Book: 真の父母True Parents



一、真の父母とは

一)真の父母という言葉の意味


我々統一教会員たちが平素使う言葉のうち、「真の父母」という言葉があります。その言葉は簡単な言葉ですが、その内容は実に驚くべきことです。歴史以来、どんな図書館にもありません。真の父母という言葉は、最も易しい言葉ですが、その言葉は我々だけが持っている言葉であり、我々だけが使う言葉です。


皆さん、考えてみなさい。キリスト教が二千年の歴史を経てきながら、人類の先祖が堕落したとしたら堕落した父母は偽りの父母、悪い父母で、堕落しない父母は善の父母であり、真の父母ということがいっぺんに分かるのに、それを今まで発表できなかったのです。それは、発表できる、この時を待ってきたのです。


過去の歴史時代に、真の父母ということを考えた人がいるかもしれませんが、その背後がどうだということまでは解く道理がなかったのです。統一教会の膨大な原理の全体の内容を備えずしては、それを確実に解けないので、誰も簡単に真の父母という言葉を言うことができませんでした。原理のみ言、あるいは、我々が知っている統一教会の歴史観、また、人類の本然的な根源に対する事実を明らかにしたということは、驚くべき事実です。


真の父母という言葉を確実に知ることによって、何が分かるでしょうか? 我々人類の始祖の堕落が不倫な関係によってなされ、神様と関係ない、創造理想を立てようとした真なる父母と関係ない、血統的な因縁を残したということです。すなわち、過った血筋を受け継ぐようになったということです。


それゆえ、真の父母という言葉は、人類始祖から歴史的にすべての人間が過った血統の中に生きることを清算してしまい、神様を中心として、新しい本然的な根を中心とした、愛と生命と血統がつながるという意味を中心として言う言葉です。これは本当に驚くべき言葉です。(二〇一・六〇)


二)真の起源


「真」とは


この天地間に真なる方がいるなら、その方は誰でしょうか? 絶対者です。この絶対者を、今日我々の韓国語で言うと「お一人しかいないご主人様」ということです。一人(韓国語でハナ)しかいないご主人様をもっと縮めて言うと、神様(ハナニム)になります。お一人しかいないご主人様が、神様だということです。


では、神様はどんな方か? 神様は、地上の良い人も好きで、悪い人も好きです。罪を犯して死刑場に出て死ぬようになる死刑囚も「神様! 私をかわいそうに思って下さいませ。私はあなたが好きです」と言って死ぬでしょう? そうですか、違いますか?(そうです)。「神様、私は死ぬ! あなたが私をこうなるようにした!」(笑い) そう言いますか?(言いません!)

では、どうして神様の前では、悪いことをして死んでいく立場にある人も、良い心で犠牲になって再出発に希望を誓いながら、その神様の前に最高に寄与し、また頼り、彼とともにいたがり、内心では父母を離れ、兄弟を離れ、誰よりも切に近くで事情を通じたがるかというのです。これは、神様が偽りだからそうですか、真だからそうですか?(真だからです)。真であるためにそう言うのです。


真なる方は好きな者だけ好むのではなく、自分を殺せと言う怨讐までも好まなければなりません。彼の前には、すべてを任せることができ、すべてを相談したくもあり、すべてを願うこともできる立場にある人であってこそ、真なる人です。分かりますか? もう真なる人が分かったでしょう?(はい!)



では、お嬢さんたち、今まで育ってきた過程で、憎い人がいましたか、いませんでしたか?(いました)。では、憎い人がいる人は、真なる人ですか、偽りの人ですか?(偽りの人です)。ここの男たちも憎い人がいる人は、真なる人ですか、偽りの人ですか?(偽りの人です)。間違いなく偽りの人です。では、この世界には偽りの人が多いですか、真なる人が多いですか?(いつわりの人が多いです)。偽りの人が多いでしょう?(はい)。これをはっきりと知らなければなりません。


真なる人になろうとする人なら、両面を備えているべきです。統一教会の輩たちが、私を好きな人はとても好きで、私を憎む人は積極的に憎んだら、良い輩ですか、悪い輩ですか?(悪い輩です)。


それで、私を憎む人も好もうというのです。私を憎む人を私が好めば、その人が嫌がりますか?(好みます)。好むのです。私を憎む人に私が三回以上良く接してあげたら、彼が頭を下げるようになるのです。三回だけ良くしてやれば、頭を下げます。そうか、そうでないか、一度やってみなさい。人には良心があって、自分が過ったのかよくやったのか分かるのです。(三九・三〇二)


皆さん、我が国には良い人が多いでしょう? 世の中には立派な人がたくさんいます。偉人もいます。それなら、大韓民国の偉人は誰ですか? 大韓民国の「偉人」と言えば、大概誰を言いますか?(李舜臣将軍です)。そうですか。李舜臣将軍! 李舜臣将軍も偉人です。皆さん、李舜臣将軍が好きですか、嫌いですか?(好きです)。全部好きですか?(はい)。


では、李舜臣将軍が真なる人ですか、そうではないですか?(分かりません)。分からないでしょう。分からないのに好きだというのです。ですが、先生はそのように好きではありません。私がこう言うから「おかしい。あの方はなぜああ言うか? 我が国の忠臣を嫌うとは。では、あの人は共産党か、民族反逆者か?」と言うかもしれませんが、私は李舜臣将軍が嫌いです。なぜ嫌いか知りたいでしょう? 答えてあげましょう。(笑い)


「李舜臣将軍」と言えば、韓国人すべてが、忠臣として知っています。しかし、日本人はどう思っていますか? 怨讐ではありませんか、怨讐? 日本人は、李舜臣将軍を怨讐と思うのです。これは、日本の歴史の本にも明らかにされています。李舜臣将軍は、日本人の前には怨讐であり、韓国人の前には忠臣だということです。それで、先生は彼が好きでないのです。


「真」ということは、英国に行っても真であり、ドイツに行っても真であり、アメリカに行っても真であり、韓国に来ても真であり、アフリカに行っても?(真です!)日本に行っても?(真です)。真になるべきなのです。ですから、真は怨讐がないのです。真は好きでない人がいないのです。一方では好きで、他の一方では嫌うのは、完全な真になれないのです。そうでしょう?


李舜臣将軍が、完全な「真なる人」であるなら、日本人も韓国人とともに偉人として、真の人であれば真の人として崇拝すべきです。しかし、真なる人の基準で見ると、李舜臣将軍は完全な真ではないということです。少しは真になれますがね。大韓民国を中心として見ると真ですが、日本を中心としてはそうではないのです。ここに異議がありますか? 異議がありますか、ありませんか?(ありません)。私は真なる人を願うので、李舜臣将軍のように真になりきれない人は好きではないのです。


では、この世の中で真なる人はどんな人か? 前で言ったのと同様に、悪い人も好み、良い人も好む人です。良い人がいちばん好きな人を、悪い人はいちばん憎むべきですか? 悪い人もいちばん好きな人でなければなりません。ここには良い人と悪い人が混ざっていますが、願って希望することは、すべて最高のものです。最高を皆好むのです。皆好むということは、良い人も好むのであり、悪い人も好むということです。そうでしょう?(はい)。


それゆえ、悪い人だといって嫌ったら真ではありません。悪い人も最高に好み、良い人も最高に好むべきなのです。これが真なる人の定義です。真なる人とは、悪い人もいちばん好み、良い人もいちばん好む人です。そのような者がいれば、その方が真なる方です。ここに異議がありますか? ないでしょう?(はい)。(三九・三〇一)

・ 真の起源


真ということは、個人に限ってあるのではありません。全体を越えに越えて、適用され、全体を越えに越えて価値的な因縁を結ぼうとするのが真なのです。真は誰もが好み、誰もが探すものであるために、どこにでもなければならないということです。(六三・八九)


我々は個人の目的のために集まったのではなく、全体の目的のために集まりました。それゆえ、自分個人より家庭のために、家庭より民族、民族より国家、国家よりまず世界のためであるべきです。また、自分個人が真になる前に、家庭が真になるべきであり、さらには国家、世界が真になるべきです。


人間は、自分個体としては、すべての福が動機になりえない復帰路程に立っています。では、その動機は何か? 真です。人間が真なる姿を成すには、すべて生死禍福の根源であられる神様と関係を結ぶべきです。その関係を結ばなければ、人間個体内では真なる姿を成しえません。


真は、必ず神様が中心となるべきです。それで、人間は、全体的に収拾して主管しうる決定的な基盤を持つようになるとき、真が成されるのです。その基盤を持てなければ「真」という名詞は成立しえないということを知るべきです。


真の起源は、神様であられます。神様がおられることによって、真が成されます。神様が離れるようになるとき、真も離れるようになります。そこには真ではない、悪の起源が生まれるのです。



真があってこそ、真なる結果をもたらすことができます。言い換えれば、神様がおられることによって、神様の願いが成されうるということです。それゆえ、真だ、善だという名詞は、人間を主にして立てられたのではなく、神様を主にして立てられたのです。



このような観点から見ても、真は人間が勝手に考えることができるものではありません。すなわち、堕落した人間が勝手に管理する、そのような位置に従属しているのではなく、真が我々を主管しているということを知るべきです。それゆえ、我々は、いつも真の前に屈服すべきです。真を立てて、そこに順応すべきです。皆さんの現実的な生活や、あるいは良心生活を推し量っても、真は完全に天に属しているという事実を否定する道理がないでしょう。

我々は、祈るとき、「真なる神様、天におられる聖なる神様」という言葉を漠然と習慣によって言う場合がたくさんあります。しかし、本当の意味での真は、今までありませんでした。それがなかったので、真として連結しうる起源は、人間たちが歩んできた歴史の背景にあるのではなく、これを超越した位置にあるのです。そこから出発するのです。すなわち、その起源は、環境を超越した位置から追求しなければいけないので、宗教は人を中心として信じていくのではありません。


もちろん、教祖を中心として信仰の標準を立てておいていく人たちもいます。しかし、それを超越した立場から、神様を介在させ、真を追求してくる人たちもいるのです。これを見るとき、歴史過程を経てきた数多くの人間の生活路程においてや、現実社会においても、真の起源を持てなかったということです。


人間自体に連結された位置からは、真の起源を備えることはできません。真は、必ず絶対的基準です。それゆえ、神様、あるいは絶対者、神という問題がここに登場せざるをえません。それはなぜそうなのか? 今まで地上に真の愛がなかったためです。それゆえ、真を指向しながら生きる人自体としては、真の動機になりえません。その動機は、神様でなければなりません。必ず宗教や、人類歴史上において、最後の重要な分岐点に行っては、神が登場します。絶対者が必ず必要になるのです。


哲学が追求する目標、すなわち、真理を通じて最後の目標について追求していったり、あるいは、存在の起源を掘り下げていっても、必ずここには神という問題、超越者、絶対者という名詞が介在するのです。それはなぜそうなのか? 絶対者と関係を結ばなくては、すべての学問や、すべての存在価値の起源が解決できないからです。それで、人間たちが、深刻な場では必ず真を通じて解決しようとしたのです。


このような事実を、我々は否定することができません。それゆえ、真の起源は、人間だけでなるのではなく、必ず絶対者、神様が介在すべきなのです。真を主張する宗教は、神様を離れては考えることができません。真を主張する人倫道徳も、神を否定できません。



ですから、孔子も「順天者は興り、逆天者は滅ぶ」と言ったのです。天を中心として言った言葉です。必ず天を介在させなければなりません。その興亡盛衰の起源が、人間自体にあるのではなく、天から左右されるのです。このような事実について見るとき、天が動機になりうる起源が備えられなくては真になりえないので、この地に生きている人類の中で、真なる人がいるかということが問題になります。



では、真が止まりうる場所はどこか? 勿論、天が起源になって真の位置を地上に立てようとされるでしょう。これは、神様の願いです。それで、人間のどこにとどまるかということが問題になります。我々の生活の周辺にとどまるのです。それでイエス様も「天国は汝の中にある」と言われたのです。真なる国の天国は、心の中にあるのです。何らの邪心がない、深々とした谷に位置しているのです。

我々の心の基礎を分析してみると、知情意になっています。その中でも、どこにとどまるか? 知情意のうち、何が根本であるかというとき、意でもなく、知でもない、情です。


皆さんは、自分にいちばん貴いものがあったら、それをどこに置きたいですか? 自分だけが知っている所に置きたいでしょう。そこは誰も触れられず、関与できない、すなわち自分だけが絶対的に管理しうる所です。そこがどこでしょうか? 心の深い所です。心の深い所に埋めておくのです。ここであれば安心だと言える所に置くのです。すなわち、人々がよく貴重品を入れておくタンスのような所に置くようになるのです。このような点から見るとき、真がとどまりうる所は、自分の心の深い位置です。(二四・三一七)


三)真の原器


真なる心は、変わりません。それゆえ、それがなくては、皆さんが基準を立てられません。こうだああだと評価できないのです。宇宙の核ととともに、絶対的な基準に公証されうる内容の根を持てないのです。そうであると、そこに及びえないために、その及びえない基準から評価されたその存在は、流れていってしまうのです。


メーターのようなものも、その原器があります。それを中心として違っているのではないかということを判定することができるのです。全部問題が起きるなら、ここに合わせてみるようになるとき、ピッタリ合えば、それは万世に不平を言っていた人も一時に皆離れていくのです。(一八六・六六)

愛には革命もなく、変化もないのです。変わるものには貴いものがありません。ダイアモンドは、堅さにおいて変わらないためにそれが宝物扱いを受けるのであり、黄金は黄色い色が変わらない特異な権威を持ったために、その色が変わらないところにおいて貴いのです。真珠は、調和した色、優雅な色を持っていますが、それが変わらないために貴いのです。貴いという宝物を、なぜ変わらない特性を中心として策定したか? それが宇宙の万物の存在価値を比較できる基準であるからです。


では、この宇宙の測定で、全体を測定しうる価値基準、いちばん最初の基準が何になるか? それが問題です。金でしょうか、ダイアモンドでしょうか? それは変わらない愛、壊れない愛です。壊れるようですが、壊れません。勝手にできるようですが、勝手にできないのです。そこに自分が含まれるのです。そこに策定されるのであって、自分が策定できないのです。


この宇宙において、そのような原因中の原因になりうる度量衡や原器が何かという問に対して考えるとき、それはある測定器の原器ではなく、変わらない本来の物ではありませんでした。


神様もその標準を変更させることができず、人間も変更させることができません。永遠不変的でありながら、内外のその宝の価値を持ち、地の果てや、地獄や、天上世界や、どこでも昼夜を克服し、地域を克服し、距離を克服し、時空を克服して、その絶対的測定の基準になりうる、比較の基準になりうるものが何だろうか?

地球にも緯度、経度において零点基準があります。それが英国のグリニッジ天文台を中心として、零点になっています。いくら変わらせても、変わらないのです。零点に照準を合わせたその基準、緯度・経度が会うことができるサの基準が、九〇度で交差していくというときに、その基準があるべではありませんか? それがなければ、秩序の世界が形成されないのです。


この宇宙で測定しうる永遠不変のすべての存在が比重を合わせて、その等差位置を決定したいその本来のもの、神様もそこに従うことができ、全体がそこに従わざるをえない一つの基準が何かという問題について見るときに、お金? 黄金の固まり? ダイアモンド? それは神様が創ることができます。神様が一人で勝手にできるものです。


愛も勿論神様が創ることができると見ますが、その愛を所有するということは、一人ではできません。二人、二人、二人が所有すべきです。愛は神様も一人では見出せないのです。


それゆえ、その基準、測定原器が何か? 宇宙万象の存在世界、永遠の世界で測定しうる絶対的に一つしかないその原器が何だろうか? 根本問題です。それが愛というものです。それで、愛は春夏秋冬、季節の変化に影響を受けません。(一三七・二三五)


皆さんは、距離を測る尺度があるのを知っているでしょう。もし、一センチメートル単位なら、そのモデルというものは絶対的です。それは一つしかありません。そこに比較して、同じならそれは皆正しいというのです。しかし、いくら自分がいちばんだと言っても、そのオリジナル・フォーム(original form;原型)ときっちりと比較してみるとき、合わなければ不合格者なのです。


また、一センチメートルは一〇ミリメートルです。そこから一ミリメートルというものも絶対的です。それが一〇であれば一センチメートルになり、百であれば一〇センチメートルになり、このように上がっていくのです。それでこそ、それが連結して、どこへでもそれは共通的であり、統一的な内容を持ちます。



では、人の世界には、そのようなものがないか? 人の世界が統一されるには、原則的な基準から体と心が闘わず、一つになったそのようなフォーム(form;形態、形)が、「こうであるべき」というフォームがあるでしょう。(一二八・七八)


皆さん、メートルがあれば、そのメートルが一メートル、一〇〇メートル、いくら大きくてもそれが問題ではありません。そのメートルの基本単位が何か? 一ミリメートルです。一ミリメートルはあまりにも小さいから、大概一センチメートルで言います。


いくら億万でも、その単位は一ミリメートルから全部合わなければなりません。これが合って、億万の数が全部きっちりと合って、一つも残らないですべてが一ミリメートルだったと言うようになるとき、それを今日我々は世界のものとして使用するのです。それは、アメリカの一ミリメートル、韓国の一ミリメートル、あるいは英国の一ミリメートル、すべてが同様です。変わりがありません。それが真理です。


皆さん、真理が何ですか? 真です。真が何か? それ以上基準として数えられないという、その位置に立ったものを真理と言います。ここに物理学博士も来ていますがね。物理学を勉強するには、自然世界のすべての動きを知らなければなりません。その動くものが、漠然と動きません。


皆さん、考えてみなさい。この地球がどれほど大きいですか? この膨大な地球が、一年に一回ずつ太陽系を巡回するのに、それが一分も差異がありません。一秒も差異がないのです。ピッタリ合うのです。それが差異があれば、大変なことになります。差異があれば、どんどん小さくなるか、どんどん大きくなるかという問題が起こるのです。そうなれば、陸地と海が全部分かれるのです。


地球の年齢は四五億年として決めるではないですか? 四五億年の間を動くのにおいて、異常なく公式的基準で、単位を中心とした公式基準の上に連結された運動と作動をしてきたのです。そこには何かの原理というもの、公式というもの、公理というものを中心として、測定する単位を必要とするのです。同様に、真というものが何か? 真というものは、一つにも合いますが、千万を合わせてもきっちりと合うのです。


金の中で純金を言うときは、二四金です。二四金は、真の金です。そうでしょう? 二五金はありませんか? 二六金はありませんか? それも問題です。このように見るとき、中央に立てて、均衡になりうるそのような位置を最小単位に、我々が視覚的なところにおいて最小単位として帰るとき、それに垂直的な平衡線上に合いうる…。これが垂直なら、これが平衡になるのに、このようになってはいけません。このようなものは、真ではありません。


それでも、二四金までは、これを入れればこれが直線になるのです。そのような基準圏内に立っているために、二四金が真だと言うのです。そこは垂直を持って合わせても、縦的基準の前に持って合わせても全部合うのです。宇宙的な縦の前に平行線として立ち、宇宙的な横の前にも平行線を成すのです。


宇宙の大運動、大運勢、それが漠然と動くのではありません。みな法度を中心として、主体と対象関係の循環法度運動をするところは、必ず垂直です。


その垂直が、二四時間変更されるものは、飛んでいってしまいます。流れていってしまうのです。壊れてしまうのです。垂直がピッタリと位置をつかんでこそ、そこで空間世界に自分の位置をつかんで存続の基盤を持つのが常なのです。このような言葉は、少し難しいでしょう。


同様に、我々人のはかりが何か? 人もはかりがなければならないでしょう。そうではないですか? 数学を解くには、世界的に共通の数理的基準を設定しておいたその基盤で「一つ」と言えば世界も「一つ正しい」と言い、「二つ」と言うとき「二つ」、「三つ」と言うとき「三つ」と言いながら正しいと言うでしょう。ある基準に合格した共通的な決議基盤が世界的舞台に立つようになるとき、そのようなものを真理と言うのです。


真理の中には、何があるか? 真理の中には、必ず東西四方があるのです。真理があるときは、必ず環境があるのです。では、環境が先か、真理が先か? これが問題となるのです。環境が先なのです。


我々人間を見るようになるときどうですか? そのような存在的な人間を中心として見るとき、真なる人間がどのような人間かというのです。縦横の標準、「縦に見ても合う。ペチャンコにならなかった。横に見ても合う」と言える、その基準にならなければならないのです。


縦横が一致してこそ、公式的法度上において、前後・左右・上下が差異がありません。同じです。この同じものを、どこに持っていって合わせてもきっちりと合うというのです。東でも合い、西でも合い、北でも合い、南でも合い、地上世界でも合い、霊界でも合う、というとき「真である!」というのです。


ところで、いくら大きくても、ミリメートルで測定してみたら、残ったものが半ミリメートルにもならなかったとしても、その全部は否定するようになります。不完全なのです。それはごみ箱に入るべきです。そのような何かがなければならないのではないですか? 測定する基準がなければならないのです。(一八〇・一四)


四)真と真の愛

皆さん、真、トゥルー(true)という言葉は何の言葉ですか? それが丸いものか、角張ったものか、平たいものか? それの定義が何か? そして、真に対する定義を下すのに、何を中心としてその定義を下すのだろうか? それが問題なのです。


皆さんが「真の人」と言うとき、その真の人はどのような人ですか? 真の人も目が二つあって、鼻があって、簡単なのです。目、鼻、口、体が皆ある人です。


では、トゥルー(true)ということは、真ということは、ある一定の場所の制限を受けることを言いますか、一定の場所を超越することを言いますか?(超越することを言います)。それがどのように? 何を持って?


どうしてその制限線を超えなければならないか? それは何を言うのか? すべてを代表して測りうる内容を持たなければならないことを、我々は分かります。


皆さん、数学なら数学では公式を言い、物理なら物理では公理を言い、定義を言うのに、その定義がどのようなものか? 公式というものは、それが小さなものですか? 公式の単位というものは、簡単なものですが、その公式的というものは、すべての物を比較できる主体性を持つべきです。それでこそ公式や単位の基準が設定されます。これを知るべきなのです。それが違えば、全体、小さい論理を策定して計算したのが、膨大な宇宙にピッタリ合わないのです。

我々が、このすべてのメジャー(measure;尺度)のようなものを見ても、一二進法とか一〇進法のようなものなどがあります。それが小さいですが、形態は皆ピッタリ合うのです。そうでなくては、これが回っていかないのです。全体が回っていかないのです。ある部分では合いますが、全体が合わないようになるときには、これが成立しないのです。全体存在の成立が喪失されるということを知るべきです。


それは、人間世界も同様です。真なる人が何か? 人間が生きていくのにおいては、スケール(scale)とメジャー(measure)のようなものがあって、力を連結させて、世界に拡大していくのです。それが全部均衡に合うように拡大するということです。


人間の人生は、人間が生きていく道にも、そのような公式的な道がなければならないという言葉が出てくるようになるのです。(一三三・九)


皆さん、今人間世界には、五〇億の人類が暮らしますが、この世界の地球村に暮らす人たちの先祖たちは、どれほど多く地上で生きては死んだナしょうか? それを考えてみましたか? 少なくとも現在に暮らしている人の何百倍、何千倍生きて死んだでしょう。では、その人たちの中で、人類が願う真なる人が何人いただろうか? 真なるということは、千年前も、今も、いつでも真です。


「純金」と言うようになれば二四金でしょう? それは地形的距離や、時空に従って変わりません。どんな立場に処しても、変わらないというのです。その姿は、王の手に行っても、どんな不良の手に行っても、どんな変化無双の環境に行っても、変わりえないのです。そのようなときに、黄金色を真なる色だと言うのです。分かりますか?(はい)。


黄金色好きでしょう? 色というものが何に似ているか? 黄金色に似たのです。そうではないですか? 明るい色は、黄金色に近い色です。太陽の光も白い光ですか、黄金色が多いですか?(黄金色です)。夕焼けは、もっとそうです。


それゆえ、我々人間において、千年、万年、億万年変わりえない色を持った、そのような真なる男がいるか? これが問題です。真なる女がいるか? どう思いますか?


宗教界では、人間は堕落したと見ています。もちろん、背景が異なる宗教もありますが、全部救いを受けるために、価値のある新しい人間を探していっています。その言葉は、どういう意味か? 真なる本然の人間、真なる本然の人間像に及ばなかったために、それをいつも追求するのです。それは、千年前も、何億年前も、今も、今以後の人類が存続するどんな環境でも、どんな時代も問わず、それを追求するようになっています。それを知るべきです。


皆さんたちも、その真なる人を探しているのです。真なる男、真なる女を探しているのです。歴史時代に生命を持って生まれた男女たちは、自他を問わずそこに首をかけて考えるようになっています。それゆえ、部落で暮らすようになれば、その部落でいちばん進んだ真なる人になろうというのです。(一七七・一〇〇)

五)真の父母は何か


・ 二つの石板と真の父母

イスラエル民族を荒野で導くとき、火の柱と雲の柱があったでしょう? 昼に導くのが雲の柱で、夜に導くのが火の柱でした。それは何を意味するか? 男女を代表して終わりの日に父母が来て、イスラエル民族から侍られるのを象徴的に見せてくれたのです。この火の柱と雲の柱の導きに従わない人は、皆滅亡するのです。


また、イスラエル民族が荒野に出て四〇年さすらい、方向をつかめないので滅亡するのを心配して、モーセをシナイ山に呼び上げて、四〇日断食をさせて与えた二つの石板が何かというと、アダム・エバ、真の父母を象徴したという事実を知るべきなのです。


契約の箱の中にどうして二つの石板を入れたかというと、二つの石板は、神様のみ旨を終結することができる中心本部としてアダム・エバを象徴したのです。それで、契約の箱の中に入れたのです。(一三四・一七四)


我々の願いが何か? 神様は縦的な父母であり、アダム・エバは横的な父母ですが、縦横の父母が一つになって喜びうる場で、愛されうる息子娘になるのです。ところで、そのようにできなかったのが恨です。そうでしょう? そのような愛を一度受けてみたらという熱望を皆持っているというのです。宗教も全部そのようなものです。


縦的な神様と横的な面で一つになって、愛することのできる父母がこの地上にいたか? いませんでした。堕落したために偽りの父母になりました。偽りの父母になったために、そのような父母がいませんでした。それで、真の父母が出て来なければならなりません。真の父母が歴史上に出て来なければなりません。



そのような歴史的指名を代行する一つの名詞を被せて呼ぶその存在が誰か? これが救世主という存在であり、メシアという存在です。救ってあげるには、何を救ってあげるか? 体を救ってあげるのではなく、理想的な愛の願いを成してくれるのです。


そうするには、どのようにしなければならないか? その救いを成してあげるには、メシアはどんな存在として来なければならないか? 間違いなく、真の父母として来なければなりません。メシアは、真の父母として来なければなりません。イエスという方を、キリスト教ではメシアと信ずるのです。救世主として信じます。


真の父母として来るには、どのように来なければならないか? 一人ではだめなのです。真なる父に代わりうる一人の男として出てこなッればならないのです。今まで、数多くの宗教は、一人の男を探してきたのです。男の中でも、生活をよくする男を探してきたのが、儒教の教えと見ることができ、霊界を主にした男を探してきたのが、仏教の教えと見ることができるのです。


では、キリスト教は何か? 神様の息子になって、愛する家庭を作ろうというのです。もっと具体的な内容を持って来たのがキリスト教です。それゆえ、神様の前において「私はひとり子」だとイエス様が言われたのです。


ひとり子が出てきたのに、ひとり子が一人で暮らしたら大変なことです。ひとり女がいなければなりません。それで、ひとり女を探して、神様を中心として、ひとり子とひとり女が互いに好む場で結婚しなければならないのです。結婚して、神様が縦的な父母として喜び、横的な父母として喜びうる新郎新婦になり、地上で息子娘を産まなければなりません。そうしてこそ初めて、一族が広がり始めるのです。そういうことではないですか?


