さんが外地に出て修練し、み旨を中心として懸命に活動した新しい習慣性をもって、その町全体を変革させなければなりません。従っていくのではいけません。神様が何もない中から自己の全体を投入して愛の対象圏をつくったように、皆さん自体を投入しなければなりません。必ず一つにしなければなりません。皆さんの故郷の人々の中で、誰よりも最高の位置につけば、霊界が協助するのです。実際にそうか、そうでないか、見ていてください。そしてビデオ・テープをたくさん作って伝道しなければなりません。

 今日、皆さんは故郷へ帰って、種となり得る存在にならなければなりません。そしてその種が植えられて、大韓民国はもちろんのこと、天地が訪ねていくことのできる、神様がいつでも訪ねていきたいと思う環境を残すことができなければなりません。そうした上で、あの世へ行くときは、天国の息子、娘として愛を受けて生きるに違いありません。このような生涯路程をこれから定立していかなければなりません。

 先生が「故郷へ行きなさい」と言えば故郷へ行くのは、新たな種を植えるということです。アダムとエバの種となったので、皆さんを通して新しい種を植えて、新しい根を下ろそうとしているのです。新しい種を植えるときには、肥やしをかけてやらなければなりません。

 ですから悪口を言われに行かなければなりません。善意の悪口を言われて、多くの苦労をしなければなりません。三年だけしてみなさい。三年も必要ありません。六カ月あれば、すべて終わると見るのです。

昔、皆さんが一次伝道に出るときも、故郷の代わりとして行って百二十軒つくって、教会をつくれと言って追い出したことがありましたね。それは失敗に終わりましたね。その次に「ホーム・チャーチ」をしなさいと言いましたが、それも失敗しましたね。もう最後です。

 宗族的メシヤとして行きなさいということは、自分の氏族のところに生えているものはすべて偽物、野生のオリーブなので、そこに行って、真のオリーブが生えるように、切って接ぎ木をして真のオリーブ畑にしようということです。その一族にとっては、それ以上の福音はありません。国を求めることよりも、世界を求めることよりも、天地を求めることよりも、もっと貴いことなのです。

 韓国統一というのは、統一教会の文先生を中心として統一教会の信徒が完全にプラス・マイナスとなって、私が縦的なところにいれば、統一教会員は横的な基準で走ればよいのです。私が国のためにこの基盤を築いたのですから、皆さんはこの基盤を築くために、南北統一のための基盤を築くにあたっては、氏族が連合せよということです。

 宗族的メシヤが来て、助けてくれとはどういうことですか。協会長! 言ってみなさい。先生は助けてくれという祈祷は一言もしませんでした。また助けてみましょうか。それを助ければさなぎになるのです。さなぎとはどんなものか知っていますか。死ぬほどの力を出し切っても駄目ならば、祈祷してみなさい。祈祷しなくてもお金はついてくるようになっています。そういうものです。

 故郷に帰るにあたって、今後の自分の生活問題、息子、娘の教育問題、このようではすべて滅びます。イスラエル民族が出エジプトするにあたって、出ていかなかった人々はすべて滅びたではないですか。呪われる民族になるかもしれないのです。そのような天的なみ旨があるので、先生があらかじめすべて宣布するのです。宗族的メシヤに関してのことです。


四 真なる心情を本郷の地に植えよう


 個人が安息するには、家庭がなければならないので、今まで統一教会は家庭を探し求めるために闘ってきたのです。また、家庭が安息するためには氏族圏がなければなりません。氏族が囲いとなって吹き付ける風と、それ以外のすべてを防いでくれる責任を代わりに果たすような、そんな舞台をつくらなければ、自分が安らかな家庭で生存することはできないのです。そのためには、親戚を中心として族長になれというのです。

 族長になれば、戦いが起こっても町中の親戚が出て戦うので、族長は作戦を指揮しながら休むことができるのです。ですから先生は皆さんに対して宗族的メシヤの使命をなすように言うのです。

 今までは事実上、他郷での暮らしでした。これからは故郷を訪ねていくのです。故郷へ行って、涙を流して精誠を尽くさなければなりません。イスラエル民族がエジプトに行って四百年間暮らしたのと同じく、私たちは四十三年間そのように暮らしたので、故郷に帰って愛の根を下ろさなければなりません。神様を愛し、父母を愛し、兄弟を愛さなければなりません。

 ですから世界的サタンが讒訴し得る起源を切ってしまわなければなりません。イスラエル民族はそれができなかったので、カナン福地の理想天国を形成することができませんでした。ですからサタン世界に何かを求めてはならないのです。ふろしき包みを背負って歩いたとしても、私たちが一番です。

悪口を言われて歩き、夜には近所の犬にほえられても、私たちが一番です。そのような自負心をもって、父母も堂々と村の天地を、愛の歓声と共に消化することに参与して前進しなければならないということをよく覚えておいて、闘ってほしいと思います。

 皆さんは真の御父母様の前に真の子女の名分をもっているがゆえに、相続権、同位権を付与することができるのです。このような天の特権的事実を信じて、すべてを愛圏の中に投入しなければなりません。神様が投入したのと同じように、皆さんが完全に投入することによって一族が復活するのであり、一族が復活するに従って一国が復活することでしょう。

 自分の郷里を中心として、新しい種として植えてもらうことのできる父母の赤い血筋が自分に埋められ、すべての山野、山河がすべての犠牲の代価をたたえるように、頭を下げるようにしなければなりません。そこに植えられて花が咲けば、初めの花は天の花として、二番目の花は御父母様の花として、三番目の花は自分の長男の花として、四番目、五番目は自分のものとしなければなりません。適当にしてもいいでしょうか。とんでもありません。

 今回故郷に帰ったならば、皆さんもカナン福地に入ったイスラエル民族と同じなのですから、皆さんは故郷に帰ってお金持ちの人をうらやんではなりません。権力者をうらやんではなりません。気を奪われることなく、正しい教育をしなければなりません。

 神様を愛し、自分の後代を愛し、イスラエル圏である私たち民族を愛することのできる伝統が第一です。

皆さんの子を抱いて教会に出入りするとき、彼らに吸収されてはなりません。何千年ぶりに、何万年ぶりに故郷に帰ってきた還故郷の喜びをもって細胞と骨の髄が響くように泣き、血の涙でその地を濡らし、血の涙に浸った聖なる血であるという名が天から降りなければなりません。そこから天国が始まるのです。

 皆さんは故郷に帰って、故郷を復活させなければなりません。イスラエル民族はそれができませんでした。四十年間乞食の群れとなって渡り歩き、帰ってきてからは豊かに暮らしているカナン七族がうらやましく思われ、子羊がうらやましく、家がうらやましかったのです。天幕を張って暮らす身の上だったからなのですが、そうしているうちに国を売り渡し、神様を売り渡すことになったのです。

 それでは、故郷に帰ってどうしなければならないのでしょうか。皆さんと一つになるようにしなければなりません。その方法は簡単です。息子を生んで、天の伝統を伝授する教師となり、「こうすれば天国ができる」という手本を見せてやり、母親、父親は、その町内の母親、父親に「こうすれば天国の部落になる」というのを見せなければなりません。