それゆえ、イエス様においてイスラエルの国に背いてでも、ユダヤ教に背いてでもいちばん必要としたのがありますが、それが何か? 再び探しうる主体的動機が何か? まさに女です。男の前に女がなくてはいけません。


イエス様は、そのみ旨を成せなかったために死んでいきながら「私は新郎であり、あなたがたは新婦だ」と言ったのです。こうして、キリスト教では二千年間新郎であられるイエス様を待ち、キリスト教信者たちが新婦になろうと、もがいてきているのです。


その標準が何か? それがメシアですが、真なる父母の位置を持って合わせるのです。それが子羊の婚宴です、子羊の婚宴。(五八・二一八)

・ 真の父母の定義


統一教会で言う真の父母は何か? これが問題です。堕落しなかったらどのようになるか? 堕落しなかったら、神様が縦的な愛となり、アダム・エバは何かといえば、神様の体になるのです。神様の体と同じなのです。神様は骨のようであり、アダム・エバは体のようなものだというのです。神様も心があり、体があります。分かりますか?(はい)。


そう、皆さんは、誰に似ましたか?(神様に似ました)。神様と?(真の父母に似ました)。真の人。神様とトゥルーマン(true man;真の人)に似ました。そうだといって、アメリカ大統領のトゥルーマンではありませんよ。(笑い)


神様は、内的な場で内的な父母になり、アダム・エバは、外的な場で外的な父母になります。内的外的父母が一つになったその場が愛で綴られて、内的父母に侍るようになり、外的父母を持つようになります。神様と人間との愛の結託により、真の父母、完成した人間が成就されるのであったというのです。愛と結託されないなら、完成人間がいないのです。


それが何かというと、本然の我々の先祖であるのです。神様が創造された本然の人間です。そのような人から我々が生まれるのです。そのような神性を持った人により、我々が生まれなければならないのです。それゆえ、我々は神性を帯びた神様の性稟も持ち、人性を帯びた、神様の前の縦的な父母の性稟も持つのです。


ですから、アダム・エバの完成は、神様の愛に結ばれてこそ完成が出てくるのであって、これが結ばれなければだめのです。神様の縦的な愛と横的な肉的愛が、一点で結ばれたのが、まさに我々の先祖の血統の根です。分かりますか?(はい)。そこが、我々先祖の血統です。そこから全人類が生じるのです。


堕落のために、男の愛、女の愛、神様の愛が皆分かれました。堕落によって、男の愛、女の愛、神様の愛が結ばれませんでした。


堕落しなかったら、自動的に結ばれます。男女は愛で結ばれます、自動的に。なぜ、男女が一つになろうとしますか? 愛のためにそうです。愛で一つになった後に、何をしようと言いますか? 神様の祝福を受けようというのです。それが目的です。(一八四・七一)


摂理の時代を見れば、復帰摂理は終わりの日を通じて成されるのです。始まりから終わりに近づけば近づくほど、宗教の目的が成される時代が来るのです。その宗教の目的が成されうる最後の時が、父母様が現れる時だというのです。


その父母は、真の父母ですが、真の父母という方はどんな方か? これが問題です。真の父母という方は、我々の原理で教えてくれているように、原理結果主管圏と直接主管圏、すなわち間接主管圏と直接主管圏を皆経て、責任分担を完成した位置で、神様の愛を中心として一体の理想を成した父母です。歴史上初めて、神様と人間が愛を中心として一体の理想を成して、神様の愛の理想が、初めて地上に真の父母の家庭を中心として着陸し始めたのです。


堕落することによって、この真の父母の理想が壊れてしまったのです。アダム・エバが責任分担という使命を前にして原理結果主管圏、すなわち間接主管圏から直接主管圏に橋を置いて、これを皆完結しなければならなかったのに、そうできなかったのです。それによって、サタンがこの間接主管圏内を侵害し始めたのです。これを知らなければなりません。これを知らなければ、あの世へ行って登録できないのです。(一四三・七六)


真なる父母が一体何ですか?(愛の中心です)。何ですか? この宇宙が生じて以来初めて、真なる愛が、理想的愛がスパーク(spark;誘発する)しうる出発点というのです。これを知るべきです。それで真なる父母というのです。


では、真なる父母の前には、何の息子娘がいなければならないか?(真なる子女です)。では、真なる子女は、何のために真なる子女ですか? その真なる父母の最初の愛を受けるのに十分な内外の美を持った息子娘というのです。(一二五・一六六)


トゥルー・ペアレンツ(true parents;真の父母)、トゥルーマン(true man;真の男)、トゥルーウーマン(true woman;真の女)は何で、トゥルーチルドレン(true children;真の息子娘)が何か? 全部「トゥルー」を出して入ってこなければならないのです。根を神様を中心として連結しなければなりません。


愛を持って、上にいる神様が下に行くとき、愛は直短距離に行くために、その道は一つしかありません。バーチカルライン(vertical line;垂直線)は、一つしかないという結論が出てくるのです。(一八九・一九八)

統一教会で言う「真の父母」という言葉は何ですか? トゥルー・ペアレンツ(true parents;真の父母)が何ですか?(神様が真の父母を指名されたのです)。神様が真の父母を指名した、それはどういう意味ですか? それが何かというと、神様の愛が初めて人間世界に着陸したということです。真の父母が起点だということです。それを知るべきです。



では、着陸した真の父母がレバレンド・ムーンなら、レバレンド・ムーンがアメリカに来て、真の父母になりましたか? どこで真の父母になりましたか? どこで、どこで?(韓国です)。何が?(韓国です!)韓国を誰が知ってくれますか? ですが、知ってくれても、知らなくても、砂漠でも木の枝でも、岩の塊でも、神様の初愛が着陸した所は、貴い所になるのです。(一三〇・一一一)


真の父母が何か? 神様の愛を核としたその愛を中心として、アダム・エバが完全に絶対的に一つになって、出発しうる最初の我々人間先祖だったのです。それをはっきりと知るべきです。真の父母を知らなければ、真の子女ということは分からないという結論が出てくるのです。(一三五・一六一)



歴史的な核心になり、時代的な核心になり、未来の核心になる人は何か? 言い換えれば、歴史について見るときは、歴史的な実であり、時代について見るときは、時代的中心であり、未来について見るときは、未来的な起源になりうる、世界主義思想の中心は何であろうか? それは、真なる男と、真なる女です。

では、その真なる男と真なる女の生活観は何であろうか? 世界のために甲斐を持って生きるのです。二人が愛するのは、世界のために愛するのであり、息子娘を産むのも世界をもっと愛しうる動機を作るため産むのです。


このような思想が、我々が今主張している思想です。このような内容を皆さんが細密に知っているかわかりませんが、私が知っている立場で見るとき、横的なすべての立体的な世界を中心として見ても、縦的な世界歴史全般を中心として見ても、必ず歴史はその基準で解明されなければいけないのです。それは、自動的な結論として出てくるのです。(二五・一四七)


堕落の起源がどこですか? アダム・エバ、すなわち一つの父母から始まりました。アダム・エバが堕落して、偽りの父母になったことによって、すべて問題が起きるようになったのです。このために、心情問題、血統問題、人格問題、言語問題、生活問題、国家問題、世界問題が生じたのです。


では、これを一度に蓄積させることができ、このすべてを総合することができる真なる基準は、どこから始まるのか? これは、ある宗族圏内で成されるのではなく、社会圏内とか、国家圏内で成されるのでもありません。世界圏内でも絶対不ツ能なものです。すべての問題の起源が、偽りの父母から始まったために、真なる父母の因縁を中心としてのみ、復帰されうるのです。


真の父母という名詞を中心としてこそ、初めて神様の心情と一致しうるのです。真の父母を中心として、本然の血統が始まり、真の父母を中心として、本然の人格が始まり、真の父母を中心として言語が本来の位置に帰り、真の父母を中心として生活が本然の形態に帰り。真の父母を中心として本然の国家形成が起こり、真の父母を中心として本然の世界が成されるのです。


では、この全体を総集約した核心的な母体が何か? 真の父母です。真の父母ひと方によって、すべてが決定されるのです。それゆえ、その方のすべての思想を自分が全部引き継がなければいけません。その心情、その人格、その生活観、その国家観、その世界観を全部引き継がなくては、中心となる位置に立てないのです。(二八・二四八)


真の父母を抜いては、教育もあってはならず、生活の基盤もあってはなりません。分かりますか? 真の父母と完全に一つにならなければならないのです。


一つになることは、何かというと、「真の父母の生活が私の生活であり、真の父母の理念が私の理念であり、真の父母の仕事が私の仕事であり、真の父母の愛の圏が私の愛の圏である」このようにならなければならないのです。皆さんはそうですか?(四四・一四五)

・ 真の父母は人格の実体


歴史上の聖賢たちの中で「私は人類歴史において、人間たちを代表して、体と心が闘わず完全に統一を成したので、私を見習え」と言う人がいましたか? 学校の教育で見れば、倫理生活について責任を受け持たれた教授たちも多いのに、何が重要かというのです。

体が重要か、心が重要か? 心も重要で、体も重要です。もっと重要なことは、私の体と心の統一圏です。それが重要なことです。それがだめな人は、いくら世界が統一されたとしても間違った人です。(一四二・三二五)


今皆さんは、体が違い、心が違います。では、これがいつ一つになるだろうか? 今、人類歴史路程において、体と心が闘うのを自分が統一させると、体と心が闘うこれを統一させると言える人は出てこなかったのです。


パウロのような人も嘆息したでしょう。「心の法と体の法、二つの法があって闘うので、私はなんとみじめな人か。この死の法から誰が私を解放するだろうか? そこにはただイエス・キリスト、神の愛で…」まさにそう思ったのです。主イエス・キリストの中にいる神様の愛によって解放されるのです。(一六四・四一)


心と体が一つになれない原因がどこにあるか? 神様はどんな方かといえば、この宇宙の根本となる縦的な愛の主体です。その重りが地に降りてくるようになるときに、神様一人ではだめです。いくら神様といっても、愛を下すには水平線でこの基準を引き出すことができる力が必要です。


電気が強いと、マイナス電気が地上に近くに来るようになると、近い所で雷が落ちるのです。そうではないですか? 降りてこなければなりません。高い所にあっても、降りてこなければなりません。同様に、高い愛が降りてくるには、地上にマイナスの愛が、まず生じなければなりません。マイナスの愛がまず生じれば、プラスの愛は自動的に生じるようになっています。それがペア(pair;双)になっています。


作用するこの世界には、必ず対応と反作用があるのです。互いに対応し、互いに作用する反面に、反作用があるのです。一般の人たちは、この反作用が対応する力の作用に反対すると見ますが、そうではありません。反作用というのは、対応した存在を保護するために作用します。こうしてこそ、理論的に善悪のすべてが解決するのです。善を中心として悪というものに対して保護すべきであるという論理を見出さずには、歴史時代の善悪対決の歴史を処理する方法がないのです。


神様はどこを通じて往来するか? 縦的な愛が設定されなければなりません。その縦的な愛が縦的価値を持つためには、横的な基盤が築かれて入ってこなければなりません。


男女もそうではないですか? 皆さんが分別のないときは、何も分かりませんが、大きくなると女も世界を持とうとし、男も世界を持とうとします。ですから、そのような世界を持とうとするときは、どのようになるか? このように行ってはいけません。どこへ行って会わなければならないか? すっかり大きくなって、成熟して、会わなければならないのです。そうするには、世界が自分のものであると言える位置まで出なければなりません。


「これを占領しなければならないな」と言いますが、占領するには、自分の力をもってしてはできません。愛でなければだめなのです。その愛の力があるために、男にも女にも世界征服のための理想と夢があるのです。皆さん、世界全部を自分のものとしたいでしょう? 天があれば、見えない世界があれば、その見えない無限の世界までも自分のものとしたいでしょう? なぜそうですか? 縦的な欲望、横的な欲望があるためです。


横的な欲望は、横的な世界である地球星全体を自分のものにしようとし、縦的な欲望は、この宇宙を自分のものにしようとします。分かりますか? 体は制限されています。地球星の限界線を脱することができません。しかし、縦的な世界は、いくらでも大きくなります。


そのようなことを見るとき、心の位置を代表しうる父が神様であり、体の位置を代表しうる父が、堕落しなかった真の愛を中心とした人類の始祖であったということです。体の位置を代表する父が人類の始祖になるべきなのだ! 分かりますか?(はい)。


統一教会では、歴史時代に分からなかった事実を探って、このような自体を対置して対応しうる名詞として聞いて使う言葉が真の父母というのだ!(アーメン!)ですから、横的な真の父母の位置が本来創造した理想観として見る神様の息子娘の位置であったというのです。アダム・エバの位置であったということです。ですから、神様は何ですか? 体のようなものがアダム・エバなら、縦的な心のような父の位置にいるのが神様です。


心のような神様と、体のようなこの方が一つになるには、何で一つになるか? 力ではなく、知識でもなく、権力でもありません。何ですか?(愛です)。愛です。

我々の心的な人格、体的な人格が本来一つになりうる原則的モデルに似たのが私個人であるために、原則的根本を訪ねてみるときに、体のような父がいなければならず、心のような父がいなければならないのです。そこで、心的父の位置が神様の位置であり、体的父の位置が人類の始祖になるのです。


では、人類の始祖と心的父である神様が、どこで一つになるのか? どこで一つになりますか? 真の愛を中心として、愛の球形の中で核の位置で一つになるべきなのです。縦的なものを中心として男女は訪ねていくのです。(一七七・三三七)


六)我々が知るべき「真の父母」の語義


・ 真の父母という言葉は貴い


皆さんは、真の父母という言葉がどれほど重要な言葉であり、どれほど貴い言葉であるかということを知るべきです。皆さんの国と大統領、先生、父母、兄弟は信じられなくても、真の父母だけは信ずべき義務があるのです。分かりますか、何のことか?(はい)。真の父母という観念の中には、地獄とか、悪なるサタン世界を救う、救いの観念がこもっているという事実を知るべきです。


これを考えなさい。皆さんが、サタン世界で死ぬしかない立場にいるのに、父母がいて皆さんの死の前に盾となりうる力となってあげることで、天地が公認し、歴史が公認しうるとしたら、それはどれほど誇るべきことですか? 神様が保障し、歴史が保障する真の父母! みなさん、そうですか? 真の父母という言葉がどのように出たきたか、それを知るべきなのです。


レバレンド・ムーンが真の父母になるんだと、このことを始めたのではないのです。レバレンド・ムーンを持たずしては仕事ができないから、仕方なくこの仕事をしているのです。分かりますか?(はい)。(一一六・一一三)


真の父母という言葉は誇るべきでありとてつもない


今まで我々継代の立場は、我々千万代の先祖たちが皆復活して、その復活した栄光を褒めたたえるとしても、それは堕落圏を脱しえない栄光であり、褒めたたえでした。


しかし、今日統一教会で言う真の父母というその言葉は、皆さんの立場は悲惨であっても、数限りない先祖たちとともに、あるいはこの地に勝利をもたらして万民解放圏を持った栄光の位置で褒めたたえる以上の価値を持った、誇るべき言葉であるという事実を皆さんは知るべきです。父母様に会った中で、神様に会うことができる道が連結するのであり、統一教会に出会ったこの位置は、遠くない将来に、神の国と父母様の願う祖国を探しうる道が連結しているという事実を知るべきです。



今まで人類は、生まれた国が違い、文化背景が違い、国境を異にして自分たちの祖国だと言いながら、歴史的な先祖たちが暮らしてきて、今の我々も暮らし、後孫たちも暮らすでしょうが、それは全部が堕落圏であることに間違いないのです。

皆さんは、その堕落圏を蹴って出て、今日の勝利を先祖たちとともに、自分の一族とともに、未来の後孫の前に誇り高く褒めたたえうる、勝利の栄光を褒めたたえうる、愛の祖国を探すべきです。その愛の祖国の中で、愛の父母を持つことができ、それだけでなく、祖国の中心である神様がおられるなら、神様に侍ることのできる位置だと言うときは、それ以上の栄光の位置はないというのです。皆さんはそれを知るべきです。(一三八・一〇六)


メシアは何か? 神様の愛を完成したアダム格であるために、本然の父の資格として来るのです。


それゆえ、その父を中心として、母がセンターとして、神様の本然の愛を中心としたその基盤を中心として、個人、家庭、氏族、民族、国家基準までの所有権が、真の愛を中心としてメシアのものとなった後に、国家のものであり、国民のものであり、家庭のものであり、個人のものであるという所有権版図が広がらなければならないのです。


ですから、メシア本然の愛が、初めて個人から国家まで形成されて、ローマと世界までその波紋が伝播されていたら、今日の再臨思想はありえなかったのです。


このように見るとき、アメリカが神様の愛の圏に属した国か? どうですか?(違います)。ご覧なさい。この地球上に、そのような過程を通過した国があるか?(ありません)。そうなのです。キリスト教を中心とした数多くの教会が、このような神様の愛の原則に一致した所有権に属しているかというとき、どうですか?(いいえ)。絶対的にありません。天国が地上にはないのです。


このように考えるとき、歴史を通じて真の愛、真の父母という言葉がどれほど偉大で、どれほどとてつもないかを知るべきです。


これだけが堕落圏内を貫いて、サタン世界を貫いて、上がっていくことができる一つの基地です。ですから、その真の父母という言葉をありがたく思うべきものであり、それ自体はさておいて、言葉だけ千回聞いて、万回聞いて感謝して余りうる内容だということを知るべきなのです。(一二九・一九四)


真の父母という言葉は驚くべき言葉


皆さんが知るべきことは、我々は堕落したことによって、我々の故郷を失ってしまったということです。また、国を失ってしまい、世界を失ってしまったのです。もっと進んでは、神様まで失ってしまい。神様の愛までも失ってしまったのです。このような膨大でとてつもないすべてを、再び探しうる一つの起源が何かというと、真の父母という驚くべき名詞なのです。


神様から見れば、今まで歴史的に願ってこられた摂理の目的が何か? この(真の父母)基準です。人類が堕落した以後、今まで蕩減歴史をしてきたのは、何をするためか? これ(真の父母)を探すためです。数多くのキリスト教徒たちが、今まで一日の願いを持って再臨の日を待つのもこのためであり、数多くの宗教が、全部この一日を願っているのもこのためです。このような事実を考えるとき、真の父母が生まれたのは、恐ろしくも驚くべき事件であることを知るべきです。


皆さんが故郷に行こうとするのは、そこに父母がいて、兄弟がいるためです。父母を中心として連結した人がいる所であるために、故郷をしのぶのです。そのような故郷を抱いている国、そのような故郷の人が連結しうるその国を、人々は自分の祖国だと言っています。一般的に祖国というのはそのようなものです。


そのような面で、本然の人を中心として見るとき、我々には故郷もなく、祖国もないのです。過去にもなく、現在もないのです。あるといっても、それは悪であって、我々とは何らの関係もないものです。真とは関係ないのです。(六七・二二七)


統一教会の真の父母という言葉は驚くべき言葉です。偽りの父母は、サタンの愛を中心として、落ちた愛でしたが、真の父母は神様の愛を中心として上がるので、愛の世界に前進していくのです。分かりますか、分かりませんか?(分かります!)


では、なぜ我々がその愛を探そうとするのか? 愛というものは、偉大なもフです。永遠に平等なものです。愛という名前だけ聞けば、いくら高い位置にでも一度に同参することができる資格をもつのです。女が字を一字も知らず、男が世界の大学者でも…。(一四四・二四一)


統一教会では、真の父母という言葉を言っています。これは驚くべき言葉です。真の父母が何ですか? 偽りの父母が生まれたので、真の父母が出てこなければなりません。真の父母は何をすべきか? サタン世界の根となる過った血統を正すべきであり、過った生命を取り返すべきであり、過った愛の道をまさに開かなければなりません。


聖書に「死なんとする者は生き、生かんとする者は死ぬ」とありますが、そのような逆説的な論理がなぜ出てこなければならないかというのです。サタン世界では死ななければなりません。(一六九・三九)



先生がハンサムではありませんがね、変わらない希望があるなら、神様のみ旨を追求しようとすることです。その理想的な目的の基準、その定着点が何かといえば、真の父母です、真の父母。分かりますか? 真の父母です。


では、神様のみ旨の完成が何か? 創造理想完成が何か? アダム・エバが愛の理想を成して、直接主管圏内で父母の位置に立ちうることが、理想的基準ではないかというのです。み旨の完成の位置ではないかというのです。


皆さんは、先生がこの地上に真の父母という名前を持って来たことが、どれほど驚くべきことかを知るべきです。分かりますか? 真の父母という言葉。世の中の言葉の中でいちばん福となる言葉が、堕落した人間においてはその国を失って捜すことよりも、世界を失って捜すことよりも、真の父母という言葉です。それは天地の何よりも貴いということを知るべきです。(一二七・二二一)

真の父母という言葉は恐ろしい言葉

統一教会での恐ろしい一つの教えが何か? それは「真の父母」という言葉です。この言葉は、神様も恐がる言葉であり、サタンも恐がる言葉です。我々人間は、サタン圏内にいる人間であるために、真の父母を中心として見るときに、彼に従っている人たちは、彼のみ言によって審判を受けるのです。


このような方が出てこなかったらいいのに、出てきたために審判しなければいけない立場に立つので、神様がその方の言葉を聞いてあげるのです。また、サタンがなぜ真の父母という言葉を恐れるか? この言葉を信じて従おうものなら、自分のすべてが破壊されてしまい、破綻してしまうためです。それで、彼には極めて恐ろしい言葉になるのです。


サタンは、いつも真の父母の行く道を妨げ、倒れるのを願い、悪くなるのを願う立場にいます。ですから、皆さんがこの道に従って行くのに、どれほど信じて従うかというのが問題になるのです。皆さんが、そのような先端に立ったなら、一歩一歩、行動一つを千年以上の精誠を尽くして、感激しながら行こうとしないといけないのです、それが今日皆さんの行くべき道であることを知るべきです。(六五・二七七)


私は、真の父母の名前がどれほど恐ろしいかということをよく知っています。私は平穏な位置を探すために生きる道を取ったのではなく、このみ旨の使命を完結させるために、今まで闘ってきました。


過去を回想すれば、事情も多く、無念なこともたくさんありましたが、あなたの事情、あなたの無念さに比べられないことが分かったので、ひざまづいて涙をあなたの前に見せられない、恥ずかしい姿であることが分かるのでございます。そのようなことを感じる私の心をお分かりになり、この日を期して天上世界と地上世界の門を開いてくださいませ。(一三四・一一六)


問題は何か? 真ということ、すなわち真の父母ということです。真の父母が何か? 真の父母という言葉がそんなに簡単な言葉ではありません。いちばん恐ろしい言葉です。その言葉がどれほど恐ろしい言葉か分かりません。


この真の父母という言葉一言のために、歴史が左右されます。この言葉を見つけ出すために、今まで数多くの先烈たちが犠牲の道を行きました。連続的な血の闘争を経て、身悶えし、絶叫しながら希望を抱いて探し出した名前が、真の父母という聖なる名前です。

真の父母の前には、真の子女がいなければなりません。それで、皆さんが真の子女になりましたか? 考えてみて下さい。皆さんが真の子女ですか? 真とは、過去にも現在にも未来にも変わらないものです。(三三・一〇九)

二、メシアと真の父母

一)歴史と真の父母


・ 堕落と真の父母


今、歴史時代に人類の終末時代が来ていますが、これが何かというと、民主と共産が交差するのです。サタン世界の全権時代が来て、全世界に澎湃していたのが、皆狂うようになれば、行く所がありません。そうなれば下っていくのです。七〇パーセントになれば下っていきます。七千年の歴史を中心として蕩減するのです。


この七千年が問題です。第一次世界大戦も、七〇パーセントをドイツが勝ったのです。日本が大東亜戦争と言った第二次大戦も、七〇パーセント以上勝利しました。そうなれば、そこから下り始めるのです。このように、皆原則的な公式を通じて、歴史も発展するということを知らないでしょう。


このように、偽りの父母として生まれたので、これは曲折が過ったのです。その上に、父母を中心として、このようになるべきなのに、このようになったからこれを解かなければなりません。個人的に解かなければならず、家庭的に解かなければならず、氏族的に解かなければならず、民族的に解かなければならず、国家的に解かなければならず、世界的に解かなければならず、天宙的に解かなければならないのです。(二一一・三一〇)


今日、我々が暮らすこの世界に、真の父母を迎えましたが、この地には真の父母の息子娘だけが暮らしているのではなく、堕落した父母の息子娘も暮らしています。本来は、真の父母の血肉を通して神様の愛する息子娘になるはずだったのが、堕落によって堕落した息子娘になってしまいました。それで、我々人類始祖が過ったことを解怨成就してあげるために、再び来られる父母が再臨主であり、救世主というものです。


彼が来ては、前もって産んでおいた長子を復帰しなければなりません。その長子が庶子のようになりました。血筋が変わりました。本然的愛から神様の血統を受け取っただろうに、堕落することによって他の血筋を受け継ぎました。そうだといって神様は捨てることはできません。


これは、庶子のようです。野生のオリーブの木です。この野生のオリーブの木の畑を悪魔が支配するので、神様が野生のオリーブの木を自分の所有にしなければいけないのです。これを強制的に強奪するのではありません。銃剣でするのではありません。自然屈服できる環境を中心として、冷遇されて打たれ、一つ、二つずつ奪ってくるのです。


今日キリスト教が世界的な版図を成すまで、どれほど犠牲の代価を払ったかしれません。殉教の祭壇に絶えず犠牲にさせることで、悲惨なその喊声が地球上に響きわたり、その泣き声が聞こえない所がないほど、そのような歴史を経てきたのです。その血の祭壇が連続し、今日目前にまで到達した歴史的な恨がもつれているということを知るべきです。これを受け継いで解怨すべき厳粛な歴史的課題を抱いている我々は、神様を解放し、キリスト教を再度解放しなければなりません。(二一〇・三六〇)


堕落が何かというと、悪魔の偽りの愛と、偽りの生命と、偽りの血統を蒔いておいたものだというのです。この男たち! 男の中で愛がありますか、ないですか?(あります)。生命がありますか、ないですか? 血筋、先祖から受け継いだものでしょう? では、この男がジェントルマンなら、歴史以来先祖から受け継いだ愛の結実であり、生命の結実であり、血統の結実だというのです。


それが何かというと、サタンの愛と、サタンの生命と、サタンの血を受け、神様の怨讐になりうるこのような立場に立ったその愛を受け継いだということです。これを振り切って脱ぎ捨てなければ、地上の平和はやってくることができないのです。それで、レバレンド・ムーンが真の父母の理想を持って出てきたのです。


トゥルー・ペアレンツ(true parents;真の父母)は、何をするか? この偽りの愛をきれいに清算して、個人が分立し、家庭が分立し、氏族・民族・国家が分立しうるよう平和と反対の悪魔の要素をきれいに清算するために闘争したのです。(二一七・一八五)

・ 歴史の願い

我々統一教会では、真の父母という言葉を使っているのです、真の父母。皆さんが今、この堕落した世界歴史について見るとき、この世界には堕落した父母が生まれた、堕落した父母が生まれて堕落した世界を成した、ということが分かるでしょう。


この世界は、どんな世界かというと、堕落した父母と因縁づけられた世界であって、真の父母、神様が理想とした本然の世界とは関係のない世界です。それゆえ、長い人類歴史を経てきながら、この世に多くの人たちが生きては死にましたが、彼らが幸福を歌いつつ「ああ、私は人間として生まれてやはり幸せで、人間として成功した人だ。すべての面において成功した一人だった」と宇宙の前に誇って暮らしていった人は一人もいないのです。


それで、人間の歴史は苦海と同じだ、悲哀の歴史だ、戦争の歴史だ、疾病の歴史だというのです。なぜこのようになったのかというと、堕落の結果によってこのようになったのです。


今、人類の希望は何か? 人間がどのように完成した人になるかということです、完成した人。神がいるなら、その神の前に、完全な絶対者がいるなら、その絶対者の前に、完全でありうる人をどこで探し、どこで成すかということです。


それで、今まですべての哲学を通じて、宗教を通じて、人間たちはそれを探しに探しましたが、その解決点を皆見れず、今はすべて放棄状態に至ったのです、それが現世の人間の立場だというのです。(一三七・八一)


今まで人間たちの歴史的な願いが何かというと、真の父母に侍ることです。真の父母を迎えるためのものなのです。神様がイスラエルの国とユダヤ教を立てられたのは、メシアを迎えるためなのです。メシアが誰かというと、真の父母です。また、キリスト教とキリスト教文化圏を作ったのは、再臨主を迎えるためなのです。再臨主は誰かというと、第三次アダムとして来られる真の父母です。


真の父母が来られる時になれば、世界のすべての痩ニが兄弟の因縁を持つので、第二次世界大戦後に、戦勝国家が敗戦国家を全部解放させるということが起こったのです。これは、兄さんの立場から弟を叩いて捕まえたので、そのような非正常的な歴史的現象が起こってきたのです。


歴史が願いつつ訪ね来たことが何かというと、真の父母に会うことです。宗教が出てきたのも、真の父母に会うためです。世界が出てきたのも、真の父母を探すため、国が出てきたのも、真の父母を探すためです。真の父母の道を備えるために出てきたのです。(五一・三五四)

歴史と真の父母


今まで宗教は何をしてきたか? 真なる息子一人に会うための努力をしてきたのです。神様は、真なる息子一人をお探しになるために、今まで苦労されたのです。それゆえ、宗教の教祖たちの中には女がいません。

皆さん、宗教の教祖の中に女がいますか、いませんか? いないでしょう? 全部男でしょう? これは、真なる息子一人を作るために、つないできたということを意味します。一段階、二段階、三段階、百段階…。このように上がって、最後のバトンを受け継いで勝敗を決定しうる一人の主人公、息子を探してきたのです。これが今までの歴史です。(四一・二八)


神様が宗教を作って何をするのだろうか? 何をしようというのか? 神様が宗教をなぜ作ったのか? 世界のぼろきれ、大きなぼろの版図を作るためのものではありません。目的は簡単です。神様が真なる愛で愛することができる人を探すためなのです。その一人を探すために、愛の環境的要件の中で、神様が守って、相対的な一人を探せばおしまいです。愛が、二つ、三つ必要ですか? 同様です。(一七三・三四)


神様の復帰歴史は、真の父母を立てるための歴史であるとも見ることができます。それゆえ、カイン・アベルから今日に至るまで、天は内的に真の父母を復帰するため、摂理してこられました。誰でもこの目的を成すための根本摂理に敵対したり、妨害したりすれば、彼は天道の前に捨てられるようになり、結局滅びるしかありません。(九・一〇)



歴史に通じるものは何か? 神様の解放は、真の父母と一つになって、地上のすべての祭物を捧げることができるサタンの讒訴条件を清算しなければなりません。それを清算しなければ、皆さんが行くことができません。皆さんがどのように神様の心情的所有権に逢着するか?


皆さんの父母とみなさんと万物が、平行線上で神様の所有であると決定しうる場を持つことができなかったのです。これを蕩減復帰すべきです。(一三七・二六九)

復帰摂理歴史は真の父母を探すための歴史


神様のみ旨に代わって、この地上に現れるべき真の父母はどんな方か?