 そうすれば良いのです。簡単です。夫は妻を、妻は夫を愛し、父母は子を、子は父母を愛する愛の家庭を築いて、それをすべて伝授すればよいのです。

 先生は世界的先祖の位置に立つために、このようなことをしてきましたが、皆さんは、それぞれ皆さんなりに、氏族的先祖になるための伝統を、それぞれの分野に該当する伝統を受け継ぐために、皆さん自身もそのような道を行かなければならないという事実を知るべきです。皆さんの氏族のために、一族のために伝統を立てなければならないということです。これから十二支派が編成されていくことでしょう。ですから伝統が必要だということです。自分のことを考える人は、ここから落ちるのです。

 真なる心情を本郷の地に植えなければなりません。これが植えられなかったのが堕落でした。そして皆さんは皆さんの一族の中で宗長にならなければなりません。

 「神様は宇宙のアベルであり、この世界の人類は神様の前にカインの立場にあるのですが、神様は、僕の僕の体をまとい、養子、子女の体をもまとって、今まで復帰歴史をしてきたので、私たちはその伝統を受けて、自分の氏族のところへ行き、そのような伝統を再び提示し、屈服させる役事をしましょう! というのです。それは長くかかりません。三年、長くても三年です。ですから十年と見るのです。


 五 この時代に我々がやるべきこと

  一) 真の父母を証しよう


 万民の願いは何でしょうか。世界の国家を迎える前に、真の父母を迎えようということです。誰から出発したがるのでしょうか。皆さんの新しい息子、娘は、皆さんの血筋を通して生まれるのを願うのではありません。真の父母の血筋を通して生まれたがるのです。それゆえ真の父母は、新しい未来の出発点になるのです。

 すべてはどこに帰結するのでしょうか。真の父母に会うことに帰結するのです。人類の真の父母が現れることが歴史の願いであり、国家の願いであり、摂理の願いです。ですからそのような真の父母が現れるときは、歴史上で一度しかない定点をなす時であり、空前絶後の時なのです。永遠な世界というものを考えれば、人間の一生というのは、一度呼吸する期間のようなものです。

 真の父母というのはどのような存在でしょうか。真の父母は全体の希望の象徴です。堕落した人類の前に、絶対的な希望の象徴なのです。それは歴史的な結実体であり、時代的な中心であり、六十億人類が生きている今日のこの世界の国家圏の中心です。真の父母は今後の理想世界につながる未来線上における出発点です。

 真の父母というその名(韓国語で三文字)を考えるとき、真の父母によって歴史が治められ、真の父母によって新たな世界になり得る起源が生じ、真の父母によってサタンを屈服させ得る内的な因縁が結晶し、真の父母によって外的な世界を占領しているサタンを征服し、初めて神様を解怨成就してさしあげることのできる中心が結晶するのです。それゆえ、真の父母と共に生き、真の父母の命令を受けて行動することのできる、この驚くべき恵みに、皆さんはまず感謝しなければなりません。

 人間の願いは真の父母に会うことです。死の道を行ったとしても会わなければならないのが真の父母なのです。歴史のすべてを失い、時代のすべてを失い、自分の子孫すべてを失うことがあったとしても、真の父母に出会ったならば、歴史を得ることであり、時代を得ることであり、未来を得ることなのです。そのようなお方がすなわち真の父母だということを皆さんは知らなければなりません。

 皆さんが真の父母と完全に一つとなるときに、国家があり、氏族もあり、民族もあり、家庭もあるのです。天地の栄光の価値すべてを総合した実体基準が真の父母です。真の父母をこの世のお金と取り替えますか。自分の生命を渡して取り替えることができるでしょうか。それゆえ昔とは違うのです。皆さんはどこに行っても真の父母にお仕えするために大韓民国を訪ねてこなければなりません。皆さんの息子、娘も、千世万世の子孫たちもそうしなければなりません。それゆえ統一教会は違うのです。

 統一教会で言う真の父母とは何でしょうか。堕落しなかったとすれば、神様が縦的な愛になり、アダムとエバは神様の体になるのです。神様の体のようなものです。神様は骨のようなものであり、アダムとエバは体のようなものだということです。神様にも心があり、体があります。神様は内的な立場で内的な父母であり、アダムとエバは外的な立場で外的な父母となるのです。内的、外的な父母が一つとなったその場において、愛によって結ばれて内的父母に仕えるようになり、外的父母をもつことになります。神様と人間との愛の結託によって、真の父母、つまり完成した人間が成就するということです。愛と結託しなければ、完成人間はないのです。


  二) すべての家庭に御父母様のお写真を掲げよう


 御父母様の写真を貼り、統一教会の旗さえ掲げればそれは天国の眷属となるのです。天国の眷属にしようというのです。それゆえ、今回旗を掲げるのをためらっていて打たれた人がたくさんいましたね。本当に不思議です。先生に対して後ろ指をさしたことで、手が悪くなり、幾晩も祈祷して悔い改めて初めて良くなったり。そのようなことが起こるではないですか。なぜでしょうか。

 天運が来ているのに、個人の運勢によって防ぐことはできません。宿命的な道なのです。モーセが杖を持っているときは、それを見ていた人はみな生きました。統一教会の旗を見て行く所ごとに敬拝し、泣いては敬拝し、写真を見て敬拝し、泣いては敬拝すれば生きるのです。

 統一旗を掲げるのは、通りがかりの信徒が空腹であれば、ここに入って休みなさいという表示であり、昼時であれば、昼御飯でも食べていきなさいという表示です。それゆえ、いつでも客をもてなすことのできる準備をしていなければなりません。父母に代わってそのような準備をしなければならないのです。ですから部屋もなければなりません。御父母様が来ないので、御父母様の代わりとしての客に侍ろうというのです。この思想は、天の最高の基準の前に平準化思想を連結させるためのものです。そのような意味で、神様に侍るように、御父母様に侍るように客をもてなしなさいというのです。そのような人は恵みを受けます。

 文総裁は有名です。国のための愛国者だということは、みな認めています。また、私が成した功績には、天下がみな頭を垂れます。そして「あの方の写真をかけている以上、夫婦がむやみにけんかをするわけにはいかない」と言い、息子、娘の前でも「あの文先生の前ではそれじゃあいけない」と言うようになれば、悪いことはありません。自分の両親の写真以上に尊ぶことによって、先祖たちが来て、先祖として侍るのです。また、先祖たちが来て、その家に侍るための祭壇となるのです。それゆえ、天上世界の恵みを受けることのできる道があるので、午前三時になれば、自分たちは寝ていても、(先祖たちが)みな一家周辺の邪悪な悪魔をすべて追い出すのです。

 今日以降、皆さんは先生の写真をもって歩くのが良いのです。そうすればどんな苦難に遭ったとしても、無事に耐え抜くことができるよう保護してくれることでしょう。モーセがエジプトのパロ王からイスラエルの民を脱出させてカナンに導くために、奇跡を見せたとき、長子は患難に遭い、病気になって死にましたが、羊の血を門の柱に塗った家はその患難は避けて通ったのです。霊界は、私たち人間のすべての行動を見ることができるだけではなく、保護もしてくれるのです。

 イスラエル民族がエジプトから出てくるときに、門の柱に血を塗って災いを免れたのと同じように、写真をもっていれば、そのようなことがあるかもしれないのです。先生の写真をポケットに入れておいても分かるのです。このように小さな条件が、門の柱に血を塗るのと同じことになるのです。

 これからレバレンド・ムーンの名声は国境を越えます。あちこちの政治家の中には、書斎にレバレンド・ムーンの写真を掲げて仰ぐ人が多いということを私は知っています。尹博士も私の写真を掲げましたか。毎日あいさつしますか。毎日キスをしますか。熱情的でなければなりません。キスしなければなりません。だからといって失礼になることはありません。神様の愛に代わってキスすることによって、私がキスすることによって、霊界に行った人々に同参圏、同位圏をもたせようとしているのだと言えば、神様は「ノー」とは言わないのです。「そうだ、そのとおりだ」と言うのです。尹世元博士、そうしてみたらどうですか。

 先生のほほえみは、モナリザのほほえみほどに神秘的なところがあるという経験をしたことがあるはずです。ある時はこうで、またある時はああで、数十万種類の姿に見える先生のこの神秘的な姿は、霊界をして皆さんに協助させるという経験を大部分がもっていると思います。霊界の霊人たちはみな、先生のことをよく知っているのですから、この写真を見れば霊界が喜ぶでしょうか、気を悪くするでしょうか。皆さんの先祖がこれを媒介体としてつながることができるのです。そのような良い材料であると理解してほしいと思います。


  三) 氏族復興会をしよう


 これからは家庭復興会をしなければなりません。家庭復興会は皆さんの一族を中心としてするのですが、その復興会は全体の氏族を代表した復興会です。それは韓国だけでなく、世界の多くの祝福家庭が、氏族をつなげた、その氏族を代表した復興会だと思わなければなりません。そのような復興会に世界の人がみな同参するのです。今日韓国にある統一教会は、韓国が基地となることによって、氏族基盤を中心として、世界を代表して復興会をすることができるのです。これがどれほどの恵みか知れません。

 ですからこの復興会の宴会で牛をつぶしてもいいのです。それは皆さんの思いどおりにしてください。鶏をつぶすならつぶして、鶏をつぶしただけの恵みを受ければいいのです。牛をつぶせは牛をつぶしただけの、牛百頭をつぶしたとすれば牛百頭をつぶしただけの恵みを受けるのです。相手のためにというその心情、自分の努力いかんによってすべて左右されるのです。それに比例して皆さんの先祖の解放圏が広がっていくのです。

 今や韓国統一が可能な時になったのです。すべてがそうです。これからは故郷を訪ねていって氏族復興会をすれば、それは歴史的な復興会になるのです。これは国を取り戻そうと三・一運動で万歳を叫んだ以上の驚くべき事件です。歓迎される立場で天理が動き得る、そのような環境をもったということです。このような舞台で自分の氏族を動かせないとすれば、それはもう死ななければなりません。

 歴史というのは、真の真理を求めていく路程です。その真理は、真の個人が生きる道、真の家庭が生きる道、真の社会が築かれ得る道、真の国が築かれ得る道、真の世界が築かれ得る道を提示しなければなりません。そうして個人から世界までの焦点がすべて一致してこそ、世界完成、国家完成、氏族完成、家庭完成、個人完成が可能なのです。このようにぴったりと合わせ得る核となるみ言、すなわち真理をもってこられるお方が真の父母なので、その真理はすなわち神様の真の愛です。

 全世界の人類は、気を確かにもたなければなりません。統一教会の文総裁の教えは、救世の真理なのです。人類が永遠に必要とする真の愛と生命のみ言です。再臨主が世の中を救おうとして来られるとするならば、人類を鉄格子の窓で審判するというのではなりません。たたくことによっては一人として完全に屈服させることはできないのです。手がヒキガエルの背のようにでこぼこになり、曲がって開かなくなるほどに苦労した母親の犠牲的な愛には、不孝者を悔い改めさせ、戻ってこさせる力があるものです。

 棍棒をもってしてはできません。審判の大王であり、天地を思いのままに主導なさる神様でも、真の愛なしには天宙統一は不可能なのです。真の愛は困難が問題にはなりません。自分の生命を投げ出してでも、行くことのできる力が真の愛にはあるのです。

 統一教会のみ言はいいのだが、人は良くないというようになれば滅びます。滅ぶのです。統一教会の文先生は皆さんの前にみ言を語っただけでしょうか。み言を語っただけではありません。先生が今皆さんに教えている内容は、先生がすべて行ってから教えているものなのです。それゆえこれは間違いありません。

先生は知識の面においても、実際的な面においても、矛盾や相いれないということのない理念体系をつくって教えてあげているのです。そこに関しては誰も何も言えません。サタンも公認するし、神様も公認することでしょう。

 神様はみ言をもって私たちを呼んでおられるので、私たちはそのみ言どおりに行かなければなりません。真の父母と真の子女が相まみえるための道は何でしょうか。真なるみ言を通じることです。そのみ言は父のみ言です。父のみ言を知らずしては、子となることはできません。父のみ言が絶対的であり、真のみ言であるとするならば、同じみ言を千年、万年聞いても飽きません。終わりがないのです。

 私たちはそのようなみ言を求めていかなければなりません。そのみ言がある論理的な条件にぴったりと合うといっても、それで終わるものではありません。大原則でありながらも、聞いて、聞いて、また聞いて、永遠に聞いても生命となり得るみ言です。そのようなみ言を求めなければなりません。

 父母のみ言は永遠なものです。時間と空間を超越しているということです。それゆえ、神のみ言は歴史を超越しています。主義を超越しています。思想を超越しています。ですからどこの誰の言葉よりも貴いものです。そのみ言は夜聞いても、昼聞いても、夜見ても、昼見ても、皆さんの心に無限に流れてくるのです。そのようなみ言を求めなければなりません。

 私の恨は何でしょうか。両親の生きているうちに、統一教会に入会するように涙を流し、絶叫しながら勧めることができなかった不孝を残したことです。この恨を、皆さんを通して解こうと思います。

 私の一族を伝道することはできませんでした。八人の兄弟姉妹がいましたが、私は彼らの前で原理のみ言を一言も語ることはできませんでした。兄は私が語れば何でも絶対服従するのです。カイン復帰を完全にしました。家を売れと言えば家を売り、牛を売れと言えば牛を売ってくれるのです。母親、父親が及ぶところではありません。そのような兄に対して、一度も原理のみ言を語ることができませんでした。

 これからは故郷に帰って灯台を立てるべきです。灯台とは何でしょうか。夜、暗いところに灯をともすのです。それはどんな灯台でしょうか。南北統一、東西統一の灯台の灯をともしなさいということです。これからは聖地のその灯を消さないように、灯をともさなければなりません。

 今後皆さんは口を閉じていてはなりません。人が集まってくれば、先生が一九五〇年代に七年間二時間以上寝ることなく、皆さんに昼夜を問わず教えたように、夜も昼もなく七年ぐらいやってごらんなさい。七年間しなくてもよいのです。四年もかかりません。四カ月以内にすべて終わるのです。