万物に代わって、サタン世界と闘い、万物を主管しうる立場を収拾して、人間に代わって人間世界を主管しているサタンを壊滅させなければならず、霊界とも対決して、数多くの霊人たちまで主管できる絶対的な位置を構築しなければならない方です。真の父母にはそのような使命があります。


それで、神様は堕落した世の中を復帰なさるために、万物から人間、天までつながった一つの世界を復帰するため、今まで真の父母を送りうる道を築いてこられたのです。


我々は、復帰原理を通じて真の父母が現れるためには、真なる息子娘がいなければならず、真なる息子娘が現れるためには、真なる僕がいなければならないということを習いました。


そして、神様の復帰歴史を見ると、僕の時代を経て、子女の時代を経て、父母の日を迎えることができるように、神様が役事してこられたことが分かります。また、僕の時代から、養子の時代、子女の時代を経て、父母の時代まで復帰してくる間、霊界にいる霊人たちも協助してきたということを、我々は原理を通じて習いました。

外的に一国家の基準を超えて、世界的な基盤が備わる前には、真の父母はこの地に来ることができません。それで、神様は、ノアとアブラハムを経る二千年の摂理歴史期間があった後、ヤコブをして初めてイXラエル民族を形成しうる基盤を築くようになさいました。そして、その民族を通じて国家を形成するようになさいました。そうするまで、数多くの歴史路程を経てきながら、ご苦労されたのです。


そうするためには、個人の立場で神様に代わってサタンと対決して勝たなければならず、養子の立場で神様に代わってサタンと戦って勝たなければならず、直系の息子娘の立場でも神様に代わってサタン世界と戦って勝たなければなりません。そうでなければ、真の父母を迎えることができません。それゆえ、摂理歴史は旧約時代から新約時代を経て、今まで長い歴史を経てきているのです。


このように、僕の立場を復帰し、養子の立場を復帰した基盤の上で、直系の息子娘の立場を復帰し、すなわち勝利の基盤を築いておいた後に、真の父母の因縁を立てようとなさるのが、神様がこの地上にメシアをお送りになった目的でした。


イスラエル民族の不信で、神様が四千年間準備なさった僕の基盤が崩れ、養子の基盤も崩れました。それで、二千年前に来られたイエス様は、僕の立場で戦って勝利され、養子の立場で戦って勝利され、直系の息子の立場で進まなければなりませんでした。これがイエス様の立場であったことを我々は知っています。


養子の立場と直系の息子の立場を経た後、イスラエル民族を基盤として、真の父母の因縁を立てておいて行くのが、神様がイエス様を送られた目的でした。また、それをイエス様がこの地に来てなさるべき使命でした。ところで、イエス様が十字架にかかって亡くなられることによって、全体的な基準で勝利の基盤を築くことができず、霊界を中心として真の父母の因縁を開拓してこられたのです。


ところで、まだ個人的な位置、家庭的な位置、民族、国家的な位置をつかめずにいます。ただ、天のみ旨に対する個人と家庭と民族と国家を立てて、今まで回りに回ってきたということを、み旨を知った我々は知っています。


この世界的な時代を迎えて、天は必ず約束されたように、終わりの日になれば、新郎となられる主を送ってくださるでしょう。それで、新婦を選ばれ、真なる勝利の基盤をお築きになるでしょう。真の父母の位置は、本然の創造目的の位置であるために、そのような位置を築くため、神様は今まで六千年間闘ってこられたというのです。


それゆえ、六千年復帰摂理歴史は、この真の父母を迎えるための歴史だと言っても過言ではありません。その真の父母は、六千年摂理史全体に代わる方です。それで、その真の父母を探せなかったことが、人類の全体の悲しみに代わり、全体の苦痛に代わり、全体の悲哀に代わるということを、我々は知るべきです。


人類歴史は何の歴史かといえば、真の父母復帰歴史であると言うことができます。真の父母を復帰せずには、真なる子女が存在しえず、真なる子女の因縁を立てる前に、真なる家庭と真なる氏族と真なる民族・国家・世界・天宙が存在することができません。神様は、今までこの基準を立てるため、六千年という長い歳月を苦労してこられました。


今から二千年前に来られたイエス様は、この地上に初めて真の父母の栄光として来られた方でした。ところで、イエス様が真の父母として現れるためには、すなわち真の父母は、歴史的な結実体であるので、イエス様が歴史的な結実体として立たれるためには、一面的な勝利だけしてはいけないのです。息子の使命だけ果たしてもいけないのです。父母の使命を果たさなければならなかったのです。


イエス様は、この地上で肉的には息子の立場を復帰する路程を経ていかなければならず、霊的には父母の立場を復帰する路程を経ていかなければなりませんでした。このように、両面的な立場で責任を果たして、神様と一つになりうる起点を立てなければなりませんでした。


そうするとき初めて、その起点は、個人的イスラエルの基盤になり、家庭的イスラエルの基盤になるのです。民族的イスラエルの基盤になり、国家的イスラエルの基盤になり、このようになっていたら、霊的肉的に真の父母の基準を立てることができたのに、イスラエル民族がイエス様を不信することによって、その基準を立てることができませんでした。



本来、真の父母は、創造原理を見れば、霊的肉的に神様の祝福を受けた人でなければならないのです。ところで、イエス様はイスラエル民族の不信によって、真の父母になれませんでした。イエス様は、霊界に行かれても、真の父母を迎えることができる基盤を築いてこられたのです。


この言葉は、どういう意味か? この地に再び来られる主は、霊的な父母の立場を復帰しなければならず、肉的な父母の立場を復帰しなければなりません。これをご存知のイエス様は、それで今まで二千年間、霊界に行かれて何をなされたのかというと、再び来られる主が霊界から迫害を受けないで、蹂躙されえない基盤を築かれました。イエス様を中心とした霊的な社会、国家、世界的な基盤を築かれました。

イエス様は地上ではなく、霊界で摂理してこられたために、キリスト教を信じる人たちは、全部霊的父母と因縁を結んできたのです。


この地に再び来られる主は、イエス様が洗礼ヨハネからすべての祝福を相続されたのと同様に、イエス様からイエス様が霊界で築いておかれた霊的な個人・家庭・国家・世界的な基盤を相続しなければなりません。そのような立場を経ずしては、真の父母の因縁をこの地に立てることができないのです。


地上で霊的な相続の基準を立てるのが原則です。これは、地上のキリスト教徒たちが、イエス様が再び来られる主に霊的な基盤を相続されるようになるとき、一つになれば、地上で相続の基準が築くことができたのですが、今までキリスト教徒たちがこのような基準を立てておけなかったために、霊的な勝利の基盤が、来られる真の父母の前にそっくりそのまま移されることができなかったのです。


それによって、再び来られる真の御父母様は、再度霊的相続の基準を復帰し、肉的な相続の基準を復帰する闘争歴史を経ていかなくてはならなかったのです。


本来、神様が六千年間摂理されたことは、来られる真の父母の基盤を備えて、当代に勝利の基盤を築かせるためだったのに、この地上にいる聖徒たちが霊的父母の命令に一致団結して従うことができなかったことによって、その命令に歩調を合わせられなかったことによって、今までイエス様が築いておいた霊的基盤を、再び来られる主が相続する基準が立てられなかったのです。

それで、再び来られる主は、真の父母となられる方は、再び霊的な世界から、個人的試練から、家庭、氏族、民族、国家、世界的な試練を受けなければなりません。その試練に勝たずしては、内的勝利の基準を立てずしては、地上に実体的な勝利の基準を立てられないので、内的な闘いをしてこざるをえないのです。(一三・二八一)


神様が復帰摂理をなぜなさるのか? 本然の父母、すなわち真の父母の因縁を立てるためです。では、真の父母はどんな方か? 真の父母は、神様が臨在しうる実体聖殿です。皆さんは、これが実際に実感できますか? その価値がどれほど大きいでしょうか? 皆さんの家ぐらいになりますか? でなければ、皆さんの体、皆さんの息子娘、皆さんが暮らしている国、世界と同じですか?

ところが、神様を知るのに、自分の家のタンスの中に入っている廃物よりも劣ると思っている人がいるのです。そのような人たちが、神様に「福を下さいませ!」と言っています。そのような人たちを通じて、神様のみ旨が成されうるでしょうか? 神様のみ旨が成されうるかというのです。皆さんは、それを知るべきです。(二二・四四)


二)メシアは真の父母


・ メシアは真の父母である


来られるメシアは、どのような方か? 個人はもちろんであり、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙全部をかけておいて、信仰と希望と愛の実体として立ちうる方です。その方が、このような場に立ってこそ、初めて人類の歴史上に残っている信仰が、結実しうるのであり、希望が結実しうるのであり、愛が結実しうるのです。


そうでなければ、信仰と希望と愛が結実することができません。その方が言う言葉は、個人的な言葉ではありません。皆さんもそんな信念を持って叫ぶようになるとき、その言葉は個人の口から出てくる言葉ですが、世界史的な内容と因縁を備えた言葉になるということを知るべきです。


知恵深い人とは、どのような人か? 世界的な時を、希望の時をまず区別するすべを知る知覚を持った人です。それを予め知って、分析して、批判して、実践して、自分のものにする責任を負うことのできる立場に立っている人が、知恵深い人です。


メシアがこの地上に来られるとき、彼は個人として来られますが、個人ではありません。その方の価値は、全世界の人類が信じている信仰の結実体であり、全世界の人類が願っている希望の結実体であり、全世界が願っている愛の結実体です。


その結実体には、すべての歴史路程がつながっています。すなわち、過去、現在、未来が皆つながっています。そして、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界が全部つながっており、天と地がすべてつながっているのです。(一三・一四三)


メシアは真の父母である。我々は真の子女である。同じ運命圏に立って、そこに加わらなければいけない。(五五・九九)

メシアの顕現過程


今まで宗教が出てきていますが、使命は何かというと、一人を探そうということです。数多くの宗教が救いを得て何がどうだと言いますが、世界的によりすぐって、最高の位置に上がりうる人、その位置を超えたその一人を探そうというのです。その一人を立てようというのです。


このように、すべての宗教の中心は、一人ですが、その存在が誰かというと、メシアというものです。言い換えれば、すべての宗教が一人を探してくるのに、その一人、中心存在が誰かといえば、メシア、救世主というものです。


メシアが来る所には、その場に一度に来るのではありません。七年路程を経なければなりません。メシアは男です。そのメシアが来て、サタン世界で血統的な関係を超越して、サタンに勝たなければなりません。


勝ったその男を中心として、家庭的に勝たなければならず、氏族的に勝たなければならず、民族的に勝たなければならず、国家的に勝った基盤を作っておかなければならないのです。男一人だけをもってしてはいけません。すなわち、サタン世界よりもましにならなければなりません。サタン世界に属した家庭より優位に立たなくては、メシアは彼らを率いることができる立場になれないのです。


サタン世界の最高の基準が何かというと、国家というものです、国家。サタンは、いつも国家を中心として反対してきました。サタンは、国を持ったために、その国を中心として個人的にも天を叩き、家庭的にも天を叩き、氏族的にも天を叩き、民族的にも天を叩いたのです。いつもこの国を中心として、天が築いてきた道をいつも妨害してきたのです。


結局、反対されて迫害されるのは、劣っているためであって、勝っているならかえって迫害することができ、支配することができるのです。人間が堕落したことによって、この世界はサタン世界になったために、この世界にはサタン側の個人もいくらでもいるのであり、家庭もいくらでもいるのであり、氏族もいくらでもいるのであり、国家もいくらでもあるのです。ですが、天の側はいないのです。個人はいますが、その基準に上がった家庭や、氏族や、民族や、国家がないのです。


結局、メシア個人として家庭に勝ち、メシア個人として氏族に勝ち、メシア個人として国家に勝ちうる基盤がなくては、一般の人が上がる道がないということです。


それで、神様は、この地上にメシアが来るようになれば、メシアに従って共に上がりうる圏を、個人から家庭を経て準備しておきましたが、それがイスラエル民族です。そして、その思想が選民思想なのです。


しかし、イスラエルの国は、まだここに上がれませでした。線に引っかかったのと同じです。それゆえ、選民の希望が何かというと、この線を越えることです。この線を越えるべきであって、越えなければ大変なことになるのです。ですが、この線を越えようとしても、自分たちだけでは越える道がありません。

ですから、神様はイスラエル民族にメシア、すなわち救世主を送るという約束をしたのです。神様がこれを国家的に越えるために、数千年間準備されたのがメシアです。メシアを送るという約束をされたのです。


それで、イスラエル民族の前にメシアが来るようになれば、そのメシアを中心として死ぬとしても共に死のうという立場になって、サタンが離そうとしても離すことができないように完全に一つになれば、そこから個人的に接ぎ木して、家庭的に接ぎ木して、氏族的に接ぎ木して、民族的に接ぎ木して、国家的に接ぎ木して、彼らを一時に皆ここまで引き上げあることができるのです。


それゆえ、この世界には、選民思想がなければなりません。そうして、神様が選んだ民族を中心として、神様が選びうる国家を形成しなければならないのです。選民がいるというその言葉自体は、神様がいるという事実を証すものなのです。メシアを送るという預言があるということは、このような原則で見るとき、神様がいることを証すものです。


では、我々がメシアを必要とするようになったのは、何の目的があってか? それが問題です。堕落することによって、我々は偽りの父母を持ちました。神様と一つになった父母がなくなったということです。神様と一つになりうる父母の位置を、我々に持ってきてくれる方がメシアです。これが第一です。


第二は何かというと、我々を再び産んでくれるのです。結局は、我々の体にサタンの血があるから、その血を抜いてサタンの息子娘でないという立場で、我々を接ぎ木して再び産んでくれるということです。


第三は何かというと、メシアは我々人間を、サタン悪魔を僕の奴にして、僕として使うことのできる人に作り上げるということです。すなわち、我々人間たちの前にメシアが来て、我々をしてサタンを屈服させて僕にしうる、サタンを屈服させて彼を処断しうる資格者にしてくれるということです。


結局、人間が堕落したために、第一は、父母を失い、第二は、サタンの血を受け、第三は、サタンの支配を受けるようになったのです。ですから、それを復帰するためには、逆さまに上がっていかなければなりません。

原理を見ると、信仰基台があり、実体基台があります。信仰基台を成して実体基台を成してこそ、メシアを迎えることができるようになっているのです。これが原理なのです。それゆえ、信仰基台と実体基台まで成そうというのです、外的に。(五四・一八六)


メシアは、それ自体が信仰の目的体であり、希望の目的体であり、愛の目的体です。信仰と希望が成された目的体です。では、メシアを主として、目的を完成したそのときには、何だけが残るだろうか? 目的が皆達成したので、愛だけ残るしかありません。


それゆえに、最後に残るのは愛であると言いました。その愛は、信仰の完成実体を通じた愛であり、希望の完成実体を通じた愛です。その愛一つを主にした代表者として来られる方が、メシアだということを我々は知っています。(一三・一四一)

メシアの使命


メシアのみ旨は何か? 縦的な基盤完結を見て、横的基盤の出現を成立させることです。そうであるなら、メシアは何か? 天倫のすべてを、神様と人類が行くべき公の目的を縦的基準に一致させて、個人的な縦的完成標準、家庭的な縦的完成標準、国家的な縦的完成標準、世界的な縦的完成標準を完成させるために、その内的計画を全部掌握して来られる方が再臨主だというのです。(七一・八〇)



宇宙をじっと見ると、偉いという存在が二つあります。神様とサタンしかないのです。(笑い)そうではないですか? 善悪の主人が戦っているのです。人間を中心として善悪の闘争であるのです。


サタンがどれほど偉いですか? 今までの人間の歴史を人類学で見るなら、一五〇万年がどうだこうだと言いますが、悪の闘争をする総大将として、神様までひどい目にあわせてきて、びくともできないようにして、神様も足を持ち上げられてどうしようもできなくするサタンが、どれほど偉いかというのです。


この戦いを誰が終えなければならないか? 神様もその戦いを終えられず、サタンも終えられません。このような言葉は、初めて聞くのです。悪神と善神の戦いを誰が終わらせてあげることができるか? それは、神様でもなく、サタンでもありません。では誰が? 人間が。どんな人間?(真なる人間!)真なる人間。


真の愛から出発して、真の愛を持って行く、世界万民がついていくことができる愛の主人公にならなくては、神様とサタンの戦いを終えることができないのです。この戦いから解放されない限り、人間の歴史世界において、平和という言葉は妄想的な言葉になるのです。理想という言葉は、抽象的であり感傷的な言葉に過ぎません。


では、誰がこの戦いを解決できるかというのです。それで神様は、この代表者を送りましたが、その主流の思想をメシア思想というのです。分かりますか?(はい)。救世主思想。救世主は、人間だけでなく、神様まで解冾キる人を言います。悪を処断することを言います。神様解放と悪を決算するための総責任者が救世主です。


救世主の「世」というのは、この世の中を言うのです。神様がこの世を愛されてひとり子を下さったのであって、キリスト教を愛されてひとり子を下さいましたか? ヨハネ福音書三章一六節をすらすらとよく覚えるキリスト教徒たち! 神様がキリスト教会を愛されてひとり子を送られたので、誰もが私を信じれば滅びず救いを受けると言いましたか?「神様が世の中をこのように愛されて」といったこの言葉を取ってしまって。


救世主の使命は何か? 神様を解放することであり、サタンを処断することです。そのように人間に食いついて、さっさと処理しながら讒訴していた怨恨の元凶を誰が清算するか? 神様はできません。神様はできないのです。救世主だけができます。(一三六・二二〇)


メシアが来て何をするのか? 初めて、歴史上において一つの国の主権と国土と民を探し、それを基盤として、横的な世界を奪うための戦いをコーチする司令官として来るのです。それがメシアの使命です。分かりますか?(はい)。これを知るべきなのです。



サタンを屈服させるには、国家だけ屈服させてはいけません。サタンは、世界的な主権を持っているために、世界主権まで追放しなければなりません。そうしてこそ初めて、この地球星に解放圏が生じるようになるのです。分かりますか?(はい)。


地球星のどこに行っても、サタンが反対する陰があっては、神様が自由と平和の園として創ったエデンの園の理想が実現されません。地球星に、サタンが反対しうる影がなくなってこそ、地上天国が完成するのです。地上でそのことが完了されてこそ、天上世界の解放運動を始めることができるのです。分かりますか?(はい)。これが統一教会の食口たちが行くべき道です。確実に分かったでしょう?(はい)。(五七・一三〇)


メシアがすべきことは何か? 個人的にサタンを屈服させ、サタンの血統を除去し、個人的に勝利の道を築くべきであり、家庭的に築くべきであり、国家的に築くべきであり、世界的に勝利の道を築くべきです。これがメシアの行く道です。言い換えれば、


第一は、個人が行く道を築くべきであり、


第二は、家庭が行く道を築くべきであり、

第三は、国家が行く道を築くべきであり、


第四は、世界が行く道を築くべきです。


個人的に勝った次には、世界的なサタンが動員して、国家と民主世界が合わさり、攻撃をしてきても、それと戦って勝たなければならないのです。家庭的にも全世界的にそうしなければなりません。言い換えれば、ヤコブが天使と戦って勝ったのと同じであり、アベルがカインに勝ったことと同様に勝たなければなりません。これは、一対一の戦いなのです。


ですが、今のときは、カインのサタン世界全体を打たなければならないのに、そうするには、そうすることのできる最も先端の代表的な国がなければなりません。そこが韓国です。

(五四・一九八)


三)イエス様と真の父母


イエス様はどんな方か? エデンの園で、アダム・エバが堕落することによって、真の父母になれず、偽りの父母になり、偽りの子孫を産んだので、これを再び復帰するための真の父母として来られたのです。アダム・エバは、真の父母になれなかったのと同時に、真の夫婦になれなかったので、真の子女にもなれませんでした。


それゆえ、イエス様を完全に信じて、イエス様と一つになれば、真の子女復帰、真の夫婦復帰、真の父母復帰をすることができるのです。それで、イエス様をいちばん愛せということです。皆さんはそれを知るべきです。(八・一〇九)

黙示録に見ると、終わりの日には、主が新婦を迎えにこの地に来られるという内容があります。皆さん「子羊の宴」が何か分かりますか? それは、歴史以来初めて一人の新郎と一人の新婦が、神様の愛を中心として夫婦を成す宴の日を言うのです。


我々人類の始祖が堕落することによって、我々の先祖は善の父母ではなく、悪なる父母になりました。それゆえ、神様が構想された位置、我々人類の先祖が堕落しないで成すべきだった本然の父母の位置、真であり善の父母の位置は、まだ現れず、成すことができなかったのです。


聖書に見ると「私はアルパでありオメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終わりである(黙二二:一三)」と言われた所があります。創世記から成そうとされた目的を成すことができず、堕落したために、黙示録に行って終わりになるのです。


では、イエス様はどのような方として来られたか? アダムが堕落したために、堕落しないで神様の愛に一致しうる完成したアダムとして来られたのです。それで、コリント人への第一の手紙一五章四五節に見ると「『最初の人アダムは、生きた者となった』と書いてあるとおりである。しかし最後のアダムは命を与える霊となった」と言いました。


聖書に見ると、イエス様を第二番目のアダムと指摘しました。神様が我々人間に賦与しうる真なる息子の位置、夫婦の位置、父母の位置を決定づけずには、神様が計画された家庭を探すことができないために、それが地上に現れなければならないのです。


皆さん、世界には数多くの宗教がありますが、その中で、キリスト教だけが四大要件を中心として、神様の息子になり、神様と一つの体になり、神様のみ旨の中で互いに新郎新婦を迎え、新しい家庭を構想する理念を持っています。イエス様がそのような理念を持って来られたために、イエス様を中心としたキリスト教は、世界的な宗教にならざるをえなかったのです。(五四・一〇八)

四)再臨と真の父母


・ 準備すべきメシアを迎えること


皆さんの暮らす所はどこですか?(天国です)。今そこに暮らしていますか?(いいえ)。では、その天国というのは一度に出てきますか?(出てきません)。


では、天国が出てくる前に何が出てくるべきですか?(メシアです)。メシアだけではだめなのです。イスラエルの国の前にメシアが来たではないかということです。しかし、だめだったのです。ユダヤの国に、イスラエルの国に、イエス様が来ましたが、天国がなされたのかというのです。


それゆえ、天国が来る前に、天国の民族が出てこなければならないということです。それを知るべきなのです。では、その民族が出てくるには、どうすべきでしょうか? 一度に民族がやたらに出てきますか? 特別な氏族が出てこなければならないのです。その氏族が出てきて、民族を動かさなければなりません。


では、氏族が出てくるにはどうすべきか? そうするには、親族がいなければならないのです。その親族が出てくるには、どのようにすべきか? 親族の中心になる家庭が出てこなければならないのです。また、その家庭が出てくるには、どのようにすべきか? 息子がいて、父母がいなければならないというのです。では、その子女が出てくるには、どのようにならなるべきか? その父母がいなければなりません。その父母が出てくるには、どのようにすべきか? 天国のすべてを代表しうる一人の男がいなければならないのです。


それが誰か? メシアです、メシア。その男は、どのようになるべきか? 男が父母になるには、相手を探して、一つにならなければならないのです。それがキリスト教の教えです。それが終末です。


このように逆さまに落ちたのを、世界的なキリスト教の基盤の上に二千年間イエスを中心として、反対に霊的な復帰をしてきたのです。これが霊的なキリスト教なのです。ここでメシアを迎えれば、すべてが終わるのです。


ここに再臨主が来るということです。これを逆さまにするのです。そうして、全世界が一つになり、国家どうし一つになり、そのようになるのです。国家の中で、キリスト教の宗派が一つになり、宗派の中ですべての祭司長たちが一つにならなければなりません。このようになるべきです。宗派が一つになるためには、祭司長たちが一つにならなければならないのです。祭司長たちが一つになって、イエスと一つになるべきなのです。そうしてイエスに侍ってA一つになるようになれば、一時に世界が復帰されるのです。これを二千年間準備してきたのです。


しかし、これが断たれたため、すなわちこれがすべてだめだったため、どのようにしなければならないかというと、再び準備をしなければならないのです。(六六・二七七)


・ 再臨主のすべきこと


来られる主がすべきことは何か? サタンに勝利すべきであり、その次にはすべての霊人たちに勝利すべきなのです。


皆さん、今日道士たちが、自分が天下に何になると誇る人たちがいますが、この堕落圏を収拾しうる内容がどのようになっているかということを知らないで、ただ時だけ願って精誠を尽くすばかりではだめなのです。


サタン圏に勝利して、その次には何に勝利すべきですか? 霊界圏に勝利すべきです。それは、見える世界ではなく、見えない世界だというのです。見えない世界と闘争をして、サタンに勝利できないようになれば、霊界に進展しうる道が生まれてこないというのです。必ず妨害を受けるために、霊界に入ろうとしても、入ることもできないし、入っても戦って勝つことができないというのです。


それゆえ、サタン圏で勝利圏を持って、その次には、霊界に入って勝利圏を備えて、雑教から全部経て最高の宗教、キリスト教が最高の主流の宗教なら、キリスト教どうしで屈服させることをしなければなりません。それは何かというと、彼らのすべてを相続しなければならないということです。



このような戦いの過程を経て、天地に勝利的公認を受けうるようになるときに、神様から「おまえはサタンと霊界の勝利者だ!」という立て札をもらって、地上の実践路程が始まるのだということを皆さんは知るべきです。分かりますか、何の話か?(はい)。そのような歴史が残っているのです。


では、来られる主は、どんな方か? サタン悪魔を屈服させなければならず、数多くの霊人、数多くの教祖、数多くの指導者たちは、全部一対一を中心として、神様の人格を中心として・神様の人格完成というのは、必ず神様の真なる愛を中心としてできるために・神様の真なる愛を中心として、宗教とこの宇宙がどうだということを、全部納得させることによって屈服するのです。


言い換えれば、この地上のもっと高い愛の主人公のOに吸収されようとするのが、この万有の存在だというのです。そうではないですか? 鳥たちや犬たちも、自分をもっと愛してくれる町内、自分のために与えうる町内を訪ねていくのです。同じことです。


それゆえ、愛は、真の愛を中心としてここで屈服させて、彼らのすべての権限を相続しなければならないのです。統一圏の相続を受けなければなりません。分かりますか?(はい)。それがメシアという方がこの地上で果たすべき責任です。


一度にキリスト教だけ一つになったのではだめなのです。そうして、キリスト教だけ地上で一つにすることができるかもしれませんが、霊界の背景である仏教文化圏、回教文化圏、全体の文化圏が相対的に基盤ができた地上に、この境界線が残っている限り、これを全部打破できない限り、その根となる霊界に行って一つになりうる起源を形成できない限り、地上においてそのようなすべての特色のある文化圏の統一をもたらすことはできないのです。(一〇〇・一八)


本質的に天の本然の愛を持って、この国を一つにして、世界を一つにして、天地を一つにしうるそのような責任を持った人がメシアですが、メシアがそのようなことができますか? 神様ご自身もできないのに、彼ができるかというのです。



では、このような観点で見るときに、これからメシアが持って出てくるべき宗教、神様が立てるべき宗教がどのような宗教であるだろうか? 愛を中心として、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙を統一する、という強力な力を持った宗教でなければだめだという結論が出てくるのです。「それがメシアが来てすべき目的ではないか? それが神様がメシアを送る目的ではないか?」サタンもこのように言います。メシアがすべきことがそれだということが決定されたのです。(一三〇・一七五)


三、真の父母の必要性

一)普遍的父母も必要


本来神様は、アダム・エバを創っておいて、自分の中に父母として子供に対する実を自分が持つと同時に、子供が父母に対する実を持つようになることで、二人とも完成させうることを願ったのです。このようになれば、神様は二人とも収めて持つことができるという言葉も成立するのです。


では、なぜ父母が必要であり、なぜ子供が必要かということです。神様は霊的でしょう? 分かりますか? 神様は霊的です。息子は地的です。分かりますか? 神様は霊的であり、息子は地的です。父子関係がそうなのです。

そのような見えない神様が、見える息子を通じて実を結ぶことによって、見えない神様が、息子の心の中に見える神様の価値として現れるのです。それはどういう意味か分かりますか?(はい)。見えない神様が、息子の心の中にも開かれて、息子の実も結ばれ、また、父の実までも息子の中に移してやることができるというのが可能だということです。ですから、神様に対しては、神様の実も結ばれ、父母の実も結ばれるのです。同等な価値を持つということです。


では、父母をなぜ必要とし、子供をなぜ必要としますか? 神様でも愛を持ったら、相対が必要なのです。我々は子供でも愛を持ったら相対が必要なのに、この相対的関係が何かというと、天と地の関係です。垂直条件です。


この半分を切ると、半分は霊的世界であり、半分は肉的世界です。見えない神様の息子娘として生まれて、役事してみなさい。相対的極です。極から生まれて、これが大きくなるのです。もっと大きくなりながら、見えない神様も見出さなければならないと言って、初めて新郎新婦になり、夫婦が愛で一つになることによって、霊的上弦と肉的下弦が統一をもたらすのです。



父母を必要とするのは、天国を占領するためであり、父母が子供の愛を願うのは、地を占めるためだという結論が出てきました。父母の心は天の心です。この天の心をいつ知るかというと、子供のときには分かりません。父母になってこそ分かるのです。分かりますか?


二つの世界を占領して、一つにするためのこのようなことをするのが愛だというのです。このようになるとき、父子関係は栄えある父子関係だということです。同じなのです。誰も後ろに回すことができず、誰も前に回すことができません。一つです、一つ。そうでしょう? そうするとき、栄えある父子関係だということです。分かるかいな、分からんかいな?(分かります!)


それで人々は、父母がいない人をかわいそうだと言うのです。なぜ? 霊界と肉界を占領する道がないからです。また、子供がいなければ、かわいそうだと言うでしょう? 神様の創造理想が、子供と父母が合わさって天宙を愛で結ぶよう、創造的原則モデルがそのようになっているのに、一等モデルに不合格になりうる立場にいるから、等外品になることによって、これはごみ箱に入るのです。地獄へ行くのです。それで、子供がなく、父母がない人は悲しい人です。(二二二・三一〇)

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二)世の中の父母と真の父母


皆さん、世の中で皆さんを産んでくれた両親は、どのような立場にいますか? トゥルー・ペアレンツ(true parents)という言葉の反対のイーヴル・ペアレンツ(evil parents:サタンの父母)という概念に該当するのです。では「レバレンド・ムーンがトゥルー・ペアレンツなら、我々のリアル・ペアレンツ(real parents:本当の父母)はイーヴル・ペアレンツだという言葉ではないか」と言いますが、それが問題です。


堕落しなかった世の中に「おお、あれは私の息子娘だ!」と主張しうる息子娘がいましたか? 二つの親の中で、一つの新しい父母を探すために、昔の父母を捨てなければならない、そのような概念がエデンの園にありましたか?(いいえ)。なぜ、このような運命の中に生まれましたか? なぜ、このような運命を持って生まれましたか? その運命は、神様が創ったのではなく、サタンが創りました。悪魔が創っておいた世の中です。堕落したために。


そこでサタンは、全部分けておいたのです。父母を分けておき、息子娘を分けておき、家庭を分けておき、国家を分けておき。世界を全部こっぱみじんに分けておいたのです。そのように分けておく日が終わりの日であるのす。終わりということは末世です。これを知るべきです。

世の中の終わりの日になれば、新しい日が出発します。我々の原理で言って、終わりの日でありながら新しい理想が出発すれば、神様はどうするか? 分かれたものを全部統合してくる運動をするのです。


トゥルー・ペアレンツが何ですか? 肉親の父母と真の父母と何が違いますか? 真の父母が何ですか? 何をするのが真の父母ですか? 何の愛を教えてくれるのが真の父母ですか? 愛を中心として言うとき、その肉親の父母と真の父母と何が違いますか? 愛に対する概念が違います。愛の概念が違うのです。皆さんの肉的父母は、肉親を中心とした愛を教えてくれるのであり、霊的父母は、霊的な世界を中心とした愛を教えてくれるのです。内容が違うのです。



皆さん、肉的な父母だけいればいいのに、霊的父母がなぜ必要ですか? 堕落したためです、堕落。今まで、堕落した父母が何を教えてくれたかというと、半分以上大きいものを皆取ってしまい、自分を中心として絶えず下っていくことを教えてくれました。それで、父母の愛を中心として、このサタン世界に永遠にいるようにするための一つの決定的な線が引かれました。これを断つ道はありません。(一二九・九九)


真の父母が生まれれば、神様を中心として愛するために、真の父母が愛するすべてを神様が愛さざるをえません。それを知るべきなのです。原則がそのようになっているのです。それで「我々はあのサタン世界で生まれたが、真の父母に従おう。うちの親も、うちよりも、うちの息子娘よりも、真の御父母様の国とその家庭がもっといい。より良いものた神様の愛だ。」このように従おうとしなければなりません。


真の父母が愛するようになれば、いくらサタンが引いていこうとしても。神様と真の御父母様の愛の圏は本来の世界の理想圏であるために、この息子娘は、サタンが取っていくことはできないのです。


ムーニーたちの中には、五色人種がまだらになって皆いるでしょう?(はい)。皆さんも父母がいるでしょう?(はい)。それは何の父母ですか? ノーマル・ペアレンツ(normal parents;通常の父母)です。その次に、統一教会には何の父母がいますか?(トゥルー・ペアレンツ(true parents;真の父母)) トゥルー・ペアレンツは、スペシャル・ペアレンツ(special parents;特別な父母)ですか、ノーマル・ペアレンツですか?(スペシャル・ペアレンツです)。皆さんの父母とは違います。


皆さんの通常の父母は、皆さんがレバレンド・ムーンに行くのを拉致していこうとし、皆さんは特別な父母に行こうとして大変な大騒ぎです。大騒ぎです、大騒ぎ。しかし、特別な父母は、目をつぶってこのようにじっとしているのです。来いとも言いません。来るなら来て、そうでないならそうでなく。


皆さんの通常の父母は、強引に通そうとして「レバレンド・ムーンは、サタンである、異端だ!」と大騒ぎしますが、真の父母は「フンフン、おまえたちがこのように生まれて…。」そう言っているのです。しかし、皆さんの父母は「我々は特別な父母だ。」そう言うのです。(一二八・一三八)


先生は、何かというと三時代の父母です。旧約時代、新約時代、成約時代の父母だということです。それで真の父母です。皆さんが「父母」の名前で祈りますが、皆さんは父母の名前で祈ってはいけないのです。父母様の名前で祈ることができる人はたった一人の方、先生しかいません。それをはっきり知りなさい。教えてあげなさい。



では、皆さんを産んでくれた父母と、真の父母と、何が違いますか? 同じではありません。皆さんの父母は、一時代の父母の位置にいますが、先生は三時代、霊界や、これから生まれる人や、すべて三時代圏内の父母の位置であるということです。それが芽と根です。ここにつながったのです。


皆さんの父母は、枝の父母です。分かりますか? 枝について芽が育つでしょう? ですから、その父母はその時代の枝の父母ですが、先生は三時代の父母なのです。根の時代の父母にもなり、幹と枝、葉の時代の父母にもなるのです。分かりますか?