 私が故郷に行くならば、もう、あっという間に統一してしまうのです。ですから両親によく教えてあげなければなりません。兄弟たちに本当の意味でよくよく教えてあげなければなりません。自分の手で、人の口を借りることなく、皆さんの血の汗を通して教えてあげなければなりません。精誠のこもったその教える態度を、その姿勢を父母が見習い、兄、姉、弟、妹が見習い、甥、姪が見習えば「家の宝である私たちのおじさん、私たちの弟、お姉さん、私たちの息子、娘」というようになるのです。

 皆さん、これからみ言を宣布しなければなりません。これから原理宣布だと言って、皆さんの町内で八時間でも何時間でも夜を明かして、私が七年間したように、皆さんもそのようにしなければなりません。七年もかかりません。七カ月もすればすべて変わっていくことでしょう。そうなれば私がトラックにいろいろと積んで行くかもしれません。一族が私を招待して。

 先生は七年間一日に二時間しか寝ませんでした。皆さんもそうしなければなりません。私は劉協会長に三年間、十六時間ずつ講義させました。劉協会長が大変がるときに、私が「こら、横になって人を殺そうというのか。先生に横になると言いもせずに横になっているのか」と怒鳴ったことが、今となっては心が痛みます。劉協会長は魚のことが好きだったですから。

 アキアミ(注:甲殻類に属する海老の一種)というのがありますね。アキアミの塩漬けは臭いがして、その横に行くこともできないのに、それがおいしいといって食べたことを今でもはっきり覚えています。今では味付けした牛のカルビー(あばら肉)の片方全部を食べさせてやることのできる時代になったのに、あんなにかわいそうな生活をしていたことを思うと、胸が痛むことがあります。どうしてそうしたのかというと、伝統を立てるためです。


  四) 訓読会を組織化せよ


 先生のみ言は、先生が語ったものではありません。先生が言ったことではないのです。天が先生を通して語られたみ言です。そのみ言は皆さんがいつ、どこで聞いても心が動き始めます。心が感動を受ければ、体に一大革命的変化が起こるのです。そのような力があります。

 集まりがあるときは勉強です。夜も昼も時間さえあれば勉強です。何百回、何千回と読んで、自分のものになるまで、自分がその相対的実体圏をもつまで、これからはそのようなことをするのです。統一教会員は座っていると病気になります。病気にならないためには一生懸命に読んで、試験をして、努力するのです。

 真の父母はみ言の先祖であり、人格の先祖であり、心情の先祖です。

 訓読会は私が千辛万苦して人生において積んだすべての宝の箱を、民族の前で開けて与えることなのです。誰にでもすべて。翻訳もするなと言いました。翻訳できません。私の民族の前に通告するときまでです。それを知らなければなりません。

 時間さえあれば訓読会をしなければなりません。一人でも、化粧室でも訓読会、一日に何時間でも、どこを読んだか記録して、ポケットにみ言の本を入れておいて常に訓読会をしなければなりません。

 『御旨の道』を読み、原理を読むのはもちろんですが『祝福と理想家庭』であるとか、今まで先生の語ったみ言の中で重要なみ言は、サタン世界と対峙して闘ってきた勝利の記録なので、すべて読まなければなりません。ここには御父母様の歴史的記念である過去、現在、闘ってきた内容がすべて含まれているので、私たち統一家が御父母様と一つとなるためには、その内容と一つとなりながら、そこにあるそのみ言と相対的な基準をつくっていかなければなりません。自分を中心として、家庭を中心として、自分の一族、七代まで、そして横的には百六十家庭、百八十家庭を中心として完全に一つとなってみ言を定着させなければならないのです。

 訓読会は祝福家庭の夫婦二人きりでもしなければなりません。毎日朝一時間ずつ。もし朝にできなければ、夜寝る前に十二時でも一時にでもすべきです。私はしています。今回南米を巡回したときにも、十二時を過ぎて疲れていても、それを実践したのです。一日も欠かすことはできません。分かりましたか。読んでみるべきです。『祝福家庭と理想天国』! この本は祝福家庭の内容をすべて教えてあげたものです。先生がそれをめぐって闘ってきた勝利の基盤を、ハイウェイを切り開いておいたので、ここに高速道路をつくって皆さんはすべて自動車となり、ガソリンとなって、自動車でここを最高のスピードで走らなければなりません。

 私たち統一教会の原理の内容を、嫌気がさすほど語ってみなさい。一度嫌になるほどやってみようということになれば、どんなにおもしろく、どんなに良いか知れません。み言が創造の能力をもっているという事実を、確実に知らなければなりません。私がどこへ行こうとも、天が共にあるということを知っているので、その心情が直接大衆に影響を及ぼすのです。どういうことが分かりますか。

 今までの先生の説教をまとめた説教集をすべて読んだ人は手を挙げてみなさい。こら! どんな教育をしたのですか、協会長。先生はその説教集の中でも深い内容は語れませんでした。今でも語ることはできません。み言の貴さを知り、み言の下には生命の源泉が、湧き水の源泉、水の源泉ではありません。降水ではありません。その生命の源泉が流れているということを知らなければなりません。自分個人の家にその湧き水のパイプをひいて、永遠の生命水が湧き出すような道を模索しなければならないというのが、統一家の群れの責任であるのに、何をしてきたのですか。あれはみな古物屋に売る本なのですか。

第五章 再出発のための私たちの決意


 一 再出発の決意


 さあ、滅びるわけにもいかないし、死ぬわけにもいきません。生き残らなければなりません。生き残るためには、そのままでいてはならないのです。敵を越えていかなければなりません。敵を越えなければならないのです。敵を越えれば天国です。ですから還故郷したところから敵を越える日には、天国の版図が広がるのです。統一民族圏ができるのです。

 それゆえ、皆さんが今回同行することによって、一千万の心の中に還故郷の火をともすことのできる良い機会です。こうして底辺から侍り、抱き、兄弟の愛をもって南韓の同胞と北韓の同胞が兄弟のように自らのすべてを分かち合いつつ、そこから再出発するのです。そこには国家観はありません。カイン・アベル時代に国家はあったでしょうか。国家がありましたか、ありませんでしたか。国家の後援を受けてはならないのです。国家の後援があれば、両者とも滅びるのです。

 以前、分水嶺を越えると言いましたね。古稀のとき霊界に通じる外部の人が、踊りを踊りながら「今や文総裁が三十八度線を越えた」と言いました。それは敷居を越えたという意味です。幸福の世界が来るということです。すべてそういうことです。

 そのようにして一九九〇年代を越えなければなりません。これを越えれば統一教会は一瀉千里に発展していくことができます。今回の古稀からは……。七十歳ですから七千年、七数を蕩減して八数時代になるのです。八数は解放の数、再出発の数ですね。

 ですからアメリカが共産党滅亡宣布をしたのです。すべてが終わったのです。本当に不思議です。それも私たちが大会を終えたのちの七日と八日でした。

 このような難局の時期が来ることを天は知っていたので、神のみ旨を中心として新たに再出発する準備をさせなければなりません。その位置にあるべき宗派、教会、あるいは宗団とはいかなる宗団でしょうか。統一宗団です。

 その名のとおり「統一」という言葉は指導を受ける位置での統一ではありません。「統」には率いるという意味があるのです。率いなければなりません。主体的中心をもって相手を教育し、主体理論の理想的な同伴者として、相対圏を形成することのできる内容を備えなければなりません。それが統一宗団、統一教会です。

しかし、それはこのレバレンド・ムーン一人の構想から始まったものではないのです。歴史性を超越した内容を中心として始まったという事実を今日の世界は知りませんでした。

 孝子の道を行くためには、有史以来の迫害が迫り、困難な峠が多かったとしても、それを克服することのできる余裕満々とした男とならなければなりません。患難と試練の中でもまれ、後退の余念をもって悲しみの恨の道へと戻っていくのではなく、億千万世の苦衷と受難の道を克服し、克服し、決意して誓い、あすの希望に満ちた再出発の道を促していきながら、死の道も見分けていくことのできる道を残して行かなければなりません。そのような歴史的要求と、神様の要求があるということを知らなければなりません。

 世界平和連合構想をそのときから始めたのです。それを今年八月末までに終わらせなければなりません。世界平和宗教連合も同じです。これが九月を越えてはならないのです。八月は世界的な再出発をする月なので、それを形成しなければなりません。そのために七月一日の神様祝福永遠宣布式をしたのです。蕩減路程をすべて越えなければならないのです。そして宗教圏まで一つに結んで宣布しなければならないのです。それが八月二十八日です。そのときまでに宣布式をして、その次に九月一日に新たな出発をするのです。すべてが越えるのです。そしてこれからは、世界は進んでいた道に背を向けて、すべて先生に従ってくる群れとなっていくのです。

 皆さん、皆さんがそのように「ため」に生きようという生き方をすれば、歴代の先祖の基準を越えて、歴史上初めて必勝の勝勢者として神様の息子、娘だということのできる天道の道を行く巨人の人生に出世するのです。そのような時代になったのです。皆さんが自分自身の生涯を再出発させることのできる、驚くべき時代になったのです。


 二 真の御父母様の伝統相続の姿勢


 皆さんは堕落した息子、娘です。本来は、一人ではその位置に到達することはできません。皆さんは堕落した位置にいるのです。それゆえ、まず真の父母に学ばなければなりません。その場で互いに一つとなることができ、そこで真の愛が生じるのです。それが最初のエデンの家庭の伝統になるのです。真の御父母様なしに、どうして真の愛と伝統を学ぶことができるでしょうか。御父母様なしにはそのような相続がなされるはずはないのです。分かりますか。

 父と母は、真の愛で愛する息子、娘に自分のすべてを相続しようとするのです。宇宙の相続は愛の伝統の上で、同等な愛の価値的位置を見いだすときに、そのすべてのものを心置きなく一〇〇パーセント相続するようになっているのです。ですから父母は孝子を望むのです。孝子とは何でしょうか。父母の永遠なる愛の同参者として愛を相続しつなぐものです。

 皆さんは、皆さんの家庭の主人がどんな人だったらいいでしょうか。どんな人を主人の位置に置きたいでしょうか。父親でも、おばあさんでも、家族はみな、どんな人を相続者にしたいでしょうか。より愛する人です。おじいさんが最もその家全体を愛しているとすれば、家族はおじいさんにすべてを報告するのです。お父さんをさておいても、それはどうしようもないのです。それゆえ、一つの主人となることのできる者は、愛の心をもって「ため」に生きる者です。愛の心をもってより「ため」に生きる者が、その愛の家庭の伝統を受け継ぐのです。より大きな愛をもって「ため」に生きる者が永遠なる相続系列に同参するということを知るべきです。

 皆さんは家庭で「孝子になれ」と言いますが、それはどういうことでしょうか。真の愛の中に入りなさいということです。それでは「相続者となるようにしなさい。愛国者となりなさい」というのはどういうことでしょうか。国を相続しようということです。「聖人になれ」と言いますが、それはどういうことでしょうか。世界を愛せよということです。「聖者となれ。神様の息子となれ!」と言いますが、それはどういうことでしょうか。神様の愛に同参して宇宙全体の相続権を受け継ぎなさいということです。そのすべてを相続することのできる伝統的な道があるがゆえに、今日まで堕落した人間世界において、このような論理的な段階に発展することのできる基盤を連結させてきたのです。それゆえ宗教の目的や、求道の道が可能であるということを決定づけることができるのです。何ゆえにできるのでしょうか。愛のゆえです。

 今までこの道を切り開いてきた神様の道がそうだからです。神様の築いてきた伝統を相続してやるには、皆さんがこの道を行かなければならないのです。皆さんが苦労するのを見て喜ぶのではありません。苦労して切り開いてきた、その心血を注いだすべての福の恵みを、皆さんに無条件に祝福してくださる天があるということを知らなければなりません。その位置で相続を受けてこそ栄光となるのです。神様はそこで暮らすのです。十字架で蒔いたのですから、十字架で取り入れなければなりません。それを知らなければならないのです。涙で蒔いたので、涙で取り入れなければなりません。

 私たちが神様の摂理全体を相続するためには、その伝統に忠実でなければなりません。伝統に忠実な者となったのちには、どうすべきでしょうか。そこからは責任をもたなければなりません。責任をもたなければならないのです。責任をもったならば革命を起こさなければなりません。この伝統が父の前に正しくないとするならば、その伝統を全体の前で相続させるためには、社会環境の矛盾したすべてを打開するために闘争しなければなりません。そうしなければ発展がないのです。それゆえ、皆さんがそのような歴史的な因縁を相続し、時代的な開拓者の責任を果たすためには、神様の復帰摂理に関する歴史的な純粋な伝統を受け継がなければなりません。そして、現在の生活的環境においてそのような責任を負い、未来の新たな理念の礎を築くために闘争していかなければならないということを、よくよく心に刻まなければなりません。

 同じ父母をもち、兄弟の因縁を共にしなければなりません。そうして一つの父母の生活と、習慣と、伝統をそのまま相続しなければなりません。そして、天が喜ぶことのできる家庭形態を備えなければなりません。そうしてこそ家族ができるのです。

 立派な国をもちたがっている人が、「ただ遊んで食べて、人と同じようにしながら立派な国をもとう! それはどんなに素晴らしいことか!」と言っているとするならば、その人は悪魔の後継者に違いありません。立派な氏族と民族と国をもとうとするならば、一家ではなく、一族を、自分の氏族を……。そのような世界を願うならば、まず一国を投入するということをしなければなりません。そうしてこそ、立派な世界を相続することのできる摂理史的伝統の位置に立つのです。そのとおりです。

 皆さんのお母さん、お父さん自体が生命をもって生きているのですが、そこに愛というものがなければ、関係を結ぶことはできません。また、愛がなければ、前後左右のいかなる因縁も相続することはできないのです。それゆえ夫婦となった男女は、必ず父母の愛を伝授してもらわなければなりません。父母の愛を伝授してもらうと同時に、子女にその愛を伝授する伝統の上に生命の軸を立てなければなりません。