それで、いつも真の父母という言葉を忘れてはいけないのです。私が父母の名前で祈るからといって、全部先生に従うのだと三六家庭も「父母様の名前で祈ります」と言いますが、太っ腹なのです。それは原理に引っかかるのです。分かりますか? それを知らなければならないのです。

そうなれば、どんなことが起こるか? 父と母が父母だというので、子供が思うとき、「うちの親は誰だ? 何が違う?」このように混乱が起きます。そのようになってはいけません。ですから、それは一代に対する父母であり、先生は三時代の父母を備えているのです。茎です、茎。茎の父母です。ですから、先生に対しておじいさんも父母、お父さんも父母、孫も父母、三時代、三段階です。何の話か分かりますか?(はい)。それをはっきり知るべきなのです。


それゆえ、父母様は勝手にできないのです。根を離れては勝手にできないのです。「ああ、枝の姿が歩き回ればいい」と言えないのです。


根が勝手にできますか? 芽が勝手に行けますか? 枝が恋しいのです。億千万年その枝を守るのがどれほどもどかしいですか? そうではないですか? この位置でこれがどれほどもどかしいですか? 一つの位置に枯れて死ぬほど芽をつけて…。そこは自由がないのです。自由がないのです。ですが、枝は勝手に通えるのです、枝は。そのようなことを知らなければなりません。(一四一・二二六)


三)真の父母が来るべき理由


皆さんの願いは何ですか? 天国の人になるとか、天国の子女になりたいでしょう? それが願いでしょう?(はい)。天国の民、天国の子女にさえなれば、天国は自然に生まれるのです。


このように見るとき、天国が民主主義の世界ですか、どんな世界ですか? 民主主義の世界というのは、これから主が来て、政権交替をたやくするための一つの方便であり、過渡期的な現象の主義です。これから地上に主が現れれば、全世界の民が主に従うのであって、誰に従いますか? 分かりますか? 民は、全部主の前に進まなければなりません。そうすれば、全世界の国家組織を一つの国家として編成するのに便利なのです。


ところで、民主主義をもってしては世界が一つになれないのです。それはすでに実験済みです。アメリカが世界を指導できるか? アメリカ自体が滅びるようになりました。それゆえ、どうしてアメリカを生かし、アメリカが世界を支配できるようにするかというのです。それが神様のみ旨ならば、これは必ず統一教会の思想、レバレンド・ムーン主義を中心として対処しなければなりません。そうする前には、アメリカが生きる道がなく、アメリカ国民を通じて天国に行く橋を置くことができないのです。


このようは原則で、霊界がなっているのに、肉界にこのようなものが現れたら、どれほど引っかかるでしょうか? 神様を中心として、第二は真の父母が現れ、第三は真の子女が現れ、第四は真の国民を通じた真の国家が現れなければならないのです。そうなるのをどれほど待ち望んだかというのです。皆さんが地上に現れて、本然のみ旨をなすことを、霊界に行った霊人たちが、数千年間どれほど待ち望んできただろうかというのです。


この世界を主管するものは何か? 第一は、サタンを中心として、第二は、偽りの父母、すなわち堕落した父母、悪なる父母を中心として、第三は、悪なる子女、第四は悪なる国家、このようになるのです。霊界の世界や、これからの理想世界は、これを全部否定しなければなりません。


統一教会で真の父母というので、皆さんの親は「我々は何か?」と反対するのです。真の息子娘になるという子供を拉致する事件が起きるのです。それで、悪なる世の中のすべての国が反対して追い出しましたが、今は反対できません。今は、戦ってみてもレバレンド・ムーンに勝てないのです。


ですからここ、サタン圏内から脱出しなければなりません。脱出するにおいて、サタンが個人、家庭、氏族、民族、国家、世界全部を総動員して、脱出できないようにしています。最後の決戦です。(一六一・二二四)

四)真の父母出現の前提条件


真の父母が出てくるために、どのようにすべきか? 天使長を復帰せずに、真の父母が出てくることができますか?(できません)。イエスを復帰せずに、真の父母が出てくることができますか?(できません)。また、新婦を復帰せずに、真の父母が出てくることができますか?(できません!)宗教世界では、これを解決しなければならないのです。


神様が復帰摂理をしてこられるにおいて、すべての難関を解決した立場で、新しく登場した名詞が何かというと、真の父母です。これをはっきりと知るべきなのです。真の父母は、いいかげんな人ではありません。皆さんの妻に及ばず、皆さんのお母さんにも及ばず、皆さんの兄弟にも及びませんか? 皆さんはこれをはっきりと知るべきです。


真の父母は、天使長復帰ができなければ出てきません。では、アダム復帰がだめならば?(出てきません)。また、新婦、すなわちエバ復帰がだめなら出てきますか、出てきませんか?(出てきません)。これは間違いありません。(四六・二一四)



五)真の血統は真の父母を通じてこそ


我々に必要なのが誰かというと、真の父母です、真の父母。偽りの父母から出発したのを、真の父母から出発させなければならないのです。偽りの父母は何かというと、偽りの愛から、偽りの生命、偽りの血統を受けたのです。


これをひっくり返さなければなりません。それで真の父母の愛を中心として、真の生命と真の血統をどのように受け継ぐかというのです。言い換えれば、生命の種を過って受けたために、これをどのように再び本然の種を受けるかということです。


この問題を考えるようになるときに、真の父母がいなければ受けられないために、この地上にメシアが来られ、そのメシアの種、真の父母の新しい生命の種を持ってきて、再度注入して接ぎ木しなければいけないのです。これを通じて、本然の真のオリーブの木の位置に帰るのです。簡単なことです。

それで、神様は本当に我々の父母です。ですからどれほど近いですか? 縦的な父母が神様であり、真の父母は横的な父母として理想の愛を成すのです。(二一八・二二四)


アメリカ政府をご覧なさい。民主主義ですがね。民主主義は兄弟主義です。それゆえ、けんかしてるのです。最近宣布したのです。「父母がいなければならない。父母がいてこそ、けんかをやめることができる。このような悲惨な中で必要なものが父母主義である。神様主義、神様を中心とした主義だ!」と。どんな父母か? その父母は、サタン世界にいません。サタン世界にいる父母とは正反対です。それがいわゆる真の父母というものです。


なぜ、真の父母が必要か? サタンの愛、生命、血統の基盤を清算するために必要です。どのようにして男女がそのような位置に落ちましたか? それは、生殖器のためです、生殖器! 本来、生殖器は愛の王宮です。そうではないですか? 今、その愛の王宮がどのようになっていますか? 愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮であるものが、そのように貴いものが人間の生殖器です。これが汚いものですか? 聖なるものなのです。


それが堕落によって、汚いものになってしまいました。本然の神様の観点から見れば、それが汚いものではなく、聖なるものです。最も貴いのです。生命、愛、そして血統がここにつながっています。このように聖なるものをサタンが汚しました。(二一八・一七八)


六)真の父母が絶対必要な理由

今日、統一教会員たちは、私を見て何と言うか? 真の父母と言います。皆さん、この真の父母という言葉は、恐ろしい言葉です。また、真の父母という言葉があるということは、偉大なことです。


神様の愛を母体とした家庭をモデルとせずしては、氏族や民族、国家は編成されないのです。家庭を拡大させた氏族、民族、国家を編成するのです。それゆえ、悪魔の世界を打ち破るためには、真なる家庭のモデルを中心として処理していかなければなりません。


我々堕落した人間は、悪なる父母を持ちました。堕落した先祖から皆さんの数多くの先祖、皆さんの両親も堕落圏内の父母です。その言葉は何か? 堕落した父母の伝統圏内の父母、先祖たちだということです。ですから、真の父母という言葉が出てきたという事実は、驚くべきことです。


一体、真の父母はなぜ必要か? アダム・エバが完成して、本然のみ旨を成すにおいて、心情一致圏を中心として、すべてが一つになり、すべてが確実であり、すべてが完全な環境圏を持って出発できる住みかが、堕落しないアダム・エバが神様と一体理想を成す愛の圏です。そうではないですか? その愛の圏が出てこなかったのです。


今日、愛の圏が世界に出てくる日には、統一教会という言葉が必要ありません。世界も必要ありません。その世界を捨てて、その国を捨てて、後にはこの家庭を探さなければならないのです。また来なければならないのです。ですから、すべては皆捨てても、これを探さなければなりません。これが重要なことです。(一三八・二七七)


我々に必要な方が誰かというと、真の父母です。真の父母は誰か? 友達よりも、先生よりも、もっと貴い方です。それゆえ、友達を捨てても真の父母について行くべきであり、先生を捨てても真の父母について行くべきなのです。


統一教会に行くと言って、友達が「ああ、おまえは俺と離別だ」と言っても、この道を行かなければならず、先生が「おまえと師弟間の離別だ」と言っても、この道を行かなければなりません。また、両親が「離別だ」と言ってもこの道を行かなければなりません。皆が一度に良いと言える道を行ったなら、そこに歴史的な新しい天地開闢が起こるのです。(三三・三三八)


人類は、真の父母が必要なのです。なぜそうか? 愛の軸をつなぎうる原則的なこのことが、歴史以来初めて起こったのです。分かりますか? これを知るべきです。歴史以来、前にもなかったし、後にもありません。はっきり知るべきです。


軸は一つです。二つではありません。その軸が何かというと、真の愛です。今、皆さんの両親が愛することは、真の愛ではありません。それゆえ「心をつくし、精神をつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ。これが第一のいましめであり、第二は、あなたの隣り人をあなたの体のように愛せよ」と言いました。神様がそのように生きてきたのです。(一三七・一〇八)

なぜ真の父母が必要か? これは蕩減、真の父母が、個人の責任分担を完遂することによって、個人についている世界的なサタンを追放しうるのです。分かりますか? 家庭蕩減条件、責任分担を完成することによって、サタンを自動的に蕩減復帰するのです。個人の世界的な蕩減復帰、責任分担完成をしなければ、蕩減復帰ができないのです。分かりますか? 責任分担を完成してサタンを落とさなければ、復帰ができません。(一三七・一〇六)


父母が必要なのは、神様を着地させるため、地上に定着させるためなのです。これが父母様がこの地上で苦労する理由です。(二一七・三五四)


皆さんにトゥルー・ペアレンツ(true parents;真の父母)がなぜ必要か? 新しい血筋を受けるためです。原理で見ると、旧約時代は、信仰基台時代であり、新約時代は、実体基台の時代であり、成約時代は新しい理想時代です。ですから、愛の時代として、天国の善なる血筋を受けなければならないと言いました。今までは、血筋が違うのです。総合的な血を受け継ぎました。


先生は、天国の本然の伝統的血筋を相続し、このようなすべての真理を知って、サタンと戦っているのです。このようなことが分かるので、そうるすのです。分かりますか?


真の父母は真のオリーブの新芽です。皆さんは、皆切ってしまって、真の父母の芽を接ぎ木しなければなりません。父母の芽と神様の芽を接ぎ木しなければなりません。分かりますか、何の話か? そのようになれば、体はありませんが、思想は神様、真の御父母様とそっくりだというのです。ですから、皆同じ実、善なる息子娘を産むことができるのです。サタン世界を中心としては、なりえないのです。その前に、息子娘を産むと、良いことではありません。


ですから、この三時代の勝利が、どれほどものすごいか分かるでしょう? 今分かったので、三時代と三国を代表して、戦って勝つことができる者にならなければなりません。それで、皆さんが今から、ドイツ、日本、韓国、この三か国をどのように消化するか? どのように三国を消化するか? これを消化することができる自信がない人は、出征できないのです。何の話か分かりますか? 決心しなさい! 世の中がこのようになると、誰が思ったでしょうか?「白人と暮らすと思ったのに、黒人種と黄色人種とともに暮らす?」しかし、そのようにしなければ、いけないのです。(笑われる)


このような三時代、三数を経ていく世の中で起こるすべてのことを代表しうる、このような勝利者は、旧約時代、新約時代、成約時代を集約した存在です。三時代の勝利者になるには、すべて三段階原則、世界の全体を表象して、代表的な勝利を決定するという思いを持つべきです。そのようになりたいでしょう?(はい)。


昔のノアの一〇倍以上、もっと捧げるのです。そして、スレイヴ(slave;奴隷)になると言えばですね、皆パス(pass;通過)です。皆できるのです。ただパスするようになるのです。絶えず門が開きます。苦労しようとするのに、絶えず門が開き、食事を抜こうとするのにご飯を絶えず持ってきてくれてですね、自分が働こうとすれば、代わりに絶えずやってくれることが起きるのです。仕方なくやるのではなく、自ら志願してやるのです。自ら志願してやらなければなりません。(一二五・二〇八)



七)真の父母の決定は先見的予知予定圏


終わりの日に至っては、どのようになるのですか? これが交替するのです。悪魔の愛、悪魔の生命、悪魔の血筋を受け継いだために、ここに神様の愛、神様の生命、神様の血筋を受け継ぐためには、真の父母が出てこなければならないのです。真の父母が一人行く人ではありません。先生が「真の父母」という名前を宣布するまで、神様がどれほど苦労し、宗教がどれほど血を流したか分かりますか?


きのう、おととい見ると、何、『格庵遺録』というのがあるんだね。『鄭鑑録』よりもっと後に出てきたものですが、見ると、もうその時から文総裁の名前が預言されて出ていましたよ。(笑い) 私はそんな人です。


私が生まれもしない前に私を見た人がたくさんいます、通じる人は。何の話か分かりますか? 先生が生まれもしない前に、どうして私を見たでしょう? 霊界は先生が生まれる前からあったから、このような人が生まれなければならないということを教えてくれるのです。それでこそ、地上で受難を受け、苦痛を受けた人たちが、霊界では先生の統治圏内に入ってくるのです。

神様は、そのような作戦をするのです。何の話か分かりますか?(はい)。苦労した人を失わないために。その方に仕えて暮らしたために、その方が後に出てきても、仕えたその方に従うようになっているのです。それゆえ、愛する神様は、私を産む前に、何十年、何百年前に、皆見せてくれたのです。


ですから、歴史的な人物でしょう?(はい)。今は、歴史的な人物といっても、韓国人、世界の人に夜中や明け方に一言言っても、白昼に聞くようにそうだと言うのであって、違うという人は一人もいないのです。


今や、皆終わったのです。戦いは皆終わりました。もう少し行くと、その時は私に反対する人をピンセットでつまみ出すでしょう。何人の奴らしかいません。その人たちも、じっと見ると、昔私と関係があった人たちです。そのような奴らが反対しているのです。なぜ? 体制が習慣性圏内に捕虜になっているから、それを抜け出せないのです。その習慣性を抜け出せなければ、地獄行きです。


神様は、誰が正しいか、正しくないかを、即座に判断して記録するようになっています。見て知らない振りをしますか? 神様はそうはしません。(二一三・二七)



八)選挙で選出できない真の父母


先生は、今まで家庭を探すのが大変で、教会を探すのが大変で、その次には、キリスト教の方向を定めるのが大変で、自由世界が滅びていくのを方向を定めるのが大変で、共産世界が滅びていくのを方向を定めるのが皆大変でした。


それで、文総裁をして、長子権が復帰されたのです。カイン・アベル歴史を知っているでしょう? 長子権が復帰されたというのです。本来、アダムが堕落しなかったら、アダム自体が長子権を持ったでしょう。また、アダム自体が真なる真の父母になります。その次には、アダム自体が王の中の王です。


人間が堕落によって何を失ってしまったか? 長子権を失ってしまいました。天地の大きな事業と財産を相続する、その長子の権限を失ってしまいました。誰のために? 悪魔のために! これを知らずにいました。それだけでなく、神様の愛と、神様の生命と、神様の血統を中心として、天地の創造主である父母に侍りうる、永遠な血族になるべきなのにもかかわらず、アダムが真の父母になるべき権限を失ってしまったことが分かりませんでした。そして、堕落しなかったら、一つの文化であったでしょう。アダム文化です。アダム一族です。こうすることによって、一つの王権が成されるのです。


民主世界というのは、杖と同じです。これは、兄弟主義です。民主主義というのは、兄弟主義です。兄弟が多いので、これを相続するように代表を立てようとするので、兄弟たちが皆集まって、より犠牲となり、より奉仕して、より伝統を立てうる人を取り出さなければならないのに、それが民主主義式です。


民主主義は、世界主義ですが、その上が父母主義です。これから、父母主義時代がやってくることを知るべきです。父母を選挙で選出しますか? 再臨主を選挙で選出できますか? 神様を選挙で採択できますか? できないのです。


民主主義は、不信の風潮を造成しうる基盤になっています。なぜ? 全部自分の利益のためには、ありとあらゆることを皆します。金力を動員し、人力を動員し、謀略、中傷など、ありとあらゆることを皆します。(二一一・三四三)

四、真の父母の使命

一)真の父母の立場


この世の中を見ると、帝国時代、帝王時代、王国時代があり、その次には、今の民主主義子女時代、共産主義僕の時代があります。それが皆、愛の法を中心として統治していないことを見るとき、偽りの世の中だというのです。このように結論づけることができるのです。


それなら、ここで本然の心を中心として、本然の世界が生まれたら、本然の人がいなければならないのです。では、本然の人がどこにいるか?「人」というと、女・男が皆入るのです。そういう意味でしょう?


今日、歴史は、この世界が間違いなくサタン世界であるために、この世の中で本然の人を探しているのだ、こういう結論が出てくるのです。それで今日、四〇億という数多くの人類がいますが、真の世界を指導して、天地を指導する指導者を探しているのです。

では、本然の指導者は、どのようにして来るのか? 堕落した世界の個人、家庭、氏族、民族、国家、世界を越えて来るのです。その本然の人は、どのような人かというのです。(トゥルーマン(trueman;真の人)です)。トゥルーマンですが、そのトゥルーマンが、どんな人か? 真の人の定義がどういうものかというのです。完全な愛をなす人です。簡単なのです。では、その簡単な人が何ですか? それは、どんな人を言うのですか?(トゥルーペアレンツ(true parents;真の父母)です)。簡単なのです。それなのです。


神様はどんな方か? 神様は、真の愛の代表です。代表ではないかというのです。それよりも神様はどんな方か?(すべての人を愛することができる方です)。それを知るべきなのです。神様は、すべての存在を愛することができる能力を持った方なのです。簡単に要約すれば、大きくて小さいもの、すべてを皆愛するのです。小さなもの、大きなもの、皆入れることができるのです。そこには大きいもの、小さいもの、すべてのものが皆入るのです。分かりますか?


それは事実なのです。それを整理しなければならないのです。世の中のすべての存在、大小のものが皆入るのです。分かりますか?(はい)。それゆえ、大きなものから小さなものまで、愛することができる能力を持った方が神様だというのです。(一二四・一一七)


我々の目的地は世界のために行くべきです。いくら難しくても、行かなければなりません。世界のために行くべきであり、世界のために与えるべきです。アメリカは、世界のために与えるべきであり、自分が行く所へはどこでも与えるべきです。

真の父母は、与えるべきです。これが原則です。そこに新しいものがあり、そこに新しい世界があり、そこに新しい因縁が生まれるのです。私は、アメリカを生かすために韓国を捨てました。国を捨てたのです。(一四七・一四三)


皆さんがレバレンド・ムーンを何と言うかというと、真の父母と言うでしょう? 同じように、神様に代わった立場で皆さんの前に、すべての良いものをあげようとし、皆さんもいちばん良いものをもらおうとするのを原則として知っているため、このような道を指導するのです。これを知るべきです。(一二七・三二九)


皆さんには、バックグラウンドがあります。これは完全なバックグラウンドです。真の父母のバックグラウンドです。


真の父母は、サタンが讒訴できないのです。それで、身分証をもらうのです。分かりますか? そこには神様がサインして、サタンがサインしなければならないのです。(拍手) それだけではありません。天使長がサインしなければならず、その次には、アダムがサインしなければなりません。分かりますか、何の話か?(一一七・一六一)


二)真の父母の道


今、世界は戦いが起こっています。これを誰が手を着けるかというのです。誰がすべきですか? 我々がすべきでしょう。共産党と戦ってですよ、倫理破綻も防御しなければならずですよ、宗教が崩れるのも防御しなければなりません。


先生が、世界の学者と神学者たちを集めて会議をし、このような問題を深刻に討議しています。アメリカの国が夢にも見ないことをしているというのです。皆さんが活動するといいますが、皆さんが難しいでしょうか、先生が難しいでしょうか?


父母は、子供よりもと苦労しなければならないという原則があるので、先生はそれを実践しています。何かお金があれば、私がそのお金で食べて暮らすのではありません。未来の後孫のために、未来の後孫に良い道を開いてあげるのです。未来の後孫を愛する心を持って、お金を稼ぐのです。


レバレンド・ムーン、真の父母は何かというと、父と同じ位置で家庭を通じ、氏族を通じ、民族を通じ、国家を通じ、世界を通じ、宇宙を通じて行くべきなのです。これをつなげなければならないというのです。それをカバーするのです。そこで、夫を愛するように人類を愛さなければならず、息子娘を愛するように人類を愛さなければならないのです。自分の父母を愛するように、人類を愛さなければならないのです。いつも、それが即座につながらなければなりません。皆さんはそれを知るべきです。(一一八・二四二)


神様の願いが何かというと、神様とともに暮らしたがる人を探すことです。神様と永遠無窮にともに暮らしたい人、愛する息子娘と額を一度付き合わせれば、千年、万年経っても目を離したくない人、そのような人を探すことです。分かりますか? 神様が愛する息子に指先で一度触れたら、千年、万年経っても離したくない、そのような愛を持って暮らしたいというのです。


統一教会は、そのような原則による父子の関係を教えようとします。そのような原則による夫婦関係を教えようとします。また、そのような原則による家庭を論じ、そのような原則による兄弟を論じようとするのです。兄弟でも、一度会って別れるのではなく、千年、万年ともにいても嫌でない、そのような兄弟のことです。


それが、五色人種を通じて実践されてこそ、神様の愛の圏が成され、神様が暮らすことができると思うのです。それが易しいですか? 自分がご飯を食べることがあるなら、全部彼らに食べさせてから、その次に皆食べるまで待って、待ってから皿洗いまでして、寝ることまで皆みてあげなければならない、そのようなことをする父母がいなければなりません。


今日、真の父母は、そのような道を行こうとするのです。それが、真の父母が行くべき道であると思うのです。ある時には、お母様も先生を理解できないときがあります。毎日人に会うようになると、昼の時も忘れてしまい、話そうとしてですね、夕食の時も過ぎたのにもかかわらず話をして、ご飯がすっかり冷めて、固いご飯になったのですから。また、台所では先生と何人かがご飯を食べなければならいのに、何人かが待っているので大変なのです。ご飯を食べる時間になったと、何度も通告を受けても、ただ話を続けるのです、「そう、そう」と言いながら。


先生の哲学はそうです。ご飯が問題ではありません。千年、万年、あなたと私が暮らしても嫌になりえない、そのようなあなたを発見しようとして、探そうとするのです。一二時になり、夜明けの二時になり、明け方に鶏が鳴き、空が白んできても、夜を明かしながら愛さざるをえない息子を恋しがる人です。また、娘を恋しがる人です。兄弟を探している人なのです。(一二七・二八四)


もし、真なる人間がいたら、その真なる人間は、今日歴史を代表して「人類よ! あなたたちが行くべき真の標準はまさにこれである」と教えてあげることができる道を模索するでしょう。真なる人がいるなら、その人は、そのような道を模索するために、人類に代わってむごい犠牲となっても、その道を訪ねて立ち上がるまで叫び、教えてあげ、その道を開拓してあげるのではないかというのです。もし、その道を知っているのにもかかわらず、自分だけ行ったとする人なら、彼は真なる人ではありません。(一六三・八九)


歴史路程に真の父母という言葉を与えることができるたらどうか、考えてごらんなさい。これが嘘か、事実か、考えてごらんなさい。真の父母まで行くには、何級まで経なければならないでしょうか?


そこには、トゥルー・サーヴァント(true servant;真なる僕)がいるべきなのではないか? サーヴァントのサーヴァント(僕の僕)のことです。そこから始まるべきではありませんか? そして、トゥルー・ベガー(true beggar;真なる乞食)もいなければならないでしょう。トゥルー・レイバー(true labor;真なる労働者)もいなければならないでしょう。皆いなければなりません。トゥルー・パーセキュター(true persecutor;真なる迫害者)も、十字架についた人もいなければなりません。そのようなことを嫌だと思えば、トゥルー・ペアレンツというのは、絶対出てくることができません。罪人の中にもトゥルー・クリミナル(true criminal;真なる罪人)がいなければなりません。皆いなければなりません。


その道を行くべきであり、橋を置くべきです。世の中でいちばん悲惨な位置から始まって、これを越えることができる愛の代表者がいなければなりません。そうするためには、愛の十字架の道を行くべきであるということを知らなければならないのです。それが橋です。その言葉は合うようですか? 一級、一級を真の僕から上がっていき、真の養子から上がっていき、真の息子として上がっていき、真のカインとして上がっていき、真のアベルとして上がっていかなければなりません。


皆さんが統一教会の原理を習うときに、僕の僕とか、養子とか何とかいう道を誰が行くのか? その道は、先生が行く道です。先生は、その道を行き、戦い、生き残って、迫害するのに対して勝利したために、その橋を置いてやるのです。


それゆえ、皆さんが通りでかわいそうな人を見れば、先生がそのような立場だということを知りなさい。私が、共産党の前にそのような立場で踏まれ、拷問を受けひったくられたりするときに、腹が立ったでしょうか、腹が立たなかったでしょうか? そうだと言って「神様、私の怨讐たちに雷を落として全部殺してしまう!」と言うと思いますか? 違います。体から血が流れる立場で、福を願ってやったのです。その人たちまでも。レバレンド・ムーンを捕まえて行こうとしました。(一一六・一一四)



三)真の父母になる前の過程


人間の堕落によって、偽りの父母が生まれました。それで、先生は、このサタンを中心とした世界の上に、これを再び探して、天国の真の父母の位置を築くための受難の道を行かなければならなかったのです。それは、父母が復帰しなければなりません。ひっくり返ったものを、父母が全部責任を持って蕩減しなければなりません。(一三一・六三)


真の父母になるためには、カイン世界を愛さなければなりません。このカイン世界が、長男の世界でしょう? カイン世界は、堕落した長男世界と同じであるために、それが反対しても天の愛を尽くしてやったという条件を立てなければ、サタン世界が復帰できないのです。それを知るべきなのです。


長子を先に愛さなければなりません。原則的にサタンが長子であるために、サタンが「神様! あなたがアベルを愛するには、長子を先に愛したという条件を立てるべきです。そのような愛を私に見せずには、次子を愛することはできない!」そう言うのです。これが原理的だということです。

ですから、母が行くべき道は、エバが行くべき道は、カインとアベルを一つにして、アダムに帰ることです。それゆえ、母がいくら宇宙的な立場の愛を願うとしても、そのように愛してやれないのです。そのような位置にいるのです。(一二四・七四)


先生は、愛の関係においては世界的な記録を持っています。良心においては、天宙史的な記録を持ちうる群が生まれているのです。それは、観念にとどまるのではなく、実際だということを知るべきなのです。事実というものです。歴史的な事実です。サタンにおいては、どれほど脅威であり、神様には、どれほど希望的かというのです。我々統一教会の未来が希望的でありうるしかないという、このような驚くべき位置にいるという事実を、深く深く感謝できなければなりません。(拍手)


神様とレバレンド・ムーンが、神様と真の父母が、この仕事を築くためにどのようにオたか? 鉄条網を貫いて、かき分けていき、築いてきたのです。そこには血痕と涙のあととは言うまでもなく、悲惨な拷問のむちのあとまで残っているのです。そのような過程を開拓したのです。そのようは天の父母と血の父母の心を傷めてはいけないというのが、統一教会の人たちが持つべき心の姿勢なのです。これが宇宙の宝の倉庫であるということを知るべきです。ここから地獄をなくし、天国を創ることができます。(拍手)


今日、父母の日を迎え、父母の勝利圏を宣布するのです。父母の勝利圏を悪魔がどれほど嫌い、神様がどれほど待ち望んだか! 皆さんの先祖たちと、人類がそれほど待ち望んだ勝利圏を備えるようになり、皆さんにそのまま相続してあげようとするのです。一度も使用してみることができずに、全部子供たちに譲ってやろうというこのみ旨を、皆さんがきれいに受け継いで、大きな水晶にはならなくても、結晶石のような、そのような形を備えなければならないということを知るべきなのです。(二一六・三二六)


真の父母は、二人の方がいなければなりません。二人の方がいなければ、真の父母の基準の上に立つことができないのです。そして、霊的な闘いに勝利の基準を立てたとしても、地上に実体の真の父母が立てられなければ、自体世界で勝利の基準が立ちません。いくら霊界で勝利の条件を成したとしても、地上に真の父母が立てられなければ、その霊的世界の足場に該当する足場を、この地上に築くことができないのです。


それゆえ、これから来られる真の父母は、これのために命を捧げ、地と天に代わって闘っていかなければいけないのです。このような闘いの期間が四〇年期間だということを我々は知るべきです。



では、この四〇年期間に来られる真の父母は、どのような闘いを経なければならないか? まず、霊界で霊的な試練を経なければなりません。その次には、地上で実体的な試練を経なければなりません。そのような中でも、倒れずに中心を持って立ち上がってこそ、初めて霊肉合わせて真の父母の因縁を立てることができるのです。すなわち、六千年の摂理歴史の希望を成すことができるのです。

我々は、一九六〇年に父母の日を設定しましたが、その日はどんな日か? 霊肉合わせて真なる勝利の起点をつかむ日であり、真の父母の理念が出発した日です。それで、その日は一日に過ぎず、その日の因縁は部分的な因縁に過ぎませんが、この因縁は、天宙史的な因縁を経ていくでしょう。


そして、神様は、その日を起点にして、霊界と肉界で同時に計画を実践なさることができたということです。すなわち、霊界と呼応しうる基盤、初めて神様が闘うことができる基盤が築かれたということです。このように勝利の基盤が築かれたために、ここに一致する家庭的基盤、氏族的基盤、民族的基盤、国家的基盤、世界的基盤のみ築いておけばいいのです。


イエス様が、イスラエル民族の反対で、全体的な使命を完成なさることができず、楽園に行かれて霊的にイスラエルを収拾して、霊的父母の立場に立っておられたのと同様に、世界的な勝利の版図を地上に築くことができるときがいつかというと、四年路程であるということです。この四年路程の間に霊界と肉界が一致して、勝利の起点を立てる日には、全世界の人類が楽園以上の霊界で行軍することができる時代的な恵沢圏内に入るというのです。


ところで、このような歴史過程を経ていくのにおいて、来られる真の父母は、個人的な十字架を背負うべき段階から、世界人類の十字架を代わって背負うべきであり、家庭的な十字架を背負うべき段階から、世界的人類の十字架を代わって背負うべきであり、氏族的、民族的、国家的十字架を背負うべき段階でも、世界人類の十字架を代わって背負うべきなのです。


イスラエル民族の歴史を見ると、ヤコブはエサウとの個人的な闘争で勝利したために、個人的な復帰の条件を立てることができました。そうしてから、ラバンの家に行き、天が協助する中で、家庭的な戦いで勝利したために、家庭を見出すことができました。その後、ヤコブの後孫は、民族を形成するため、サタン世界であるエジプトに入りましたが、彼らは、そこで天の協助で救い出されて出てきて、カナンに入ることができ、カナン七族を滅ぼすことができました。このようにイスラエル民族は、カナン復帰路程四〇年を経ていきながら、初めてサタン世界に対して攻撃することができました。


四〇年荒野路程以前には、三日路程がありました。イスラエル民族は、三日路程を経た後に、初めてカナン復帰をすることができたのです。そして、イスラエル民族は、カナンに入っては、また四〇数を探して立てなければなりませんでした。


復帰摂理がアのような路程を経てきたために、今まで先生も四〇年路程を経た後、三年路程を歩まなければならず、四年路程を歩まなければならないのです。それで、我々が三年路程と四年路程を合わせれば、七年路程になるのです。


このような過程を経てこそ、初めて復帰歴史を終結し、天の主権を立てることができるのです。イエス様も、本来は三三歳から七年路程を歩んで、神様が願う父母の基準を立て、そこから万物復帰の基準を立て、四〇歳にすべてを終結して、天のみ旨を成すべきでした。これが、イエス様の使命でしたが、イエス様がこのみ旨を成しえず、十字架に亡くなることによって、このみ旨はそのまま残るようになりました。


それで、再び来られる真の父母が、内的外的な闘いに責任を持たざるをえないので、四〇年準備期間、あるいは、闘争期間を経ていくのです。外的に四〇年準備期間ですが、内的には闘争期間であったのです。こうして、霊的に勝利の基盤を築いて、初めて地上に霊肉を合わせた実体的な基盤を築くことができる土台を備えたのです。


真の父母が中心になっていく三年路程を経て、万物復帰の期間、すなわち、四方性を備えるための四年路程を経なければならないのです。それで、七年路程として蕩減復帰を終結していかなければならないのです。


真の父母を探すまでは、歴史路程についてみると、三年路程、四年路程、四〇年路程は短い路程ですが、歴史的なすべての悲しみを全体的に蕩減復帰する期間であり、歴史的な無念さを総体的に蕩減復帰する期間であり、歴史的な十字架を全体的に蕩減復帰する期間です。歴史的なすべての悲しみと苦痛と無念さにも屈服されないという、絶対的な基準を立てずには、真の父母の日、真の父母の勝利の日は、迎えることができないのです。

天に代わって、真の父母の因縁に代わって、み旨に責任を持って、奉ってきた我々統一教会は、それでこのような試練を自ら招いて受けていっているのです。

その過程でサタン世界と分別された自分を立て、真の父母が勝利の一つの手本を取って、サタン世界を審判しうる真の子女の基準を立てておかずには、氏族、民族、国家基準を立てておかずには、真の父母に対する本然のみ旨を、地上に成すことができないのです。


この期間に、私とともに闘っている皆さんは、真の父母の個人的な身代わりであり、家庭的な身代わりであり、民族的な身代わりであり、国家的な身代わりです。このような父母の身代わりとして、今まで韓国各地へ出て闘っているのです。今は、世界的な舞台に向かって出て、責任を持って闘わなければならないのが皆さんの責任であるのです。


このような観点から見るとき、今までの霊界と肉界の悲しみが何か? 本来は、真の父母がこの地に現れれば、その日から天地が平和を歌うべきであり、全天宙が幸福圏内に入るべきであり、神様を中心に地上天国が成されるべきです。(一三・二八五)


私が真の父母を宣布するまで、苦労をどれほどし、悪口をどれほど聞き、監獄生活をどれほどしましたか? 六回も監獄に出入りし、こうして今年に入って真の父母を宣布したのです。(ですから、真の御父母様であられます)。ですから、世界最高のかわいそうな王の中の王が文総裁です。お母さん、お父さんが、何、どうのこうのと言いますが、いちばんかわいそうな人が文総裁です。(二一一・一六一)


先生が世界のために、どれほど多く投入したかというのです。血涙をどれほど注ぎ、汗をどれほど流し、どれほどため息をついたでしょう。私がご飯のために、出世のために、そうなのではありません。地上世界、天上世界、神様を解放するためです。このような人は、歴史時代に文総裁以外にはいません。真の父母以外にはいないのです。


そのような背後の歴史を持っているのです。それが観念だけではありません。実戦舞台で実際圏を形成するのにおいて、それ以上の基盤を築いてきたために、世界万国が粛然と頭を下げうる段階まで来たのです。(二一〇・三六四)


四)真の父母の権限と使命

真の父母が、この地上の人間たちの前に何をしようと訪ねてきたのですか? 人間がいちばん好きなものを作ってあげるために来たのです。それが何かというと、皆さんを真の父母、小さい真の父母にすることです。(一二五・一一七)


真の御父母様がすべきことは何か? 地上世界と天上世界とのふさがった道を皆開いて、ハイウェイを造っておかなければならないのです。それを知るべきです。地獄から、霊界の地獄から、天上の位置まで、ハイウェイを…。(一三四・一二九)


真の父母は、霊界と肉界を中心とした王権を持って来られたために、それを霊界までつなげるためには、霊界に統一基盤を築いて、霊界王権基盤、蘇生的長成基盤をつなげなければなりません。そうしなくては、真の父母が地上において、完成基準を成したという位置に、霊界が同参することができません。それゆえ、その準備をしておかなければなりません。(一四〇・五四)


皆さんの父母がどこにいますか?(ここです)。レバレンド・ムーンが、なぜ皆さんの父母ですか? 皆さんを産んであげましたか?(霊的な…)。(笑い) どのように霊的な父母ですか? 一つ違うことは何か? 神様の愛、本来の愛をつなげてあげることができる父母なのです。それを知るべきです。


アダムが何か? 皆さんの先祖になりうる父母ですがね、神様の愛をつなげられなかったのです。それをつなげられなかったのです。それゆえ、皆さんの父母たちは、神様の愛につなげることができないのです。何の話か分かりますか?(はい)。


真の父母が違うことは何か? 神様の愛をつなげうる特権を持って来たということです、特権を。皆さんが父母の言葉を聞かないで、統一教会の文鮮明の言葉を聞くとは、これが社会の正義ですか、悪ですか?(正義です)。どうして? 天宙の原則がそうであるためです。(一一八・一四八)


真の父母が何をする人ですか? 偽りの子女たちを率いてA真の父母の子女にする役割をするのです。ですから、サタンはそれをできないようにするために、ぶん殴り、ありとあらゆることを皆するのです。サタン側は、悪なる人です。それゆえ、真の父母は、息子娘を消化して段階的に家庭基準、氏族基準、世界基準まで消化しようとするのです。このように言いますが、問題は深刻です。(一四九・二八〇)

先生は、何かというと、この歴史時代に、すべてを見せてあげるのです。僕の僕と僕がどのように行くべきかを見せてあげるのです。どのように行き、一つになるべきかを見せてあげるためのことを、今までしてきたのです。先生についてきて、全部成しておいてこそ、後で神様の愛まで行くのであって、それ以外にはありません。それを知るべきです。(一三五・一四二)


真の父母はどのようになるか? 人間の先祖の堕落によって、ふさがった塀を崩すことができる責任的条件を立てることができてこそ、真の父母になります。我々統一教会を見ると、キリスト教もそうであり、天主教、仏教、儒教、モスラムが皆入っています。


あの仏教もここに至るでしょう? それが分かりますか? 皆さん、それが分かりますか、分かりませんか?(分かります)。分からなければ恥をかくのです。ここに入ってくれば、宗教が一つになりうるということです。その次には、この氏族問題、人種問題ですがね、五色人種が一つになることができるというのです。(一一八・二七〇)



原理主管圏と直接主管圏の間に塀が生じたのを、蕩減しなければなりません。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天地の塀を全部蕩減しなければならないのです、全部。原理主管圏がサタンに占領されたのです。ですから、サタンが中間の位置にいるのです。神様が上にいて、人間が下にいれば、サタンは中間に位置しているのです。それで、サタンの塀が生じたのです。

では、どのようのこの塀を貫いて、神様の位置まで進むか? これが宗教の目的です。そこからサタンは、いつも間接主管圏を利用するのです、天地創造のときから今まで。ですから、これをもう一度つなごうというのが神様の摂理です。それで、歴史を通じて宗教を発展させてきたのです。それがユダヤ教でした。宗教を通じて、神様のみ旨が今まで流れてきました。 そうして、キリスト教まで下ってきたのが、現在の我々の状況です。


真の父母は、この間接主管と直接主管をつなげる責任があるのです。サタンに引っかかっている個人、家庭、氏族、民族、国家、世界の塀をどのようの壊すかというのが問題です。サタンはサタンなりに、神様の継続的なこの歴史をどのように妨げようかとしています。このように、二人が対決してきているのです。粘り強くサタンが神様を相手にしているのです。


それで、先生がサタンと神様の中間で、いつもサタンを除去することをしてきたのです。どのようのサタンの讒訴を受けない位置で、この仕事をはかどらせていくか? それで、蕩減路程が出てきたのです。それが人間の責任分担です。今まで、人間が責任分担を成せませんでした。どのようにその責任を埋めていくのかということです。


サタンは、それがメシアの責任であることを知っているのです。それで、すべてのサタン勢力を総出動させて、真の父母を攻撃したのです。それで、先生は、サタンの塀を壊すことを、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、霊界まで経てきたのです。メシアは、この道をすべて経なければならないのです。

これが、我々の教会の歴史です。サタンに対して、いつも原理をしっかりと掲げてきたのです、愛をもって。サタンの血統を受けて堕落した父母として始まったことを、どのように人類の真の父母の位置として復帰させるか、ということに苦心したのが神様の立場だというのです。


それで、一九六〇年に父母様の聖婚式が、歴史上に初めて起こったのです。堕落した父母から復帰が起こったのです。イエスが来たのは、アダム・エバが堕落したことを復帰するためのものなので、イエスができなかったことを全部代わりにしなければならないのです。(一三一・七〇)



五)真の父母の愛


皆さんが本当の「私」を見出したというときは、神様が自分の心にいて、自分は解放圏にいるのです。本然の神様の愛と、本然の真の父母の愛を中心として、本然の血統の歴史をつないで生まれたのが、本然の自分です。その自分を見出せば、皆入るのです。そこに真の父母がいますか、いませんか? そこには、真の父母の愛があります。


神様の愛から自分が始まったために、自分を見出したときは、自分の中にはすでに二つの愛の本然相が植えられているのです。それが根になっているのです。自分を神様から離してしまうことができず、真の父母から離してしまうことができないのです。その肢体ですが、その肢体となった自体を否定できないのです。何の話か分かりますか?

皆さん、細胞のようなものをごらんなさい。細胞は、葉の細胞を切り取っても、根の細胞を切り取っても同じなのです。この頃は、細胞を繁殖して、植物も繁殖するではないですか? 同様です。葉にも根があり、皆あるということです。


ですから、自分が偉大なのです。神様の愛と、真の父母の愛を、皆持っているのです。神様の愛と真の父母の愛は、宇宙のすべての主管性の核です。主体性の永遠な標準です。愛を中心として、全部主管しようとするのです。

ですから、自分自身がすべての代表になるのです。神様を代表することができ、父母を代表することができ、兄弟がいればお兄さんを代表することができ、弟を代表することができ、お姉さんを代表することができ、妹を代表することができるのです。そのような代表者になりうるのです。そのようになるとき、一族が歓迎するようになっているのであって、ケンカしません。反発が起きないのです。吸収されるようになっているのです。言葉は簡単でしょう。これは、原理の核です。そうでしょう?(はい)。


自分を完成しなければならないのです。道を修めるのも自分が完成するためのものではないですか? 自分の完成の位置に行くには、結局、神様を探し、真の父母を探して、接ぎ木することです。すっかり大きくなって、再び産むことはできないので、しかたなく接ぎ木しなければならないのです。それだからメシアが来るのです。


メシアが持ってくるものが何ですか? 本然の愛、真の父母の愛を、完成した男が持ってくるのです。本然の理想的な身代わりが来るのです。「私」という言葉を言う度に、これを考えてごらんなさい。ですから、解放されるでしょう? そういうものです。サタンから解放、生活圏から解放、血統圏から解放されれば皆終わるのです。


では、解放されて何をするのですか? 悪魔の代わりに神様に仕え、文化圏を形成しなければならないのです。真の父母の生活圏を形成しなければならないのです。完成したアダムの位置に立つので、生まれた目的を完成するのです。


それゆえ、自分には真の父母の愛が宿り、神様の愛が宿るのです。その愛が、自分を完成させることができる調和の根本です。それを言い換えれば、自分には愛があり、生命があり、血統があるということです。三位一体です。(二〇二・二八三)


五、天国と真の父母


一)「天」の字と「父母」の字のもう一つの意味


天というのは、二人です。仁というのも二人です。二人ですが、二人はどんな二人が天か? 完全な愛を中心として、天地が縦的に一つになり、横的に完全に一つになりうる人間…。その二人ではないですか? 天地調和を成しうる根本は、愛から始まったのです。(一八六・六二)


天地間において、天が先か、地が先か? 地天か、天地か? 父母も、父母か、母父か? 夫婦も「夫」の字と「婦」の字が逆さまになった婦夫か、正しくなった夫婦か?(正しくなった夫婦です)。地天を願う人はいません。全部天地を願います。


それゆえ、何が先になるべきか? 天が先になるべきです。その次には、何になるべきか? 地が先になるべきです。そして、父母がいますが、父母は、なぜ母が先にならず、父が先か? そうだといって女を無視するのではないのです。


聞いてみなさい。女も良くなるのです。(笑い) 父母は「父」の字が先になければなりません。「母」の字をじっと見れば、これは面白いのです。じっと見ると、このようにして、このようにして、このようにして、こうなります。(板書される) これは何かというと「女」の字を二つ持って逆さまに固めておいたものです。分かりますか? そうでしょう? それは本当に面白いのです。それが「母」の字です。


女という字は、本当に面白いです。これも女、これも女ですが、これを逆さまにこのようにしておいたのです。女を二人くっつけておいたのです。そうでしょう? 逆さまに持ってきて合わせたのです。そうではないですか? それが母です。


それゆえ、天の心を持った母にならなければならず、地の心を持った母にならなければなりません。言い換えれば、天の心を持った女になり、地の女を代表した心を持った女になって、その二つの心を合わせておいてこそ母になるのです。面白いでしょう?

また、「父」の字を見て「エビ(Aボジの俗語)」と言うようになると、気分が悪いのです。先生が話すようになると「アバジ」という言葉をよく使いますが、その言葉は平安道のなまりです。


父の字を見ると、このようにしっかりとしておいたのです。(板書される) これが何か? しっかりと離しておくと「人」の字が二つです。それがしっかりと合わさっているのです。そうでしょう? それは、一カ所に持ってきて結んでおいたのです。


それが何か? 男は男ですが、人は人ですが、一人ではなく二人を持ってきて結んでおかなければならないのです。それでこそ父になるというのです。それは何かというと、天の人と地の人が結ばれて、一つの行動をすることができてこそ、父になるということです。これを考えれば、面白いでしょう?(はい)。



また、天の字をじっと見ると、それは何か? 天というのは、一人でいるのではありません。二人がいてこそ天になるのです。それゆえ、天は、二人を持ってきて合わせれば天になるのです。このようになるでしょう?(はい)。これは本当に面白いのです。


また、夫という字は何か? これがみっともないのです。冠を被って(官職に就いて) 天よりも高く上がることです。これは何か? 二人が互いに好きなら、天のてっぺんまでも貫いて上がるということです。それで、夫婦という言葉が設定されるのです。面白いでしょう?(はい)。(笑い)

では、「私はこれほど美男であり、これほど立派な男であるために、私には父母が必要ない」と言う人がいますか? 「私は男であるために、男である父が必要ない。父が死ねば、私が代わりに父になるために、私が主人になるから、父は死んで母だけ残って下さいませ」と言うそんな男がいますか?(いません)。


また、「私が女なら、うちで女の家長になろうとするので、母は死んで父だけ一人生きて下さいませ」というそんな娘がいますか?(いません)。いないというのです。では、何がいなければならないか? 二人がいなければなりません。父母がいなければならないのです。(五九・一八二)


二)地で真の父母に侍るべき理由


霊界が何かというと、我々の先祖たちがアダムを中心としてコントロールする国です。また、地上天国は、その後孫を中心として、世界がコントロールされる国です。このようになるのです。何の話か分かりますか?(はい)。それを知るべきなのです。


皆さんが死んで、行くようになれば、間違いなく先祖圏内を訪ねていきますが、その先祖たちが何千万名になるでしょう? その先祖たちを皆経ていくのです。そうして、過ったら彼らに審判を受けるだろうというのです。審判をパスする原則が何か? これが問題です。


先祖たちが家庭に行ってパスしようとするには、どのようにしなければならないか? この原則に従わなければなりません。あの国でも、数多くの先祖、数多くの家庭、数多くの民族がつながっており、世界が皆つながっているのです。このような観点で評価するとき、自分が引っかからないでパスするのは、このような概念です。それが何の話か分かるでしょう?(はい)。


それは、簡単な言葉で言えば、真の父母の理想伝統です。真なる家庭は、真なる父母の家庭です。そして、真なる父母は、家庭の大統領です。では、国の大統領が何か? その国の真なる父母の位置に立っているのだいうことです。そうならば、アメリカならアメリカが真なる父母の国になるのです。例えば、アメリカのニクソンが今大統領ならですね、このアメリカの国の真なる父母の位置に立っているのだというのです。そのような心情です。


それゆえ、国民はその大統領に母、父のように仕え、もっと一つになるべきなのです。自分の家庭を越えて、自分の妻を越えて、自分の父母を越えて、国と一つになるというのが原則であるのです。家庭よりもっと大きなものが理想だというのです。自分の家庭の真の父母よりも、国の真の父母にもっと為になる立場に立つのが理想的だというのです。これを知るべきなのです。何の話か分かりますか?(はい)。


我々がなぜそのように暮らさなければならないか? そのように暮らさなければ、霊界に行って、行く道がふさがってしまいます。そこで歓迎しないというのです。いくらドクター・ダーストとか何とか言っても、ドクターという名が付いたとしても通じないのです。分かりますか、何の話か?(はい)。そのようになるというのです。

だから、真なる父母を中心とした、家庭的真の父母圏を凌駕する国家父母の為にもっとしなければならないのが、本来天国の理想世界の原則だということを知るべきです。分かりますか、何の話か?(はい)。その次には、国家父母圏は世界父母圏の支配を受けなければならないということです。国家父母がもっと世界父母の為にならなければならないのです。


統一教会は、何をする所か? 世界的真の父母圏のために動いていく、人間の世の中の最高の道を準備するために、家庭的真の父母、国家的真の父母までも犠牲にする道を行こうということです。これが統一教会運動です。世界の真の父母圏のための家庭理想を実現させるために、すべてを克服していくのが統一教会運動だというのです。それをするために、我々は家庭父母、国家父母をすべて犠牲にしなければなりません。


そうして、世界の中心になるときには、個人と家庭をどれほど犠牲にし、国と国民を越えてどれほど努力したかということを中心として、新しい世界の伝統の要因として記録されるでしょう。何の話か分かりますか?(はい)。(一一八・二三六)


三)天国は真の父母を通じてこそ可能


皆さん自らは、天国を成せません。それは父母様が臨まなければなりません。聖霊とともに一つになって、イエスの愛とともに和合することができなければなりません。


それでこそ、天の側のオリーブの木に接ぎ木することができる可能性があります。そうだとしても、接ぎ木はできません、霊的ですから。再臨時代に真の父母が来て、接ぎ木してあげるのです。


天国建設は、それが基本です。公式と同じです。既婚女性を中心として見るとき、カイン・アベルと同じです。神様と息子の関係は、絶対的です。それを誰も分ける人がいません。父子の関係を誰が分けることができますか? 夫婦が愛で一つになれば、その愛を誰も分けられません。誰も分けられません。神様も分けられません。永遠なものです。


皆さん、夫婦が二人一つになって、夫婦としてアダム・エバと同様に、兄妹の立場で真の父母に侍ることができる夫婦になるかというのです。神様の愛と父母の愛が、我々家庭に臨むことができるか、その愛の圏内で息子娘を生まれさせるための愛をなしているかということが、深刻な問題です。そうせずしては、家族天国が開門しないということを知るべきです。(一三七・一八六)


我々が天国に入るためには、真の父母を経なければなりません。真の父母を経ずしては、天国に入ることができないのです。そのようになるのです。そうでしょう? それで、真の父母が出てきました。真の父母が出てきたら、真の父母を中心とした真なる家庭が生じるのです。サタン世界でも、この真の家庭まで上がるために、ここから出発するのです。闘って、これを全部否定しなければなりません。(四四・一四〇)


皆さんは、国がありますか? 国のある人たちですか、国のない人たちですか?(ない人たちです)。大韓民国の国があるではないですか? しかし、我々が行く国は違う国です。神の国というものです。


その国を経ずしてヘ、皆さんがその国の公認された市民権を新しく受けずしては、天国に入ることはできないのです。公認された市民権を持った人には、サタンが東西南北を通じても、過去・現在・未来を通じても、讒訴しようとしても讒訴できないのです。そのような市民権を持たずしては、天国に入ることができる?(できません)。(一四八・二八八)


今日、世界的に見るとき、共産主義は滅びるのです。金日成は、赤い王として四〇年を栄光の中に降りてきましたが、今は一人あわれな存在になりました。しかし、文総裁は、迫害され、呪われてきましたが、世の中で絶えず上がるのです。あちらは悪なる先祖から出発し、悪なる先祖の代表として地獄に落ちていきますが、文総裁は悪なる世界の迫害を受けましたが、世界的途上を中心として、本然的父母の名を持って、悪なる父母の位置に代わって天に帰るのです。


全世界の人間たちは、真の父母の愛を通じて行かなければなりません。その門を通じなくては、天上世界の本然的故郷の地に帰る道がありません。地獄しか行く道がありません。これをさかのぼって行かなければなりません。反対する国と戦って、勝っていかなければなりません。


そうして、今日統一教会は、世界的メシア圏勝利を受け継ぎ、国家的メシア圏を越えて、氏族的メシア圏に訪ね降りてきたのです。サタン世界の氏族圏を中心として、サタン家庭に入って、世界と交替しなければなりません。


今日、文総裁が提示する統班撃破は、家庭基準で真の父母の息子娘を作るためのものです。家庭で真の父母の愛に代わりうる夫婦を作り、神様が見たかった、神様の愛の中で成されるべきおじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、妻と夫、子女の基準を中心として一族、一国、一世界を失ったのを、再現させなければなりません。そうして、世界万民を自分の息子娘として抱き、愛することができる世界になったと宣布してこそ、地上に解放圏が始まるのです。(二一〇・四三)


聖書を見ると、子羊のようでなければ天国に入れないという言葉があるでしょう? それはどういう言葉か? 幼子たちには、お母さん、お父さんしかいません。ご飯を食べてもお母さん、お父さん、寝てもお母さん、お父さん、ただお母さん、お父さん、お母さん、お父さん!(笑い) そのように育って、分別がついて、いくら嫁に行き、妻をめとっても、そのお父さん、お母さんというのは忘れられないのです。その言葉を取ることができないのです。


神様も我々のお父さんです。父親です、父親。神様は、我々の縦的な父であり、真の父母は横的な父です。それで、その父母の言葉を習って、その父母の風習を習って、その父母のすべてする通りにしてこそ、故郷にも行き、どこに行っても、その国に適合するのです。


このようなすべての歴史的な蕩減を父母様がして、何をしようというのですか? 万民を解放しようというのです。なぜ? どうして? 人類を解放させてこそ、神様が解放されるのです。(二二五・二一)



四)天国と真の愛


真の父母を中心とした所から、理想的な歴史の出発、新しい文化の出発、新しい愛の出発が起こるのであり、新しい人生の出発、新しい家庭の出発、新しい国家の出発、新しい世界の出発が起こるのであり、天国と神様の愛の出発が起こるのです。


この真の父母という言葉が、ただ言葉で言える、ただ今まで知っていたそのような内容の言葉ではないことを、皆さんは知るべきです。このような後世と関係を結ぶため、国も滅び、個人も滅び、家庭も…。それゆえ、この位置は、数多くの、数億数千万の犠牲の祭物の血が訴えている位置であるということを、皆さんは知るべきなのです。


聖書には、アベルが血を流すことによって、カインに殺されて血を流すことによって、天に讒訴したと出ています。そのような歴史を全部解怨成就することができる立場は、この立場しかないのです。


そのような使命を受け継いで、そのような驚くべき蕩減の使命の道を、真っ直ぐに置くために集まった群がどのような群かというと、まさに皆さんです。それを本当に知るようになるなら、自分の生命がどうだ、自分がどうだという不平は、夢にも、千回死んでも言えないのです。(六七・二二七)

本来、神様の創造理想が何かというと、真の父母の名前を通じて天国の王国と、地上の王国を成すことです。これを知るべきです。真の父母の名前を持たずには、地上天国と天上天国が生まれません。今日、キリスト教徒たちに「イエスが神様の愛する長子であり、息子なのにもかかわらず、なぜ天国に行けず、楽園に行っているのか?」と聞いてみると、答えられないのです。


天上天国と地上天国は、真の父母の完成と愛の基盤を通じてのみ成されるということです。霊界に行って王国を統一するのが、真の父母の使命であって、他の人の使命ではありません。イエスが真の父母になれなかったので、楽園に行っているのです。


堕落した世界には、まだ真の父母の愛を受けた物もなく、受けた人烽ネく、現れた痕跡もないのです。ですから、霊界にそのような基盤が生まれても、必要がないのです。縦的であり横的な原理基準、公式がしっかりとできているのです。公式ができているということを知るべきなのです。勝手にしたらいけないのです。(一三一・一八四)


天国は男女の愛から始まるのです。分かりますか? 何を中心として? 神様の愛を中心として。垂直線をセンターにして、水平線が統一されている所が本然の天国です。それで、神様がこの中に来て…。神様がおられるのに、男女がすっとその中で核になって、これが体と心が共にぴたりと丸くなるのです。


そこで心は何かというと、垂直的な自分です。体は何かというと、水平的な自分です。明確なのです。その次に、垂直的な心は、神様であり、垂直的な体は何かというと、真の父母なのです。水平的な体は、水平的な父母であるということです。それが一つになるのです。


皆さん、心を見ましたか?(いいえ)。神様を見ましたか?(いいえ)。心は垂直的です。見えはしませんが、垂直的です。体は見えますが水平的です。分かりますか?(はい)。九〇度、これは男が好むのです。(笑い)

家庭は大宇宙の縮小です。分かりますか?(はい)。我々人の中に霊界がありますか? 霊が入ってきていますか、入ってきていませんか?(入ってきています)。それが何ですか? それが心です、心。見えない心、見える体は世界の代表です。二つがセンターを中心として、完全に四方を歩き回っても、ひと所を離れなければ、理想的な人になるのです。簡単なのです。