 天国とは「ため」に生きる人の行くところです。自分を世界に投入しつつ、世界と連絡し、世界を抱いて、世界以上の位置を、神様に侍るための愛を求めてさまよう人が、天国の主人となるのです。そのようなことを誇らなければなりません。自分から自分の母親を誇り、自分の妻や夫を誇り、息子、娘を誇り、兄弟を誇り、皆さんのお兄さんを誇るには、そのような伝統を中心としてこれを国へと拡大して適用し、その公式を世界に適用し、天宙に適用しなければならないのです。そのような人はどこへ行っても同参、同位、相続権をもつことができます。

 それゆえ、神様が私のものとなるのです。神様の愛が私のものになるというのです。神様の行くところはどこでも同位、同参することのできる権限があるということを知らなければなりません。この驚くべき事実を知ってから他のものを求めていこうというのなら、行きなさいというのです。雷が落ちることでしょう。そのようなことを求めていくのが統一教会の道であるということが分かりました。

 息子、娘が、自分のことばかり考えるようであってはなりません。私のように、天地のために、人類のために生きるには、より強く、より次元の高い伝統を受け継ぐことのできる息子、娘にならなければなりません。そのように考えるのです。だからといって、誰も不平を言うわけにもいきません。それゆえ、統一教会の教主の後継者には誰もがなれるというわけではありません。血統を受け継いで、「ため」に生きる伝統的な愛と一致することのできる息子、娘にならなければなりません。より次元の高いお母さん、お父さん以上の息子、娘とならなければならないのです。そのより高い息子、娘は、侍る生活をしてみなければなりません。出たり入ったりする人はなりません。それゆえ、相続も、高い次元の息子、娘がもっと「ため」に生きようという基準で相続しなければならないので、長孫(孫の中で一番上の男の子)が必要なのです。

 皆さんは南韓の地においてどうしなければならないのでしょうか。北韓を取り戻す前に、南韓はアベル圏の中にいるがゆえに、皆さんがアベル圏の中に入ってこの世界版図まで上がるように、先生が引っ張ってあげなければなりません。ずーっと上がってきたこの基準を皆さんが相続して、皆さんの誰もが先生を代表し、世界を代表し、国家を代表し、氏族を代表し、民族を代表して、皆さんの故郷に帰って、皆さんの家に根を下ろすのです。真の夫婦の愛を中心として、本然の伝統基準をここにしっかりと根づかせることによって、先生の世界基準の根が完全に根づくのです。

 教会をあとにして、みな家に帰って自分だけがよく食べ、いい暮らしをするというのではなりません。帰ってから第一にすべきことは何かというと、教会を整備することです。次に、自分の息子、娘から後ろ指をさされるようではいけません。物乞いになって人の世話になるようであってはなりません。血の汗を流し、正義の真なる血肉の価値を通したその基盤において、息子、娘を養い育て、息子、娘に新たな伝統を教育しなければなりません。のみならず、自分の一身を投入してその一族を生かしたのちに、一族が自分を定着させてくれて初めて私が生きるのです。さもなければ潔く祭物として消えていこうという犠牲的精神をもつ、そんな相続者がいなければ、この南韓の地が天国の基地として残り得る国家の基盤はできないということを、はっきりと知らなければなりません。

 相続は天の名によって、天の命令によってなされるものです。相続は民主主義式ではできません。もしそうであれば滅びます。国会の相続、授権政党というものを、自分たちが偉いからといって自分たちの手段方法をもってしてはいけません。国の伝統を立てなければなりません。命令によってなされるものであるがゆえ、命令を受けることができなければなりません。そのような社会にならなければならないのです。それを分かってほしいと思います。

 今回皆さんを配置したのですが、それは皆さんが愛の主人、サタンが愛してきたそれ以上の愛をもって、主人意識を回復した立場に立ち、神様に代わって、イエス様に代わって、先生に代わって、子孫として堂々と伝統を受け継ぐ天の相続者としての権威をもち、主人の役割を堂々と果たしてくれることを願って故郷に送ったというわけです。これまで故郷では私たちに反対してきましたが、これからは順応できるようになりました。文総裁のもとに従ってこれるようになっているということです。

 愛には相続権があるのです。驚くべき事実です。この世でも、親が相続権を与えるときには、父母を愛し、国を愛し、兄弟を愛する人に与えようとします。それはなぜでしょうか。その伝統の歴史的起源、出発の起源に合っていて初めて正しい種となるからです。それが分からずにいたのです。

 歴史上どんな父母にもそれはできません。私が最高の伝統を立てました。そのような伝統を皆さんに相続してあげようというのです。皆さんは何をしているのですか。これから季節が変わります。春が来るのです。お父様は春だけではありません。四季……。そのような態度でやっていくのです。

 生命よりも貴いものは何でしょうか。私が貴いでしょうか。私の生命よりも、もっと貴いものは何ですか。それは愛であるがゆえに、高い愛をもった人の前に忠誠を尽くさなければならないのです。

 それゆえ、家庭に入れば父母の前に服従するのです。愛の最も高い位置にあるのが父母の愛であるがゆえに、その愛を慕う息子、娘は、千年、万年順応しながら、その愛を相続するために、山奥をさまようような立場にあっても良いというのです。あの臭い肥やしを頭からかぶっていても、父母を愛する伝統を受け継いでいかなければならないという立場で、「孝行しなさい」という父母の言葉を永遠に誇ることのできる愛を相続するのです。そうならなければなりません。

 先生がこの世を去るときの贈り物として、何を残していくかということを考えるとき、それが最高の贈り物なのです。それは天地を渡しても売り買いすることのできないものです。その贈り物は、先生が真の父母だという場合、真の子女がいたとすれば、血統的に一つに結び付けてくれるものです。血統的に一つとなったというのは、生活はもちろんのこと、環境のすべてまでも収拾されます。父母に代わる者、父母に代わって愛する者であるがゆえに、父母のみ言を相続し、父母の文化を相続し、父母の生活方式を相続しなければならないのです。それが伝統的な道です。


 三 真の愛を植えよう


 愛によらずしては、一つにすることができません。二つを一つにするには、言葉をもっては不可能です。二つが一つになるためには何がなければならないのでしょうか。物質によって一つになっている場合、物質がその場を離れたならば、逃げていってしまいます。第三者の紹介によって、ある事情を通して一つとなったとする場合、その人がいなくなれば去っていってしまうのです。二つが一つとなるためには、永遠に一つとなるためには愛がなければなりません。愛以外のものではなりません。

 神様を中心として考えるとき、根本は愛です。愛があれば統一は自動的になされるのです。サタンよりも水準の高い愛で愛すれば、サタンも引かれてきます。神様は最高の善と愛を与えるために天地を創造なさったのです。

 愛が偉大なのはそれです。上下、高低の距離を超越し、空間と時間を超越して、共同所有の理念を即時に共有し得る圏内に参ずることができ、参加することのできる能力が愛の道にある! これは驚くべき事実です。

 愛があればどうなりますか。どうなるでしょうか。すべてが遠ざかりますか、それとも近くなりますか。愛はどうして良いのでしょうか。それを知らなければなりません。遠いものも極めて近くに、一つにすることができるのです。東洋人と西洋人を政治力、軍事力、文化の力で一つにできる人はいるでしょうか。文化の力、経済力、どんな力をもってしてもできません。何がありさえすれば一つになるのでしょうか。愛というものがなぜ良いのか分かりますね。