見えない心と、見える体が、真の愛の核を中心に一つになるとき、これが理想的な男と女、個人の完成なのです。分かりますか?(はい)。


そう、皆さんの体と心が、いつ何で一つのなるのですか? 何で?(真の愛です)。真の愛で! どんな真の愛ですか? 垂直的真の愛、水平的真の愛! 二種類の愛です。これは九〇度です。神様から、愛と生命と血統を受け継いで構成された実が自分です。これが真の愛を、縦横の真の愛を核にして、一つになるべきなのです。(二一七・一五〇)


五)真の父母と永生

皆さんが、相手に会って愛することができる子女をもらうためには、父母に従わなければなりません。そう、子女を得たら家庭だけでなく「ああ、私が天国に行って天国の一門を率い、天国を率い、天国全体を率いることができる道のために従う」と言うべきなのです。それが、どれほど素晴らしいですか! 地上世界でも同様なのです。家庭を持って統一教会を受け、氏族を受け、統一世界を受け、一つになった世界で統一の天を受けるため行くのです。


なぜ、真の父母に従うべきなのか? この宇宙全体を相続するために、従うべきなのです。どれほど素晴らしいかというのです。神様と真の父母は、すべてを持っているのです。(拍手) これが真の父母主義というものです。天宙主義、愛情主義、真の父母主義が、このように立派なものだというのです。


皆さん、そうじゃないですか? み旨のために忠誠を尽くせという統一教会の輩たちは、韓国に行っても統一教会が我々の教会ではないか、南米へ行ってもそうであり、アフリカのどこでも我々の教会ではないか、そうでしょう?(はい)。真の父母が驚くべきことが何というと、その方に会って絶対的に一つになって、永遠に一つになると決心して、永遠に一つになるようになれば、この宇宙全体を神様が相続してくれるというのです。そう、皆さんは先生について回りたいですか?(はい)。


これからどのようにしますか? 先生があの国に、あそこの星の国へ行っていたらどうやって探しますか? どこに行って、どうやって探しますか? 愛の心で「ジジジッ」と方向を合わせるのです。「先生! お父様!」こう言えばいっぺんに当たるのです。来るなと言っても、さっと来るのです、真の父母の位置にです。それが真の父母の愛主義です。そうすればきちっと方向が一致するのです。即刻分かるのです。(拍手)


皆さんは、死ぬまで父母を恋しがりながら、生活をしなければならないのです。皆さんが父母のために会う度に、嬉しくて涙ぐむことができる生活をして、行かなければならないのです。そうすれば死んで天国に行くのです。それが原則です。


それができないために、それをハンダ付けするため、継ぎ当てるために、今日真の父母が出てきて、その運動を再現させ、継ぎ当ててそのような条件を立てたということで天国に行くのです。(一二四・四〇)


統一教会において、主人が誰かというと、文総裁です。そこには異議がありません。なぜか? 誰よりも投入したからです。誰よりも為にしました。また、師でもあります。誰も私の代わりにすることができません。いくらやってみても、私ほどできません。一日も行かないでパンクします。それゆえ、私が山へ行って地の穴を掘って入っていたら、地の穴を掘ってでも侍っていこうとするでしょう。なぜか? 文先生のような先生がいないからです。


また、真の父母という言葉を中心として見るとき、世の中の天地の福を全部持ってきて与え、永生を保証しうる証書をくれます。サタンと神様の前に、立証書をくれます。それが分かります。それが分からずにいたら、自分の先祖たちが来て敬礼します。それを受けた後、その日、自分の三代の先祖がやってきて敬礼します。それが分かりますか? 驚くべき事実でしょう。(二〇〇・七三)

六)真の父母と国


我々がこれまで、なぜ犠牲になったか? それは、氏族の父母になるためです。それはどれほど素晴らしいでしょう! このようになって、全部これがなくなって、「統一したら何をする? 私は統一したら風呂敷を包んで行けばいい」と言うでしょうが、それはなくなるのではありません。統一させるそこに、自分が父母の位置に立つのです。


父母の位置に立てば、どれほど神聖で偉大ですか? 父母はこのように行くのである! ピッタリ合うのです。父母はこのように行くのが正常です。父母は愛を持って、いつも犠牲奉仕するではないですか? それを思えば、真なる父母になるために生きるというとき、気分がいいでしょう? それは、アメリカもそうなのです。レバレンド・ムーンが、今までアメリカに対してそのように出てきました。愛を持って、アメリカの人たちを一つにするようになるときは、父母の志を持ってしたという事実を知るようになるでしょう。そのようになるとき、ここから別れることができない、一つの世界と、一つの国が決定されるのです。


ここから父母がこの位置に入ってきてもオーケー、この位置に入ってきてもオーケーです。そうですか、違いますか? この位置に入ってきてもオーケーです。それは、全部神様を中心としてつながった父母の位置として、縦的な心情圏がつながるのです。それを知るべきです。このセンターを通じなくては、つながらないという事実を知るべきなのです。


また、その次には、垂直は垂直ですが、このような垂直になっています。これが夫婦であり、その次には家庭の父母であり、その次には氏族の父母であり、民族の父母です。もっと大きくなります。この言葉は何かというと、いちばん最初、この真の父母の伝統を受け継いだこのセンターを中心として見るとき、父母は父母ですが、一つは家庭の父母であり、氏族の父母であり、民族の父母であり、国家の父母であり、世界の父母です。後は、父母権を中心として国がセンターとなり、父母権の国を中心とした世界を作るのです。(一一八・二六七)


皆さんは、長子権と父母権を受け継いだでしょう? 氏族的メシアになったからです。そうじゃないですか? 長子権を受け継ぎ、その次に父母権を受け継ぎ、その次には王権をつなぎうる国を探すためのことをしているのです。そうでしょう? 皆さんが韓国を訪ねれば、世界の国は皆見つかるのです。これが最後です。原理的に、理論的結論がここに帰着するのです。もうこれ以上ありません。


これから、その位置に標注として立てるものがあるなら、真の父母、真の先生、真の主人、この三人の方です。真の愛を中心とした父母は、真なる先生です。真の父母だから、この世の中が知らないことを皆教えてあげたでしょう? 天の秘密、地の秘密をくまなく皆教えてあげました。これ以上、誰が教えてくれますか? 先生の中の先生です。神様がそうです、神様が。神様は、主人の中の主人です。先生も主人の中の主人です。王権を復帰するようになれば、主人の中の主人になるのです。三大主体思想が何かというと。真の父母思想、真の先生思想、真の主人思想です。統一教会を中心として見るとき、統一教会は真の父母の輩です。


国もそうでしょう? 国にも大統領を中心として系列があります。国家組織を見ると、教育機関の文教部があるでしょう? これは真の先生の輩です。その次に、国家の行政部署は、神経の主人と同じです。これが全部上がるために、行政部署は主人の位置に入らなければならないのです。そのてっぺんにいる大統領が主人です、国の主人。これが三大主体思想の中に皆入るのです。分かりますか?


それゆえ、真の父母はいつも縦的な位置に立っており、その次に教育機関と行政部署は相対的です。これがカイン・アベルです。カイン・アベルと同じなのです。このカイン・アベルが完全に一つになるときは、その王権は永遠不滅の王権になるのだ。(アーメン!)何のことか分かりますか?(はい!)


金日成の三大主体思想が何ですか? 何、自主性、創造性、意識性とかなんとか言いますが、それは人間論を中心としたものであって、思想になりえないのです。神を知らない奴らが何の…。そこには本体論が抜けているのです。このようなことを知って、皆さんは全部力強く前進しなければなりません。

今、皆さんの目で国を見ることができる時が来たのです。皆さんが国を救うための独立軍、独立勇士として一線に立つことができる、この驚くべき事実は、歴史を代表して、宇宙史を代表するのです。天がこれを見るとき、どれほど誇らしく、どれほど甲斐があるかというのです。それを知るべきです。分かりますか、何の話か?(はい!)


この地上に真の父母が出てきたということは、驚くべき事実です。偽りの父母として、このようにしていたものを、全部収拾して、これがこのように出てきたのを半分を切って、この基盤を中心としてここからこの反対の父母の門を通じて、全部追い込もうというのです。そうして、地獄に行っていた道を天上に上がることができるようにするのです。


父母の門を通じなくては、天国に行けないのです。分かりますか?(はい)。キリスト教のイエスを信じて天国に行けません。キリスト教に父母の門がありますか?(ありません)。統一教会には?(あります)。ですから、天国に直行しうるのです。その代わり、自分の過去を完全に清算しなければなりません。過去の友達の名前までも、覚えてはいけないのです。嫁に行った女たちが、過去の初恋の男が思い出されてはいけないのです。ゼロの位置に入らなければならないのです。過去に自分がどのように暮らしたかという思いをする人は、天国に入れません。ゼロの位置に入らなければなりません。


それゆえ、このおばあさんと同じように、あらゆる精誠を皆集めなければなりません。そこに他のものは何もありません。ただ真の御父母様と神様の思いしかないのです。そこに他のものが混じっては、この直線に乗れないのです。愛の道を行けないのです。そのような課題が残っているのです。


地上で祝福を受けたと、そのままで済むのではありません。祝福も、教会の祝福、国の祝福、世界の祝福、このように三段階を経なければなりません。なぜそうでなければならないか? ゼロの位置に入るために。自分の息子娘がいるといって、その息子娘が自分の所有ではありません。ゼロの位置に立たなければなりません。その息子娘は、神様の所有であり、真の父母の所有です。(二〇八・三四二)


六、真の父母と我々

一)統一教会の教えの核心


・ 父母哲学


今日は父母の日です。皆さんが孝行者になるには、父母がどんな方かということを知らなければなりません。皆さんは、果たして父母がどんな方かということを知っていますか? 教えられて知っているのか、本当に知っているのか、考えてみたことがありますか?


皆さんは、統一教会に来て、孝子、孝女の道を行っています。しかし、皆さんは、大小便をする幼子です。お母さんのおっぱいをくわえて吸っている幼子です。そうしながら、父母の愛を受けて育ってきました。


この世に最高の哲学があるなら、父母哲学でしょう。父母哲学が最高だということです。もう皆さんは幼子ではありません。皆さんは、全部習わなければなりません。それが父母が願うことです。


皆さんは、お母さんのお腹を通じて生まれましたが、養子・養女です。ですから、その父母の前に忠誠を尽くすべきです。そうして、皆さんが父母になれば、四位基台が成されるようになります。しかしながら、皆さんだけでは、絶対に、天の子女を持つことができないようになっています。天の子女を持つためには、明らかに天の父母がまず出てこなければなりません


ところで、このような父母が出てくるためには、長男がまず出てこなければならないのです。なぜなら、長男であったカインが天道に背いたので、神様の前に背いたカインの路程を逆さまに踏んで、神様に代わりうる位置まで上がらなければならないためです。


そうして、四位基台を成さなければなりません。そうする前まで、みなさんは全部赤ん坊です。赤ん坊です。ですから、世の中で、いくら優れていて、何がどうだという人だとしても、赤ん坊のような心情をを持たなければなりません。そうして、お母さんのお腹の中と、お父さんのお腹の中を通じて、再び出てこなければなりません。(一六・一九一)


宗教の違いはあるといえども、どうせ良い道に従うようになっています。転がっていくようになっています。教派を主張した宗教は、退くようになっているのです。これが約三年にさえなれば、そのような時代に越えていくと見るのです。間接主管の心情圏でつながれなかったのを、完成期蘇生級から始まって、完成期完成級、完成期完成級まで七年路程に該当する期間を残したここで、父母様を中心として、今まで世界的な蕩減をしたために、今は、本来の線上で、間接主管圏内に落ちて堕落したものを、再び引き上げて直接蜉ヌ圏の平行線上に接することができる段階に入ってきたのです。これは、真の父母を中心とせずには、だめなのです。分かりますか?



今、皆さんに必要な思想は、真の父母の思想以外にはありません。それ以外にはないのです。その誰のよこしまな思想もありえないのです。金日成の思想を受け入れることができません。誰の思想も受け入れることができません。ただ、真の父母の思想だけです。一つです、一つ。(一三六・五二)


真の父母の思想が何か? 歴史を代表したこれが全部壊れたために、アダム・エバから数千代が壊れたのです。ですから、真の父母は、その数千代に代わった、一つのセンター、その言葉です。(一二三・一三八)


・ 真なる家庭・宇宙の中心を決定



真なる父母が出てくれば、真なる家庭が成立するのであり、真なる人の目的も成すことができるのです。今日、皆さんが知るべきことは、過去や、現在や、未来に永遠に讃えられうる、その名が何かというと、真なる父母、真の父母です。真の父母がこの地上に顕現したという事実、真の父母がこの地上におられるという事実は、何よりも嬉しい福音中の福音です。そうではないですか?

今日、邪悪な人間たちの前に、悪が主管することによって、方向を整えられず、死亡圏を成しているこの世界に、真なる父母の因縁が成立したことは、今日韓国の領土を中心とした統一教会の歴史、一七年間に成されたのではなく、神様の六千年の歴史的な苦労の功績の実として現れたものです。また、多くの人間たちが、行く所を知らず、方向を選べないこの時代の前に、行く所を探してやり、行くべき方向を提示してやることができる、一つの中心的なモデルとして現れたのが、真の父母の名前というものです。


真の父母の名前が出てくることによって、神様の創造理想世界、エデンの園から出発するべきだった永遠の未来の天国が、ここから出発するのです。その事実は歴史的であり、時代的であり、未来的なのです。それゆえ、過去、現在、未来の全体の歴史をひっくるめて見るようになるときに、この地上に顕現した真の父母という名前は、宇宙の中心を決定する中心ポイントであるということを、皆さんは知るべきです。分かりますか?


歴史はここから実を結び、歴史はここから収拾され、歴史はここから出発するのです。歴史がここで実を結ぶために、過去がここで復活するのであり、世界がここで一つの世界に収拾されるのであり、一つの世界が起源となり、新しい天国が成されるのです。皆さんは、これをはっきりと知るべきです。


今まで、歴史時代において、人類の希望がどこにあったかというときに、その希望は、未来にあったのです。考えてみなさい。人類は、希望を未来のものとしてだけ考えてきたのです。分かりますか? 人類は、どこに向かって行くかというとき、未来に成される一つの世界に向かって行くと言ったのです。未来について、一つの世界を模索したのです。


では、偽りの人類の中で、真なる父母を迎えうる道があるなら、人類は喜ぶのではないか。それゆえ、人類の希望が何か? それは、真なる父母を迎えることでしょう。


真なる父母は、人間たちの最高の希望であるために、真の父母が顕現すれば、歴史的伝統は未来で成されるのでなく、真の父母が顕現した現実圏内で成就するのです。分かりますか? 真の父母が現れれば、真の父母が現れた過去が、歴史の完成の出発点であって、完成を願う出発点ではないということです。言い換えれば、願いが出発する場ではなく、願いの成就が出発する場であるのです。(四四・一三二)


真の父母の家庭は、どんな家庭か? 真の父母の家庭は歴史的な実であり、時代的な中心であり、未来的な起源です。それゆえ、我々人類が暮らしているこの世の中の前に、希望の天国ができるときに、そこに伝統の本国は、真の御父母様が暮らしていかれたその生活全体になるのです。分かるでしょう? 国家の思想的な母体が何かというとき、これがその思想的な母体なのです。また、世界を創建しうる起源が何かというとき、これが世界を創建しうる起源です。分かりますか?


いつでも真の父母とともに、真の父母の子女になる因縁を中心として、三代圏を成さなければなりません。神様、父母、そして皆さん、このように三代でしょう? 横的に見るようになれば、先生、先生の子女たち、その次に皆さん、このように三代です。この三代圏を備えて完成しなければ、天地が統一されないということを、皆さんは知るべきなのです。(四四・一六九)


基地は、家庭に着地しなければなりません。家庭に着地して、方向を定めなければならないのです。すべての家庭は、父母様と神様の名前を中心とした写真をかけ、そこに四位基台が敬礼しなければなりません。それで、三代が敬礼しなければなりません。四位基台は三代です。おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、子供たち、このように三代が敬礼をしなければなりません。



父母様の名前とともに、四位基台圏を成して敬礼する所は、堕落圏内ではあません。神様が直接主管をするために、解放圏が起こるのです。それによって、天上世界に行ったすべての霊人たちが地上に来て、天使長がアダム家庭を保護するように、保護するのです。そのような時代に入ってきたのです。



昔には、カイン圏が霊界になっており、アベル圏が地上になっていました。それで、アベルがカインを救うために、犠牲となるときであったために、利用されてきました。ですが、今は、長子権を復帰したので、霊界が天使世界であり、今日統一教会を中心とした家庭がアダム圏であるために、アダム圏を後援するようになっているのであって、利用するようにはなっていません。

こうすることによって、サタンが介在して活動しうる地がなくなるのです。そうする女がいないのです。サタンは、追放されるのです。強く雄々しく先頭基準を一歩も譲らない前進的姿勢と、平行的基準を備えて、前進するのです。そうすれば、悪魔の勢力圏は、崖に落ちるのです。家庭毎に火を付けるのです。(二一一・三五〇)



・ 神様の愛と真の父母の愛


神様の愛は、縦的な父母の愛であり、真の父母の愛は、横的な父母の愛です。それを受け継いだ人間の前において、皆さんの心は、縦的な神様と父母の愛を受けた伝統的な実であり、体は、横的な真の父母の愛を受けた伝統的な実です。


この実が互いに横的家庭基盤になり、縦的中心を中心として、球形をなそうとするので、夫婦をなし、息子娘を産まなければならないのです。それゆえ、息子娘を産まなければ罪なのです。息子娘がいない人になってはいけません。骨がない肉がありますか? それは位置が定まらないのです。(一八四・三〇九)


エバは女性の性稟、アダムは男性の性稟を中心として分立して、何でまた一つになるか? 別れてから合わさることによって、神様自身が内的に抱いていた愛が、どれほど強いかということが分かるのです。そうでなければ分かりません。自分に愛がありますが、愛が分かりません。相手に会うことで分かるのです。内省的な愛を人を通じて感じてみるのです。


神様は、縦的な父であり、アダム・エバは横的な真の愛を中心とした父母です。(一八五・一八七)


神様は、愛の骨です。それを知るべきです。愛を中心として、神様の愛は「骨の愛」であり、今日人間の愛は「肉の愛」です。分かりますか? 骨と肉が一つになって、形態を整えるのです。そのような道理になっています。


神様の愛は、何の愛ですか?(骨の愛です)。例えば、皆さんに骨があるように、神様の愛は、骨の愛です。真の父母の愛は何ですか?(肉の愛です)。肉の愛です。(一八一・二〇六)


・ 父母と食口


今日我々統一教会では、信徒たちを食口と言います。今日までの歴史途上で、この食口という名詞を悟らせてくれた者がいませんでした。食口という言葉は、家庭を離れては成立しません。食口が生まれるためには、必ず家庭がなければならず、その家庭があるためには、兄妹がいなければならず、兄妹がいるためには、父母がいなければなりません。そうでしょう?(はい)。


キリスト教でも、信徒や信者という名詞を使いますが、食口という名詞は使えませんでした。今日、この世界が外的な面で、世界大家族主義を叫んでいますが、大家族を成すためには、その大家族の父になることができ、母になることができる父母がいなければなりません。その父母として来られる方が、まさにメシアです。お分かりですか?(はい)。

ところで、今日統一教会で言う食口の中に、真の食口がおり、それとは反対になる食口がいます。また、中間の立場にいる食口もいます。では、神様が立てられた天的な家庭を中心として、食口という名詞を持った真の食口はどんな人なのか? これが問題です。


食口になるためには、まず父母を持たなければなりません。兄弟になるためにも、父母がいなければなりません。兄弟は何人かいますが、父母は一人なのが原則です。すなわち、食口は何人でも、主人は一人だというのです。そうでしょう?


では、その父母や主人は、誰を中心とした父母であり、主人か? 自分を中心とした主人ではなく、自分を中心とした父母ではありません。兄弟を中心とした父母であり、食口を中心とした主人なのです。また、悪なる世界で悪と接することができる主人であり、悪と接することができる父母であるか? 悪とは関係ない主人であり、父母でなければならないのです。


真なる善としておられる父母であり、主人であるというからには、その父母は家庭や、あるいは韓国の民なら韓国の民を主とした父母であり、主人であるのか? 違います。全世界の三〇億の人類全フの父母であり、一つの大家族を主にした中心でなければなりません。


では、その主人であり、父母であり、中心の位置には、誰が立つべきか? 天地を創造した神様が立つべきです。その次には、誰が立つべきか? 悪なる世の中を世界的に収拾する、神様の身代わり、すなわち、救世主が立つべきです。そうして、神様と一体となった救世主を父母として、地上に迎えることができてこそ、初めて真なる家庭を成すことができ、救世主に真に侍る者だけが、真の子女と真の兄弟になることができます。(一五・二九五)


皆さんは、神様のみ旨の道だけを歩むべきであり、兄弟でない兄弟にならなければならず、父母でない父母にならなければなりません。統一教会で父母でない父母に侍り、兄弟でない兄弟が神様を中心として血肉の情を越えることができる、このような運動が起こるのです。


ここで民族を超越し、世界を超越し、新文化創造が起こるのです。何を中心として? 神様の何を中心として? 神様の生命力を中心として? 神様の創造の能力を中心として? 神様の知恵を中心として? 知識を中心として? 違います。神様の愛を中心としてこそ可能なのです。(八三・一七七)



二)真の父母の在世時の価値


この世に、真の父母が二組いることができますか? 今日北韓では、金日成を「お父さん」とし、統一教会では文先生を「お父様」と言っています。ですが、統一教会で言うお父様と、北韓で金日成をお父さんと言うのは、質的に違います。二人が対立したのです。貴いものが出てきたために、大韓民国が貴いのです。この二人が、互いに自分が父母だと言うのです。そして、神様もその父母は自分のものだとし、サタンもその父母を自分のものだと言いながら、互いに争うのです。

これを公的に、誰が公判しなければならないか? 人間がしてあげるのです。人間が「我々の父母は、このような方でなければならない」と父母を選定しなければならないのです。「堕落した父母はこのようにして悪い父母であり、善の父母はこのようにして善の父母です。善の父母を探してきたのは神様であるために、神様が善の父母の父です。」このように立ち上がって決定づけなければならないのです。そうしなければならないのではありませんか? それゆえ、すべてはどこに帰結するか? 真の父母に会うところです。


それで、父母が二組存在することができますか? 一度死んだ父母が、千年後にも再びパッと現れますか? 人類の父母が一度現れるのが、歴史の願いであり、国家の願いであり、思想の願いであり、摂理の願いであるために、その父母が現れる時は、後にも先にもない時であり、歴史上に一度しかない、何と言うか、てっぺんなのです。狭いといえば、どれほど狭いですか? 永遠の世界について見れば、人間の一生というものは、一息つくのと同じです。そうでしょう?


皆さんが、運があってそうなのか、福があってそうなのかは分かりませんが、このようにしてこの時代に生を持ってこの一時に会い、統一教会に入ってきました。統一教会にどのように入ってきましたか? 皆さんをこの場に入るようにするまでには、数多くの先祖たちが精誠を捧げに捧げました。数多くの人たちが滅び、善が踏まれる場で死んでいきましたが、その千人、万人の因縁を経て、回りに回ってその因縁が天につながって、日が昇る高い山のような立場に立ったために、そこで日の光を眺めて集まった人たちが皆さんなのです。

このときは、人類歴史において、愛という因縁が出てくるなら、それは初めて出てくる時なのです。それゆえ、生命の価値を賦与することができる時があるなら、その時から始まるのです。国と世界の主権をより価値のある内容で肯定させることができる時も、この時しかないのです。この時は、歴史の起源であり、希望の焦点であり、万福の出発であり、永遠の生命の発源地なのです。そうすることができる時です。


堕落した世界は、未来の希望を探してきましたが、未来にはこの時が永遠の希望の基準になっていくのです。この時を中心として、皆さんがこのように進んでいくのを眺め、この時の心情を体得していき、世界を生かさなければならないのです。この時がそのような時です。考えてみなさい。それゆえ、そのような頂上の実体として来た真の父母は、真の父母の心情の位置に属しうる規範に従って暮らさなければならないのです。それは皆さんが分からないでしょう。


その父母は、どのようにしなければならないか? 善の父母であるために、悪の父母と違わなければならないのです。悪の子供についてはどのように対するのだろうか? 歴史上のどの父母よりも厚い徳を持って対さなければならないのです。


このような悲惨な運命に処した子供に対する父母の立場に立っても、そこに引っかからないで、むしろ泣きながら追いかけて、万世の恨とともに哀願し、たとえ互いが過ったとしても、別れるのが嫌で慟哭する姿になるべきなのではないかということです。そのような立場に立つべき真の父母ではないかというのです。違うのです。父母として、持つべき心情的姿勢がどうだったか? そのような何かがあるのです。



そのような父母を迎えることができる子女として、備えるべき心情的な姿勢と規範はどうか? それがなければならないのです。万国の孝行者を代表した姿でなければなりません。世界マラソン大会に出場した各国のチャンピオンと同じで、自分の氏族の前に選出されたチャンピオンにならなければならないのです。何をするためのチャンピオンか? 孝行するためのチャンピオンであり、忠誠を尽くすためのチャンピオンです。皆さんが、そのようなチャンピオンの群にならなければならないのです。このようなことを考えてみましたか?



子女はこうであるべきであり、父母はこうであるべきだという、そのような意味では、統一教会の先生という人は、根が違います。その時を逃すようになれば、億千万年の恨を残すでしょう。お金で買うことができるか、知識を持って買うことができるか? 自分のその何かを持って合わせることができるか? 絶対できません。自分が引っかかっている世界、自分が引っかかっている民族、自分が引っかかっている氏族、自分が引っかかっている家庭にいる荷物をいっぺんに背負うと言って、その場を引き継ぐことができるか? それもできません。

共産世界を滅ぼし、民主世界を滅ぼす恨があったとしても、これは滅ぼすことができないのです。三〇億の人類を全部犠牲にしたとしても、これを侵害させてはいけないのである、と神様がご覧になるでしょう。このようの考えるのです。


このような焦点上にいる皆さんが、言いたいことを皆言うことができますか? 自分が言いたいことを皆言って、孝行者になる道理がありますか? 自分が言いたいことを皆言って、したいことをみなして、忠臣になる道理がありますか? そうはいかないのです。(五一・三五五)


現在の立場は、どのような立場か? 真の父母を中心として、同時代に処した時なのです。これは、一生に一度しかないのです。歴史の数多くの流れの中で、魚の切り身で言えば、いちばん真ん中の切り身なのです。そのような期間です。(四六・一六八)


神様のみ旨で見れば、韓国のいちばん大きな教団の教会堂が、神様を代表して祈りを捧げるのを願うのにもかかわらず、雪の上でひざまずいて、礼拝の代わりに慟哭しながら、哀れなこの教会、この殿堂を救ってくれと祈る立場…。お分かりですか、何のことか?(はい)。この統一教会を立てるのにおいて、悲痛な歴史の摂理的内容があったということを知るべきでしょう。


ですが、今は各国が歓迎するのです。アメリカでも今、朝野で問題になっています。日本もそうです。ヨーロッパもそうです。統一教会の祝福家庭が、初めて人類の希望的な家庭として、家庭の崩壊を防御することができ、青少年の倫落を防御することができる道だと。希望的な一つの灯台のように考えることができる段階に入ってきたのです。そうするためには、先生の血肉がどれほど削られ、恨の涙と曲折をどれほどたくさん経たかを知るべきです。


誰も祝福家庭のカップルを離すことはできません。神様がそのようなことを願うのです。それを知るべきです。その一組が祝福を受けるためには、天は多くの血族を通じて、手を経て、一時に先生に会わせたのです。それが偶然のことではありません。歴史的な事件です。


真の父母が生きる当代に、共に生きているということ、同じ空気を吸って、同じ時代に地球上で共に生活をしているということは、驚くべき事実です。それに先だって、祝福の基盤を受け継いだということは、驚くべき事実です。百万長者が問題ではありません。ここの何か大宇、現代のなにがしが問題ではありません。先生が皆さんのようだったら、今日の統一教会が生まれたでしょうか? 行く所々に監獄を目標として、直行していくのです。監獄の正門を通って、裏門に出ていくのです。皆さんはそれを知るべきなのです。


先生が暮らすことのできる家庭、先生がとどまることのできる教会、先生がとどまることのできる一族を探していくのにおいて、今は、世界の版図を皆築きました。そこに備えうる外的条件を皆築きました。世界の学者世界、PWPA(世界平和教授協議会)百カ所以上、言論界の組織、その次に頂上会談・これはこの世界を動かしうる頂上のクラブです・を皆作っておきました。また、心を代表した宗教圏連合、体を代表した政治圏連合として、世界平和宗教連合と世界平和連合を作ったのです。


私個人で、体と心の闘争歴史として分かれたものを、今終わりの日に来て、これを収拾せずしては、人類の生きるべき道を収拾する道理がないのであり、平和の世界に行く道がないために、一人でこのようなことをするのです。反対されながらも一人でやるのです。(二一一・三三七)

三)真の父母の苦労と我々


・ 真の父母は我々に絶対必要


真の父母が必要なのは、蕩減条件を立てるため、そして、愛で一つになった基準で、伝授されるためです。(一三七・一一六)


アメリカが私の怨讐ですが、私が監獄に入って、アメリカを生かすために六つの団体を作りました、ワシントン・タイムズから。この世なら、復讐を皆するはずなのに、私はそうではありません。愛さなければいけないのです。何のことか分かりますか? そうでなくてはいけないのです。


蕩減復帰をするためには、絶対真の父母がいなくてはいけないのです。また、真の愛を中心として一つになるためには、真の父母がいなければならず、その次には、血統的に重生するにも、真の父母がいなくてはいけないのです。このように三つです。(一三七・一一四)

・ 我々は真の父母に接ぎ木された枝

本来人間は、横的な父母として、神様を縦的な父母として、縦横の父母の愛を中心として喜びの出発を見なければならなかったのが、起源地でした。それがサタンによって侵犯されたために、これを再び奪って付けて、真の父母の息子娘にならなければなりません。そうするためには、野生のオリーブになったために、真のオリーブの枝をもらって、接ぎ木しなければなりません。


それゆえ、宗教は接ぎ木する仕事をするのです。これがキリスト教思想というものです。それで、新郎新婦の婚姻の宴が、この地上に現れなければいけないという言葉が出てくるのです。(五八・二一九)


人類の希望が何かというと、真の父母に会うことです。そうでしょう? 歴史的結実が何かというと、真の父母に会うことであり、時代の中心が何かというと、真の父母に会うことですあり、未来の出発の基地が何かというと、真の父母に会うことです。そこに接ぎ木された皆さんは、枝になるのです。そうではないですか?


今まで、歴史時代の願いは、全部未来にありました。しかし、今日皆さんの一生を中心とした真の父母との因縁は、永遠に一時しかないのです。一度しかない貴いものです。分かりますか? 皆さんの先祖たちも持てず、皆さんの後孫たちも持てないのです。(四六・一六八)


堕落によって、サタンが人類を全部連れていきました。地獄に全部連れていったのです。それで、このように行くここにおいて、神様が一つ二つ分けるのです。この世界が、サタン世界の野生のオリーブでしたが、そこで天の側のオリーブを作りました。半分を中心として、民主世界のキリスト教を中心として、天の側の野生のオリーブを作って、世界をリードさせておいたのです。このサタン側の世界が弱化して、キリスト教文化圏が強くなれば、再臨主が来ていっぺんに切って、完全に接ぎ木して一つにして、回して立てるのです。


今日、右翼と左翼が皆滅びました。右翼左翼が皆滅びるようになったのです。誰がそのようにしましたか? 神様と真の父母がそのようにしたのです。分かりますか? それで、このような解放を宣布すると同時に、真なる父母と一つになった家庭は、世界のどこにいても、今まで真の父母がやってきた道を相続したために、そこで強く雄々しくあれというのです。そうなれば、神様とこの宇宙が先生を保護するように、その家庭を保護することによって、一国を消化するのは問題でないのです。これを宣布するのです。(拍手)


皆さん、今からどこの信徒かと聞いたら、誇らしく宣布しなさい、「私は統一教会の信徒だ」と。(拍手) 統一教会のメンバーが何かというと、真の父母に属した者だというのです。我々は真の父母の子女だというのです。けんかしないでください。けんかするのは、サタンを受け入れることです。分かりますか?(はい)。宣布して回りなさい。「我々はナンバーワン・ムーニー! ナンバーワン神様の子女だ!」と言いなさい。そうすれば、サタンが讒訴できません。そのような考えを確固として持って回りなさい。分かりますか?(はい!)(二〇一・一二九)

我々のみ旨の帰着地が家庭です。家庭がなければ、神様の定着地がありません。すべての家庭は、真の父母を中心として繁栄するので、家庭がなければ何も成すことができないのです。木で言えば、トランク(trunk;幹) を中心として枝が伸びるのと同じです。その枝を折って挿し木をすれば、その木は繁殖していくのです。


そのような枝の使命を完遂すべきなのが、宗族的メシアです。分かりますか? トランクからずっと東西南北に伸びて、大きくなることで、中心の根も大きくなるのです。その中心の根が大きくなるには、枝が大きくなることで比例的に大きくなるでしょう?



それで、横的に大きくなれば縦的にも大きくなるのです。横的な基準を犠牲にして、ずっとこのように根が大きくなれば、枝もずっと上がるでしょう? み旨を中心として、熱心にすれば、このようについてくるのと同時に、横的に拡大した力が圧縮されるために、為に生きることで天宙をつなげることができるという結論が出るのです。


それで、夫婦を中心として行くとしてもですね、神様を中心として縦的な基準において横的に奉仕の生活をすれば、そこで天宙統一圏が自動的につながるのです。このように一つになれば、必ず回ります。回っても倒れません。横的な基準があるために、倒れないのです。軸を中心として回るのです。必ず回らなければいけません。遠心力と求心力が一つになることによって運動するのと同じです。


自分自身が無の境地になれば、自動的に回ります。回り始めれば軸も上がって…。下がるようになれば、自然に反動が生じるのです。それで、上がったり下がったりするのです。呼吸するように運動するのです。そのような完成型のような人間が、天上世界で家庭を成せば、天国家庭の基盤になり、そのような基盤を築くようになれば、離れません。父母が行くのにおいて、共に永遠に侍ることができるのです。


それゆえ、真の父母を中心として、心情的共鳴体を成し、その生活の体恤を基準に永遠な心情世界の基盤になっているのです。


統一教会員は、真の父母とともに、神様とともに生きていくと言うでしょう? 真の父母の愛とともに生まれるのです。愛は永遠な因縁を結ぶために、愛の因縁は絶つことができません。死ぬときまで愛を忘れられないのです。そうでしょう?


父母は死んでいくときも愛の心情を持って、息子娘を愛しながら死んでいくのです。夫や妻も同じです。愛を忘れて死んでいく人はいません。愛は、死を越えて、永遠とつながるのです。それで、愛による生命圏を受け継いだ自分、男と女というものは、愛の根本である父母を忘れてしまうことができないのです。


父母は根であり、自分自身は幹であるとするなら、息子娘は芽です。それが共に大きくなれば、氏族圏、民族圏、国家圏に拡大するのです。そういうものでしょう?(二一八・一二六)


我々のための真の父母の苦労


真の父母が真の子女を産むのが易しいでしょうか、大変でしょうか? 失ったものを探すのが、どれほど大変かというのです。個人が反対し、家庭が反対し、氏族、民族、国家、世界、天地、霊界が全部反対するのに、これを率いてきたのです。商売心でそうしたでしょうか?(違います)。何のためにそうなのですか? 愛を中心として、愛を探そうとしたためです。それを知るべきです。


今、皆さんがそのような資格を持っては、その前に立つことができないということを知るべきです。皆さんが、百回訪ねてきても門前で蹴飛ばしてしまい、千回訪ねてきても蹴飛ばしてしまうのに、皆さんを訪ねてきてこうしているという事実を知るべきです。自分が難しい逼迫を皆一手に引き受けてしているのです。


皆さんが過ったのを、全部先生に持ってきてなすりつけるでしょう? 私がアメリカに来て悪口を言われるべきこと、反対されるべきことは、何もしなかったのです。それなのに、皆さんが過って、私が悪口を言われるのです。この世なら、皆さんを捨てて行くのに、捨てられずにいるのです。


アメリカの法廷にも、私が現れなくてもいいのです、放っておいてしまって。しかし、皆さんのために…。私がいなければ、皆さんがどれほど引き裂かれるでしょうか? それで、私が打たれて、皆さんを守ってあげ、保護してあげるのです。(一一六・一一四)


・ 我々に対する真の父母の期待


ここに、西洋人たち、東洋人たち、まだらの人たち、本当にたくさん集まったな。(笑い)それ、何をしにみんな集まりましたか? 何をしに訪ねてきたの? 文総裁に会っても、やれるものは悪口しかありません。(笑い)げんこつしかやるものがないのに、それでもいいと、こうして来ているのです。(笑い)それが何か? 愛を探して集まるジプシーの群です。真の愛を探してくるのです。その味を知っているのです。働き蜂が密の味を知った次に、花の香りを嗅いで千里の道も遠いと言わずに、飛んでいくのと同じように、そうするのです。お分かりですか?


それで、真の父母になるのは容易くありません。私が真の父母の権限を引き継いであげるから、引き継ぐという代表者がいたら出てきなさい。私が真の父母になるというのは、考えもしなかったのに、気がついてみたら統一教会の責任を持って、行かざるをえなかったのです。それで、行ってみたら真の父母になったのです。


いちばん最初から、私が真の父母になるだろうということを知っていたら、万民が皆分かったという理論になるのです。知らずに人生の根本問題を掘り下げてみたら、ここまで来たのです。ここに曲折がこのようになったのを、皆解いてみたら、真の父母のすべての解怨成就も起こり、神様が解放を必要としているのが分かり、その神様が私によって解放されたために、絶対的に文総裁を愛さざるをえないというのです。(アーメン!)(拍手)


こうして、皆さんが真の父母に会って、何をしましたか? しておいたものが何ですか? ご覧なさい。先生は、今まで悪魔の世界でむち打たれながらも、家庭を守り、氏族を、民族を経ながら、個人編成・家庭編成・氏族編成をしてきました。この統一教会の祝福家庭は、氏族編成です。世界的です。


それを今は、サタン世界がつかんでどうすることもできません。なぜ? じっと見ると、暮らすのが素晴らしいのです。東洋人と西洋人とけんかでもして、会うといってもいくらも暮らせずに、さっさと離婚するというそういう場面なのに、我々統一教会の人たちは、一〇年でもいいし、二〇年でもいいし、よく暮らすのです。(二一一・三二五)


・ 我々がなるべき水準


皆さんの夫婦、皆さんの一家で、これが起きるようになるときは、どのようになるかというとですね、おじいさんが自分の孫に対して、おじいさんのように侍らなければならないのです。


天地開闢という言葉があるでしょう? お父さんが息子に対して、お父さんのように対さなければならないのです。なぜ? これは堕落した世の中であり、これは完全な復帰の世の中です。この峠、分水嶺を越えました。今まで上がるときは、世の中のすべてが全部主導しましたが、今は後ろからついてこなければならないのです。それで、国の王は、あのていたらくで行くのです。こういうすべてを知るべきです。


皆さんの家庭に三大主体思想のその実体を備えうる真の兄弟・真の夫婦、真の父母が出てこなければなりません。実体存在です。真の兄弟になってこそ、真の夫婦が出てくるでしょう? 真の夫婦が出てきてこそ、真の父母が出てくるではないですか? 真の父母の位置に立てば、真の夫婦になるのはもちろんであり、真の子女になるのです。父母の意識、主体思想を中心として、そのまま対象的な立場に立って一つになるのです。愛で一つになるのです。分かりますか? 愛だけがこのすべてを和合することができます。


すべての元素も、微々たるものも、愛の道を訪ねていくのです。神様と一体となりうる、愛と直接接することができる細胞を訪ねていくのです。それが人間です。それゆえ、愛のためには犠牲にならなければならないのです。投入しなければなりません。分かりますか? 生命と財産を皆投入した伝統があるために、級の低いものは、級の高いそこに自分のすべてを投入しようとするのです。


それゆえ、ダーウィンの進化論ではなく、愛を中心として吸収する論理です。第二の価値的な内容を創造するところに創造要素として作用するようになるときは、現在の微々たるものよりも、どれほど価値的な内容が上がるかというのです。(二〇四・一二九)

これから、最後に残る宗教はどんな宗教か? それは父母の宗教です。それで、父母の宗教が出てこなければならないと、宣布したのです。「歴史が長くなったとして、父母の宗教になるのではない。それは、僕の宗教だ! 庶子の宗教だ!」と宣布したのです。


公式の演説内容がそれです。「父母の宗教の使命を受けた、そのような責任者はこの壇上に、この大会の主題演説をするレバレンド・ムーンであることを、皆さんは知らなければなりません。」このように発表しても、世界が粛然としたのです。ですから、キリスト教では統一教会の文総裁が再臨主だと噂が立ったと言って大騒ぎするです。西欧社会では、人として主が来るなら、文総裁以外にはいないというのが結論です。


君たちはそんな考えもしないだろう?「文総裁が再臨主だって、私と同じなのに。韓国語を話してね。言葉はなぜ早いか?」こう言っているでしょう? 忙しい歳月を治めるから、言葉まで早くなりました。言葉が早いから、逃げるのもひっ捕まえることができるじゃないですか? それで、言葉の早いのも研究して早いのです。日本語を話してもそうであり、英語を話してもそうで、誰も私についてこれません。


では、皆さんがそのような先生によく会いましたか、過って会いましたか?(よく会いました)。会えませんでした。よく会ったら、良くあった人たちがうまくやるべきでしょう。こうして、宗教を中心として全部統合をしてきたのです。(二一四・一七五)

四)恩寵と自覚


・ 真の父母という言葉は初めて現れた言葉

皆さんは、復帰摂理を習って、神様のみ旨がなされるためには、父母がいなければならないということ、堕落した父母ではなく、真の父母が来なければならないということを知っているでしょう。


この真の父母という言葉は、皆さんが考えもしなかった立場で見出され、会うようになれるそのような言葉、そのような内容ではないことを、皆さんは知るべきです。これは、歴史上に初めて現れた言葉であり、初めてそのようだということを我々が感じているこの事実は、革命が問題ではないのです。これは、歴史にない奇跡的な大事件であることを、皆さんは知らなければなりません。


皆さんが、真の父母というこの言葉を習うようになったのは、真という言葉を言うようになったのは、今まで生まれては死んだ数多くの父母たちの愛を凌駕しうる、たった一度しか存在できない愛を持って現れたために、可能なのです。そのような基準を持ったために、真の父母という言葉を言うことができるのです。このときの愛の関係は、神様の愛があるなら、その神様の愛を人間が初めて最初に受ける最高の基準であり、イエス様がこの地に生まれては亡くなりましたが、そのイエス様も想像できない、そのような最高に理想的な立場ではないでしょうか?


このような立場まで来るときは、歴史過程でその代価を払ってきたのです。真の父母の基準が出てくれば、自分が根本的に敗北することが分かるサタンは、これを成せないようにし、この時がこれないようにするために、偽りの父母の立場で、億万の手段を選ばず、数多くの人を犠牲にし、数多くの血の代価を払うようにしたのです。この日が来るまで、むごたらしい犠牲が払われたということを、我々は考えなければなりません。


そのような思想を持って、そのような道を行こうとするすべての信仰者たちに対して、個人的に犠牲にさせ、家庭的に犠牲にさせ、あるいは、民族的に、国家的に、世界的に犠牲にさせてきたサタンの歴史がありました。そこに犠牲になった我々の先祖たち、善を追求して真の道、父母の道を探してきた善なる我々兄弟たちが、どれほどむごたらしい血の代価を払ったかということを、我々は知るべきなのです。(六七・二二五)

・ 真の父母という言葉は福音中の福音


皆さんがユートピア世界を探そうとするには、どこへいくべきか? 本然の家庭の愛の圏を経ずしては、行く道がないということを知るべきです。先生が原理主管圏内と直接主管圏内を神様の愛と真の父母の愛でつないだ基準があることによって、今日霊界と肉界がその愛の橋を通じて往来できる道が生じるのです。これを知るべきです。


皆さんは、原理を習っているでしょう? 神様が本来創られた通り、直接主管圏と間接主管圏に分けられているのです。では、それをどのように一つにするか? それは、真の愛だけが可能なのです。これが一つになるときは、人間アダム・エバが成熟するときだけです。分かりますか?(はい)。そのようなときは、自動的に水平的真の愛が現れるのです。


その位置で、「おお、あなたは私の同伴者です!」と抱き締めるようになるとき、真の愛がその組の中心に現れるのです。分かりますか?(はい)。プラスの愛が完成して現れるようになれば、マイナスはすぐに現れるようになっているのです。プラスの愛がマイナスの愛に降りてきて、運行するようになれば、真の愛の標準を描いていくのです。そうすれば終わるのです。



真の愛が現れれば、すべてが皆自動的についてくるのです。真の愛だけが、すべてに作用するのです。それで、世界がユートピア圏に転換されるのです。分かりますか?


どこから真の愛が出発するか? 真の父母から。これは、福音中の福音です。世の中にどんな良い言葉があるとしても、夫という言葉が良い言葉で、妻という言葉が良い言葉だとしても、堕落した世界は真の父母が現れなくては、真なる夫と妻が現れないために、真の父母以上良い福音がないというのです。分かりますか? これをはっきりと知るべきなのです。(一三一・一八七)


歴史過程において、悲しみがあれば、最高の悲しみ、困難があれば、最高の困難、血の代価を払ったなら、最高の代価を払った、サの結果として見出されたのが、この真なる家庭なのです。


この真なる家庭が見出されることによって、歴史的な悲しみが解怨成就されうるために、歴史的な死の代価が解怨成就されうるために、歴史はこのような悲惨な蕩減の条件を払ってきたというのです。従って、この真なる家庭が、この血に顕現したという事実は、我々人類においては、それ以上の喜びがない喜びであり、それ以上の価値がない価値なのです。


そのような真なる家庭を成すためには、真なる父母がいなければなりません。真なる父母がなければならないと同時に、真なる夫婦が成されなければならないのです。真なる夫婦が成されて、真なる子女が誕生しなければならないのです。


この真なる父母は、サタンの前にいかなる讒訴の条件をも残してはいけません。真なる夫婦は、サタンの前にいかなる讒訴条件に引っかかって、うめく場にあってもいけないのです。真なる家庭に属している子女もまた、サタン世界に讒訴条件を残しうる位置に立っては、真なる家庭の息子娘になりえません。



今日皆さんは、真の父母という言葉を話しており、真という名詞を知っています。この真の父母という言葉は、歴史時代において、誰も呼んでみることができず、誰も考えられませんでした。しかし、今日、我々は呼ぶことができ、知ることができ、侍ることができる栄光の位置に立っています。このように我々は、歴史時代の誰よりも幸福な位置に立っているのであり、歴史時代の誰よりも高貴な位置に立っているということを、皆さんは知るべきです。


真の父母という名前とともに、歴史において今まで苦労してきたし、真の父母の勝利の基盤を備えるために、歴史的な数多くの犠牲の代価を払ったということを考えるようになるとき、真の父母という名詞こそ、今日我々人類に福なるみ言中の福なるみ言であるということを知るべきです。


真の父母というその名前四文字を考えるとき、真の父母によって歴史が治められ、真の父母によって新しい世界に入りうる起源が生まれ、真の父母によってサタンを屈服させることができる内的な因縁が決定し、真の父母によって外的な世界を占領しているサタンを征服して、初めて神様を解怨成就してさしあげることのできる中心が決定されるのです。それゆえ、真の父母とともに暮らし、真の父母の命令に従って行動することができる、この驚くべき恩賜に、皆さんがまず感謝しなければなりません。


自分の人生を皆犠牲にする恨があっても、真の父母の行く道に同調できる道があるなら、我々人類の前に、これ以上の幸福なことがないということを知るべきです。真の父母の命令に従って、敵陣に向かって行進する兵士がいるなら、彼は人類が願う最高の希望の頂上の中において、天と地が直視し、歴史が注目する神々しい勇士であることを、我々はよく知るべきです。


皆さんが真の父母の心情に代わって、あるいは、国家の民族に代わって戦うことができる立場に立ったとするならば、その心情によって、国家なら国家、民族なら民族が初めて幸福の園の門を開くことができ、行進して入り、勝利の栄光の場に参席することができる希望の国民と国家が顕現するという事実を考えるようになるとき、真の父母の心情の旗を掲げて立ち上がる皆さんこそ、歴史を呼び起こすことができ、希望の世界をもう一度審判することができる旗手であることを、皆さんは自覚するべきです。(四三・一四三)


・ 真の父母という言葉は恐ろしい言葉


統一教会での恐ろしい一つの教えが何か? それは「真の父母」という言葉です。この言葉は、神様も恐がる言葉であり、サタンも恐がる言葉です。我々人間は、サタン圏内にいる人間であるために、真の父母を中心として見るときに、彼に従っている人たちは、彼のみ言によって審判を受けるのです。


このような方が出てこなかったらいいのに、出てきたために審判しなければいけない立場に立つので、神様がその方の言葉を聞いてあげるのです。また、サタンがなぜ真の父母という言葉を恐れるか? この言葉を信じて従おうものなら、自分のすべてが破壊されてしまい、破綻してしまうためです。それで、彼には極めて恐ろしい言葉になるのです。


サタンは、いつも真の父母の行く道を妨げ、倒れるのを願い、悪くなるのを願う立場にいます。ですから、皆さんがこの道に従って行くのに、どれほど信じて従うかというのが問題になるのです。皆さんが、そのような先端に立ったなら、一歩一歩、行動一つを千年以上の精誠を尽くして、感激しながら行こうとしないといけないのです、それが今日皆さんの行くべき道であることを知るべきです。(六五・二七七)


私は、真の父母の名前がどれほど恐ろしいかということをよく知っています。私は平穏な位置を探すために生きる道を取ったのではなく、このみ旨の使命を完結させるために、今まで闘ってきました。


過去を回想すれば、事情も多く、無念なこともたくさんありましたが、あなたの事情、あなたの無念さに比べられないことが分かったので、ひざまづいて涙をあなたの前に見せられない、恥ずかしい姿であることが分かるのでございます。そのようなことを感じる私の心をお分かりになり、この日を期して天上世界と地上世界の門を開いてくださいませ。(一三四・一一六)


問題は何か? 真ということ、すなわち真の父母ということです。真の父母が何か? 真の父母という言葉がそんなに簡単な言葉ではありません。いちばん恐ろしい言葉です。その言葉がどれほど恐ろしい言葉か分かりません。


この真の父母という言葉一言のために、歴史が左右されます。この言葉を見つけ出すために、今まで数多くの先烈たちが犠牲の道を行きました。連続的な血の闘争を経て、身悶えし、絶叫しながら希望を抱いて探し出した名前が、真の父母という聖なる名前です。


真の父母の前には、真の子女がいなければなりません。それで、皆さんが真の子女になりましたか? 考えてみて下さい。皆さんが真の子女ですか? 真とは、過去にも現在にも未来にも変わらないものです。(三三・一〇九)


・ その価値は限りない


神様の摂理の目的が何かというと、一つの焦点です。神様の理想が実現される場も、まさにその場です。我々が、失ってしまった父母、失ってしまった真の御父母様に会うことができる所も、まさにそこです。それで、その基台がすべての中心です。その立場、それが「真の父母」というものです。歴史上に多くの立場がありましたが、この立場が最も価値のある立場です。


それがどれほど重要なものなのか考えてみなさい。すべての成人たちがこの基台、この問題のために戦いました。神様がこれを重要に考えられ、霊界にいるすべての霊人たちも、そのように考えています。それゆえ、この地上のすべての人類も、これを重要と認識しなければなりません。


皆さんは、これの本当の価値を知ることができませんでした。これは、数千個の国土をやっても替えられません。国土ほどのダイヤモンドをやっても替えることができません。皆さんは替えることができるだろうと思いますか? 替えられないのです。アメリカ全体を神様に祭物として捧げるとしても、皆さんはそれを得ることができません。


一度考えてみましたか? 皆さんの目で直接その立場を見ることができるなら、どれほど幸福でしょうか? また、見ることができなければ、皆さんはどれほど不幸な人になるでしょうか? もう一度じっくりと考えてみなければなりません。それで、神様の目、すべての霊人たちとすべての人たちの目が、ここに焦点を合わせなければいけません。


このような観点で歴史を見るようになれば、歴史というものはないのです。歴史はこれと何の関係もありません。この立場は、堕落する以前の人間の最初の先祖のための立場であるために、これ以後にはいかなる歴史も、堕落したいかなる歴史もありえません。


そうであるなら、民主主義の終末はどのようになるでしょうか? 民主主義もこのような観点によって、真の御父母様によって認められうるということを考えてみるべきナす。自らそれを判断してみなさい。国民学校の子供でも一〇〇点をもらうでしょう。笑うべきことではなく、重要な問題です。では、共産党がどのようになるでしょうか? 彼らには歴史がありません。幼子のように人生観もなく、何らの主観もありません。



ここから新しい内容が出発するでしょう。すなわち、すべての中心、すべての内容、そしてすべての結果がここから出発するでしょう。ここに参与することができる者たちが、地上の最初の勝利者になるでしょう。ここから、神様の愛を中心として、家庭を成し、サタンの主権を追い出し、この地上に新しい天国を建設するために、出発することができます。また、ここから歴史の実が結ばれるようになるでしょう。この立場が全世界の中心点です。


この位置が未来のための出発点になるでしょう。ここから過去の歴史の完成が成されるであろうし、現在の歴史の完成が保全されるであろうし、未来世界の完成が始まるでしょう。この点、この位置をつかむことができるなら、皆さんは一人の人間としてすべてを征服した征服者になることができます。そうであるようですか?(はい)。

では、価値がどれほど大きいでしょうか? それがどれほど素晴らしいもので、皆さんがそれをどれほど愛し、どれほど讃え、どれほど尊重し、また、どれほど好むようになるでしょう? この位置は、最高に高い位置になるべきであり、歴史において最高の高い位置に置かれなければいけません。そのすべての偉大な人たち、彼らがいくら偉大だとしても、これには比較されえません。皆さんがこれを見るようになれば、間違いなく嬉しくて感激するでしょう。


皆さんが眠る間に、夢の中で踊りを踊ったことがありますか? 皆さんがこの場、この位置を思うようになれば、その度に皆さんがそのような感情を持つようになって、眠りながらでも踊りを踊ることができるようになります。皆さんは他のどんな位置よりも、皆さんの生命や、他のいかなるものよりも、この位置に心がもっと引かれるべきです。再び見たがり、共に暮らしたがり、これなくしては生きられないというそのような感情を持つべきです。説明を聞いたから、真の父母がどれほど貴重かということを理解したでしょう。(五二・九五)


父母になるには、天地が和答(互いに応じて答えること)しなければなりません。天上世界に行って神様に勝ってこなければなりません。何のことか分かりますか? アダムが神様が違うというのを「イエス」と言って、事実を中心として事実を事実でないことにしたから、事実でないことを事実として肯定させられることをしなくては、本然的基準に入れないのです。


天地間に真の父母になるためのこのような内容を、実体的に解決しうるその内容が、天地を明らかにするのであり、すべての歴史的な曲折を解放させるのであり、神様の心中に打ち込まれている釘を抜くのです。神様が願う愛の解放は、このような息子娘を抱いて愛しながら、喜び、踊り、笑うことです。すべて全部が歓喜に満ちて、千年万年その喊声が、被造万物から全天地にいっぱいにならなければならないのではないですか?


否定する過去に、肯定的提示を持たずしては、地上に来られないのです。どれほど深刻ですか? 天上世界で孔子と釈迦とイエスが集まって、このような試験をするのです。それを皆押さえつけてしまい、神様の前に来て、談判するのです。



神様の創造理想には、言葉で言えない心情があります。このみ旨をアダムが完成期に自ら悟って、悪魔を屈服させなければならないのです。解放の主権者にならなければなりません。万国の統治者であり、万の救いの主人であり、万の兄弟の長男権を備えうる人がアダムなのです。


サタン世界が反対することとして、四〇日間霊界が混乱の中に陥るのです。そこでは、神様が審判官であるために、神様から正義の判定を受けなければなりません。そこで文総裁の勝利の判決を受けて、地上に来るのです。(二一五・八六)

・ 感謝すべき我々


神様に対する感謝をどのように捧げることができるか。真の父母に対する感謝をどのように捧げることができるか。我々の教会に対する感謝をどのように捧げることができるか。皆さんを再創造してくれたことに感謝をどのように捧げることができるか。


私が経てきた後には、真の家庭が現れるのです。一段階もっと進めば、真の氏族が現れ、一段階もっと進めば、真の国家が現れるのです。一段階もっと進めば?(真の世界です!) 一段階もっと進めば?(真の宇宙です)。 一段階もっと進めば?(真の天宙です)。一段階もっと進めば?(神様です)。神様、これが我々の最終目標なのです。


それで、我々がどのように神様を解放しますか? 既成教会がそれを考えてみましたか? 彼らが我々の生命をどのように救いますか? だめです。だめなのです。我々の目的とする基準とは違うのです。我々は、もっと高い基準、「私の手でどのように神様を解放しうるか?」という基準に進むのです。


人間は、堕落した以後にサタンの血統を受け継ぎました。これが問題です。数千万代を経て、神様の血統でないサタンの血統を受け継いだのです。それで、どのようにこのサタンの血統を清算するのか? アダムとエバが堕落した以後に受け継いだ汚い血統を、どのように清算するのかというのです。

そのような内容を清算するために、真の愛、真の生命、真の血統を中心として現れられた方が真の父母です。サタンの血統を肥料にして、生命を育ててきたのです。しかし、新しい復活の時代には体が神様の愛と生命と血統を中心として、真の愛を肥やしにして育ててきたのです。そうしながら、一方は消え、一方は繁栄してくるのです。分かりますか? ここから神様が共におられ、サタンとは永遠に離別するのです。


神様の心の中に苦痛があるとは、誰も思わないのです。歴史上に現れ、今ここに先生を通じて現れ、その深い使命を明らかにしたから分かるのであって、そうでなけれホ分からないのです。そうではないですか? どれほど驚くべき事実かというのです。イエス様もそれを知らず、分かったとしても心にあることを言うことができなかったのです。また、宗教指導者のうち、誰もそのように隠された宇宙の秘密が分かりませんでした。歴史上初めて、世界の前に先生が現れ、宇宙の秘密が明らかにされたのです。分かりますか?


ここに座っている人たちは、理解するでしょう。この地球上にどれほどものすごい結果が現れたかということです。サタン世界が今までいくら強かったとしても、レバレンド・ムーンは皆消化するのです。問題がないというのです。分かりますか?


今から個人的基盤でなく、国家的基盤に方向を変えなければならないのです。分かりますか? 国家的基盤のことです。一国家の指導者も、過去を悔い改めれて振り返れば、神様が許されるのです。それは神様の新しい伝統に属するのであり、新しい血統を意味するのです。そうでなくてはサタンを分立することができないのです。分かりますか? それはまた、統一教会の祝福式以前にある血統転換式を意味するのです。

皆さんは、そのような礼式に参加したでしょう? 自信感を持ちなさい。自分自身は神様の真の愛と真の生命と真の血統を受けた人であり、その中心はお父様であるのです。真の御父母様は韓国人ではなく、皆さんの父であり、その父の真の愛、真の生命、真の血統を中心として横的につながっているのです。分かりますか? 天地創造のときに堕落しながら、その三人が堕落世界の汚いものとつながりました。


しかし、今は、神様の真の愛、真の生命、真の血統を中心として、横的につながっているのです。これは一八〇度転換したのです。サタン側とつながったアメリカや、この世界には、希望をかけるなというのです。分かりますか? 全世界の人類が、初めから最も邪悪なサタン側の父母についていったのです。しかし、今は初めてその方向が一八〇度転換したのです。分かりますか? そこは、始まりの点ですが〇点です、〇点。そこには意味も、存在も、観念も、伝統も、文化もないのです。これが再創造です。


神様が、初めにすべての環境的なものを創造されてから、土と水と空気で一つにして人間を創ったと言ったでしょう? そのとき人間はなんらの観念もなかったのです。分かりますか? 〇点なのです、〇点。ここにのサタンの伝統から一八〇度振り返るのです。

機関車が方向を変える所があるじゃないですか? 人や貨物を積んで一八〇度方向を変える、そのような〇点です。許しがなければ出発もできず、ブレーキもかけられないのです。振り返ればまさに〇点です。一八〇度振り返るのでしょう。「私は日本人だ! 私はアメリカ人だ! 私はハーバード大学卒業だ!」そのようなことは役に立たないのです。〇点です、〇点。観念もなく、伝統もなく、汚い影響を及ぼす文化背景もないのです。神様は、そのようなものを願われないのです。


一八〇度振り返って生まれ変わるのです。分かりますか? 生まれ変わること?(はい)。生まれ変わるということは、再び生まれるということです。その最初が父母です、国ではなく。その次は、兄弟です。では三番目は何ですか? 夫婦、夫と妻なのです。四番目は?(子女です)。それが問題なのです。


神様は、三世代を願われるのに、この三世代を持てませんでした。一代は神様、二代はアダムとエバ、三代は? 今まで持てなかったのです。今まで神様を中心として、人類が繁栄できず、ただサタンに属すようになったのです。そのサタンは愛の怨讐です。分かりますか?