 人間が愛を最も好むのは、愛は全体を統一して私のものにすることのできる主体だからです。人は愛がどんなに良いものか完全に知るよしはありません。ですから先生が愛をもって出てきたのです。

 愛の心は、愛の力は、殺そうとしていた怨讐までをも一つにするのです。極と極、反対のものを一つにすることができるのです。女性と男性は、極ですか、それとも極ではないでしょうか。女性は女性同士で好むでしょうか。女性が二人きりで「私はあなたの手にほれたの。ああ、なんて良いのでしょう」と言ったとすれば、どんなに気持ち悪いことでしょうか。

 統一の方案はどこにあるのでしょうか。「ため」に生きるところにあります。それでは南北を統一するのに金日成の言うとおりにするというのでしょうか。金日成の言うとおりにするのではありません。愛が宿るものは何であっても「受けたい」と思うような良いものであるがゆえに、その良いという立場において永遠に与えることのできる位置に立てば、北韓も統一されるのです。現在北韓の民が暮らしている以上の立場で、永遠に与えることのできる基盤さえつかめば、共産党の宣伝などは通用しないのです。大韓民国が、経済分野、生活分野、知識水準などすべての分野で優越な立場にあり、永遠に与えることのできる立場に立てば、一つになるなと言っても完全に一つになるのです。

 善は何かにぶつかるたびに発展するのです。行く先々で百勝するのです。困難なように見えてもこの原則に立脚すれば、この原則が間違っていない限り、必ず勝利をもたらすのです。この原則によって生き、この原則に立脚して犠牲になる人は、必ず勝利するのです。自分が得た利益を自分の利益と考えるのではなく、より大きい国家の利益とみなし、勝利したならば、その勝利した価値を自分のものとしてではなく、国のものとして、世界のものとして返す、そのような思想を繰り広げていく団体があるとすれば、世界が滅びることはあっても、その団体は滅びないはずです。そのような内容をもった統一思想は滅びないということを、皆さんは知らなければなりません。

 借りをつくっては統一ができません。借りをつくるところに統一はありません。借りがあっては天国を築くことはできません。借りをつくっておいて復興するという法はありません。借りたものの何倍もの利子をつけて完全に返すことのできる余裕ができたときに、富国が設定されるのです。天国というのは富国の中の富国なので、借りのある立場では不可能だということを知らなければなりません。

 結局のところ、どこに行かなければならないのでしょうか。愛を求めて行かなければならないのです。お金も貯めて、世界も支配し、学者にもなり、人が良いというものはすべてしてみたところで、すべては使い道のないものなのです。ですからどこへ帰らなければならないのでしょうか。真の愛と一つになった自分自身、体と心、すなわち、神様の縦的人と横的人が一致する自分、このように一致した男女が神様の縦的愛を中心として、永遠に核が骨のようなものとなり、その体が回る、一つとなるそれ以外にはないのです。

 これから皆さんは天国の愛の僕として暮らすと考えるべきです。天国を築く愛の僕であり、愛の秘密結社隊員であり、スパイ工作情報要員だと考えるべきだということです。だとすれば何でもできないことがあるでしょうか。生きるためには男性が女性の仕事をすることもあるのです。乞食のようなことをすることもあるのです。国を生かすため、自分の一族を生かし、自分の国を生かすためには、自分はそれ以上のことでもできるという心の姿勢をもって実際にそのように行動するならば、村は黙って屈服するのです。

 真の愛を中心とした幹の根と、真の愛を中心とした真の幹の芽が必要です。皆さんのような芽ではなりません。ですから涙を流し、血の汗を流して、皆さんが、この地上に生きては去っていった多くの人以上の愛で、地のため、村の人のため、民のために愛したという基準を定めることによって、皆さんは正常な根を下ろし始めるのです。

 皆さんは真の御父母様の前に真の子女の名分をもっているがゆえに、相続権、同位権を付与することができるのです。このような天の特権的な事実を信じて、すべてを愛の圏内に投入しなければなりません。神様が投入したように、皆さんが完全に投入することによって、一族が復活するのであり、一族が復活するに従って一国が復活するのです。

 先生は世界的先祖の位置に立つために、このようなことをしてきましたが、皆さんは、自分なりに氏族的先祖となるための伝統を、それぞれの分野に該当する伝統を受け継ぐために、皆さん自身もそのような道を行くべきだという事実を知らなければならないのです。皆さんの氏族のために、一族のために伝統を立てなければならないということです。これから十二支派が編成されていくのです。ですから伝統が必要なのです。自分を考える人はここで落ちてしまうのです。

 皆さんが故郷へ行くときには、真の愛をもって行かなければなりません。真の愛をもって故郷に行って、真の愛を植えて愛するならば、皆さんが先祖となるのです。皆さんが一代目の先祖となるのです。皆さんが朴氏だとすれば、朴氏として天国に接ぎ木され得る一代目となるのです。このように考えるならば、皆さんの父親は、逆に皆さんの息子格になるのです。


 四 愛の根を故郷に下ろせ


 今までは勝手に生きてきたとしても、これからは深刻なのです。私が敗者であるか、勝者であるかを決定すべき責任があるのです。その責任は先生にあるのではありません。皆さんにあるのです。敗者の覇権をもって帰るのでしょうか、勝者の覇権をもって帰るのでしょうか。どちらですか。真の御父母様が勝利し、神様が勝利したその内容をもって帰らなければなりません。その内容は他の何物でもありません。故郷に前進することです。世界を縮小して私の家庭にすべて反映したものなので、それを求めてきた御父母様と神様の蕩減歴史を考えるとき、人が訪ねてきたならば、涙で迎えてあげなければならないのです。ある人が自分を訪ねてきたならば、夜を明かして話をしてあげても疲れることのない心情が伴わなければなりません。

 イスラエル民族がエジプトへ行って四百年間暮らしてきたように、私たちが四十三年間そのようなことをしてきたのですから、故郷に帰って愛の根を下ろさなければなりません。神様を愛し、父母を愛し、兄弟を愛さなければなりません。そうして世界的サタンが讒訴する起源を切ってしまわなければなりません。イスラエル民族はそれができなかったがゆえに、カナン福地の理想天国を形成できませんでした。ですからサタン世界に何かを望んではならないのです。ふろしき包みをもって歩いたとしても、私たちが一番です。行く先々でののしられ、夜に近所の犬にほえられても私たちが一番です。そのような自負心をもって、堂々とした足取りで、村の天地を愛の歓声と共に消化することに同参し、前進しなければならないということを肝に銘じて闘ってほしいと思います。

 皆さんが故郷に帰ったならば、故郷の山河をもう一度眺めて「ああ、これは神様が私に下さった贈り物だ」と考えなければなりません。私よりも年を取った木のおじいさん、私よりも年を取った川の石、そして平野を眺めては「元気だったか」と言うべきです。それが愛です。自然を愛することができてこそ、人を愛することができるのです。再びそうしなければなりません。復帰なのです。復帰。アダムが万物を愛せなかったので、万物を愛さなければなりません。郷土に帰って自然を愛さなければなりません。近所の草からあらゆる山川草木に至るまで、すべてを愛さなければならないのです。すべてを愛してから人を愛するのです。山川草木、動物まですべて愛することのできる立場に立ったならば、その基盤の上で人を愛するのです。万物を復帰してから人を愛するようになっているのです。

 人を愛するときには、まず最もかわいそうな人から、かわいそうな子供たちから愛して、それから中年へと上がっていくのです。世の中の貧しい人には、良心的な人が多いのです。私たち統一教会の家庭は世の中で最も貧しい人を愛するのです。貧しい人は悪魔の世界にいるとしても、今後はそのような人の中から天運を受け継ぐことのできる人が現れると考えるのです。

 今日皆さんは故郷に帰って、種となり得る存在にならなければなりません。そしてその種が蒔かれて、大韓民国はもちろん、天地が訪ねていくことができ、神様がいつでも訪ねていきたいような環境を残すことができなければなりません。そうしてからあの世に行くならば、天国の息子、娘として愛されて生きるに違いありません。そのような生涯路程を今から立てていかなければなりません。


五 霊界の協助と確信


 今は霊界が極めて近くに来ているので、善なる霊人たちが地上に定住する時代が来ることでしょう。来て住むということです。それがどういうことか分かりますか。今まではサタン、悪魔が地上をすべて分割して主管してきたのです。しかしこれからは善なる霊人たちがその地域を奪い返して主管するのです。そのために統一教会員は涙を流し、血の汗を流してホーム・チャーチ(家庭教会)運動をしなければならないのです。精誠を尽くさなければならないのです。キリスト教が精誠を尽くした以上に、イスラム教、仏教、どの宗教よりも切なる心情をもって祈祷しなければならないのです。「あなた方を中心として地上に実体基盤が復帰されましたので、霊的基盤を中心とした霊界圏を通して統一教会は前進します」と祈祷するのです。

 霊界に行った人々も私たちを通して初めて救われるということを知っていますか。ですから霊界に行った人のために生きるならば、霊界の福が皆さんのところにやって来るのです。そのように、霊界のために蕩減してあげて、悔い改める人であれば、その霊界が皆さんに従ってくるのです。霊界が皆さんを中心としてすべて動くということです。蕩減と悔い改めがそれほど重要だということを知らなければなりません。ですから、これらすべてのことを、家庭教会を中心にしてやっていけばいいのです。

 地上で家庭教会祭壇を中心として活動し、精誠を尽くせば、各界各層の霊人が再臨して、地上の聖徒に協助することができるのです。三百六十軒の家庭教会祭壇の中には、仏教徒、キリスト教徒、儒教、その他の良心的な人たちが千差万別に生活しています。霊界にいる霊人たちは、教派と宗教を超越して再臨し、摂理の中心人物の前に導くという霊的な現象が起こるようになるのです。家庭教会は、霊人たちが再臨復活するための条件的な祭壇だということです。

 皆さんが一つ鉄則として知っておくべきことは、その地方から生まれた忠臣、愛国者、孝子、教会の牧師が尽くした精誠以上の精誠を尽くさなければならないということです。それ以上の精誠を尽くしさえすれば、彼らがみな協助するのです。それが条件なのです。そうすればサタンの讒訴圏以上の位置に立つことになるので、サタンが反対することはなく、霊界の協助によって皆さんの先祖が子孫に現れて、統一教会に行けと霊的に協助して、伝道するのです。

 霊界にいる皆さんの先祖も、この世を眺めながら誇らしい子孫に協助しようと、地上に降りてきたがるのです。ですから多くの先祖が皆さんの周囲に降りてきます。これが氏族を中心とした宗派を超越した宗教世界です。理解できますか。皆さんの先祖が皆さんを信じて、皆さんを愛しながら皆さんに従いたいと思うのです。皆さんに従ってくるのです。そして皆さんに協助することに献身したがるのです。

 強い信念さえもって進めば、皆さんの先祖は、お母さんであれ、親戚であれ、押さえつけて身動きできないように、口が開けられないように圧力を加えるのです。「私の言うことを聞け!」というようにです。なぜでしょうか。堕落した悪なる霊は退き、善なる圏内の本然の氏族的基盤を中心として、父母と連結され得る国家的基準までつながった御父母様と共に、世界的基準までサタンを押してきた基盤の上に立っているので、サタンは退き、天使長型霊界にいる皆さんの先祖が協助するようになっているのです。

 それでは、誰に拍子を合わせるべきでしょうか。私が皆さんの動きに拍子を合わせなければならないのでしょうか、皆さんが先生に拍子を合わせなければならないのでしょうか。異議はないのです。そうしなければ霊界が動かないのです。先生の言うとおりにしなければ通じません。いくら才能があったとしても、いくら能力があったとしても、先生の願わないものを付け、指示していないことをするとすれば、通じないのです。それゆえ、その条件に天は退くのです。霊界の協助がなされないのです。天使長は協助することなく、破壊してしまうのです。

 私は天国の法をすべて知っている人物であり、行くべきことすべてを知っている人物です。サタンの動きの秘法をすべて知っており、神様の作戦計画を知っている人物です。それゆえ、今世界ではレバレンド・ムーンが問題になっているのです。これからは霊界が私に協助する時が来るのです。もう少しすれば不祥事がたくさん生じます。

 今日地上では、統一教会に来て祈祷すれば、一週間以内に先祖が現れて、すべて教えてくれるのです。そのような所にまで来たということです。それは何を意味しているかというと、今まで宗教が世界的版図をつくって、心情的絆によって縦的な行路を築いてきたのですが、そこから横的版図を世界的に広め、この世界の果てまでつないだので、霊界に行った先祖が氏族を中心として、初めて地上に再臨して協助することのできる時代になったのです。ホーム・チャーチはそのような世界的な版図を縮小した基盤です。ですから善なる霊はどうなるでしょうか。昔は、来て協助しては帰っていったのですが、これからは地上に定住するのです。そのような時代が来るのです。定住、いいですか。定住といっても、先生の故郷の定州ではありません。(注:韓国語の定住と定州は発音が同じ)霊界に行った善なる霊が初めて定着して住むことのできる時代になるということです。ですから皆さんが統一教会に来て活動するときに、善なる先祖が皆さんと共に暮らして協助します。それゆえ氏族復帰が可能なのです。

 天運に乗ってきたのです。一九八七年四月は新たな光が蘇生し、世界の希望がひとつところに集まって芽を出すのです。霊界の霊人たちはどれほど韓国に来たかったことでしょうか。霊人が韓国に来て、協助することのできるその日をどれほど待ち望んできたことでしょうか。みな集まるのです。ですから国のために血を流した人々、祭物になった霊たちが連合して、初めて御父母様に侍るための連合運動をするのです。その霊たちが今後世界的な霊人をすべて迎えるための仲介に立たなければならないのです。ですからその霊たちと連結してこの国を変えていくのです。

 一度しなければなりません。今は霊界が「韓国を助けよう」ということのできる時代になったのです。今まで善なる霊たちが世界に散らばって、外部で働いてすべての基盤をつくり、その運勢に乗って来るのですが、誰が来るかというと、先生が先発隊となり、韓国のために生きた忠臣、烈女、愛国者がすべて先生の後ろについて来るのです。従っӗ