どのようにこの血統を清算することができるか?「私」は日本人でもなく、どの国の人でもない、神様の民として生まれたのです。何を中心として? 神様の愛、神様の生命、神様の血筋、この三つの根源が標準なのです。


ですから、感謝するのに、何を感謝するのか? 豊かに暮らすのを感謝するのではありません。十字架についたことを感謝すべきなのです。戦争で負けた敗残兵が倒れ、血を流し、腐って臭いがしているなら、それを誰が葬りますか? それを埋める人が誰ですか? 誰が埋めてやるでしょう? 誰が敗残兵を教育して再び正規軍にするでしょう? また、食べるものがなければ、その人たちをどのようにするでしょう? ただ殺してしまうのですか?(違います)。勝てば皆良いと思ったのに、もっと大きな十字架を背負うようになるのです。それを皆解決してから、それを再び建設した次にこそ、自分の時が来ることを知るべきなのです。自分が新しい家庭を立て、新しい国家を立て、新しい世界を立てたあとにこそ、自分が幸福に暮らすことができるのです。分かりますか?



いくらそれが難しいといっても、永遠の世界、本故郷に汽車のレールがあるなら、このレールとこの地に暮らすレールと同じでなければなりません。霊界に入るレールと同様に、同じでなければなりません。皆さんはどうですか? 現在自分が暮らしているレールが、霊界のレールと同じだと思いますか? 自信がありますか? ただそのまま神様の前に走っていけますか? そのレールを同じようにするために、真の父母が必要なのです。分かりますか?(二一五・一七一)

・ 真の父母との因縁は宿命的な業


我々人間は、百パーセント愚かな立場に立っていますが、百パーセント以上知恵深い神様が友達になり、無限の霊界の先祖たちが、自分の同伴者になり、後援部隊になっています。そのようなことを考えるとき、ありがたいのです。自分は一線で冒険の場、ゴリアテの前にダビデが立ち上がるときのその気分が本当よくに分かります。神様が保護されて、百戦百勝することができるのです。「打てばおまえが破れ裂けるのであって、私が破れ裂けない!」という心を持って暮らしてみたら、本当にそのようになったというのです。


神様が私をこのように育てたのと同様に、私も皆さんをそのように育てるべき責任があります。それゆえ、皆さんが智者にならなければならない、という宿命的な課業を相続しなければならないというのです。因縁的な課業ではありません。何の課業ですって?(宿命的な課業です)。宿命的です。


真の父母と真の父母の子供ということは、永遠不変の宿命的な業です。これを誰も分けることができないのです。千年万年その道を行かなければなりません。行くべき道は二つの道ではなく、一つです。他の方法がありません。秘法がありません。その道を行かなければなりません。(二〇三・一九二)


・ 責任を持つべき我々


霊界に行き、一二の真珠門を経ていくためには、どのようにすべきか? 地上でどれほど天の民をサタンから探して回って入ってくるかというのが問題です。


そうするためには、涙と血と汗を流さなければなりません。再創造の真の愛の心情を中心として、サタンの父母以上、サタンの夫、妻、息子娘以上の心情を投入して、涙とともに、血と汗とともに交差するその過程を経ずしては、天国の自分の民を所有することができません。この数の比例に従って、あの国の栄光の位置に、神様の前に近く行くすべての条件の成立がより分けられるということを知るべきです。

文総裁は、一生を経て、国だけでなく世界を…。なぜ? 霊界に行っている人たちまでも、全部真の父母の恵沢を受けるべきです。ダンベリーの監獄に行き、二月一日、地獄と天の門を開く式をしました。それを開門するすべてのことを準備しなければいけません。ですから監獄も行かなければならないのです。


このように、千辛万苦恨の峠を越えに越えなければならず、大洋が広いといえばそれを泳いで渡っていくのと同様に、山が高いといえば、裸足でも白雪が積もっているヒマラヤ山頂を越えなければなりません。そのように、歴史の悲惨、それ自体を越え、すべての勝利の覇権的基盤を立てたという事実が驚くべきことです。悪魔自体がついて来ようとしても、ついて来れなくて、離れまいとしても、離れざるをえない受難の道を経てきたということを知るべきです。


自分の家、自分の息子娘が厳粛な場にいるのです。第二の神様です。おじいさん、おばあさんは、昔を代表した神様に代わり、お父さん、お母さんは、この時代を代表し、息子娘は未来を代表したのです。この三時代を過去、現在、未来の神様の顕現者として侍るすべを知るべきです。息子娘をたぶらかし、妻をたぶらかし、夫をたぶらかし、父母をたぶらかす人は、地獄に行くのです。為の愛、生命までも投入して忘れることができる真の愛の核Sとして、家庭と国家と天地がつながるようになっているのであって、それ以外にはありません。


そのような核を通じた心情的内容を持って、天国の民をどれほど復帰するかという問題が、今日私の国の統一の解決の秘訣です。他の所へ行って、今日の私の国の統一と同様に、その国を同じ立場に立って、あらゆる精誠を尽くし、どの国にも負けないよう、まず天の前に奉献しなければなりません。


旧約時代は物、新約時代は息子娘、成約時代は自分の夫婦、その次には神様です。堕落で神様を地上に迎えておけず、サタンを迎えておいて、神様と離別したから、今は神様を迎えておいて、全部つなげなければなりません。


それゆえ、皆さんの物は皆さんのものではありません。物は、旧約時代に該当するのであり、息子娘は新約時代に該当するのです。旧約時代には、物を犠牲にして、息子娘の行くべき道を築くためのものです。そして、来られる再臨主、真の父母がこの地に来て苦労することは、神様をこの地に迎えるためなのです。しかし、サタンを地に迎えたので、これが地獄です。神様を迎えなければなりません。これは真の愛でしなければなりません。


再創造は、投入して投入して忘れた、真の愛の起源を通じて、神様を迎えることができる物質と子女と自分の実体全部を結託させて、このすべてが、真の愛とつながった神様のものであるという言葉が設定された以後に、再び分配されて、子女の所有時代につながるのです。父母の所有、子女の所有時代に分配されるのです。(二一一・三五二)



五)我々のすべきこと


・ 我々の責任

復帰の道を行く皆さんは、個々人ですが、皆さん個人だけが行く道でないということを知るべきです。いつも復帰の道を行く皆さんは、真の父母に代わって行く自分であるということを肝に銘じなければなりません。そうでなくては、氏族的、民族的、あるいは国家的な真の父母の勝利の基盤を備えることができないのです。


皆さんが正しく真の父母に代わって行くためには、真の父母は世界的な霊的勝利の基準を立てるために行くならば、皆さんは国家的勝利の基準を立てるために行かなければならないということをはっきり知るべきです。霊的には真の父母の勝利の基準が立てられたので、地上に真の父母の勝利の基準を立てるべきですが、皆さんが民族的な基準を越えるべき真の父母の責任を代行しているのです。


これを他の面で説明すれば、皆さんが民族的な基準を越えて、世界的な基準に向かって行くなら、来られる真の父母は霊的に天宙的な勝利の基準を立てなければならないのです。真の父母の因縁を持って来られる主は、我々が背負っていくべき十字架を霊的に開拓し、実体的に勝利され、すべてに責任を持っていかなければいけないのです。これが父母復帰の難しさであることを、皆さんは知るべきです。


では、今日、天と地と人間を振り返るようになるとき、天がある一時、勝利の真の父母に侍ったか? まだ侍られませんでした。地が侍ったか? まだ侍れませんでした。人間が侍ったか? まだ侍れませんでした。その途上にいるのです。


では、真の父母だけ侍ればいいのか? そうではありません。真の父母に侍った次には、真なる家庭、氏族、民族、国家、世界を復帰しなければなりません。これのために準備したのがイスラエル民族でした。


真の父母の前に真の子女として立つためには、子女の個人的な復帰路程があるのあり、子女の家庭的な復帰路程があるのであり、子女の氏族的な復帰路程があるのであり、子女の民族的な復帰路程があるのであり、子女の国家的な復帰路程があるのです。父母の個人、家庭、氏族、民族、国家的な復帰路程と、子女の個人、家庭、氏族、民族、国家的な復帰路程を完結し、父母と子女が一体となり、勝利したという基準を立てておいてこそ、初めて民族復帰を終結して、世界的な舞台に向かって新しく出発することができるのです。


では、今日統一教会の使命は何であり、統一教会に入教した皆さんは、どんな立場にいるか? 先生を中心としたこの統一教会に呼ばれてきた皆さんは、悲痛な六千年の縦的歴史を横的に、実体的に展開しなければならない立場にいるのです。


我々は、今、何の決心をすべきか? 我々が行くべき目標はどこか? 世界的な基盤の上に真の父母の国を立てなければならないのです。世界的な真の父母の国を立てなければならないのです。この世界に未だ悲しみと苦痛と涙が残っているのに、これらを我々が一日も早く清算しなければなりません。これが今日統一教会が担っている責任であり、使命であるということを、我々は知るべきです。


それゆえ、皆さんは、今行くべき道に立ち上がったので、イスラエル民族がカナンに向かって行ったときと同様に、後ろを振り返ってはいけないのです。心でもそうすべきであり、体でもそうすべきなのです。


今我々が抱くべき希望が何か? 天に代わってこの地に来られる真の御父母様に、本当に侍ることを希望しなければなりません。侍るには勝利の基盤がなされた後に、万民が仰ぎ見、万民が恭敬するようになった位置で侍るのを願ってはいけないのです。悲しい歴史を経られる真の父母に侍るのを願わなければならないのです。


悲しい歴史を経てきた真の父母に侍れないことを、先祖たちは恨として考えているのです。真の父母に本当に侍ることを、すべての人類が希望するのです。それゆえ、栄光の場で侍ろうとするより、悲惨な場で侍る真の孝子、真の孝女にならなければなりません。


そのような真の孝子、真の孝女になるためには、難しい場、失望しうる場、悲惨で悲鳴を上げうる場に立っても「天よ、私を導かれる天よ、真の御父母様はイエス様よりももっと苦難の十字架の道を行かれるので、父母に侍る私としてはどのように加重された十字架を背負うようになっても当然です。私はそれを讃えますので、天は私によって心配しないでください」と言うことができなければなりません。自分に及ぼされる心配と苦痛と悲しみを天の前に背負わせないで、自ら蕩減していく術を知る人にならなければならないのです。それでこそ、個人的な基準で個人的な父母の勝利の因縁を接ぎ木することができるのです。

現在我々統一教会は、祝福家庭たちが韓国の至る所に広がっています。なぜ祝福家庭たちを韓国の至る所に広げておいたか? 天は韓国民族と韓半島を中心として摂理され、真の父母はこの韓国民族、韓半島のに来られるのです。そして、来られる真の御父母様を、韓半島が、すべての村々が、谷から谷が、山野はもちろんであり、全部が侍りたがるのです。それは、真の父母に侍ることが歴史的な願いであるためです。


それゆえ、子女の立場で個人的な蕩減基準を立て、家庭的な蕩減基準を立て、真の父母の身代わりとして、その村と部落が、後悔なく侍りたがることのできる、真の父母の実体の身代わりが行かなければならないのです。来られる真の父母は、もちろん中心の位置におられ、霊的に全部と関係を結ばれますが、実体は一つであるので、全体に対することができないのです。それで真の父母の実体に代わって、万民に対する立場に立てられたのが祝福家庭たちであるのです。



真の父母には、この民族を越えて世界的な十字架を背負って行くべき責任があります。それゆえ、民族的な十字架は地方に広がっている、真の子女の立場にある祝福家庭たちが背負って行かなければならないのです。祝福家庭全体が一つの氏族的な基盤、民族的な基盤になってこそ、天の役事はこの民族を中心として勝利の峠を越えることができるのです。(一三・二八八)


父母様を愛して、本然の愛の基準を中心として、サタンを分別して責任分担、世界完成基準を越えなければなりません。(一三七・一一七)


・ 我々の使命


これから我々がすべきことは、真の父母に侍ることができる基盤を築き、その方の前に世界の兄弟を糾合することです。また、このような責任を背負った先祖たちとして、後孫たちが背負う十字架と迫害の道をなくしてやろうということです。これが我々の本然の使命なのです。


神様が人類世界に統一された父母の位置、アベル的世界とカイン的世界が互いに一つになった基盤の上に立って初めて、万有の主人公として、父母として登場することができるのです。


今日この地上に暮らしているすべての人たちは、今まで父母がなく暮らしている子供たちと同じです。そうして、戦っています。それゆえ、神様は父母の立場で現れて、初めて彼らを教育して「おまえと今戦っているあの人が誰かというとおまえの兄であり、おまえの弟だ」ということを教えてやらなければならないのです。それは、神様以外には分からないのです。


悪なる父母によって、真なる理想的父母が去ってしまい、理想的子女の因縁を失った基盤で、サタンのいけにえになったために、理想的な父母が出てこなければならず、理想的な子女の教育を天が再びしてやることができる時にならなければならず、そのような使命を受け継ぐ一つの宗教が出てこなければなりません。そのような宗教が統一教会であるということを知るべきなのです。


それで、統一教会では何を誇るか? 真の父母の歴史を誇るのです。(拍手) その次には、真なる子女が結束しなければなりません。真の父母といえば、自分の一族だけ愛するのではなく、世界的であり、宇宙的でなければなければなりません。真の子女とは何かというと「私はアメリカの国民しか知らない」という者ではないのです。


皆さんは何ですか? そうであってはいけないのです。ここでは民族感情を超越しなければなりません。民族感情を超越しなければならないのです。誰の名で?(神様の名で!) 神様の名で。堕落は誰の名で?(サタンの名で) 。サタンの名で。我々は神様の名で堕落線以上をジャンプして上がらなければなりません。そうして、アダムの頭の上にいた神様と同じく、我々の頭の上に神様がいて、その方が直接指揮しなければなりません。


それゆえ、堕落しなかった真の父母と神様を中心として、真なる血肉を世界的に糾合して新しい世界に編成していくのが統一教会の道です。そうすれば、一家庭が氏族になるのであり、氏族が民族になるのであり、民族が国家を成して世界を制覇するでしょう。

堕落した世界が、このように落ちるようになったのを、我々は新しく出発して上がっていかなければなりません。このようになった世界と、このようになった世界的基準で、接触する接線地を逆さまにひっくり返しておく一時がなければなりません。その中間線に接続する時が、どんな時かというのです。皆さんは、それを知らなければならないのです。(八六・二三〇)


現在我々統一教会は、真の父母がいますが、その真の父母は、どんな立場の真の父母ですか? 統一教会の中で真の父母であって、国を越えず、世界を越えなかったことを知るべきなのです。ですから、国家、世界のサタンが残っているために、まだにらみつけているのです。分かりますか?


それで、我々統一教会は、教会に真の父母を迎えることを、国家と世界と霊界まで拡大させる運動をするのです。これが今日、統一教会の運動であるということを知るべきなのです。今、時が近づいてきているのです。国家統一教会、国家ペアレンツ(parents)として迎えうる環境が、今近づいてきているのです。(一二四・三〇九)


六)生命視すべきこと


・ 自己主張不可


皆さんたちが持ったものは、銀舎利は銀舎利ですが、砂の中に入っている銀舎利、何かの鉱石や土の中に入っている銀舎利なので、それらを全部溶鉱炉に放り込んで、溶かしてしまわなければなりません。焼き出さなければなりません。それがコースです。オリジナル・コース(original course;本来の過程)、ノーマル・コース(normal course;標準の過程)です。では、そのときに体が溶けて水になってなくなるのに「ああ、いい」と言いますか、「ああ、私は死ぬ。私は死ぬ」と言い一大事が起こりますか? それは、皆死ぬと言っても銀舎利は死なないのです。


皆さんはピュアリティー(purity;純粋)が多いですか、インピュア(impur;純粋でない)が多いですか? どちらが多いですか?(インピュア)。では、どちらが主体ですか? ピュアが主体ですか、インピュアが主体ですか?(ピュア)。皆さんが皆ピュアなら、心配しなくてもいいです。


皆さんが、一〇〇パーセントピュアになるには、九八パーセントまでは否定しなければいけないということを知るべきです。我々のものは二パーセントにしかならないのです。どちらを歓迎しますか? どちらを取るべきですか? これを取るべきですか、これを取るべきですか?(板書されたものを差されながら語られる) どれほど悲惨ですか? その言葉は何かというと、女より男の段階がもっと早いのですか? それがそのようになっているのです。


どれほど悲惨か考えてみなさい。ムーニーの生活が悲惨か、幸福か?(幸福です)。(笑い) では、ムーニーのセンターであるレバレンド・ムーンは幸福なのですか、悲惨なのですか? 初めは不幸でも、後には幸福だというそのような希望を持っているのです。(拍手)

迫害すれば「溶鉱炉に入る。私がまだでき上がっていないからこうだ。」このように考えるのです。迫害が来るなら来いというのです。迫害できるならしろというのです。純金になるまで、溶鉱炉に入っているのを願うのです。それが早く純金になる方法です。

アメリカでレバレンド・ムーンに反対するのに、世界の溶鉱炉にレバレンド・ムーンを放り込むならそれはどうですか? 一〇〇名を放り込んだのに、一〇〇名が出てきたというときは「あっ!」と言って驚くでしょう。(拍手)全アメリカが即座に木っ端微塵になるのです。全部木っ端微塵です。どうですか?(その通りです)。アメリカ国民は、気分がどうですか?「ううっ」と言うでしょう。(笑い) 敗北するしかないのです。



ですが、レバレンド・ムーンはどうですか? レバレンド・ムーンは勝利するのです。レバレンド・ムーンは勝利して、アメリカは敗北するでしょう。そうなれば、アメリカがどれほど悲惨でしょうか? そしてレバレンド・ムーンは、どれほど素晴らしいでしょう?(笑い) そこには異議がないのです。そこには反対する人がいないのです。



何を持ってそのようになったのか?「ああ、愛だったのだなあ!」と言うときは「ああ、私が今までは奥部屋暮らし(本妻が妾に実権を奪われること)だったけれど、これからは同参できる」と言うのです。どうですか? その概念がどうですか?(グレイト(great;素晴らしいです)!)


それゆえ、九八パーセントを捨てて一〇〇パーセント純粋なゴールドになるための道を行く人は、我慢するのがどれほど大きくなければならないでしょうか? 苦痛がどれほどひどいでしょうか? それでも行くべきだという信念を持って行かなければなりません。

世の中の人たちが、一〇〇パーセント純金だと鑑定したのに、神様がピンセットでつまんで鑑定するとき、一〇〇パーセントになるのかというのが問題です。それが心配です。神様が純金だという一〇〇パーセントと、私が純金だという一〇〇パーセントを比較するとき、私が一〇〇パーセントだと主張するのがもっと大きければいいのですが、どうですか? 私は、私が主張するのがもっと大きくあってほしいと願います。そうするには、自分を主張する不純分子が一つでもあってはいけません。では、神様は自分を主張しないのかというのです。神様も自分を主張するのです。神様も自分を主張しうる素の性質があるのです。


自分がもっと純粋になるためには、自分を主張するのが一つでもあってはいけません。そうなれば、自分が一〇〇パーセント純金になり、神様が鑑定する純金以上の位置に行くのです。そのように考えられるのです。どうですか? 自分を主張する心が、自分がセンターだと思う心が、永遠に何もないというときは、一〇〇パーセント以上純粋なものになることができます。


では、純金は何か? 不純な要素が一つも介入しない、ただそのままの姿を言うのです。ですから、完全に自分がない、百年、千年愛に酔って暮らす人たちがいる国は、愛においてピュア・ゴールド(pure gold;純金) の中の標準になることができます。その概念はどうですか? 最も素晴らしいではないですか? そのような愛の所有者は、偉大な女王や王子と同じです。それはどうですか?(立派です)。私は、皆さんにそのような妻、そのような夫になれというのです。そうなれば、皆さんはどれほど素晴らしいですか?


そうして、純金になったのに、神様が必要ですか? 神様がその中に既にいるのです。必要とする必要がないのです。それゆえ、皆さんはそのような人にならなければなりません。(一二八・二〇六)


皆さんは本当の純金ですか、偽物ですか? 偽物です。では、私は何ですか、私は? みなさんが本当なら、私は何ですか?(笑い) それで、皆さんが本当なら、私は偽物ということではないですか?(笑い) そのときは、我々は本物です! そう言うのですよ。ただ「本当です」と言うようになれば、困るのです。



統一教会では、私が最高の位置ではないですか? そうでしょう?(笑い) 本当という言葉を付けるなら、私から先に付けるべきであって、皆さんから付けるべきかというのです。言葉について言うならば、正しい言葉は「我々も本当です!」それはいいのです。ただ本当だと言うと、それは失礼です。


私が皆さんを見るようになるとき、本当ではありません。皆さん三、四人、四、五人を合わせてぶん殴って、再び作り出せば本当になるか、このように見るのです。私が売る本当の市場、本当の商店に皆さんをそのまま置いて、本当だと言いながら売れないのです。売り出すことができないのです。分かりますか? そのように見るのです。ですから、鍛錬と試練、製錬の過程がまだたくさん残っていると見るのです。

「おまえたちは純金か?」というとき、私は純金だと見ません。まだ錬磨を受けるべき宿題の過程が残っているから、嫌でも良くても製錬所に全部突っ込まなければなりません。突っ込んで悪いものは焼いてしまい、純粋なもの、一つの結晶体として連合したもの、表も中も間違いない一つに現れうるその形態を備える前には、統一教会員だと言えません。(一三八・二〇〇)


我々には、自分を調整するための調整装置、調整する期間、調整する時が、調整する時間が必要なのです。標準の時計があるでしょう? 標準の時計のように合わせておかなければなりません。はかりもですね、標準のはかりがあります。一つあるのです。それは世界に一つあるのです。メートルならメートルの原器というものは、二つでなく一つです。二つですか、一つですか? 一つです。一つなのです。


では、本来は人間の調整の基準があるか、ないか? ある! ある! では、人間のその絶対基準と、現在勝手になった自分の基準がゼロ点の調整で自然に合う自分ですか、「無理やり的」にでも合わない自分ですか? 無理やり的に合わせても合わないのです。「無理やり的」という言葉は、ありませんが表現しようとするので…。それでも、聞き分けはするのです。


このような自分が本来の原器、メートルならメートル原器のように、自分を認めてくれというのです。それでは、それを認めてくれる人が狂った奴でしょう。そのような奴は、殴って捕まえなければなりません。神様が、「おい、こいつ! おまえは顔つきがそうなのに認めるか? 否定して殴って捕まえなければならないのに、同情して協力しろ?」と言うのです。


今日、祝福家庭という群、家庭ではないか!「家庭」と言いながら、家庭という名詞は尊重して、家庭の内容は無視する輩が多いのです。(一二七・二〇三)


・ 一つになるべし


皆さんは、真の父母の心情的な内容をどれほど知っていますか? また、血統問題、人格問題、み言の問題、生活の問題、そして国家観、世界観、天宙観が、真の父母とどれほど一つになっていますか? これは、皆さんが本当の意味で神様の真の息子娘になりうるかという問題を決定づける母体になるのです。分かりますか?(はい)。



皆さん自体だけ持っては不安なために、どのように皆さんを真の父母とつなげるかというのが問題です。根源がなければいけません。すなわち、その核心がなくてはいけないのです。(二八・二四九)


真の父母が何かというと、皆さんの父母の代わりです。本来の父母が真の父母です。皆さんの父母と皆さんは、一つになければなりません。では、おじいさんは誰ですか? 神様です。神様。神様の命令には、真の父母も勝手にできません。父母は自分の息子娘をおじいさんが願う道に連れていかなければなりません。それが父母が行く道です。

真の父母が復帰の道を行ったら、皆さんも復帰の道を行かざるをえないのです。最小限度の責任分担五パーセントを完遂しなければなりません。分かりますか、何のことか?(はい)。それを知るべきなのです。皆さんの妻を愛する以上、父母を愛する以上、神様を愛さなければなりません。皆さんの息子娘を愛する以上、神様を愛せということです。それを基盤として、世界に拡大するのが、統一教会の理想世界です。本然の世界です。それを知るべきです。はっきり分かりましたか?(はい)。(一二八・三一)


先生は、もう一次アダムの根、二次アダムの根を皆持っています。それゆえ、皆さんは第一アダムと第二アダム、第三アダムを接ぎ木さえすれば、すべて終わるのです。分かりますか、何のことか? 根が一つです、根が。


それで愛と、何ですって? 三つが何ですか? 愛、生命、その次には何ですか? 血統です。縦横の神様の愛が生命の交流をすることによって、血統が生まれたのです。


それゆえ、皆さんは、誰よりも先生を愛さなければなりません。誰よりも真の父母と一つになければなりません。真なる愛を中心とした血統であるために、そこには相続権があり、同位権があり、同参権があるのです。分かりますか? それでサタンが接近することができないのです。(一八九・二二三)

・ 真の父母を愛すべし


真の父母がどれほど多くの愛を受けているか? それを一度考えてみましたか? 神様が死んだということに対して、誰でも抗弁する人がいたら、彼は真の父母を神様が愛する以上に愛するでしょう。


もし皆さんが、このような人に会うことができるようにしてくれ、と神様に祈るなら、それで皆さんがこのような人に会って、真の父母を愛するようになるなら、神様も喜ばれるでしょう。その人がいちばん賢い人なら、皆さんがそのように思うなら、皆さんは霊界にいる霊人たちに絶対に負けません。皆さんが真の父母を愛するなら、絶対に負けません。もし、皆さんが霊人たちに、「私は真の父母をこれほど愛するのに、皆さん霊人たちは何をしましたか?」と言いながら、彼らを讒訴することができるなら、皆さんがいちばんの金持ちになるでしょう。



もし、真の父母を互いにもっと愛すると食口たちの間にけんかが起きるようになれば、神様がそのけんかをご覧になって何と言うでしょう?(笑い) そのようにけんかして、もし一人が死ぬようになれば、神様がどのように審判するでしょう? 皆さんが考えてみなさい。神様がかれを絞首台に引っ張って行かれるでしょうか? 疑いもなしに、神様はその二人を呼んで、彼らを真の父母を愛するモデルとして立てられ、他の人たちにも彼らが愛したように真の父母を愛せと言われるでしょう。これがまさに基準です。すなわち、神様と霊人、すべての人たちは、真の父母を注視しなければならないのです。今、我々は我々の生活の中で、これを考えなければなりません。


先生が言うことが事実なら、その問題は重要です。皆さんは、その基準からどれほどかけ離れていますか? 今からでも我々はこれのために祈らなければなりません。


真の父母に従うすべての人たちは、涙なしには行くことができません。それゆえ、我々の表情が明るくなりえません。我々は為に生きなければなりません。そして、たとえ我々が最善を尽くすとしても、我々は天に対して申し訳ない心を持つべきです。我々の行動がどうでなければならないかを皆さんが想像できるだろうと思います。(五二・九七)

・ 真の父母に侍るべし


皆さんが荒野路程を歩み、ヨルダン川を越えたとしても、カナン七族と戦う途上で倒れれば、それは勝利の死になれないのです。カナン七族を屈服させておいて、そこに新しい国イスラエルを立てておいてこそ、神様の前に立てられる本然の人になるのです。そうでなければ、楽園にとどまるのと同じなのです。天国に入ることができないのです。(一三・二九八)


我々が知っている真の父母は何か? 人間の先祖です、人間の先祖。ですから、真の父母に自分の父母のように侍らなければならないのです。(一一八・一四七)


事実、父母様に三年以上侍らなければならないのです。父母様に三年以上侍るには、家庭が侍り、その次には国家が侍り、世界が侍らなければならないのです。事実はそうでなければならないのです。そうであってこそ、世界復帰圏まで出ていくようになるのです。


三数を中心として見るとき、三年以上を侍らなければいけないのです。それゆえ、三年間は父母様を中心として、ご飯も一緒に食べて、共に相談しながら、共に暮らさなければならないのが原則です。皆さんの家がそうでなければならないのです。父母に侍って暮らす家庭として、平和で幸福で、言葉を話しても良い言葉だけ話し、互いが喜びながら暮らす三年の期間がなければらないのです。(四四・一七〇)


・ 従順であるべし


本来、神様の名を持ってきた父母の前に、子供は絶対服従しなければなりません。そこには異議がないのです。これは、強制で言うのではありません。愛を中心として、そうすることができるよう、環境を作るのです。


妻は夫を愛し、夫は妻を愛すのです。愛を中心とした父母になり、愛する子女を自然、絶対屈服させうる環境を率いていってこそ、天国基盤が崩れないのです。(一〇一・二八三)


・ 伝統を受け継ぐべし


今まで人類はですね、人間がどのようになるかを知りませんでした。自分がどのようになるかを知りませんでした。歴史を知らなかったのです。今現在がどこで何になるかを知りませんでした。これからどのうようになるのか、目的を知らなかったのです。

それがなぜそうなのか? 真なる父母、先祖を持てなかったためです。ですが、我々は真の父母に侍ることによって、「ああ、私は歴史が分かった、神様と私と、どうだという歴史が分かった」というのです。また、現在が分かったというのです。未来が分かったというのです。分かっただけでなく、そのような伝統を受け継ぐことができるというのです。歴史に勝ち、未来に勝ちうる伝統を今自分が持つことができるというのです。


誰から? なぜ? 真の父母に会ったためです。真の父母が教えてくれることを、その方がすることに自分がついていって、その方が願うことを自分が願う、これを受け継ぐのです。それを引き継ぐのです。(七一・二一)


今まで、この宇宙には父母がいませんでした。父母というのが悪なる父母、子供を利用して、滅ぼす父母です、全部皆。そうすることによって、何が壊れたか? 完全な兄弟が壊れていったのです。その次には、完全な新郎新婦が壊れていきました。その次には、完全な父母が壊れていきました。それで、善なる子供を持てませんでした。結局は、家庭を失ってしまったという話です。その家庭は、宇宙史的な代表です。世界を代表し、天国を代表し、国を代表し、家庭